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コラム

新興国発イノベーション

 
第6回 IT技術がもたらす行政のイノベーション(中国)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051766

2020年6月
(5,098字)

電子政府を目指す中国

新型コロナウイルスとの戦いで、中国が如何にIT技術を応用しているのかについてはメディアでもしばしば報道される。外出している人を見つけて知らせるドローン、健康状態をスマホで証明するQRコードなどさまざまな技術が応用され、日本でも話題になっている。しかし、コロナショックは中国政府がIT技術を積極的に応用するようになったきっかけではない。既に政府のなかではビックデータの共有が始まっており、IT技術の受け入れ態勢ができている。したがって、中国政府が危機対応に最新の技術を積極的に応用するのは自然な成り行きでもある。

中国政府がIT技術をガバナンスに積極的に取り入れる理由として、膨大な行政組織の効率向上が挙げられる。改革開放以後、政府は一貫してこの課題に取り組んでおり、度重なる行政組織の再編と制度改革を行った。しかし、組織の規模が大きいうえ、利害関係も複雑であることから、改革には限界があった。そこで注目されたのがIT技術である。ここでいうIT技術は顔認識機能付きの監視カメラの話ではなく、行政組織のなかにおけるビッグデータの構築の話である。

行政窓口の設置から始まった改革

そもそも中国では1990年代半ばまで役所に総合窓口はほとんど存在していなかった。ここでいう総合窓口は日本の市役所のような行政サービスを提供する場所を指す。当時、政府の各部門はそれぞれ異なる場所で業務を行っており、公式書類をそろえるためにいくつもの場所を回る必要があった。

90年代の後半になると、広東省、浙江省などでは総合窓口を設置する試みがなされた。しかし、これは地域住民へのサービスを目的としたものではなく、外資誘致のためのものであった。外資系企業が中国で工場を設立するには、さまざまな審査手続きが必要であったので、そのニーズに特化した総合窓口が設立されたのである。

胡錦濤の時代(2002~2012年)になると、中央政府は「サービス型政府」というスローガンを打ち出し、大都市を中心に行政窓口(中国語では「政務大庁」あるいは「政府服務中心」)の設置を推進した。それまで独自に業務を行っていた各部門の機能を行政窓口に集約させることで、行政の効率性向上を目指したのである。同時に、政府に対する民衆の満足度も上がると期待された。

とはいうものの、行政窓口の推進は順調ではなかった。まず、行政窓口の設置は大都市および経済発展が進んだ地域に限定されており、全国的に広がっていなかった。次に、行政窓口で業務は行われるものの、その内容は非常に限定的で、形式的なものに留まっていた。さらに、行政窓口には窓口が多すぎてどこに行けばよいのか分からないという声も多かった。要するに、行政窓口を設置した部門は多くなったものの、各部門は独自に動いており、協同作業は想定ほど進んでいなかった。

習近平の時代になると行政窓口の普及はさらに進み、大都市から中小都市へ、沿海地域から全国へと広がった。政策効果を検証するため、行政窓口に関する全国的な調査(2017年)が行われ、県レベルでの設置率は94%に到達していた。さらに、社区(コミュニティの中国語訳で、都市の最小行政区画である)や村といった行政の末端にまで出張所を設置し、住民がより利用しやすいようになった。

写真:社区の総合窓口、浙江省杭州市(2016年11月)

社区の総合窓口、浙江省杭州市(2016年11月)

この時期に中央政府は「一つの窓口、ワンストップサービス」という非常に高い目標を掲げている。目標を実現するためには、政府の各部門間の連携強化だけではなく、さまざまなデータの共有が求められる。しかし、中国の行政組織は、タテ割り・ヨコ割り行政の弊害で常に悩まされており、その壁を乗り越えるのは容易ではない。そこで、注目されたのがIT技術である。

政府によるIT技術の応用といえば、WeChat、ALIPAYといったプラットフォームに政府部門が各自に提供するサービスが挙げられる。これらのサービス自体も比較的新しく、2012年にWeChatアプリでパブリックアカウント機能(政府機関向け)が追加されたのが最初である。これを機に、中央から地方に至る各レベルの政府および関連部門が次々と公式アカウントを設け、情報配信を行うようになった。例えば、杭州市政府の公式アカウントもあれば、市の公安局、民政局、交通局など関連部門も公式アカウントを開設している。ほかに、独自の携帯アプリを開発し、行政サービスを提供する部門(例えば、深圳市政府)もある。いずれのサービスも各部門が独自に提供するものであり、フォーマットが異なるうえ、データも共有されていなかった。「一つの窓口、ワンストップサービス」を実現するには、既存の各種プラットフォームのなかから、行政窓口がカバーする範囲内のものをすべて一つのプラットフォームに集約したうえで、窓口での業務進捗状況とプラットフォームを連動させる必要がある。それにより、事前予約から業務の進捗状況まですべてインターネットで確認できるようになる。

手のひらにある行政窓口
 まず、浙江省の杭州市が提供するプラットフォームを紹介しよう。これはWeChatというチャットアプリ上で使えるミニグラム(アプリのなかにある軽量アプリ)であり、専用のアプリを別途ダウンロードする必要はない。利用者は杭州市政府の公式アカウントをフォローするだけでよい。個人情報が必要な場合、本人確認(身分証明書あるいは本人名義の銀行カード)を行ったうえで利用することができる。

写真:ミニグラムを立ち上げた際のWeChat画面

ミニグラムを立ち上げた際のWeChat画面

プラットフォームで提供されるサービスとして、住宅関係(住宅積立金、登記証明、不動産譲渡など)、社会保障、交通関係(車ナンバー抽選結果、駐車場)、出入国関係(パスポート、台湾・香港・澳門通行証)、戸籍関係、教育関係(学歴証明、図書館、ほか)、資格証明(医師、薬剤師、ほか)、法律コンサル、医療関係(病院予約、疫病情報、ほか)、生活関連(ごみ収集、郵便宅配、天気予報、渋滞情報)などが挙げられる。まだ正式に運用が始まっていない機能もあるものの、住民の日常生活に関するものはほぼ網羅されたと言えよう。

なかには交通違反の通報といったユニークな機能もある。誰もが携帯端末を通じて交通違反行為を警察側に通報できる仕組みであり、運転手からみればまったく油断ができない。残念ながら筆者はまだ使ったことがないが、いつかは使ってみたいものだ。

杭州市が所在する浙江省では、住民への行政サービスを提供するにあたってさまざまな革新的な試みが行われている。近年、注目を集める「多くても1回」(中国語では「最多跑一次」)というスローガンがその一例である。杭州市のこのプラットフォームは「多くても1回」の実現に向けての模範事業なのである。各種許認可に必要な書類はすべてプラットフォームで確認でき、それに応じて必要書類を申請すればよい。文字どおりに行政窓口に1回以上行かずに済むのである。

プラットフォームをめぐる政府間競争

杭州市よりさらに野心的な試みが広東省で行われている。その名は「粤省事」(Yue Sheng Shi)。広東省政府が主導し、IT大手のテンセントと大手通信会社3者(中国移動、聯通、電信)が共同で立ち上げたプロジェクトである。これは、広東省の各レベルの政府が提供する行政サービス機能をすべて1つのWeChatプラットフォームにまとめ、基本データを共有するという大掛かりなものである。広東省全域をカバーするプラットフォームであるので、行政サービスの地域間格差を縮めることも期待される。

プラットフォームは、2018年5月に提供され、当初は140項目あまりの機能に留まったが、現在は800項目以上に上る。最大の特徴は、身分証明書、免許証、香港・澳門通行証、保険証など各種証明書の電子版と連動することができて、実物と同等に扱われるのである。それゆえに、証明書関係は行政窓口に行かなくても済むいわゆるゼロストップが実現できたのである。

新型コロナウイルスの感染拡大の予防にあたって、このプラットフォームは強力なデータ収集能力を発揮した。個人の健康状況データを集めるだけではなく、濃厚接触者の特定、予防体制の監督などさまざまな情報がこのプラットフォームを通じて集められたのである。ここでは最新の感染情報をいち早く確認することができるので、利用者も多い。『南方日報』によると、ピーク時には一日当たり2940万回のアクセスがあったという。

広東省に負けじと、上海市のイニシアティブの下で、省レベルの壁を越えた長江デルタのプラットフォーム(中国語では「長三角政務服務一網通弁」)が打ち出された。これは上海市をはじめ、杭州、蘇州といった長江デルタに位置する都市が主体となっている。残念ながら現段階ではまだ機能が少なく、参加する都市の数も限りがあるので、今後の発展に注目したい。

外部の圧力とIT技術がもたらしたイノベーション

中国は、20年足らずの期間で、総合窓口がない時代から「手のひらの行政窓口」を実現することができた。これは地方の行政組織が自ら成し遂げた進化というより、外部の圧力によるものである。

その一つが強力な中央政府の存在である。中央政府は行政組織の効率向上という課題を持続的に掲げるだけではなく、地方における新しい試みを奨励してきた。奨励を受けた地方はモデルケースとして全国的に有名になる。そして、その地方の官僚も昇進への道が開かれるのである。また、このような奨励が地方政府間の競争を生み出し、さらなる進化をもたらすのである。

社会からの満足度はもう一つの圧力である。「サービス型政府」のスローガンの下で、地方政府が提供するサービスの質を評価するのは社会である。社会から見れば、政府内部のやり取り(タテ割り・ヨコ割り行政)にはさほど関心がない。重要なのは、すぐに問題解決ができるかどうかである。また、中央政府も社会からの評価に敏感であり、民衆の満足度を理由に地方政府にくぎを刺すこともしばしばみられる。その結果、目に見える利便性の側面が強調されがちで、「ワンストップ」なのか、「ゼロストップ」なのかを争うようになっている。

しかし、いくら外部の圧力があっても、IT技術なしでは手のひらの行政窓口は実現できない。広東省のプラットフォームにおける機能の数(140項目から800項目へと増加)がその一例である。政府内部の各種規定はIT技術の応用によりブラッシュアップされ、より明確になる。また、重複した機能、あいまいな規定、管理部門が不明などの問題は、この過程で浮き彫りにされ放置できなくなる。だからといって、プラットフォームにおける機能の数を増やせばいいわけでもない。多すぎると、社会から「分かりにくい」と批判される。しかし、逆に機能が少ないと、地方政府が努力していないように見られがちになる。

利便性だけでは終われない

手のひらの行政窓口は、その利便性が賞賛される一方で、実名登録しなければ使えない機能が多く、個人情報保護への懸念も強まっている。ある特定地域での試験的なやり方が急速に広がり、法律の整備は追いついていないのが現状である。データのレベル分け、アクセス権限、情報の開示など規定が不明な箇所が多く、制度設計を急ぐ必要がある。

また、現在のプラットフォームは、行政サービスの提供や不適切行為の摘発に偏っており、基本的な人権問題に関わる機能はまだ少ない。中国憲法の第三十五条で規定された結社とデモの自由を例に挙げよう。結社については、民政局がアプリ上で申請を受け付けるが、デモの申請を受け付ける窓口はまだ見たことがない。

IT技術がもたらした行政のイノベーションは国家権力の境界を再検討する良いきっかけになっている。政府はどれほどの権限を持つのか、政府はどこまで管理すべきか、というような課題をどのように考えていき、どのように改善するのか。今後も引き続き注目したい。

写真の出典
  • 筆者撮影
著者プロフィール

任哲(REN Zhe) アジア経済研究所新領域研究センター研究員、博士(国際関係学)、専門は現代中国政治、主な著作に『中国の都市化――拡張、不安定と管理メカニズム』(共編)アジア経済研究所(2015)、『中国の土地政治――中央の政策と地方政府』勁草書房(2012)など。

書籍:中国の都市化――拡張、不安定と管理メカニズム