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岐路に立つシリア──抑圧から希望へ、不確実な未来への歩み
Syria at a Crossroads: From Repression to Hope, Charting a Path Through Uncertainty
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001283
2025年2月
(5,146字)
シリアのアサド独裁政権が終焉を迎え、54年にわたる一族支配と、60年に及ぶバアス党による恐怖と抑圧の統治に幕が下りた。2024年12月8日、2011年に始まった平和的な蜂起とそれへの弾圧が発端となった14年にわたる紛争の末、バッシャール・アル=アサドは国外へ逃亡した。彼が残したのは、紛争によって深く傷ついたシリアであった。その被害は甚大で、数十万人が命を落とし、人口の半数にあたる1300万人以上が家を追われ、難民もしくは国内避難民となった。
アサド政権下のシリアでは、国家による厳しい支配が隅々に行き渡り、プロパガンダが日常生活のあらゆる場面に浸透した。公共の場はアサド家を称賛する映像や歌で埋め尽くされ、個人崇拝の文化が社会全体に広がっていた。学校から大学に至る教育機関では、「ハーフィズ・アル=アサドに魂と血を捧げる」「ハーフィズ・アル=アサドはアラブ革命の象徴だ」「永遠に、永遠に、ハーフィズ・アル=アサド」といったスローガンを生徒に強制的に唱えさせることが日常化していた。
これらの儀式は国家行事や祝祭の場でも必ず実施されていたが、真の愛国心を育むことには繋がらなかった。むしろ、体制が国民を結束させるために信頼や共感ではなく、強制力に依存していることを浮き彫りにし、多くの人々に疎外感や孤立感を抱かせた。黙って従うことを選んだ人々にとって、政権の支配は身体的なもの以上に心理的なものであった。言葉を発することへの恐怖、そしてその報復が個人だけでなく家族や親戚、友人にまで及ぶという恐れが人々を沈黙させ、私的な思考までが監視されているかのような感覚に陥らせた。年月が経つにつれ、この恐怖は人々のなかに深く根付き、アサド政権のないシリアを想像することさえ困難になっていった。
一方で、抵抗した人々に課せられた代償はさらに大きなものであった。数十万人の市民が投獄され、終わりのない拷問や屈辱、抑圧に耐えなければならなかった。死が常に身近に迫っていて、そのなかで生き延びることは日々の闘いであった。アサド政権の刑務所を生き延びた人々の証言は、政権の残虐性と、生存者の強靭な精神を物語っている。アサド支配の崩壊は、生存者やその家族に深い安堵と希望をもたらし、長年語られることのなかった刑務所での残虐行為が次々と明るみに出ている。それらを生き延びた人々の物語は、人々の揺るぎない精神を反映している。アサド後の移行期は希望の象徴であり、多くのシリア人にとって非現実的に感じられる一方で、解放感に満ちている。しかし、アサド政権下の抑圧がもたらした傷は深く、その癒しには長い年月がかかるだけでなく、克服すべき数多くの課題を抱えている。
波乱の道──アサド政権崩壊への軌跡
2011年3月、シリアで長年の沈黙を破る抗議の波が巻き起こった。周辺諸国での蜂起(アラブの春)に触発され、シリア南部ダラア市で抗議の火種となる出来事が発生した。ある日、小中学校の壁に反政府スローガンを書いたとされる10歳から15歳の子どもたち15人に対し、当局は厳しい措置をとり、彼らを拘束し拷問した。家族や地域住民が釈放を求めて抗議すると、治安部隊は催涙ガスや実弾を使用してこれを弾圧した。拷問を受けた子どもたちの画像が広く拡散され、国内全体に怒りが広がり、抗議運動は次第に勢いを増していった。
ダラアで始まった局所的なデモは、瞬く間に全国的な運動へと発展した。抗議者たちは多様な背景を持ちながらも、数十年にわたる独裁支配、腐敗、抑圧の終焉を求めて団結した。彼らが掲げたスローガンは、団結と抵抗の象徴となった。「シリア国民は屈辱を受けない」「一つ、一つ、一つ、シリア国民は一つだ」、そして「自由」といった声が全国に響き渡たった。これらの声は、分断と支配によって長年権力を維持してきた政権に対する直接的な挑戦であった。政府の対応は迅速かつ暴力的で、デモ参加者は銃撃を受け、インターネット上で支持を表明した人々まで逮捕・拘束された。この間、地元の調整委員会が結成され、市民による抗議運動とその展開を記録した。これらの委員会は、デモの様子を撮影し、拘束者や死亡者の名前を記録し、国際社会に現状を伝えた。政府が非武装の抗議者に対して戦車や軍隊を投入するなか、一部のシリア軍兵士が民間人への攻撃を拒否して離反した。これらの離反者たちは最終的に「自由シリア軍」として組織され、武装抵抗が始まった。
非暴力的な抗議から武装化への移行は、政権による容赦ない弾圧が招いた大きな転換点であった。「リトル・ガンジー」として知られる若き活動家ギヤース・マタールの話は、この蜂起の悲劇的な軌跡を象徴している。マタールは平和的抵抗を訴え、抗議者を武力で解散させるよう命じられた兵士たちに花と水を手渡した。しかし、2011年9月にマタールは24歳の若さで拘束され、獄中で死亡した。その死は国際的な非難を呼び、日本を含む数カ国の大使が彼の追悼式に参列した。彼の死は、民衆蜂起のなかで多くのシリア人が直面した過酷な現実を浮き彫りにした。
紛争は地域的および国際的な要素を伴い、シリア危機の武装化を助長した。アサドはヒズボラやイランといった同盟国に支援を求める一方、サウジアラビア、カタールやトルコなどの国々は反対勢力に武器の供与や資金援助を行った。政権は、2012年の首都ダマスカス近郊の町ダラヤ虐殺のように、民間人に甚大な被害をもたらす暴力キャンペーンを展開した。アサドはこれらの事件をテロリストの仕業だと非難したが、その結果、恐怖が全国に広がり、武装抵抗への移行を加速させた。しかし、反体制派を一つの指揮下に統一しようとする試みは失敗し、反対勢力は分裂した。一方、アサド政権は陸海空すべての軍事力を駆使し、反体制派を抑え込もうとした。反体制派のいる町や村を封鎖した包囲攻撃や化学兵器の使用は、政権の支配維持戦略の象徴となった。
2014年までに、イラクとシリアのイスラム国(ISIS)の台頭がシリア紛争をさらに複雑化させた。この過激派組織はイラクとシリア東部で広大な領土を掌握し、それに対抗するために西側諸国が軍事介入を開始した。同時に、ロシアはアサド政権への支援を強化し、反体制派を標的とする作戦を展開した。一方、北東シリアではアメリカの支援を受けたクルド人勢力がISISとの戦いで重要な役割を果たした。2019年のISISの領土支配の終焉後も、これらのクルド人主導の勢力(シリア民主軍──SDF)はアメリカの支援を受けて地域の支配を維持した。紛争は複雑な地政学的争いへと発展した。2015年、反体制派の躍進によりアサド政権が崩壊寸前となったことで、ロシアは同年9月に直接的な軍事介入を決定した。2017年5月、ロシア、イラン、トルコはカザフスタンのアスタナで「緊張緩和地帯」の設立に合意した。2020年までに、シリアは4つの主要な勢力圏に分割された。アサドとその同盟国が大部分の国土とアレッポ、ハマ、ホムス、ダマスカスなどの主要都市を支配し、クルド人主導のSDFが北東部を掌握した。トルコ支援の反体制派は北部アレッポを拠点とし、反対勢力のシャーム解放機構(ハイアット・タハリール・アル=シャーム──HTS)はイドリブ、北部ハマ、北部ラタキア、西部アレッポの一部を支配した。
アサド政権の崩壊と同盟国の勢力衰退
2015年以降、アサド政権の存続は、イラン、ロシア、ヒズボラといった主要な同盟の支援に大きく依存していた。イランは財政支援や軍事顧問の派遣、物資提供を行い、ヒズボラは地上部隊を派遣して弱体化したアサド政権の軍を支えた。特に、ロシアによる空爆と戦略的な軍事介入は決定的な役割を果たし、政権が重要地域の支配を維持するうえで大きな助けとなった。しかし、これらの同盟関係は紛争の長期化を招き、膠着状態を生み出した。
ところが、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻により、地政学的状況が劇的に変化した。ウクライナ戦争の予想以上の長期化により、ロシアは軍事資源を再配分し、シリアに駐留していた多くの部隊を撤退させた。同時に、イスラエルはレバノンのヒズボラやシリア内のイラン系民兵・インフラに対する攻撃を強化し、補給路や軍事指導者・施設を標的にした。これらの動きにより、アサド政権の支援ネットワークは深刻な打撃を受けた。長年の紛争と経済制裁の影響ですでに弱体化していたシリア軍は、その脆弱さを一層露呈していった。
アサド政権の同盟国の影響力が低下するなか、権力の空白が生じ、政権は無防備な状態に陥った。この機を逃さず、トルコの支援を受け、分裂状態にあった反体制派は再編成され、攻勢を開始した。2024年11月27日から11日間にわたる攻勢で、反体制派は急速に進軍し、アレッポ、ハマ、ホムスを奪還、最終的にはダマスカス郊外にまで到達した。疲弊した政権軍は士気を喪失し、ほとんど抵抗することなく多くの兵士が脱走した。崩壊のさなか、アサドは軍を立て直すことも、防衛を指揮することもせず、ロシアへ逃亡した。この突然の退陣は、人々に驚きと共に疑問を投げかけた。「結局権力を手放すつもりだったのなら、なぜもっと早くそうしなかったのか。早期に退陣していれば、国を何年にもわたる苦難と破壊から救えたのではないか」との声が上がった。
シリア再建への険しい道のり──課題と希望
シリアの人々は今、「次に何が起こるのか?」という重大な局面にある。数十年にわたる独裁支配は、世俗的であれ宗教的であれ、集中した権力への深い不信感を植え付けてきた。この懐疑心は、2011年以降の中東各地での民衆蜂起の結果から得られた厳しい教訓に根ざしていた。多くの国々では、体制崩壊後に不安定な状況が続き、目覚ましい進展を遂げた国家はほとんどなかった。
シリアでもまた、管理の不備や混乱を伴う移行への懸念が広がっている。アサド政権の打倒に向けて団結していた反体制派グループは、シリアの未来に向けた統一的なビジョンを構築するという難題に直面している。この移行を主導しているのは、アフマド・アル=シャラー(通称アブ・ムハンマド・アル=ジョーラーニー)が率いるHTSである。ジョーラーニーはHTSを再編し、アルカイダからの脱却をアピールしているが、依然として懐疑的な見方が残っている。アサド政権と歴史的に結びつきの深いアラウィー派コミュニティの復讐への恐怖や懸念に対応しながら、HTSが包括的かつ平和的な統治を実現できるかどうかは、時間が経つにつれて明らかになるだろう。また、シリア軍などの国家機関は改革されるのか、それとも解体されるのか? 新しい指導部は少数派の権利をどのように守り、和解を促進できるのか? これらの問いへの答えが、シリアが紛争の悪循環を断ち切り、安定への道を進むことができるかどうかを決定づけるだろう。
移行をさらに複雑にしているのは、外国勢力の持続的な影響力である。アメリカ、ロシア、トルコ、イラン、イスラエルの関与は深く、国家統合への取り組みをさらに難しくしている。安全保障や資源の面で外部の支援に依存していることが、これらの課題を一層深刻化させている。トルコはシリア北東部でのシリア民主軍(SDF)への対抗を口実に介入を正当化する可能性がある。アメリカはISISとの戦いを利用してシリアの政治的方向性を左右し、主要な油田の管理を維持しながら厳しい制裁を科し続けるかもしれない。ロシアはシリアにおける戦略的な拠点を守るために影響力を求め続け、イスラエルはゴラン高原の領有権を確保しつつ、軍事的攻撃を継続している。経済的困難もこれらの政治的障害をさらに悪化させている。アメリカやヨーロッパの厳しい制裁により、シリアは疲弊し、国民の約90%が貧困線以下の生活を余儀なくされている。再建や生活水準の向上に必要な資源が限られているなか、新しい指導部が急速に国民の支持を失うリスクもある。「アメリカは制裁を解除するのか、軍は撤退させるのか? また、イスラエルとの和平条約を条件に新しい指導部に譲歩を求めるのか?」など、シリアの人々の懸念は尽きない。
シリアの先行きには多くの課題が待ち受けており、それぞれの課題の重要性は計り知れない。シリアの人々は自由を手に入れるために莫大な代償を支払った。そして今、彼らが国家再建という危険で困難な道を歩む様子を世界が見守っている。シリアが再建の象徴となるのか、それともさらなる混乱に陥るのか。それは新しい指導者たちの能力と、国民が団結して包括的で統一された未来を築く決意にかかっている。
(2024年12月14日脱稿)
写真の出典
- Voice of America(Public Domain)
著者プロフィール
ダルウィッシュ ホサム ジェトロ・アジア経済研究所 地域研究センター 中東研究グループ研究員。専門はエジプト政治を中心とする中東・北アフリカの現代政治、地政学、比較政治、国際関係論。ダマスカス大学英語学科卒業後、東京外国語大学大学院で平和構築と紛争予防を学び、2010年に博士号(学術)を取得。中東の政治体制変遷や地政学的課題を多角的に研究。特にエジプトの政治経済と国際関係に焦点を当てた実証的分析を行う。
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