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コラム
第11回 アラビア語――現地よりもテクストで汗をかく
Arabic: More efforts in texts than in the field
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001944
2026年5月
(7,837字)
私にとってアラビア語でつながった世界は、必ずしも調査に赴く先のフィールドではなかった。むしろ資料やテクストこそが、長く私のフィールドだった。だから現地での言葉の行き違いや会話の失敗よりも、辞書をめくり、文献の一語に足止めされ、写本の字に目を凝らす場面で、私はこの言語にいちばん汗をかいてきた。
アラビア語とのつきあいは、街角よりも机の上で鍛えられてきたといってよいだろう。歴史と文化の堆積したテクストのなかで右往左往し、ときどき現地の職員や書店員とのやりとりに助けられながら、少しずつ読める範囲を広げてきた。本稿では、そんなテクストの前での悪戦苦闘を振り返ってみたい。
入口は「法」だった
私がアラビア語の世界に入ったきっかけは、「法」だった。学部3年の冬、「イスラーム法」の講義を聴きながら、生協で買った教科書、通称「赤本」を開いて内職していたことを覚えている。当時の私にとって、法とは法典や条文のように、すでに決まったかたまりでそこにあるものだった。判例集のようにその範囲が移動する法もあるが、そこに大きな変動があるとは感じていなかった。ある時点で固定された法源の解釈と適用の技術を学ぶのが法学だと、どこかで思っていた。
ところがイスラーム法の講義では、その「法」が歴史のなかで形づくられていく過程が見えた。クルアーンがあり、預言者ムハンマドの言行録であるハディースがあり、法学者たちの解釈もまた法規範として蓄積がある。しかし、何が法源たるハディースなのか、どの学説が規範と認識されているのかは、時代や地域によって違う。法源としての序列はある程度決まっているとはいえ、そこで参照されるものは、最初から固まった一枚岩ではなかった。昨日まで当たり前だと思っていた「法」の輪郭が急に心もとなくなり、学問の囲いが取り払われたような気がした。
そこから先は、未知の世界への好奇心である。最初は文字を覚えるだけでも面白かった。「赤本」の親切とはいえない文法説明を一通り読み終えると、英語圏の学部生向けの読解教材をぽつぽつ読むようになった。いま振り返ると、当時の日本語教材には、練習問題ベースの初級文法から実際の文章読解へ渡るための橋がまだ少なかった。ある程度までは、文法はわかる、辞書も引ける、でも文章としてはうまく読めない。文法書と辞書と読み物のあいだを、自分で飛び越えなければならなかった。当時の私は、それを「中級者の壁」と呼ぶことすら知らなかった。ただ読めないのは自分の勉強不足だと思っていたし、辞書をもっと引けば何とかなるとも思っていた。あとになってわかったのは、私が目指したアラビア語の世界には、単語と文法の知識だけでは渡れないもっと大きな川が流れているということだった。
辞書でつまずく
講義自体は、その後、イスラーム法と近代法との衝突や移植の話へ進んでいった。もちろんそれも面白かったのだが、私の関心はむしろ逆方向へ向かった。近代から見えているイスラーム法の「かたち」が、そもそもどこから来たのか。講義では取り上げられなかったアラビア語のテクストを読めば、その手前にあるごつごつした地層をのぞけるのではないか。そんな欲が出てきたのである。
学部4年になると、文学部のイスラーム思想のゼミに参加し、家族法を扱った前近代の法学書を読むようになった。これがきつかった。文構造を追うだけでも大変なのに、法学語彙がまるで歯が立たない。しかも、辞書を引けば済むという話でもない。
たとえばフルウ(khulʿ)。一般的な亜英辞書のHans Wehrを引くと「妻による離婚、妻は補償金を払わねばならない」と説明はあるが、日本語の法学用語としては表現するには冗長である。「身請け離婚」ともいわれるが、これも日本語の「身請け」からは少し説明を要する。結局、「フルウ離婚」と音を残していうことがある。もっと極端なのがカラーラ(kalāla)で、Hans Wehrでは「疲弊」としか出てこない。家族法のテクストを読んでいて、これでは困る。より古いLaneの辞書を引くと、「親も子も残さず死んだ者」という説明がある。亜亜辞書のal-Munjidを引けば、親族や相続に関する用例も出てくる。
辞書は引けば終わりではなく、引いてからが始まりなのだと、この頃に思い知った。辞書を見れば正解がある、とどこかで思っていたのだろう。しかし実際には、訳語が定まっていないこともあるし、訳語がのっていても、テクストの文脈から大きくかけ離れていることもある。イスラーム法のアラビア語は、そのことを容赦なく教えてくれた。しかも、そういう語ほどテクストの無視できない箇所に出てくる。どうでもよい脇役の単語なら流して読めるが、婚姻や相続、所有の議論の中心にある言葉が曖昧なままだと、一段落まるごと理解の足場が崩れる。辞書1冊では足りない、読むには工具書(専門的な文献を読解する際の副読書。百科事典・文法書・語彙集など)を集めておかないと、という当たり前のことを、私は法学文献でずいぶん叩き込まれた。工具書でも答えが見つからなかったときは、関連する専門書の索引を辞書代わりにしたものである。
アラビア語への向き合い方を変えた研究会
大学院に進んでも講読は続いた。自慢にもならないが、当時の院生のなかで自分がいちばんアラビア語ができなかった、という変な自信がある。周囲には、学部時代の早い段階からアラビア語の功夫を積んできた人が多かった。私は独習上がりで、学習歴も浅い。しかし幸いなことに、イスラーム法学文献の講読ゼミは人気がなかった。指導教員とほぼマンツーマンで読み続けるゼミは過酷だったが、今思えば贅沢な時間だった。私の訳した文章の10倍くらい、とても一度では受け止めきれない解説が、毎度指導教員から返ってくる。それを少しずつ拾い集めながら、自分の研究対象である法分野の内容は読めるようになった。
アラビア語とのつきあい方が大きく変わったのは、大学院の中頃だった。学会報告をきっかけに、いくつかの法典翻訳の研究会に呼んでもらうようになった。そこでは、中堅・シニアの研究者や実務家に混じって、近代に法典化されたアラビア語の条文の逐語訳を検討していく。ある語が伝統的なイスラーム法に由来するのか、西洋近代法典からの移植なのか。訳語は日本語の法律用語として耐えられるのか。そんな議論が、目の前でどんどん進む。苦しかったのは、そのスピードだった。こちらが一文をじっくりと読んでいるあいだに、議論は先へ行く。注釈書を開き、必要ならもっと古い法学書まで、ときには11世紀の法学者のテクストまで遡ることもあった。研究会というより、文献のあいだを全速力で走るシャトルランだった。
ただ、この「追いつけなさ」が、かえって読み方を変えてくれた。それまでの私は、目の前の一文を正確に取ることに重心を置きすぎていた。もちろんそれは大事なのだが、議論のなかでは、いま何が争点なのか、その条文がどの議論の系譜にあるのか、どの注釈書を開けばほしい情報が書いてありそうか、同時に見なければならない。アラビア語の文章を読むというより、アラビア語のテクスト群のなかを泳ぐ感覚に近かった。しかし、似た論点を複数の文献で追いかけるうちに、そこに出てくるアラビア語の輪郭が少しずつ立ち上がってくる。誰かが「あれはあの注釈書にもあった」といえば、こちらも慌てて本を開く。テクストは独りで黙って読んでいるようでいて、じつは人に引っぱられ、人と押し合いへし合いしながら読んでいるのだと思うようになった。人は何か読めば何かを感じるし、研究者ならたいてい、その感想を伝えずにはいられない。テクストを通じた会話があるから、じゃあ次と、その先のテクストに手が伸びる。私のアラビア語もまた、その意味では現地での会話ではないが、かなり他人に鍛えられてきた。
読むためのテクストを求めて
研究が進むと、国内の蔵書だけでは足りなくなってくる。必要になるのは、まだ見ぬ写本か、噂に聞く校訂本である。ここで初めて、現地に行く必要が本格的に立ち上がってくる。
もっとも、イスラーム法文献は、ほかの前近代資料に比べれば、間口が広い部類である。イスラームの歴史のなかで法学は、基礎的学問として蓄積されてきたし、規範として参照される度合いも高い。近代以降、印刷技術が普及してからは、校訂と刊行にもかなりの力が注がれてきた。だから、まったく見つからないというより、「どこかにはある」ことが多い。ただし、それが「日本で、すぐ買える」とは限らない。大手出版社の本なら代理店経由で入ることもあるが、新興の出版社や研究所の出版物で、ここ数年の新しい校訂本となると、国内からの調達はとたんに面倒になる。写本も、オンライン公開やメールによる取り寄せの選択肢は増えたが、全部ではない。結局、最後は現地に行くしかない、という場面が残る。
写本を誰と読むか
ただし、現地の文書館で写本を探す前に、そもそも写本が読めなければ話にならない。これがまた厄介だった。写本の字は、活字よりずっと生々しい。著者や写字生がその時代に書いた文字が、そのままこちらに迫ってくる。印刷された活字とは異なる、その実在感は魅力でもあるが、同時に癖字から逃げられないということでもある。
私は大学院で体系的に写本読解を叩き込まれたわけではない。ここでもあの日のように独習から始まったわけだが、野良猫のように、いろいろな読書会に顔を出して読み方を覚えていった。イスラーム史の先輩たちと同じ写本を目の前にして、筆跡を見ながら文字を当てていく。北アフリカの写本のマグリブ書体に出会ったときも同じだった。点の位置が違うだけで、見慣れた文字が急によそよそしくなる。活字のアラビア語は、難しくてもまだ整っている。写本はそうはいかない。こちらが知らない都合で、字は変形し、省略され、崩れ、思いがけない姿になる。
しかも、読書会のなかで、歴史書のような普段から見慣れない語彙が多い史料を読んでいると、読めない原因が字形なのか語彙なのか、一瞬では判別できない。字は合っているのに知らない単語なだけ、ということもあれば、既知の単語なのに筆跡が崩れすぎて別物に見えているだけ、ということもある。だから1つ読めると嬉しいし、読めないと徹底的に読めない。写本の前では、初級に戻されたような気分になることがよくある。
最近は遅まきながら、独りでも写本を少しずつ読めるようになってきた。ここには、野良修業の成果だけでなく、生成AIの助けもある。といっても、写本画像を放り込めば全部正確に読んでくれる、という段階ではまだない。画像認識は便利になったとはいえ、癖の強い手書き文字を相手にすると、こちらが期待するほど素直ではない。
私が助けられているのは、むしろその先だ。まずは自力で、意味の整合性にはそれほどこだわらず、スピード重視で荒く文字起こしをする。テキストデータができたところで、それを生成AIに読ませ、文脈上不自然な箇所や、別の読みの可能性がありそうな箇所を挙げてもらう。候補が絞られたところで、もう一度写本画像に戻って自分の目で確かめる。以前は、文字を追うことと異読を検討することを同時にやっていた。だから遅いし、疲れるし、なかなか進まない。いまはその2つを少し分けられるようになったぶん、気が楽になった。
とはいえ、最後の判断は人間に残る。似た字形の候補がいくつか提示されても、どれがこの文脈でいちばんありそうかを決めるには、やはり辞書を引き、前後を読み、関連文献まで見にいく必要がある。汗の量は変わっても、汗そのものはなくならない。便利な道具に助けられつつ、最後のひと押しだけは昔ながらに自分でやる、というのが、いまの写本とのつきあい方である。
こうして身につけてきたのは、あくまでテクストを扱うためのアラビア語だった。読むこと、その内容について調べること、言い換えれば「何を探しているのか」を言葉にするためのアラビア語である。だから現地に出ても、その延長で使うことになる。
フスハーしか喋れなくてもめげない
アラビア語には、口語と文語の2つの顔がある。文語は正則アラビア語(フスハー)によって書かれるほか、ニュースや演説といった公的な性格を帯びた発話でも用いられる。一方で口語は、各地域ごとに発音・文法・語彙が異なるかたちで用いられる。その違いが方言といわれることもあるが、場合によっては別の言語にしか聞こえないくらいかけ離れていることもある。しばしばこのギャップが、日本でフスハーによるアラビア語教育しか受けたことのない者を現地調査で苦しめることがある(コラム第10回参照)。しかし幸いにも、フスハーが役に立つ場所はあった。文書館と書店である。
初めて首都ラバトのモロッコ国立図書館を訪れたとき、私はマーリク派(スンナ派4法学派の1つ。歴史的に北アフリカで主流)法学者の手による、土地問題に関する写本を探していた。写本室の端末でデジタル画像を見られると聞いたのだが、端末上でどうにも目当ての写本が見つからない。ここに至るまでラバトの街中では、日常で話されているアラビア語のモロッコでの口語(ダリジャ)に散々苦しめられた。ダリジャの知識はなきに等しく、フスハーで話しても通じず、結局第2の日常言語であるフランス語に切り替えて乗り切ることが何度もあった。旅行者として街にいるぶんには、買い物や移動や世間話ができれば何とかなる。しかし写本や研究の話となると、付け焼き刃のフランス語ではすぐに限界が来る。何を探していて、それがなぜ必要なのか。テクストの専門的な内容や研究の込み入った話をしようとすると、やはり自分にとっていちばん身体に入っているのは、テクストを通じて覚えてきたフスハーだった。職員に聞くのも気が重かったが、意を決して、「見たい写本が端末で見つからない。探し方を教えてほしい」とフスハーで伝えてみた。すると職員は、少し戸惑いながらも一緒に探してくれた。
やりとりのなかでわかったのは、端末上の画像が棚番号ベースで整理されていて、その番号を別の目録から拾わなければならない、という少々回りくどい仕組みをしていたことである。結局、その写本はデジタル化されていなかった。紙で申請し、場合によっては「写本研究」のためだというレターが要るという。しかも、私の研究は向こうのいう「写本研究」には当たらないらしい。聞けば、写本をテクストとして読む研究ではなく、素材やインク、装丁といった物質性を見る研究を想定しているようで、押し問答の末に申請は通らなかった。思うような成果が上げられず、宿舎までの帰りの足取りは重かった。それでも、しばらくしてから妙な達成感が湧いてきた。滞在中なかなかうまく使えなかった自分のアラビア語が、研究という必要に追われた場面では、どうにか相手と渡り合えたからである。文書館という特殊な場所ではあったが、あれは確かに、自分のアラビア語が通じた経験だった。
書店は天国だった
もう1つ、フスハーで乗り切れたのが書店だった。同じくモロッコはカサブランカにあるハッブース地区の書店街には、イスラーム諸学の本を並べた店がたくさんある。こういう店では、「マーリク派の法学書がほしい」とか、「サハラ関係の本を探している」と言えば、書店員が慣れた手つきで何冊か持ってきてくれる。こちらの拙いフスハーにも、変な顔をせず付き合ってくれる。ダリジャに置いていかれていた身には、ほとんど天国である。
もちろん、いつも一発で通じるわけではない。たとえば「モロッコの経済の学術書はあるか」と聞いて案内された棚に並んでいたのは、モロッコで出版された経済学の教科書だった。しかも、欧米の教科書の翻訳ばかり。欲しかったのは、最近のモロッコの経済事情や経済政策の本なのに、「経済」という言葉だけでは、向こうには理論書の棚として届いていたのである。言葉を変えてやっと案内されたのは、「社会科学」の棚だった。また別の店で「モロッコの地理の本」を尋ねたら、ないと言われた。そこで「サハラの歴史とか、環境問題とかは」と言い直すと、今度は目的のトピックを扱う大学出版の本が出てきた。書店の分類にも、その土地なりの知の地図がある。その地図を少しずつ覚えていくのも、現地で本を探す面白さだった。
こちらが探している言葉と、店側が棚を切っている言葉がずれているだけなのだが、そのずれを1つ越えるたびに、その土地の学問の整理の仕方まで少し見える気がした。本を買いに行っているのに、つい分類の癖まで観察してしまう当たり、職業病かもしれない。
機械が読んでくれる時代の、その先で
近年、アラビア語のテクストを機械が読んで、必要に応じて処理して出力してくれる場面は増えている。翻訳も、文字認識も、昔とは比べものにならないほど便利になった。イスラーム法に関するテクストは、規範として参照される度合いが高かったぶん、クルアーンやハディースのデータベースと同様に、デジタル化の恩恵も比較的早くから受けてきた。いまでは、専門的なアラビア語を読む際の補助ツールとして、生成AIはかなり有用である。私自身、そうした道具を相当使っている。
独習者にとっては、とくにありがたい時代になったと思う。昔なら、辞書を引いても腑に落ちないところで長く立ち往生した。いまは、とりあえず複数の候補を出してもらい、何が争点なのかを見取り図としてつかむことができる。最初の一歩を踏み出す敷居は、確実に下がった。
それでも、段差が消えたとは思わない。むしろ壁の位置が少し奥へずれただけである。辞書の訳語がしっくりこないとき、この文脈でその語を採用して本当によいのか迷うとき、あるいは生成AIの提案がもっともらしいが、どこか危うく見えるとき、最後に頼るのはやはり自分のアラビア語の知識である。
思えば、私がアラビア語を始めた頃には、初級を抜けて実際のテクストに入るところに大きな段差があった。いまは教材も補助ツールも増え、その段差はかなり埋められている。けれども、そこで終わりではない。便利な道具が増えたぶん、「ある程度までは読める」地点に早く着くようになっただけで、その先の、文脈に応じて訳語を選び、テクスト同士を行き来し、機械の出力の綻びを見つける仕事は、むしろくっきり残るようになった気もする。昔の「中級者の壁」は、姿を変えてまだ立っている。
しかも、この壁は厄介なことに、昔より見えにくい。機械がそれらしい答えをすぐ返してくれるぶん、わかった気になりやすいからである。だが、テクストの文脈に少し癖があるだけで、答えは簡単に揺らぐ。法学文献のように、似た言い回しが別の学派や別の時代で少しずつ違う意味を帯びる世界では、なおさらそうだ。
私にとってアラビア語は、いまでも気楽な言語ではない。ときに辞書に裏切られ、写本の字に睨まれ、現地では口語に置いていかれる。それでも、テクストのなかで立ち止まり、別の辞書を引き、もう一度文脈に戻る。その面倒くささ自体が、この言語とイスラーム法という分野の面白さでもあるのだと思う。少なくとも私は、そうやってこれまで汗をかいてきたし、たぶんこれからも同じように汗をかくのだろう。
【好きなフレーズ】
إعمال الكلام أولى من إهماله
「言葉は、捨ておくよりも生かすようにせよ」
イスラーム法文献のなかには、法格言集というジャンルがある。個々の格言がいつ生まれたかはさまざまであるが、現代でも参照されるまとまった数の法格言は16世紀以降に定着した。この法格言は、契約文言など拘束力のある言葉が、現実に一致しなくなったからといって、安易に空文化しないよう、その文言の解釈に努力を払うことを求めている。対象は違えど、私が法学文献を読む姿勢もかくありたいと思っている。なぜ似た2つの言葉が並んでいるのか、どうしてこの言葉を選んだのか。テクストに編み込まれた思想を、1つずつほどいていくことが、私のアラビア語への姿勢として変わらないままでありたい。
※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
- すべて筆者撮影(2026年1月)
参考文献
- 黒柳恒男・飯森嘉助 1999.『現代アラビア語入門』大学書林.
- 柳橋博之 2001.『イスラーム家族法』創文社.
著者プロフィール
早矢仕悠太(はやしゆうた) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。中東・北アフリカ、中央アジア地域ライブラリアン。主な著作は、高橋理枝、早矢仕悠太「出版者と読者を繋ぐアリーナ――アラブの国際ブックフェア」『大学出版』第142号、2025年、pp. 6-10、柳橋博之監修、小野仁美、狩野希望、早矢仕悠太、堀井聡江編著『イスラーム法研究入門』成文堂、2025年など。
- 第1回 カンボジア語――出会いに支えられた語学習得への道
- 第2回 ビルマ語──外部者として地域研究するということ
- 第3回 日本語──ラオス生まれの私が「世界一難しい言語」と向き合って30年
- 第4回 インドネシア語──および関連諸語との悪戦苦闘
- 第5回 ヒンディー語――黒い文字と水牛
- 第6回 中国語(台湾)──言葉を学びながらつくる繋がり
- 第7回 ベトナム語──人見知りに自己批判を促す言語
- 第8回 ポルトガル語(アフリカ)──スマホを捨てよ、遊学に出よう
- 第9回 フランス語(アフリカ)――遠くにつれて行ってくれた言語
- 第10回 アラビア語(イラク)――「田舎のアラビア語」ですが、なにか
- 第11回 アラビア語――現地よりもテクストで汗をかく
