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第3回 〈特別企画 中東諸国の近隣政策1〉「抵抗の枢軸」の岐路――イランの安全保障はどこに向かうのか

The "Axis of Resistance" at a Crossroads: Where Is Iran's Security Heading?

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001592

2025年12月
(10,618字)

脆弱性が露呈したイランの安全保障政策

イランは長年にわたり、ヒズボラ(レバノン)1、フーシ派(イエメン)2、ハマス(パレスチナ)3等の中東諸国の代理勢力を軍事的・経済的に支援し、「抵抗の枢軸」4と呼ばれるネットワークを構築・活用することで(IISS 2020)、自国の安全保障を確保してきた(図1)5。これらのイスラーム主義武装勢力(非国家主体)とシリア・アサド政権6(1971-2024)は、イランの支援の下で米国・イスラエルという共通の軍事的脅威に対抗するための「雑多な共同戦線」を形成し(溝渕 2024b)、中東地域におけるイランの政治的・宗教的影響力拡大を担ってきた(Seliktar and Rezaei 2020; Ostovar 2019)7

代理勢力への支援という独自の安全保障戦略は、「被抑圧者の解放」という体制の革命イデオロギーを自国の安全保障政策に融合し、抑止戦略として具体化したものである。国家は通常、他国(他の国家主体)との同盟によって自国の安全保障を確保する。しかし、イランは非同盟主義8という外交原則ゆえに、自身よりも軍事力が大幅に劣る非国家主体を支援・活用するという特徴的な抑止戦略を選択してきた9

ところが近年、イランの安全保障戦略は岐路に立たされている。中東地域情勢の急激な変化のなかで、中核的要素であるはずの代理勢力による抑止戦略が機能不全となった。にもかかわらず、イランは従来の戦略を転換できず、代理勢力への依存が続いている(IRNA, 10 September 2025)。なぜイランの抑止戦略は機能不全に陥ったのか。そして、なぜイランはこの機能不全の戦略を見直すことができないのか。

本稿では、まずイランの安全保障観を支える現実的な脅威認識とシーア派イスラームの宗教信仰に基づく思想的枠組み(パラダイム)を整理し、そこからイランが代理勢力を中核に据えた抑止戦略をどのように構築してきたのかを説明する。そのうえで、「抵抗の枢軸」の機能不全の実態と、それに対するイランの対応を検証する。最後に、本稿の議論を総括しつつ、イランの安全保障政策についての今後の見通しを述べる。

図1 「抵抗の枢軸」の主要な武装勢力

図1 「抵抗の枢軸」の主要な武装勢力

(出所)IISS(2020)を参考に筆者作成
代理勢力の安全保障上の位置づけ

(1)現実的な脅威認識と思想的基盤

イランにとって、米国とイスラエルは、政治的・経済的圧力や軍事的手段を用いてイスラーム共和国体制の存亡を脅かす実存的脅威である(Bahgat and Ehteshami 2021; 佐藤 2006)。両国の覇権主義から対外独立と領土の一体性を守ることは、革命理念の遂行であり、体制の正統性の根源である(Nasr 2025)。また、両国がソフトパワーによって国内に浸透し、「イラン固有の文化的価値」を破壊することでイラン国民の不満を増幅させ、反体制運動を煽動することを警戒している(Bahgat and Ehteshami 2021; ISNA, 12 September 202510

一方で、イランは米国・イスラエルとの間の埋めがたい軍事力の差を直視し、それが安全保障上の最大の脆弱性であると認識している。両国は、通常戦力、核兵器の有無、資本・技術へのアクセスのいずれにおいても、イランに対して圧倒的な優位性をもつ。特に米国との関係では、イランが米国本土への直接攻撃を行う能力を持たないのに対し、米国はイラン本土に攻撃を行えるという非対称な力関係に直面している(Bahgat and Ehteshami 2021)。

さらに、ペルシャ湾岸地域における米国の軍事プレゼンス拡大もイランにとって脅威である(Azizi 2022)。サウジアラビアをはじめとする湾岸諸国(GCC諸国)は、同地域におけるイランの影響力拡大に対抗する形で、米国からの兵器購入および米軍基地の受け入れによって、米国との安全保障協力を深化させてきた(村上 2015)11

こうした現実的な脅威認識は、イラン・イスラーム革命(1979年)後の地域紛争を通じて、さらに強固なものとなった。革命直後のイラン・イラク戦争(1980-88)は、イラク・フセイン政権による一方的な侵略が発端だった。それにもかかわらず、米ソを含む国際社会がイラクを全面的に支援したため、イランは孤立無縁の戦いを強いられた。また、2000年代初頭に米国から「ならず者国家」と名指しされたイランは、米国による隣国アフガニスタン・イラクへの軍事侵略を契機として、その軍事的脅威をより深刻に受け止めるようになった(Azizi 2022)。それを受けて、抑止戦略の観点から、「抵抗の枢軸」の構築と核開発12を本格的に進めていった(Bahgat and Ehteshami 2021; Mansour et al. 2025)。

こうした実際の力関係に基づく現実主義的な情勢認識に加え、イランの安全保障観を形成してきたのが「カルバラ・パラダイム」である。これは、シーア派の三代目イマームであるホセイン率いる少数の軍勢が、イラク・カルバラの地で、シーア派を迫害するウマイヤ軍(スンナ派)の大軍の無慈悲な攻撃によって全滅させられた「カルバラの悲劇」(680年)に由来するもので(上岡 1991)、「弱者(被抑圧者)が強大な抑圧者に対して、たとえ圧倒的に不利な状況でも屈することなく抵抗する」ことがシーア派に課せられた宗教的使命であるという思想である(佐藤 2006;松永 2012)。この悲劇は、アーシュラーという追悼祭を通じて、今日までシーア派信徒によって継承・追体験されてきた(谷 2022)。

シーア派イスラーム主義を掲げる現体制は、この思想的枠組みを自らの脅威認識と融合させ、宗教イデオロギーへと昇華させた。このパラダイムに基づき、自国を「被抑圧者」、米国・イスラエルを国家の存亡を脅かす「抑圧者」とそれぞれ位置づける(佐藤 2006;松永 2012)。さらに、体制の指導者や軍人を「カルバラの戦い」で殉教したホセインに重ね合わせることで、シーア派の宗教信仰の守護者としてのイメージを強化し、軍事活動を神聖化する(Nasr 2025)13。この宗教的使命の遂行のため、革命以来40年以上にわたって両国の軍事的脅威に抵抗し続けてきた。つまり、「カルバラ・パラダイム」は、「抵抗」や「被抑圧者の解放」といった体制の革命イデオロギーの正統性を支える要素ともなっているのである。

写真1 アーシュラーの追悼式典(2025年7月6日、最高指導者府)

写真1 アーシュラーの追悼式典(2025年7月6日、最高指導者府)

(2)抑止戦略への転換

イランは、たとえ圧倒的に不利な状況下でも敵国の侵略を抑止し、体制の存続を守るため、上述の宗教イデオロギーを抑止戦略に転換し、安全保障政策に巧みに組み込んできた。

イランの抑止戦略は、大きく2つに整理できる。ひとつは、国土防衛の要と位置づけるミサイル防衛である(Javān, 2 September 2025)。中東・欧州地域を射程に収める短・中距離ミサイルを開発・配備し、反撃力を確保することで、敵の攻撃の抑止を試みてきた(Bahgat and Ehteshami 2021)14。イランの現体制は、この戦略によって「かなりの程度」抑止力を確保したと評価している(Leader.ir, 3 July 201915

しかし、圧倒的な軍事力の差ゆえに、こうした通常の抑止戦略のみで敵国の攻撃を完全に抑止することは困難であり、多層的な抑止体制の構築が求められる(Kirmanj and Sadq 2018)16。すなわち、敵からの攻撃発生時に、反撃のための態勢立て直しに必要な地理的・時間的猶予を確保し(戦略的縦深性17)、反撃に必要な軍事力を温存するためには、非対称的な抑止力が追加で必要となる。

そこでイランは、「抵抗の枢軸」である代理勢力を前方抑止として活用し、敵国またはその周辺国まで軍事力を拡張することで、国境を超えた防衛網を構築してきた(Akbarzadeh et al. 2023; Mansour et al. 2025; Nasr 2025; 青木 2024)。これこそがもうひとつの抑止戦略である。代理勢力はイランにとって、敵国とは異なる戦闘手段・組織を戦略的に利用し、抑止に必要な軍事力を低コストで調達する手段である(Ostovar 2019)。

そして、この戦略を支える思想的根拠として、「カルバラ・パラダイム」から導かれる「被抑圧者の解放」という体制の宗教的使命が利用されている(佐藤 2006;Leader.ir, 27 Feburary 2010)。すなわち、抑圧者との戦いはイラン国内に限定されず、周辺国の脆弱なシーア派コミュニティの抵抗運動と自立を支援することも体制の宗教上の責務と位置づけ、代理勢力を通じた政治的介入を正当化してきたのである(Keyhan, 16 September 2014)。

代理勢力の活用は、2つの点でイランを利する。第1に、代理勢力の武力闘争を支援することで、自国の関与を否定しつつ敵国に間接的に軍事的圧力をかけることができる(青木 2024)。それには、武力闘争への直接の関与を避けることで、敵国に反撃やエスカレーションの口実を与えず、国内外の批判を回避するねらいがある(IISS 2020; Ostovar 2019;青木 2024;溝渕 2025)。第2に、この戦略は外的脅威に対する抑止力であると同時に、周辺国への政治的・宗教的介入を拡大し、米国・イスラエルへの対抗軸を築くことにも寄与する。そのため、国内にシーア派マイノリティを抱えるサウジアラビアなどのスンナ派アラブ諸国は、イランの介入政策に警戒感を強めてきた(Cohen and Shamci 2022; 松永 2015)18

同時に、この協力関係は、代理勢力にも大きな利益をもたらす。イランという強力な後ろ盾の獲得は、彼らが国内の主要勢力として政治的・軍事的地位を確立するための手段である。これら勢力は、革命理念への支持を掲げてイランから支援を引き出し、政党政治や社会福祉・慈善事業の分野にも活動の裾野を広げた。そして幅広い国民の支持を背景に立法・行政機関に浸透し、国内の政治的影響力を拡大してきた(Azizi 2022; IISS 2020)。こうしたイランと代理勢力との間の政治的利害の一致が、国境を超えて「枢軸」としての連帯を生み出してきたのである。

ハメネイ最高指導者は、「抵抗の枢軸」の戦略的意義を重視し、安全保障政策の中核に位置づけるよう政治エリートに指示してきた。実際に最高指導者は、「地域諸国におけるプレゼンスと対象国の国民への支援こそが戦略的縦深性を生み、自国の防衛力を高める」とともに、「国際正義の追求」という国家の「誇り」であると主張している(Khamenei.ir, 23 May 2018; Khamenei.ir, 4 June 2018)。そのうえで、「代理勢力への膨大な支援によって、国民生活が蔑ろにされている」との国民の批判を受け入れず19、「抵抗の枢軸」への支援による戦略的縦深性の獲得を国内問題よりも優先して取り組むよう革命防衛隊幹部に指示している(Khameni.ir, 2 October 2019)。安全保障政策の最終決定権と軍の統帥権を持つ最高指導者のこうした政策判断に基づき、代理勢力への支援は政治的・軍事的大義を与えられている。

さらに現体制は、イランを取り巻く安全保障環境が他の「抵抗の枢軸」との共闘によって、大きく改善したと評価している20。例えば、イラクでは2011年以降、「アラブの春」の混乱に乗じてスンナ派過激派勢力「イスラーム国」が台頭し、2014年6月には北部の要衝モースルを陥落させた。イランはこの戦いをイラク国内のシーア派聖地21防衛と位置づけ(Cohen and Shamci 2022; 松永 2015)、代理勢力の組織化とティクリート等の主要都市での戦闘を支援し22、各地で勝利に貢献した(IISS 2020; Kirmanj and Sadq 2018; Mansour et al. 2025)23。最高指導者は、革命防衛隊がイラクで「イスラーム国」と戦っていなければ戦火がイランまで及んでいたとの認識を示し、「国家、国民、宗教、イスラーム革命を守るため」に命を捧げた戦死者を弔った(Khamenei.ir, 23 October 2019)。また、シリア内戦(2011-2024年)では、革命防衛隊とヒズボラがアサド政権への支援のために介入し、第二の都市アレッポの奪還に成功した(Azizi 2022; IISS 2020;Mansour et al. 2025; 髙岡 2024)。ある革命防衛隊幹部は、アサド政権の延命によって防衛線を「イスラエル・レバノン国境まで」拡張することに成功したことで、「西側諸国がペルシャ湾から地中海まで及ぶイランの影響力拡大を懸念している」と戦果を誇示した(Mehr, 2 May 2014)。

ただし、イランが「カルバラ・パラダイム」から導かれるこの宗教的使命を中東地域の地政学的状況や自国の安全保障政策に応じて、介入の口実として柔軟に援用してきた点には留意が必要である24。この事実は、イランにとって代理勢力の活用が、必ずしも単純な宗教・宗派対立だけで説明できないことを示唆している(図2)。

図2 主要アクターの関係性(概念図)

図2 主要アクターの関係性(概念図)

(注)ただし、ハマスは、イランの支援を受けて対イスラエル抵抗運動を展開する反面、スンナ派中心のサウジアラビアやカタールなどからも支援を受けており、いわば「枢軸」と親米勢力の中間に位置する点には留意が必要。これは、イランの「枢軸」への支援が単なる宗派主義的動機のみによるものではなく、地政学的状況を踏まえた安全保障戦略の一環であることを裏付ける。
(出所)筆者作成
「抵抗の枢軸」の機能不全

では、こうした抑止戦略は、イランのねらいどおりに機能してきたのだろうか。

イランと代理勢力の間には、主従関係や厳格な指揮命令系統が存在しない(青木2024;溝渕 2025;ISNA, 14 August 2025)。各勢力は政治的利益の一致を理由にイランから支援を受け、抵抗運動のための蜘蛛の巣状のネットワークを構築している(Mansour et al. 2025)。

しかし、この戦略は指揮命令系統の欠如ゆえに、各勢力の独断的な行動が予期せぬ紛争の激化(エスカレーション)を誘発するリスクを抱えている(Ostovar 2019)。2023年10月のハマスによる大規模越境攻撃「アクサーの大洪水」作戦は、まさしくこのリスクが実体化した事例である。イランの意図とは別に、ヒズボラとフーシ派がこの攻撃に連帯して、それぞれイスラエル北部への散発的な越境攻撃と、紅海上の船舶への攻撃・拿捕を実施したため、紛争がさらに激化した(錦田2024)25。これらの独断攻撃は、政治的利害の相違ゆえに、パトロンであるイランが代理勢力を完全には統制できていない実態を浮かび上がらせた。

想定以上の紛争拡大に対し、イランはジレンマに直面した。紛争のエスカレーションによる代理勢力の弱体化は、自国の抑止力の低下につながるため望ましくない。しかし、パレスチナ武装勢力の抵抗運動をパレスチナ人による国際法上の自衛権・民族自決権の行使として外交的支持を与えてきた経緯があるため(IRNA, 9 October 2022)、ハマスの攻撃に公然と反対しにくい。この葛藤の下、イランは、自国本土への報復攻撃を避けるため、紛争への直接的関与を極力回避し、ハマスへの政治的支持の表明にとどめた(IRNA, 9 October 2022Tasnim, 7 October 2022)。

その後のイスラエルの大規模な報復攻撃は、代理勢力に壊滅的な被害を与えた。同国は、ガザ地区全域でのハマス掃討作戦に加え、他の武装勢力に対しても幹部・戦闘員の殺害や軍事インフラの破壊を繰り返し26、その作戦能力を著しく低下させた27。イランによるイスラエル本土への限定的な反撃が2度(2024年4月、10月)にわたって実施されたが(BBC, 3 October 202428、イスラエルは代理勢力への攻撃の手を緩めることはなかった。こうして「抵抗の枢軸」全体が大幅に弱体化したことで、もはやイランにとっての前方抑止として機能しなくなった。

こうした「抵抗の枢軸」の機能不全は、2025年6月のイラン・イスラエル間の12日間戦争29で明白に露呈された(松下 2025)。すでに多数の幹部・戦闘員と軍事拠点を失い、組織全体に壊滅的被害を受けていた代理勢力には、イランを支援する余力はなかった。そのため、イランはイスラエルの激しい攻撃に対して、自国のみで対処せざるをえない状況に追い込まれた。この戦争は、この抑止戦略がかつては有効に機能していたこと、そして抑止力を喪失したイランが安全保障上かつてなく脆弱な状況に置かれていることを再認識させた。

この状況を好機とみたイスラエルは、「抵抗の枢軸」への攻勢をいっそう強めている。同国は、2025年5月に米国30とともに軍事的・外交的圧力をかけつつ31、ヒズボラの武装解除をレバノンに約束させた(Iran International, 5 August 202532 。また、イスラエルへの攻撃を繰り返すフーシ派に対し、同勢力が支配するサヌアの「政府」機関やエネルギー関連施設を破壊し(AFP、2025年8月17日; BBC, 25 August 2025; Iran International, 8 August 2025)、同派の「首相」と「閣僚」計12人を殺害した(Manoto, 1 September 2025)。これらの攻勢は、代理勢力のさらなる弱体化に加え、中東地域の秩序やパワーバランスの変容をいっそう加速させている。

写真2 ハメネイ最高指導者(左)とヒズボラのナスララ師(中央)の会談(2019年10月7日、最高指導者府)

写真2 ハメネイ最高指導者(左)とヒズボラのナスララ師(中央)の会談(2019年10月7日、最高指導者府)
イランの対応

安全保障上の危機に直面したイランは、すでに限界が露呈した抑止戦略を放棄できず、むしろその維持を余儀なくされている。ラリジャニ国家安全保障最高評議会(SNSC)書記33が、代理勢力への支援停止が自国の安全保障上の利益を損なう「政治的愚行」と断じ政策転換を否定したことは、その決意の表れとも言える(Khamenei.ir, 23 August 2025 )。しかし、「抵抗の枢軸」の再建に向けた道のりは険しい。イランは各武装勢力とその拠点国への関与を進めてきたが、現時点では具体的な成果は得られていない。

(1)ヒズボラの武装解除阻止の試み

イランは、レバノンへの政治的介入により、ヒズボラの武装維持を試みた(Iran International, 6 August 2025)。イスラエルの隣国で大きな軍事的プレゼンスを持つヒズボラは、前方抑止の中核的存在であり、イランの安全保障上最も重要なパートナーである(溝渕 2025)。また、イランと各武装勢力の間の仲介役として、他の勢力に武器・戦闘員訓練を提供するなど、「抵抗の枢軸」の運用面でのハブ機能も担ってきた(Seliktar and Rezaei 2020;溝渕 2024b)。こうした事情から、レバノン政府によるヒズボラの武装解除計画に対し、イランは激しく反発した(Iran International, 7 August 2025)。

しかし、政治的圧力によって同計画を「葬り去る」というイランの目論見は(Iran International, 7 August 2025)、レバノンの強固な意思によって打ち砕かれた。同国は、武装解除に反対するイラン当局者の発言を内政干渉と非難し、「ヒズボラへの支援によってレバノン政府を弱体化させる試みはまったく容認しない」と反論した(Iran International, 7 August 2025)。事態を重くみたイランは、ラリジャニSNSC書記34を派遣し、レバノンに方針転換を強く迫った(ISNA, 13 August 2025)。しかし、ラリジャニ氏は関係改善の糸口を掴むことすらできず35、ヒズボラのカセム書記長と安全保障面での連携の重要性を確認するにとどまった(Javān, 15 August 202536

その後、ヒズボラの武装解除がもはや規定路線化するなかで37、イランはいまだ打開策を見出せていない。イランの介入政策は、もはや相手国政府の譲歩を引き出すだけの政治的影響力に欠いている。イスラエルの圧倒的な軍事力に対し、他の武装勢力がヒズボラの軍事力低下によって生まれる力の空白を埋めることも難しい。そのため、イランの防衛線の後退(縦深性の低下)と抑止力のさらなる低下が避けられない状況だ。

(2)フーシ派への支援拡大

イランはヒズボラの弱体化を補うため、フーシ派への軍事支援を拡大し、イスラエルに対する前方抑止の強化を図っている(Tasnim, 20 October 2025)。2025年7月以降、フーシ派へ支援継続を改めて約束し、新型ミサイル・無人機の供与を加速させてきた(ISNA, 1 September 2025; Jerusalem Post, 24 August 202538。イエメン正統政府によるフーシ派向けの大量のイラン製武器の押収事案や(ロイター、2025年7月17日)、イラン製クラスター弾の初使用(Jerusalem Post, 24 August 2025)、弾道ミサイル・無人機に搭載可能な化学兵器のイエメン国内での製造などは(Iran International, 6 September 2025)、両者の軍事協力の深化を示唆している。こうした動きに対し、イエメン正統政府は、同派が事実上革命防衛隊の前線基地として機能していると危機感を募らせている(Iran International, 28 August 2025)。支援拡充の背景には、フーシ派の軍事的圧力を強化し、イスラエルの軍事アセットを分散させることで、自国への攻撃を当面の間抑制するという抑止力強化のねらいがあると見られる。

しかし、この戦略は根本的な解決策ではなく、代理勢力による抑止力の一時的な延命措置にすぎない。イスラエルの攻撃激化によってフーシ派の人的・物的損害が拡大しているため(共同通信、2025年9月11日39、長期的な代替戦略にはなり得ない。短期的な抑止力強化が、むしろこの戦略の長期的な持続可能性を蝕むという八方塞がりの状況下にもかかわらず、イランは有効な打開策を見出せていない。

(3)代理勢力への依存を生む構造的要因

イランがこの機能不全の戦略を変更できない理由として、以下の3点が挙げられる。

第1に、政治的制約である。12日間戦争を国民の結束による「勝利」と位置づけるイランにとって、安全保障政策を大幅に見直すことは政治的口実に欠ける(Leader.ir, 23 September 2025)。保守強硬派・改革派といった政治派閥を問わず、代理勢力の抑止戦略上の重要性に対する理解が体制内で広く共有されていることも、政策転換を困難にしている(Etemad, 29 September 2024; Javān, 16 August 2025)。

第2に、政策転換が革命理念の自己否定につながるという、イデオロギー的制約である。シーア派イスラーム主義を正統性の源泉とするイランにとって、「被抑圧者の解放」という革命理念を簡単に放棄することはできない(Javān, 2 September 2025)。そのため、体制はこの戦争を経て、従来の政策方針に対する国民の支持が高まったと主張し(IRNA, 26 October 2025)、体制の正統性を高める要素として代理勢力への支援を重視し続けている。

第3に、財政的制約である。制裁による厳しい財政状況下で、代理勢力よりも安価な抑止力を調達することが容易ではない(Cohen and Shamci 2022)。国内ではハイパーインフレに加えて、自国通貨の急落40が国内経済の悪化に拍車をかけている。他方でイランは停戦後、中国・ロシアに協力を求めつつミサイル防衛システムの再建を進めており(Iran International, 7 October 2025)、軍事費がいっそう逼迫している。こうした厳しい財政状況下で、イランとしては代理勢力が最も費用対効果が高い選択肢だと考えている。

以上から、この抑止戦略の抜本的見直しには、①革命イデオロギーの再構築と体制内での新たな政治的コンセンサスの形成に加え、②軍事力強化のための十分な財政余力の確保が不可欠であると言える。体制がこれらの構造的な制約条件を克服しないかぎり、代理勢力のさらなる弱体化と戦略的縦深性の喪失によって、安全保障上の脆弱性は拡大し続けるだろう。

写真3 「抵抗の枢軸」によるパレスチナ解放を訴える画像(最高指導者府)

写真3 「抵抗の枢軸」によるパレスチナ解放を訴える画像(最高指導者府)
「抵抗の枢軸」と地域外交の狭間で

代理勢力の活用は、長年にわたりイランの抑止戦略の中核をなしてきた。しかし近年のイスラエルの攻勢は、「抵抗の枢軸」による前方抑止の体系を動揺させ、イランの安全保障上の脆弱性を露呈させた。それにもかかわらず、イランは政治・イデオロギー・財政上の制約ゆえに、従来の戦略を維持せざるをえない状況にある。

今後イランは、この脆弱性にどのように対処していくだろうか。短期的には、軍の統制力・即応能力の向上と中国・ロシアとの軍事協力によって、防衛力強化を図るとみられる。すでに2025年8月には、平時・有事の意思決定の迅速化を図るため、SNSCの下に国防評議会を設置している(ISNA, 3 August 2025; ISNA, 14 August 202541。同時に、戦闘機や弾道ミサイル等の装備品の調達を進めている42。イランは、戦争によって露呈した国防上の課題に対処し、安全保障体制を再建することを短期目標に据えるだろう。

一方、中長期的には、地域外交による安全保障環境の改善を図る可能性がある。代理勢力の弱体化で防衛線が後退するなか、GCC諸国との関係改善が焦点となる。イランは、イスラエルという共通の脅威への共同対処の必要性を主張しつつ、地域諸国との信頼醸成を模索するだろう。イランおよびヒズボラからサウジに対する関係改善とイスラエルへの共闘を呼びかけは(DW, 20 September 2025; Manoto, 19 September 2025)、長年の敵対関係を超えた地域秩序の再編の予兆として注目される(Amwaj.media, 19 September 2025)。

しかし、「抵抗の枢軸」の再建と地域外交の推進は二律背反的な目標であり、イランは今後二者択一の選択を迫られる。前者は、抑止戦略としての持続可能性の低下に加え、代理勢力の支援(革命の輸出)が周辺諸国との関係改善の妨げとなる43。また、周辺アラブ諸国が域外諸国との安全保障協力を含む多層的な抑止体制の構築を進める中で、「パレスチナの大義」だけで、長年の地政学的な緊張関係を克服できるかは不透明だ。イランが「枢軸」から地域外交に軸足を移すことができるかは、今後の中東秩序の方向性を決定づけるだろう。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
参考文献
著者プロフィール

松下知史(まつしたさとし) アジア経済研究所地域研究センター中東・南アジア研究グループ研究員。専門は比較政治学、イラン現代政治。


  1. 1982年のイスラエルによるレバノン侵攻を受けて、革命防衛隊は300〜500人規模の部隊を現地に派遣し、「アマル運動」を中核としてゲリラ活動を展開する複数の武装勢力を統合し、ヒズボラを組織化した。ヒズボラは、イスラエルの18年に及ぶ占領の中で軍事的影響力を拡大し、内戦終結後も軍事力維持をレバノン政府から許可されていた。イランは、軍事支援(ミサイル・ロケットの供与・製造支援、その他兵器の供与、軍事訓練等)と多額の資金援助によって、ヒズボラの軍事・非軍事活動(対イスラエル抵抗運動、国内政治活動、社会福祉活動等)を支援してきた(IISS 2020;Nasr 2025;末近 2013;溝渕 2024b)。
  2. 1970年代後半〜80年代前半の隣国サウジアラビアによるワッハーブ派宣教活動に対して、土着のザイド派(シーア派の一派)信仰を守るためにフーシ家が設立した武装勢力(アンサールッラー)を源流とする。イランはフーシ派の設立に関与しなかったが、2015年のイエメン戦争へのサウジアラビアとUAEの介入に対抗する形で、資金・兵器供与や軍事訓練を通じて関係を拡大してきた(青木 2024;高尾 2024)。
  3. ハマスは、1987年の第1次インティファーダを契機として、ムスリム同胞団パレスチナ支部の対イスラエル抵抗運動のための武装部門として発足した(錦田 2024;青木 2024)。イランは、ヒズボラを介してハマスと関係を構築した(Seliktar and Rezaei 2020; 溝渕 2024a)。イランは、ハマスの主要な支援者であるものの、ハマスはアラブ諸国とも緊密な関係を維持し、中東地域における国家間の地政学的な対立構図の中で、巧みにバランスをとってきた(IISS 2020)。
  4. このネットワークは従来、「シーア派の三日月」(Shia Crescent)と呼称されることも多かったが(Akbarzadeh et.al 2023;Azizi and Vazirian 2023;Cohen and Shamci 2022;Kirmanj and Sadq 2018)、代理勢力が必ずしもシーア派勢力には限定されず、イランを含む当事者はこの名称を使用していないため(青木 2024)、本稿では「抵抗の枢軸」(Axis of Resistance)という表現を用いる(Azizi 2022;Mansour et al 2025)。
  5. 「抵抗の枢軸」の勢力に明確な定義はないが、上記の他、イラクのシーア派武装勢力であるアサイブ・アルハック、バドル軍、ヌジャバ運動、カタイブ・ヒズボラや(IISS 2020;山尾 2024)、パレスチナのイスラミック・ジハード(Azizi 2022;Mansour et al. 2025)、革命防衛隊がシリア内戦のためリクルートしたアフガニスタン人部隊(ファーテミユーン旅団)とパキスタン人部隊(ゼイナビユーン旅団)などが含まれることが多い(Azizi and Vazirian 2023;IISS 2020;青木 2024)。
  6. 1978年9月のエジプト・イスラエル間の平和条約締結を受け、シリアはイスラエルの脅威に共同で対処するための新たなパートナーとして、イラン・イスラーム共和国との関係構築を模索し、イラン・イラク戦争期間中にはアラブ諸国で唯一イランを支援した。特に両国は、2000年のハーフェズ・アサド氏の大統領就任後、二国間防衛協力協定(2006年)の締結をはじめ、安全保障協力を深化させていった(Seliktar and Rezaei 2020)。
  7. ただし、イランと各勢力の間の協力の態様については、双方の政治的・戦略的利害を反映して非常に多様である点には留意すべきである(IISS 2020)。なお、本稿では取り上げない各武装勢力間の相互の軍事面・経済面での協力の実態については、IISS(2020)およびMansour et al.(2025)を参照。
  8. この外交原則は、冷戦下の国際構造と欧米列強による帝国主義的支配の歴史をふまえ、イラン・イスラーム革命の精神的指導者であるホメイニ師が打ち出した「東西いずれの陣営にも与しない」とする「東西不偏」(neither East, nor West)に由来する。イスラーム共和国の初代外相エブラヒーム・ヤズディー氏は、こうした原則を「積極的非同盟主義」(positive nonalignment)と表現していた(Nasr 2025)。
  9. Ostovar(2019)は、パキスタンもインドに対抗するため、代理勢力として武装勢力を活用してきたものの、核保有国であるパキスタンは代理勢力への軍事的依存度が低いこと、現在ではこれらの武装勢力がむしろ国内の不安定化の要因となっていること、そして他の関係国(米国、サウジアラビア等)との良好な関係維持を維持し、国際社会での孤立を回避してきたことから、イランの代理勢力活用とは性質が異なると主張している。
  10. 最近の事例では、2022年9月にヘジャブ(イスラーム教徒の女性が髪の毛を覆うために着用する布)の不適切な着用を理由に当局に拘束された女性(マフサ・アミニ氏)が死亡した事件をきっかけに、イラン全国で大規模な反体制運動が発生した。ハメネイ最高指導者を含む体制上層部は、この運動がイランを不安定化させるために米イスラエルが計画したものだと指摘した(Guardian, 29 October 2022VOA, 3 October 2022)。また、イランの体制は、この運動を支持する国内外の政治勢力や著名人に関する誤情報をオンライン上で流布し、世論の統制と事態の沈静化を図った(Akbarzadeh et al. 2025)。
  11. こうした周辺国の動きに対し、イランは「第三国の介入に頼るのではなく、地域諸国間の信頼醸成と友好関係の強化によって、地域の平和と安定を実現すべき」だと主張してきた(ISNA, 7 October 2025)。例えば、最高指導者は2016年に、米国が中東諸国の資金と資源を自国の国益のために利用しており、イスラーム諸国が団結して米国の傲慢な目的に対抗すべきだと発言していた(最高指導者の投稿)。
  12. イラン核開発問題の経緯と、この問題に関する米イスラエルの立場については、松下(2025)参照。
  13. 例えば、イラン・イラク戦争中の5次にわたるイラク・バスラ攻略作戦は「カルバラ」作戦と名づけられていた(Nasr 2025;黒田 2015)。
  14. イランは、自国産のミサイル(Shahab 3など)に加え、ロシアから購入した防空ミサイルシステムS-300を、イスファハン州の核関連施設(ナタンズ濃縮施設、イスファハン核技術センター)をはじめとする、安全保障上特に重要な施設の防衛のために配備している(Albright et al. 2024)。
  15. そのためイランは、ミサイル開発の中止を求める欧米諸国の外交的圧力に抵抗し続けてきた。米国は、ミサイルの射程を500kmに制限するよう求めているのに対し、イランはミサイルが自国の安全保障の一部であり(Javān, 23 September 2025)、その制限は「イスラエルに対する防衛能力の放棄を意味」するため到底受け入れられないと反発し続けてきた(ラリジャニSNSC書記の投稿)。
  16. イスラエルは12日戦争期間中に、イランのミサイル基地や貯蔵施設、製造拠点を繰り返し攻撃した(Institute for the Study of War, 4 July 2025)。イランは、停戦後にミサイル製造拠点の再建に着手したものの、弾道ミサイルの固形燃料の製造に必要な「惑星ミキサー(planetary mixer)」と呼ばれる大型のミキサーが依然不足していると言われている(AP, 25 September 2025)。
  17. 敵対者に対して、指揮官が準備・意思決定を行うための時間、ならびに機動的部隊運用のための空間と資源を確保することで、敵の攻撃を遅延させるための軍事戦略(Ekholm 2021)。縦深性の確保には、サイバー・宇宙空間の活用、サプライチェーンの多角化(経済安全保障の強化)、陽動等に加え、同盟国やパートナーによる前方抑止が有効であり、自軍の戦力・柔軟性の向上につながると指摘されている(Schadlow 2025)。
  18. GCC諸国の対イラン政策については、本特集の別記事を参照。
  19. 千坂ほか(2023)は、リスト実験を用いた独自のサーベイ実験によって、革命防衛隊の海外派兵に対するイラン国民の支持は全国で35%程度にとどまること、そして、その支持・不支持は、体制への政治的支持や宗教信仰、経済状況等ではなく、反米意識の強さによって異なることを明らかにしている。
  20. そうした最初の事例が、1983年10月にヒズボラがイランの支援を受けてベイルートで行った米国海兵隊・仏軍宿舎への自爆テロ攻撃である(米軍:241人死亡、128人負傷。仏軍:128人死亡)。この事件を契機に米仏両国のレバノン撤退に追い込むことに成功したため、イラン・ヒズボラにとって大きな軍事的成果であった(Nasr 2025;米国務省N.D.)。
  21. イラク国内には、シーア派指導者の聖廟が4都市(ナジャフ、カルバラ、カーズィマイン、サーマッラー)にある。これらの都市は、アタバートと呼ばれ、シーア派教徒にとって重要な巡礼地である(鎌田 2002;松永 2015)。
  22. イランは革命防衛隊コッズ部隊を派遣して、代理勢力を支援した。この部隊は、イランの精鋭部隊である革命防衛隊の実働部隊として、レバノン、シリア、イラク等のイスラーム主義運動への支援を目的に、各国の武装勢力の組織化、資金・武器供与、軍事訓練等を担う組織。海外での破壊工作や諜報活動にも従事していると指摘されている。イスラーム革命の輸出や被抑圧者の解放等の革命理念の遂行を担う部隊である。特に、2020年に米軍の無人機攻撃によって殺害されたソレイマニ前司令官は、イラク・シリア等で同部隊を率いて武装勢力の組織化と武力闘争を最前線で指揮し、「抵抗の枢軸」の構築・拡大を進めた人物として知られている(Cohen and Shamci 2022;IISS 2020;青木 2024)。なお、イラン軍部の機構図は、松下(2025)図4参照。
  23. 例えば、2014年8月には、イラクのシーア派組織(人民動員部隊(PMU))およびクルド人ペシュメルガと連携して、イラク北部の街アメルリをイスラーム国から奪還した(Tehran Times, 16 November 2020)。なお、この戦闘では、米軍が空爆によって支援したと発表されている(CNN, 1 September 2014)。
  24. 例えばイランは、イラクのシーア派勢力とシリア・アサド政権によるスンナ派の「イスラーム国」との戦いや、ヒズボラによる対イスラエル抵抗運動では、革命防衛隊を現地に派遣し、全面的に支援した(Azizi 2022;IISS 2020)。一方で、フーシ派やハマスの対イスラエル抵抗運動に対しては軍事支援や資金援助にとどめ、軍事作戦への直接の関与を否定している(高尾 2024;溝渕 2024a)。
  25. さらに、イラクのカタイブ・ヒズボラは同作戦以降、イスラエルへの共同での反撃を行うなど、ハマスとの軍事協力を深め、中東地域におけるプレゼンス拡大を図っていると指摘されている(Mansour et al. 2025)。
  26. イスラエルは、2024年7月にイランの大統領就任式典出席のためテヘランを訪問していた最高幹部ハニヤ政治局長を就寝中に爆殺した(BBC, 24 December 2024)。また、同年9月にはベイルートのヒズボラ本部を空爆し、最高指導者ナスララ師を含む多数の幹部を殺害した(NHK、2024年9月29日)。
  27. とりわけ、ヒズボラ構成員に配布されていたポケベルを遠隔操作で爆破する攻撃(2024年11月)は、ヒズボラに大きな人的被害を与えるとともに、構成員の士気低下を画策していたと指摘されている(BBC, 18 September 2024)。
  28. イランは2024年4月14日に、在シリア・イラン大使館領事部への空爆による革命防衛隊関係者7人の殺害に対する報復攻撃を実施(Aljazeera, 2 October 2024)。また、同年10月にも、ハニヤ政治局長とナスララ師殺害の報復として、ミサイルと無人機による攻撃を行なった(Reuters, 2 October 2024)。ただし、イランのガリバフ国会議長は、イランが発射したミサイルの4〜5割程度が迎撃されたと認めている(ISNA, 24 September 2025)。
  29. 2025年6月13日にイスラエルの先制攻撃によって始まったイランと米イスラエル間の12日間にわたる戦争を指す。この戦争では、イラン・イスラエルの双方に、民間人を含む多数の死傷者が出た。また、米国による主要な核関連施設への攻撃により、イランの核開発が停滞を余儀なくされるとともに、米イラン間の間接協議は頓挫した(松下 2025)。
  30. 米国防総省は9月11日、レバノン政府によるヒズボラ等の非国家主体の武装解除および軍事インフラの解体を支援するため、同国に対する1420万米ドル規模の安全保障パッケージを承認したと発表した(DW, 11 September 2025)。米国はその後も、レバノンに対する外交的圧力を強めている(Fox News, 2 November 2025)。
  31. イスラエルは、2024年11月にヒズボラと停戦合意を締結したものの(ロイター、2024年11月30日)、その後もヒズボラ関連施設に対する空爆を繰り返している。レバノンはイスラエルに対して、同合意を遵守し、「攻撃と脅迫」を停止するよう求めているが(BBC, 19 September 2025)、イスラエルはヒズボラの合意不履行を理由に断続的に空爆を実施している(Times of Israel, 30 October 2025)。
  32. ヒズボラにとって武装解除は対イスラエル武力闘争の放棄、ひいては抵抗勢力としてのプレゼンスの喪失を意味するため、レバノン政府の決定に激しく反発している(IRNA, 25 August 2025)。
  33. 国家安全保障最高評議会(SNSC)は、憲法第176条に基づき、「国益の保護、ならびにイスラーム革命と領土の一体性および国家主権の護持」を目的に設置された組織である。SNSCは、核開発をはじめとする国家の安全保障上、特に重要な外交・内政上の政策決定を行う権限を有するものの、その決定の実施には最高指導者の承認を要する(黒田 2015)。
  34. 書記はSNSC事務局のトップにあたる。イランとしては、安全保障政策の決定過程に最も大きな影響力のある人物を就任後初の外遊先として訪問させることで、イランにとっての事柄の重大性をアピールするねらいがあったとみられる。
  35. ラリジャニ書記はアウン大統領等と会談し、レバノンに対する内政干渉を行わないことを約束したうえで、レバノン政府の要請に基づき必要な支援を行う用意があると強調した。しかし、アウン大統領からは、「いかなる勢力による内政干渉にも反対する」として、「いずれの政党も例外なく、武器の保持および外国への支援要請は認められない」と厳しい反論を受けた(ISNA, 13 August 2025)。
  36. ラリジャニSNSC書記は9月27日、ナスララ師追悼式典への出席のため、就任後2回目となるレバノン訪問を実施した。同書記は、ヒズボラ最高指導者ナイム・カセム書記長と会談し、「ハメネイ最高指導者の指導とイラン政府・国民の支持」に基づく「レバノンと抵抗勢力に対する揺るぎない支持」を改めて表明した(Mehr, 28 September 2025)。
  37. レバノン政府は8月以降、国内におけるその他の武装勢力の武装解除に着手しており、すでに難民キャンプで活動するパレスチナ人組織から武器を没収している(DW, 11 September 2025)。
  38. イラン自身は、フーシ派への軍事支援を否定している(イラン外務省)。イランのペゼシュキアン大統領は、「我々は、フーシ派が発射したミサイルを国内でまったく保有していないが、互いに連携している」と説明している(Iran International, 13 September 2025)。
  39. 例えば、フーシ派は9月23日、イスラエル南部のリゾート地エイラートに対して無人機攻撃を実施した。無人機はイスラエルの防空網を突破し、少なくとも20人が負傷した(Iran International, 23 September 2025)。しかし、翌25日にはイスラエルの報復攻撃を受け、8人が死亡、142人が負傷した(日本テレビ、2025年9月26日)。
  40. 2025年10月1日には1米ドル=117万リアル(市場レート)を記録し、過去最安値を更新した。
  41. 同評議会は、憲法第176条に基づき、SNSCの下部組織として設置された。大統領(議長)、国会議長、司法長官、統合参謀本部長、ハータモルアンビヤー中央基地司令官、革命防衛隊司令官、国軍総司令官、情報大臣、最高指導者の名代2人(アフマディアーン前SNSC書記、シャムハーニ公益判別評議会議員(元SNSC書記))から構成される。なお、イラン・イラク戦争初期に、1979年憲法に基づき「国家国防最高評議会」という同様の機関が設置されており、戦争への対応にあたっていた(ISNA, 3 August 2025ISNA, 7 August 2025Tasnim, 2 August 2025)。
  42. 具体的には、ロシアからの戦闘機(Su-35)の購入(Iran International, 6 October 2025)や、中国からのミサイルおよび製造機器・原材料の調達(AP, 25 September 2025CNN, 29 October 2025Middle East Eye, 7 July 2025)などが挙げられる。
  43. ただし、GCC諸国の中でも、イランに対するスタンスは異なっている点には留意が必要。たとえば、オマーンは2025年4月以降5回にわたって実施された米・イラン間の核協議において仲介役を担うなど(松下 2025)、イランと良好な関係を維持している。