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コラム

新興国発イノベーション

 
第7回 破綻経済と仮想通貨(ベネズエラ)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051791

2020年7月
(5,310字)

ハイパーインフレと伝統的対抗策「ドル化」

ベネズエラは近年未曾有の経済危機にあえいでいる。インフレ率は2015年に3ケタを突破して以降加速を続け、2018年には13万%を記録した。ハイパーインフレは市民の購買力をそぎ、生活を困窮させ、十分な食事がとれない人も多数出ている。またインフレ加速のスピードに紙幣供給が追いつかず、市中で紙幣が不足して日常の買物の支払いに大いに支障が出ていた。

紙幣が不足するなか、中間層以上で銀行口座をもつ人びとは、日々の買物の決済に銀行のデビット・カードやクレジット・カード、あるいは店先でのスマホ決済などを使ってきた。しかし貨幣の残りふたつの機能、すなわち経済価値の尺度と経済価値の保全の機能は、電子決済では代替できない。法定通貨ボリバルに対する国民の信頼が失われたため、ボリバルはモノの価値を示す機能を失っている。商品はドルで値付けされ、それをボリバルに換算して売値とすることが常態化している。またボリバル建ての国内預金は月単位で価値が目減りするため、資産価値の保全もできない。

ハイパーインフレ下の多くの国では、国民の信頼を失った法定通貨に対して、米ドルが(多くの場合違法に)それらの機能を補完的に代替してきた。現在のベネズエラの状況はその典型だ。過去1~2年で事実上のドル化が急速に広がっており、大手スーパーのみならず道端の商店からパン屋まで外貨で支払いができる。外貨でしか買い物できない輸入物資のみを扱うボデゴンと呼ばれる店舗も生まれた。

民間部門でドルが流通しはじめたことで、民間企業が海外から食料や生活必需品などを輸入できるようになり、食料などの欠乏状態が若干緩和された。しかし、制度上は政府による厳しいドル統制は継続しており、国内で合法的にドルを入手することは至難の業だ。このためドルの大半はあくまでも非合法に入手・取引されたものだ。そこで最近急速に広がっているのが、スマホアプリを使って米国内の銀行口座間取引を瞬時に行うデジタル決済システムZelleの利用だ。スーパーでの買い物の精算では、スマホにインストールしたZelleのアプリを使い、ドル建ての支払い額を顧客が持つ米国の銀行口座から、スーパーの米国の銀行口座へと瞬時に送金するというやり方だ。ベネズエラ国内のスーパーの支払いが国外の銀行間でデジタル決済されている。

国内における外貨の利用・決済は、制度上は禁止されたままであるにもかかわらず、マドゥロ政権はそれを黙認している。マドゥロ自身が「(事実上のドル化が)経済圧力のガス抜きになっている」とドル化の進展をポジティブにとらえる発言をする混乱ぶりだ。ちなみに法定通貨の正式名は、ハイパーインフレ下でデノミを重ねるたびに、「ボリバル」から「ボリバル・フエルテ」(強いボリバル)、そして「ボリバル・ソベラノ」(主権のボリバル)へと名称が変更されてきた。「強いボリバル」は価値を失い、「主権のボリバル」の混乱がベネズエラ経済の事実上のドル化をもたらしたとは、なんとも皮肉だ。

仮想通貨取引の拡大

法定通貨ボリバルの価値下落から生活や資産を守るため、また入手困難なドルの代替策として、近年ベネズエラで急速に拡大しているのが仮想通貨の取引だ。ベネズエラ以外にも、トルコやキプロス、アルゼンチンなど、通貨不安が高まった国、政府による預金封鎖や資金規制が強化された国で、仮想通貨取引が拡大している。最近では、コロナウイルスで経済の先行きに対する不安が高まったアフリカ諸国で仮想通貨取引が拡大しているという。

近年ベネズエラは有数の仮想通貨の取引量を誇る国となった。仮想通貨取引には販売所で提示された価格で購入するものと、取引所で希望価格や量を提示して取引先を探すP2P(Peer to Peer)取引がある。表1は、世界で最も取引量が多い仮想通貨であるビットコインのP2P取引の週間取引量(単位はBTC)とその世界シェアの上位5カ国をみたものだ。ベネズエラは、このビットコインのP2P取引量が米国、ロシアに次いで世界で第3位と有数の取引国だ。

表1 ビットコインのP2P取引額(週間)の上位5カ国(単位:BTCビットコイン)

表1 ビットコインのP2P取引額(週間)の上位5カ国(単位:BTCビットコイン)

(出所)CoinDanceウェブサイトより、筆者作成。
(注)ビットコインのP2P取引の3つの取引所(LocalCoins, Paxful, Bisq)の合計額。
図1はベネズエラにおける2013年10月から2020年5月までのビットコインの週間取引量の推移を示している。2016年以降少しずつ拡大していたビットコイン取引量は、2018年後半から2019年前半にかけてピークを迎え、その後2019年半ばにかけて縮小し、その後は500BTC前後で推移している。この動きは、ビットコインの価格や国際的取引のトレンドの影響も受けているが、ベネズエラ国内の政治経済情勢も大きなインパクトを与えたと考えられる。2018年はインフレ率が前年の3ケタから5ケタへと急加速した年だ。2019年1月は、政治的にもふたりの大統領が並び立ち、それぞれが正統性と実効支配を争う未曾有の政治危機に陥った時期だ(坂口2019a; 2019b)。ハイパーインフレの加速と政治危機の先鋭化で、資産保全のためにビットコイン取引が高まったと考えられる。

図1 ベネズエラにおけるビットコインの週間P2P取引額の推移(2013年10月~20年5月)

図1 ベネズエラにおけるビットコインの週間P2P取引額の推移(2013年10月~20年5月)

(出所)CoinDanceウェブページより筆者作成。
ベネズエラにおける仮想通貨の機能

日本や米国ではビットコインをはじめとする仮想通貨取引は、投資目的が主流だ。しかしベネズエラのように経済が破綻し法定通貨が信用を失った経済では、仮想通貨は決済手段あるいは資産価値の保全手段としての通貨の役割を補完するようになっている。先進国では、ビットコインの価格が安定的ではないことから、資産保全のためには使われない。また、途上国でもドルの方が好まれるだろう。しかしベネズエラでは厳しい外貨統制でドル入手が困難なうえ、厳しい政治状況下にある。仮想通貨のP2P取引の場合、国家に取引情報が流れたり国家の監視を受けたりすることがなく、さらに双方が合意すれば、値段だけでなく支払い方法も柔軟だ。さまざまな制約下での生活を余儀なくされ、またマドゥロ政権に情報を握られたくないと考えているベネズエラ人にとっては、これらの点も魅力だ。

ベネズエラで仮想通貨取引の拡大をもたらしているもうひとつの重要な要素が、国外からの送金だ。ベネズエラでは経済破綻や政治危機から逃れるために、450万人以上が国外に脱出した。彼らは国内に残る家族を支えるために送金をするが、銀行を介した国際送金は手数料がきわめて高い。それに対してビットコインを使うと、海外から国内の家族に対してすみやかに、しかもほぼ手数料無料で送金できる。もともとビットコインは、国家管理を介在させずに、安価に送金するシステムとして開発されたのだが、ベネズエラでは、その目的どおりの機能を果たしているといえる。

ビットコインを介した安価で簡易な送金代行サービスも誕生している。隣国コロンビアのスタートアップ企業Valiuは、コロンビアで働くベネズエラ人がスマホまたは店頭でコロンビア・ペソを支払えば、ビットコインを介して安価ですみやかにベネズエラに送金するシステムを開発し、すでに8万件以上の送金を代行したという。手数料がきわめて安いので、コロンビアで数十ドルを稼いだベネズエラ避難民が、ベネズエラに残る家族に送金することができる。コロンビアには180万人以上のベネズエラ人が滞在しており、需要は大きい。

本稿ではビットコインについてのみ紹介したが、ベネズエラではイーサリアムやダッシュといった、それ以外の仮想通貨の取引も広がっている。それらはドルやボリバルに換金されて決済に利用されるほか、仮想通貨による直接決済の動きもみられる。たとえばベネズエラ国内のバーガーキングは、2020年1月に、ビットコインやイーサリアムなど6種の仮想通貨での決済を開始する計画を発表した。仮想通貨からボリバルに換金せずに直接国内消費の決済に使えるようになると、仮想通貨の利便性はさらに高まるが、さて広がるだろうか。

写真:価値を失ったベネズエラのボリバル紙幣を折って作った財布などを売るベネズエラ避難民

価値を失ったベネズエラのボリバル紙幣を折って作った財布などを売る
ベネズエラ避難民(コロンビア・ボゴタ市内、2019年11月2日)。
国家が発行する仮想通貨「ペトロ」

国内においてビットコインをはじめとする仮想通貨の取引が広がる一方で、大きな財政赤字(GDP比20%前後)と外貨不足、そして2017年8月に始まった米国による金融制裁措置に悩まされるマドゥロ政権も、その制裁回避と新たな資金調達の方法として仮想通貨に目をつけた。そして2018年2月に、国家が発行する世界初の仮想通貨「ペトロ」の発行を発表した。ペトロはベネズエラ原油によって裏付けされるとして、発行当初の石油価格にもとづき1ペトロ60ドルと設定された。政府は、石油による裏付けとブロックチェーン技術の利用により、ペトロは信頼できる仮想通貨であるとアピールした。

しかし、ペトロは米国の制裁回避や新たな資金調達の手段としてまったく機能していない。米国がペトロも金融制裁措置の対象にしたからだ。またマドゥロ政権は、石油の輸入代金をペトロで支払う場合は割引くことなどを提案して各国にペトロの利用を働きかけたが、応じる国はなかった。

国際決済手段としてペトロの流通を増やそうとしたマドゥロ政権の思惑は失敗に終わる一方、2019年後半からマドゥロ政権はペトロの国内流通の促進へと政策の舵を切った。以前から公共料金や税金をペトロで支払うことを奨励していたが、進展しなかったため、パスポートの発行手数料をペトロでのみ支払い可能とし、強制的にペトロを利用させる作戦に出た。同年末には公務員や年金受給者への年末ボーナスをペトロで支払い、2020年4月には新型コロナ患者をケアする医療従事者へペトロでボーナスを配布した。

マドゥロ政権の思惑とは裏腹に、ペトロは金融界や世界の仮想通貨コミュニティ、そしてベネズエラ国民から信用を得られていない。マドゥロ政権は1ペトロ60ドルとしてペトロを発行して資金を集めようとしたが、「石油で裏付け」が何をさすのかが不明だ。むろん石油と交換可能なわけではない。石油価格が1バレル60ドルから2020年4月には7ドルまで下落したにもかかわらず、ペトロの公式ページでは1ペトロは約58ドルと表示されたままだ。また発行当初の説明とは異なり、ペトロのホワイトペーパー(投資家への説明書)には、ペトロは「50%が石油価格、20%が金、20%が鉄鉱石、10%がダイアモンド」によって裏付けされると記載されている。このような制度的な不透明性はペトロへの信頼性を低下させる材料になる。

2019年末にボーナスとして配られたペトロは、2020年1月には国内の取引所で早くも半額の1ペトロ約30ドルで取引されていた。実物紙幣と同様、あるいはそれ以上に、仮想通貨の価値の源泉は信頼性だ。国民の信用を失えばボリバル紙幣がただの紙切れになるように、仮想通貨も透明性が高く信用を担保できる制度構築がされていなければ、信頼を勝ち得ることができず、流通しないということだろう。

写真の出典
  • Reg Natarajan from Vancouver, Bogotá, Venezuelan Refugees in Bogotá Selling Crafts Made of Worthless Venezuelan Cash(CC-BY-2.0).
参考文献
著者プロフィール

坂口安紀(さかぐちあき) アジア経済研究所地域研究センター主任調査研究員。MA(修士)in Latin American Studies, UCLA(カリフォルニア大学ロスアンジェルス校)。専門はベネズエラ地域研究。おもな編著に、『チャベス政権下のベネズエラ』アジア経済研究所(2016年)、『途上国石油産業の政治経済分析』岩波書店(2010年)など。『ラテンアメリカ・レポート』に定期的にベネズエラ情勢を執筆。

書籍:チャベス政権下のベネズエラ

書籍:途上国石油産業の政治経済分析