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コラム

新興国発イノベーション

 
第5回 手漕ぎボートがスマートボートに変身(南アフリカ、セネガル)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051719

2020年5月
(5,199字)

加速するスマート漁業化

漁業と情報通信技術。一見かけ離れた世界のように思われるが、最近の漁業には様々なテクノロジーが活用されている。例えば、海の上から携帯電話でマーケット情報にアクセスし、高技術のソナーを駆使して、その日の需要に見合った種類の魚を必要な量だけ獲る。効率がよく、資源保全という観点からも好ましい。また、GPSや衛星システムを使って、油が流出した海域での漁業を回避することも可能だ。海上で重大な事故にあった時はアラート情報を発信し、即座に救援を求めることもできる。

また「違法・無報告・無規制(IUU)漁業」対策にも先端技術が使われている。IUU漁業とは、密漁などの違法(illegal)漁業や漁獲量を報告しなかったり少なく報告したりする無報告(unreported)漁業、そして水産資源管理のための規則に従わない無規制(unregulated)漁業のことで、海の健全性の大きな脅威となっている。そうしたIUU漁業を撲滅するために、衛星通信技術を使って違法な漁業を監視するシステムを構築したり、ブロックチェーン技術により漁獲した水産物のトレーサビリティを高めたりしている。

途上国の小規模漁業は蚊帳の外

しかし、すべての漁業従事者がこうした最先端技術の恩恵にあずかっているわけではない。途上国で小規模な沿岸漁業を営む漁師たちは、長年の経験に基づく勘を頼りに海に繰り出す日々を続けている。実はそうした昔ながらの漁師たちの方が、全世界的にみると多数派なのである。小規模漁民の実態を把握するのは難しい。なぜなら、労働者数や漁獲量などが詳細には報告されないため、データとして把握できないからである。少し古い統計になるが、FAO等の2012年の調査によると、漁業セクター(養殖を除く)で働く人は全世界で約1億2千万人(うち、漁師は4千万人)。このうち97%が途上国に住んでおり、その9割以上が小規模漁業に分類される。また、途上国で水揚げされる水産物の半数以上は小規模漁民によるもので、彼らが獲った魚の90~95%が地元の消費に回されている。途上国の人々にとって、自然の海から安価に獲れる水産物は重要なタンパク源なのである。

圧倒的な多数派であり、途上国の人々の栄養を支える重要な役割を担いながら、多くの小規模漁民はこれまで情報通信技術とはほぼ無縁の生活をしてきた。しかし近年、携帯電話やタブレットなどのモバイルテクノロジーを活用して彼らの生活支援や小規模漁業の活性化を図るプロジェクトがアフリカで始まった。ここでは南アフリカとセネガルの事例を紹介する。

ABALOBI――南アフリカ

コサ語で漁師のことを意味するABALOBIは漁業に関する情報管理アプリである。2013年に南アフリカの農林水産省とケープタウン大学が、通信事業会社であるボーダコムの資金をベースにデスクトップ用に開発した。その後、NGOや伝統的漁師など、様々なステークホルダーたちが参加して改良され、モバイルアプリも作られた。

漁師たちはこのアプリとGPS機能を使ってどんな魚を、いつ、どこで、どのような漁法でどのくらいの量を漁獲したかを入力する。日々作成される操業日誌はデータとして蓄積され、アプリが分かりやすいグラフに変換してくれる。こうして天候や季節などによる漁場の特徴が分かり、次の漁に活かせるし、次の世代にも引き継いでいける。それらの情報はアプリを通じて他の漁師たちと共有することができ、さらには消費者に届くまでの流れを追うトレーサビリティのプラットフォームにもなっている。例えば、ABALOBIを利用しているレストランで客がメニューに載っているQRコードをスキャンすると、その魚を誰がどこで獲ったのかといった情報が表示される仕組みとなっている。シーフード・チェーン全体にわたって、資源管理の意識を高め、持続可能な責任ある漁業の実現につなげようという試みである。

南アフリカ政府がABALOBIの開発に乗り出したのは、政府が実施している水産資源管理の対象に伝統的漁師たちが含まれていなかったからだ。南アフリカの漁業政策上、漁業には①漁業権に基づいて操業する商業的漁業、②生活に必要な魚を獲り自家消費するための漁業、③釣りなど娯楽としての漁業の3種類しかなかった。商業的漁業の漁業権は大規模漁業者に優先的に割り当てられた。一方の自家消費のための漁業の括りでは、消費しきれない魚を売ることはできるが、漁業を生業とするわけにはいかない。零細・小規模漁民は漁業権が無いまま漁を続けるしかなかった。彼らは不安定な生活を強いられ、統計に表れないインフォーマルセクターとして周辺化されてきたのである。

データが無ければ、彼らを対象にした政策の立案もできないし支援策も作れない。正確な資源管理をするうえでも、まずは小規模漁業の実態を把握する必要があった。2012年の漁業政策の変更により小規模漁民にも漁業権が割り当てられるようになったのを機に、ABALOBIの開発が進められた。ABALOBIを使うことで漁師として登録され、その生産活動や収入・支出の状況はデータとして記録に残る。この収支報告が証明書代わりとなって金融機関からお金を借りることができるようにもなった。ABALOBIは社会から取り残されていたインフォーマルセクターのフォーマル化にも役立っている。

WISE(Wireless Solution for Fisheries)――セネガル

セネガルのWISEは小規模漁民や水産加工業者向けのモバイルアプリである。水産セクターで働く人たちの生活向上を支援する官民共同プロジェクトとして2014年から運用されている。このプロジェクトにはCSR事業を積極的に展開しているクアルコム(アメリカのモバイルテクノロジー開発企業)をはじめ、FHI 360(アメリカのNGO)、食品安全委員会(セネガルの政府機関)、Intermondes(セネガルのNGO)、ティゴ・セネガル(セネガルの通信事業会社)が参加している。

水産業はセネガルの主要産業であり、6人に1人は水産セクターで働いているといわれている。その中心は小規模漁業で、国の総漁獲高の約90%を占めている。伝統的漁師たちが獲ってきた魚の多くは地元のマーケットか加工業者に卸される。加工業者といっても少人数で作業している零細業者であり、その担い手はほとんどが女性たちである。伝統的漁師も加工業者も収入は不安定で低い。クアルコムは、その原因が①これまでの経験と勘が漁場や魚種の変化に追いついていないこと、②漁師たちが市場価格に適時にアクセスできないこと、③加工技術が古いままであること、④金融サービスへのアクセスが限られていること、⑤衛生面での知識や技術が不足していることなどにあり、その結果、漁師も加工業者も収入が増えないばかりか、健康や安全のリスクにさらされていると考えた。

WISEが提供する気象や海洋の情報(波高、視程、風速、風向など)により、漁師はいつ、どこに漁に出るかを的確に判断することができるようになった。WISEに付随するGPSを使ったナビゲーションサービスで、漁場まで効率よく往復することもできるし、知らないうちに国境を越えてしまわないよう教えてくれる機能もある。また、トレーニングを受けた調査員が魚の市場価格を収集し、その情報をWISEを使って漁師や加工業者に送信する。これにより漁師や加工業者は市場の動きを知ることができ、自分に有利なように価格交渉ができるようになる。その他、WISEを通じて配信されるビデオ教材(漁業・加工スキルの学習や作業中の安全意識向上のためのもの)をいつでも見ることができる。小さな携帯電話一つで、伝統的な木造船がモバイルテクノロジーを駆使したスマートボートに変身してしまうのである。

WISEはセネガルの4つの主要な水揚げ・加工サイトで展開されており、インターネットにアクセスできる人なら誰でも無料で利用できる。スマートフォンを持っていない低所得の漁師や加工業者に対しては、WISEプロジェクトを通じてこれまで5000人以上にスマートフォンが提供されてきた。初めてスマートフォンを手にした人たちは、モバイルマネー口座を通じて地元のマイクロファイナンス業者から事業拡大に向けた融資を受けられるようにもなった。クアルコムの発表によると、事業を開始した2014年から2019年までに、漁師の収入は年間550USドル(35%)増え、加工業者の処理能力は1カ月あたり約100kgから1000kgに増加したという。

写真:西アフリカではダグアウトカヌーと呼ばれるシンプルな木造ボートでの漁が主流

西アフリカではダグアウトカヌーと呼ばれるシンプルな木造ボートでの漁が主流
普及を阻む思わぬ壁
ABALOBIやWISEと似たようなサービスがアフリカの各地で始まっている。しかし、小規模漁民の間にモバイルテクノロジーが浸透していくには、いくつかの課題もある。ABALOBIもWISEもサービスを使いやすくするために、母国語での利用を可能とした。ただ、セネガルの識字率は成人(15歳以上)で約5割と低く(表)、漁師の中には文字を読めない人が多い。デジタル・リテラシーの面でも携帯電話を手にしたことがない漁師がモバイルアプリを使いこなせるようになるまでにはかなりの時間がかかる。この問題に対してWISEはAIによる音声認識の機能を搭載し、話しかけることによってアプリを使いこなせるシステムに改良した。これにより文字を読めない人たちでもより簡単にWISEを使うことができるようになった。

表 各国の識字率とデジタル経済関連指標

表 各国の識字率とデジタル経済関連指標

(出所)UNICEF、UNCTAD、World Bankのデータをもとに筆者作成。

また、違った要因でプロジェクトが立ち行かなくなるケースもある。ガーナの政府機関である漁業委員会とガーナで通信事業を展開するティゴは、アメリカ政府が実施する水産資源保全事業(2014年~2019年)のパイロット・プロジェクトとしてティゴ・フィッシャーマン・ネットワーク(TFN)を開発した。TFNは、WISEと同じような伝統的漁師や零細加工業者向けの漁業管理アプリであり、事業開始当初は二つの漁村を中心に導入を進めていく予定であった。しかし、その後ティゴとエアテルの合併により経営方針が変わり、TFNは2019年の事業終了とともに立ち消えとなってしまった。

消費者の意識も阻害要因になっている。モバイルテクノロジーの活用により水産物のトレーサビリティは向上している。しかし、実際に魚を買う消費者の意識は低いままだ。地元のマーケットに並んでいる魚が資源管理を考慮して獲られた魚かどうかは気にしない。違法漁業で獲られた魚であっても同じ品質なら少しでも安い方がよい。そうした消費者意識が残っている限り、小規模漁民がモバイルアプリを利用するインセンティブは低下してしまう。小規模漁民が持続可能な責任ある漁業を実践していくためには、シーフード・チェーン全体を通して意識を高める必要がある。

途上国の小規模漁業を取り巻くモバイルテクノロジーは、非常に速いスピードで進化している。しかし、識字率の向上や資源維持に対する意識改革といった教育・環境問題にも同時に目を向けていかないと、せっかくの技術を活用しきれない。小規模漁業の活性化に向けて取り組むべき課題は多い。

写真の出典
著者プロフィール

箭内彰子(やないあきこ) アジア経済研究所新領域研究センター法・制度研究グループ主任研究員。LL.M.(国際・比較法)。専門は国際経済法、国際開発法。おもな著書に『途上国からみた「貿易と環境」:新しいシステム構築への模索』(共編著)アジア経済研究所(2014年)など。

書籍:途上国からみた「貿易と環境」:新しいシステム構築への模索』