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コラム

語学汗まみれ

第5回 ヒンディー語――黒い文字と水牛

Hindi: Black Letters and Buffalos

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000060

2023年11月
(4,826字)

はじめの一歩――ジャングル・ブック

私が紆余曲折を経てアジア経済研究所に入所したのは、もうすぐ21世紀を迎えようとする時期であった。ちょうど、1990年代後半からコンピュータの西暦2000年問題への対応で国内にインド人IT技術者が増え始めていた。今振り返ると、それまでインドといえば往々にして悠久・神秘・混沌・貧困を思い起こさせる国であったが、一転してインド式掛け算、多数のIT技術者輩出をする国へと、現在の一般的なインドへのイメージに反転し始めた時期でもあったように思う。

こうした日本国内の状況の下で、私のインド連邦公用語であるヒンディー語学習が始まった。学生時代にヒンディー語をかじっていたが、しばらく間があいたので、手始めに日本人の先生から『エクスプレス・ヒンディー語』(白水社)で文法をひととおり学習し、その後インドの小学校の教科書を使って基本的な単語や表現を補強した。次いで、都内在住のインド人の先生からの個人レッスンでムガル朝君主に仕えた賢人の話など、インドの子ども向け教材を読んだ。私の場合、文章の読み書きよりも、聞き取りと話す能力の習得に重点を置くことを希望していた。

そこで先生との試行錯誤の末にたどり着いたのは、映画観賞による学習である。当時はまだインターネット環境がダイアルアップ接続からブロードバンド接続に移行する過渡期で、現在のように気軽に動画を見る機会も無かった。そのため、現地に行く度に大量にヒンディー語映画のDVD(ブルーレイはまだ一般的ではなかった)を買い込んできたのである。日本で映画を見て、セリフを書き取り、先生にチェックしてもらう。ひたすらその繰り返しである。

なかでも楽しく学べてヒンディー語学習にも役立ったと感じたのが、子ども向けアニメであった。とくに、1980年代末にインド国営放送で放映された日伊合同制作アニメであるラドヤード・キプリング「ジャングル・ブック」のヒンディー語版「モーグリー」が記憶に残っている。狼に育てられた少年の冒険譚という筋書きに馴染みがあったのと、おそらく私のヒンディー語が現地の子どもの水準に近かったのであろう。

この学習方法は楽しめたが、当然、現実のヒンディー語の世界はアニメのなかのジャングルよりもずっと複雑な言い回しや洗練された表現にあふれていた。言外の意味をうまくくみ取れなかったことも少なくない。そのため迷い道に入り込んだり、回り道をしたりを繰り返してきた。実を言うと、それは今でも続いている。以下は、私のささやかな経験の記録である。

写真1 G20サミットに向けてのヒンディー語の宣伝。

写真1 G20サミットに向けてのヒンディー語の宣伝。インドは2023年のG20議長国である。近年、連邦政府はヒンディー語の使用を強力に推進しているが、インドでヒンディー語を母語とするのは国民の4割強で、ほかの多くの言語を母語とする人々も多い。国民を分断しかねないセンシティブな問題である(2023年7月、ニューデリー)
階級――ヒンディー語の領域

インドでは富裕層ほど幼少時から英語教育を受ける傾向がみられる。そうした人々は往々にして現地語より英語を流暢に話す。非ヒンディー語圏出身ながらヒンディー語圏の地方都市に長く住む友人は、「ヒンディー語は『得意ではない』となかば誇らしげに言い訳される言語」と皮肉る。英語と階級の結びつきは少しずつ変化しているとはいえ、依然として話し手の生い立ちの一端を示すものであり、その習得は、雇用機会の拡大と社会的な地位の向上のための手段でもある。英語が得意な層ほど会話のなかでの英語の比率が高く、会話全体を英語とヒンディー語の間でスイッチするのも自由自在である。インドでは、英語を早口でよどみなく話す必要に迫られる相手や場面があるのである。

私は、2000年代中盤に首都デリーの研究所に所属していた際、下宿生活をした。家主は、私の母親とほぼ同じ年回りの女性で、離婚してひとり暮らしであった。インドの大手ホテル・チェーンで長く人材教育を担当し、当時すでに定年退職してマナー教育の会社を共同経営しながら、なかば悠々自適な暮らしを送っていた。実父は幼少期からイギリスで生活し、「外見はインド人でも中身はイギリス人」だったらしい。彼女はそんな親の代から植民地時代に設立された由緒ある英国式倶楽部の会員であり、そのほか会員制ゴルフ場での交友関係や離婚後も切っても切れない子どもたちや実家親族の付き合いも加わって、日々忙しくしていた。家主自身はインド独立直後の時期に当たる幼少期から全寮制の寄宿学校で外国人修道女らから英語での教育を受けて育ったため、「ヒンディー語はあまりできない」そうで、常に英語が先に口についてくる。そのせいか、下宿生活でも家主とヒンディー語で会話することはほとんどなかった。時々一緒に出掛けると、親の代から常連の旧市街のお菓子屋ではコミュニケーションがスムーズだったが、それ以外の店では時々「どちらのご出身ですか?」と聞かれるほどである。

彼女がヒンディー語を不可欠とする世界は広いようで狭い。まずは、屋上の小屋に住むネパール人の使用人一家、そのほか通いの掃除・アイロン掛け・犬の散歩・鉢植えの植物への水やりのためにそれぞれ雇っていた人たちへの指示である。また、電気・水道・通信・家電など生活インフラの故障が頻繁に発生したが、修理に来た人たちに必要事項を伝えれば事が足りた。それでも、時おり意思疎通には苦労していたようである。ある日、私の留守中に家主の浴室の排水溝からネズミが出た。しかし、配管工になかなかそれが伝わらなかったらしい。確かに、後から聞こえてきた家主と使用人との会話から、家主が「ネズミ」という単語をどこかで覚え間違えたのではないかと感じた。この時は現場に居合わせることができなかったが、家に出入りする人々とのやりとりは、私にとって貴重なヒンディー語の日常表現の学習機会であった。

方言や俗語の世界へ

経済格差や出稼ぎ労働について研究するため、ヒンディー語圏のスラム(首都デリー)や農村部(ビハール州)の調査をするようになると、当初は戸惑うことばかりであった。そもそも教科書やDVDといったそれまで使用した語学教材で、農村部や都市貧困層の生活場面が出てきた記憶がない。そこで、まずは日常生活や農作業で使用される単語をひとつひとつ覚えることにした。たとえば、「水を汲みに行く」「トイレに行く(暗に野外排泄の意)」「田植えをする」「搾乳する」などである。こうした行動は、その地方独特の言い回しをすることも少なくない。一例をあげると、調査地域の農村部では土のかまど(写真2)での調理が一般的で、たとえ富裕層でガスレンジを持っていたとしても、必ずどの家にもこのかまどがあった。そして、牛糞を藁と混ぜて天日干しにした燃料がしばしば使用される。この燃料について辞書どおりの単語を使用してもなかなか通じない。ところが、方言を使うと途端にコミュニケーションが円滑になる。

また、一般的にスラム街では家が狭く、持ち物も決して多くはない。それでも親の財産相続をめぐる兄弟の骨肉の争いが時々ある。さらに、血気盛んな若者同士の小競り合いに、スラム住民にとっては余計な出費を伴うがゆえに、最も避けたい存在――警察――が入りこむことがある。スラムでの「喧嘩」の形はさまざまだが、住民は聞きなれない言葉を使用していた。当時私がヒンディー語を習いに行っていた詩人でデリー大学博士課程の学生は、時々スラムに教室を移動して、「ここでよく使われる言い回し」を教えてくれた。

このように特定の地域、あるいは集団や仲間うちでのみ通用する表現に悩まされるのは、外国語学習者が多かれ少なかれ共通して直面する壁であろう。それでも一歩前進、ときには二歩以上後退しながら、少しずつ調査対象者と直接コミュニケーションができるようになっていった。しかし、それはまだほんの序の口で、その先にはさらに奥の深い世界が広がっていたのである。

写真2 農村部での調理の様子。

写真2 農村部での調理の様子。女性の手元あたりに牛糞燃料が置かれている
(2009年3月、ビハール州農村)
自尊心の壁

スラム街や農村部での調査でしばしば遭遇したのが、文字の読み書きのできない人たちである。ヒンディー語ではこうした人々を「黒い文字は水牛と同じ」(に見える)と表現する。こうした人々、とくに農村部では保守的な土地柄ゆえ、学校教育を受けず、早婚で、ジェンダーの規範を守って日常の行動範囲の限られる既婚女性たちを相手にすると、私のヒンディー語では全く歯が立たない。

当時、調査地域ではさほど電化が進んでおらず、日没後は灯油ランプか発電機の所有者から電気を買って裸電球ひとつで過ごす家も少なくなかった。そのため、テレビやラジオから情報を得る機会も少なく、「標準的」な言い回しに耳が慣れていないのである。こちらは外国語学習者として教科書の例文のような表現が得意なので、当然意思疎通はうまくいかない。学校教育で良くも悪くも「規格化」されていないと、共通の言語や概念がない可能性がある、ということを身をもって学ぶことになった。

非識字の人たちは、(時計が読めないので)時間がわからない、モノの値段や量り売りの量がわからない(が独自の方法で認識している)、乗車すべきバスや電車を番号や行先から識別できない、交通標識が理解できない、行政からの通達が読めない、さまざまな申請書を埋めることができない、子どもの宿題を手伝うことができない、など日常生活で多くの困難に直面している。すなわち、暮らしていくには常に誰かに助けてもらう必要がある。しかし、読み書きができないことに付け込まれ、赤の他人から罵詈雑言を浴びせられることも少なくない。あるスラム住民は、自らの日常生活をヒンディー語の慣用句「あちらこちらに助けを求めて徒労に終わる」を使って説明してくれた。またある父親は、悪い仲間とつるんで飲酒や薬物に手を染める息子たちを叱責しようにも、(書類に署名できない)「母印を押す者」と見下されると嘆いた。

現地の調査協力者たちは、どんな相手にも、辛抱強く手を変え品を変え、ときには遠回りをしながらやりとりを行っていた。その姿には頭が下がるとともに、意思疎通を図るうえで大いに参考になった。そして徐々にわかってきたのが、非識字者とのコミュニケーションをとるうえで最大の関門となるのは、時として言葉そのものではない。彼(女)らの自尊心の欠如である。教育を受けた者に対して勇気を振り絞って意見をし、異議を申し立てるようなことはできない(と思い込んでいる)。なかには、教育を受けた人と目を合わせて話すことができない、と語ってくれた人もいる。どこにいっても肩身が狭い思いをし、無学な自分が恥ずかしいという言葉を何度も聞いた。教育を受けた人たちとは全く異なる形で、読み書きのできない人々から本音を聞き出すのは容易ではない、という大きな教訓を得たのである。

2009年に無償義務教育を保障する法律が制定されたこともあり、今後、就学率や識字率の上昇とともに文字の読み書きのできない人々は減っていくであろう。携帯電話の普及や農村電化も意思疎通の円滑化を間接的に助けてくれるにちがいない。しかし、コミュニケーションの前提として、相手が誰であっても理解しやすいように話すこと、そして話しやすい状況を作ることの重要性を肝に銘じている。

そして振り出しに戻る

さて、2023年2月下旬、コロナ禍を経て約3年ぶりにインドに降り立った。その間、ヒンディー語を話す機会は残念ながらほぼ皆無であった。そのせいか、相手の言っていることは理解できるのに、こちらは適当な言葉が咄嗟に出てこないのが何とももどかしい。

ある日、久しぶりに訪ねていったヒンディー語ネイティブの友人宅で窓を全開にして話をしていた。すると突然、そこに鳩が飛び込んできた。「えーと、鳩はヒンディー語で……」と記憶をたどっていたら、無意識に「ウサギが入ってきた!」と口をついていたらしい。大爆笑の友人。ここはインド、とにかく早口で何か言わなければ、というプレッシャーで、目に入った鳩と同じ白い生き物のウサギという単語が最初に浮かんだようである。そう、私のヒンディー語は所詮「黒い文字と水牛」だったのである。この頃、また「モーグリー」を真剣に鑑賞し始めた。

【好きなフレーズ】

जैसे को तैसा

文字どおりの意味は、「しっぺ返し」。友人Bはかつて世捨て人になろうとグル(師匠)と一緒にヒマラヤ山中の洞窟でしばらく瞑想をして過ごしていたそうで、商売をしているのにどこか浮世離れしたところがある。そんなBが「世の中の真実をついている」と何度か口にしていたから印象に残ったのだろう。日本語の因果応報のような使い方をしていた。決して私の好きなフレーズではない。しかし、なぜかインドでは折に触れて思い出すのである。おそらく、一見、自己主張に労を惜しまず、弱肉強食で、「勝者総取り」にも見えるインド社会においても、当然のことながら人間関係にはさまざまな機微があり、人々は本音や建て前を巧みに使い分けしていることを思い出させてくれる表現だからであろう。そして自分の立ち居振る舞いについても省みることを突きつけてくる言葉でもあるからかもしれない。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • すべて筆者撮影
参考文献
  • 田中敏雄・町田和彦1986.『エクスプレス・ヒンディー語』白水社(絶版).
著者プロフィール

辻田祐子(つじたゆうこ) 新領域研究センタージェンダー・社会開発研究グループ。PhD。近著に、“Intention to Emigrate Again and Destination Preference: A Study of Indian Nurses Returning from Gulf Cooperation Council Countries,Migration and Development, forthcoming(共著), および、“Post-school Experiences of the Youth: Tracing Delhi Slum Dwellers from 2007/08 to 2018,” in Mitra, A. (ed.) Youth in Indian Labour Market: Issues, Challenges and Policies, Singapore: Springer, forthcoming, など。