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コラム

新興国発イノベーション

 
第9回 デジタル時代の制度構築のアプローチとは(ベトナム)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051823

2020年9月
(6,206字)

デジタル時代の制度構築をめぐるジレンマ

デジタル技術を駆使し、次々に生み出される新たなビジネスモデル。それらは革新的であるがゆえ、現行の法制度が対応していないことも少なくない。

政府は、そうした状況にどう対処するのか。現行法で認められていないという理由で禁じてしまうのは簡単だが、それではイノベーションの芽を摘んでしまうことになりかねない。とはいえ、新たな制度を構築することは容易ではない。革新的なビジネスモデルは、事前に予見できないさまざまなリスクをともなう。制度設計が甘いまま拙速に導入を図れば問題続出となりかねず、逆に慎重な制度構築を行おうとすれば、検討にかかる時間や労力は膨大なものとなる。デジタル時代において、多くの国の政府が直面するジレンマであろう。

だが、それとは異なった課題への対応に追われる国もある。法制度がないにもかかわらず普及が進んでしまった新たなビジネスモデルにどう対処すべきか、という課題である。

ベトナムのケース――先行するビジネス、後追いの制度構築

ベトナムでは、デジタル化の促進に向けた機運が高まっている。2019年9月、共産党中枢の政治局は、第4次産業革命のもたらす機会の活用によって経済成長モデルの刷新などを進める方針(決議52号)を公布した。これを受けて、政府もデジタル技術を用いたイノベーションやスタートアップ企業の発展を促進するための政策を相次いで打ち出している。

だが、デジタル経済の実態に目を向けると、こうした党・政府の方針に沿うかどうかにかかわらず、すでにさまざまなビジネスモデルの普及が進んでいる。配車や宿泊のマッチング、電子商取引、フィンテックなどが代表的なもので、いずれも急速なインターネットの普及、消費市場の成長、そしてグローバル化の進展を背景として広がってきた。

問題は、新たなビジネスモデルの多くについて、現行の法制度に具体的な規定がないことである。そこで、国がこれらを管理するための制度作りが急務となった。制度構築においては、サービスの質の維持や消費者の権利の保護、新たなサービス提供者と既存事業者の間の競争の公平性の確保、課税のしくみ作りなど、多方面への対応が求められる。政策形成に時間を要し、実施や運用の能力にも制約がある国にとっては、なかなかの難題だといえる。

ベトナムの「サンドボックス」――似て非なるもの

こうした状況に対処するうえで、ベトナムは「サンドボックス」の活用を図ろうとしている。2019年8月に公布されたシェアリングエコノミー推進のための政策(首相決定999号)に、このしくみが盛り込まれた。

本来、サンドボックスとは、安全が確保された砂場で子どもを自由に遊ばせるように、地域や期間を限定して現行法の規制を緩和し、新たなビジネスモデルの実証実験を行うしくみである。先行して導入したイギリスでは、フィンテック企業が開発段階にあるサービスを当局の管理・監督の下で試験的に提供し、事業化の可能性を検証する、というような取り組みが行われてきた。日本においても2018年に導入され、国家戦略特区において自動車の自動走行や小型無人機(ドローン)の実証実験を可能にするしくみなどが作られている。

だが、すでに述べたように、ベトナムでは、現行の法制度には具体的な規定がないにもかかわらず、新たなビジネスが拡大している。サービスの試験的な提供を可能にするために現行の規制を緩和するニーズは大きいとはいえない。

では、ベトナムにおけるサンドボックスの機能は何かというと、新たな制度の試験的実施である。首相決定999号は、具体的な対象としてデジタル技術を応用した輸送や宿泊の仲介、フィンテックなどが挙げているが、いずれもベトナムではすでに普及が進んでいる。実質的には後追いで制度構築を行うにあたっての試験的実施であり、制度構築のための時間稼ぎともいってもよい。先進国や他の多くの新興国におけるサンドボックスとは似て非なるものである。

ベトナムにおけるサンドボックスの運用はこれからである。だが、ベトナムには実質的な先行事例がある。2016年から2年間にわたる、インターネット上のプラットフォームを介した配車サービス(以下、配車プラットフォーム、ベトナムでは「テクノロジータクシー[taxi công nghệ]」と呼ばれることが多い)にかかわる制度の試験的実施である。現在進められつつあるフィンテック分野のサンドボックスの制度設計においても参照すべき経験とされている。以下、この事例についてみていくこととしよう。

配車プラットフォーム――制度不在のまま拡大

スマートフォン(スマホ)で車を呼ぶことは、すっかりベトナムの日常の風景となった。だが、2020年4月までこのビジネスモデルに対応する政策が正式に施行されていなかったことは、あまり知られていないのではないだろうか。

ベトナムにおける配車プラットフォームの普及は、海外のプラットフォーム企業が参入した2014年に遡る。アメリカのウーバー、マレーシアで創業しシンガポールに本社を置くグラブの2社が相次いでベトナムでのサービスを開始した。

公共交通機関が未発達で、タクシーも利用しやすいとはいえなかったベトナムにおいて、配車プラットフォームの魅力は大きかった。手軽かつ迅速に近くの車を呼ぶことができ、行き先はスマホに入力するので運転手との意思疎通のわずらわしさもない。料金は事前に確定するうえ、タクシーよりもおおむね割安である。目的地までの経路も画面に表示されるので、遠回りされる心配もなく、評価システムがあるためにサービスも良好である。

だが、ベトナムでは自動車による輸送は規制業種である。車両に関する要件や運転手との雇用契約の締結などの基準を満たし、認可を取得しなければ営業できないこととなっている。ウーバーについては、営業許可を持たない多くの運転手がサービスを提供していたことに加え、同社のベトナム法人が輸送業としての営業登録を行っていなかったことなどが問題視され、2015年4月に政府は同社に対応を求める決定を下した。グラブは、タクシー業者との協業を通じてサービスを提供していたが、現実には規定の基準を満たさない車両や運転手によるサービスの提供が増えつつあった。だが、抜本的な取り締まりが行われることはなく、配車サービスは広がっていった。

なお、グラブらは二輪車の配車サービスも行ってきたが、これに関しては自動車による輸送業のような認可取得の必要はなく、電子商取引に関する規制(2013年の政府議定52号)の対象となるのみである。

試験的な制度の導入、深まる政策の混迷

2016年に入ってようやく、ベトナムは自動車のプラットフォーム配車サービスを試験的に認める決定を下した。これはグラブが提示したプロジェクト案に基づき、首相の承認を経て交通運輸省決定24号として採択されたものである。制度が不在であっても市場の機会を捉えて参入し、政府との関係を築きつつ段階的にビジネスを進めるグラブの対応の巧みさが見て取れる。

試行期間は2年間、対象地域はハノイ市やホーチミン市など5中央直轄市・省である。この制度の下、プラットフォーム企業は、自動車による旅客輸送業の一類型である「契約による旅客輸送業」を支え、管理するソフトウェアを提供するという形で初めてベトナムの法制度上の位置づけを得た。図に示したように、プラットフォーム企業は「契約による旅客輸送業」として認可を得ている事業者と利用者のマッチングを通じて輸送サービスを提供することとなった。

図 2016年~2017年に試行された配車プラットフォームの制度

図 2016年~2017年に試行された配車プラットフォームの制度

(出所)交通運輸省決定24号(2016年1月7日付)に基づき筆者作成。

2年の試行期間を経てベトナムの配車市場は拡大し、都市の人々の生活に欠かせないサービスとして定着するにいたった。交通運輸省の報告書によれば、最終的な参加者は、グラブのほか、営業登録などの問題の解消後のウーバー、現地の新規参入企業を含むプラットフォーム企業10社、および866の輸送事業者に属する車両3万6809台におよんだ。

2017年末の試行終了後は、その経験を踏まえて自動車による輸送業の経営条件を定めた政策(政府議定)の改訂が行われ、プラットフォーム企業への対応が正式に確定するはずであった。しかし、政府内の調整は難航し、改訂は大幅に遅れた。このサービスの普及によって打撃を被った現地のタクシー会社が、プラットフォーム企業に対する規制強化を強く訴えたことが背景にある。大手タクシー会社がグラブの提訴に踏み切るなど、両者間の対立が先鋭化したことを受けて政府内でも意見が割れ、議定の改訂プロセスは第12次草案の検討にまでもつれ込むというという異例の事態となった 。

写真:大手タクシー会社ビナサンは2017年、グラブの提訴に踏み切った。

大手タクシー会社ビナサンは2017年、グラブの提訴に踏み切った。
2020年1月、輸送事業についての新たな経営条件を定めた政府議定10号がようやく公布された。だが、これも政策の混迷を解消するにはいたらなかった。同議定はプラットフォーム企業について正式な規定を設けた。そこでは、プラットフォーム企業が輸送事業者へのソフトウェアの提供のみを行い、オペレーション(ソフトウェアを通じて運転手に輸送サービスの提供を命じること)や価格の決定を行わない場合は、旅客輸送事業者としての経営条件を満たす必要はないが、上記のいずれかを自らが行う場合には旅客輸送事業者としての経営条件を満たさねばならないと定められた。旅客輸送事業者の経営条件は従来に比べ緩和されたものの、運転手との労働契約の締結や社会保険などへの拠出といった条件は維持されている。グラブはベトナムにおいても運転手は従業員ではないとの立場を取り、労働契約の締結などは行ってこなかったため、グラブが従来どおりの営業を継続するならば、新議定との齟齬が生じることが想定された。
新たな政策の施行、そしてビジネスは新段階へ

グラブの配車ビジネスはどうなるのか。注目を集めつつ政府議定10号が発効した2020年4月1日。その日まさに、ベトナムは新型コロナウィルスの拡大を受けて全国規模での社会隔離を開始し、グラブも自動車の配車サービスを全国的に一時停止すると発表した。以後、地方ごとの状況を踏まえ、感染予防策などを講じつつサービスは再開されたが、イレギュラーな状態が続いていることもあり、プラットフォーム企業の規定をめぐる議論は実質的に棚上げされたままである。

「アフターコロナ」の時代、プラットフォーム企業のビジネスはどのように展開していくのだろうか。現段階で明確な展望を描くことは難しいが、グラブは旅客輸送業にとどまらない多方面への事業展開に備えているようにみえる。二輪車による食事や荷物のデリバリー、キャッシュレス決済といった従来からのサービスに加え、コロナ下では、スーパーなどと提携して非接触型の買い物代行サービスも開始した。ホーチミン市交通局とのスマート交通の発展のための協力、ベトナムのスタートアップ企業の支援などを通じて当局とも協力関係を強めており、ベトナムにおける同社のプレゼンスは着実に高まっている。

配車プラットフォームの経験から得られる示唆とは

海外の配車プラットフォーム企業のベトナム参入からすでに6年以上が経過した。だが、プラットフォーム企業に対する政策は、いまだに曖昧さを残したまま運用されている。

ベトナムは現在、フィンテックを対象としたサンドボックス導入の準備を進めている。フィンテック分野においても、すでに150社程度が活動しているとされ、後追いの制度構築となることは必至である。市場の構造、企業の規模や数、対処が求められる問題の性質などは分野によって異なるため、配車プラットフォームの経験がそのまま他分野に応用できるわけではないが、いくつかの示唆を導くことは可能であろう。

まず、政府が対応に苦慮した背景として、海外のプラットフォーム企業の対応の速さ、そして既存の規制の枠組みにとらわれない柔軟な事業展開が指摘できる。グラブは巧みに参入と市場の拡大を果たした一方、翻弄された政府の対応は完全に後手に回った。紆余曲折を経て新たな政策が導入された頃には、グラブの事業は、自動車による旅客輸送業にとどまらない次なる局面へと展開をみせていた。

次に、当然ながら、政策試行そのものは、政府の政策形成能力や実施能力の乏しさを補ってくれるわけではない。試行期間が2年におよび、サービスが定着したことでプラットフォーム企業を規制することが難しくなったことに加え、既存事業者との対立が泥沼化したために、政策調整がいっそう難しくなったという側面もあったと思われる。サンドボックスの導入にあたっては、先々の展開まで見据えた入念な設計が肝要であろう。

配車プラットフォームの事例に関する限り、ベトナム政府の対応は総じて拙いものであった。だが、市場の実態に目を転じれば、グラブが圧倒的なシェアを握る一方、インドネシアのゴジェックも二輪車の配車に参入し、小規模ながら国内の新興企業などの新規参入も相次いだ。新たなビジネスモデルは着実にベトナムに根付き、新たな市場を創出してきたといえる。ベトナム政府の対応について積極的に評価できる点を敢えて挙げるならば、法制度がないという理由で新たなビジネスモデルを締め出さなかったことになるだろうか。

写真の出典
  • shankar s. from Dubai, united arab emirates, Toyota Innova Vinasun taxicab in Ho Chi Minh City (CC BY 2.0)
参考文献
著者プロフィール

藤田麻衣(ふじたまい) アジア経済研究所地域研究センター東南アジアII研究グループ長。博士(開発学)。専門はベトナム地域研究、産業・企業研究。おもな著作に、"Platforms, Innovation and Capability Development in the Chinese Domestic Market" (with John Humphrey, Ding Ke, Shiro Hioki, and Koichiro Kimura), The European Journal of Development Research, Vol. 30, Issue 3, 2018, Exploiting Linkages for Building Technological Capabilities: Vietnam's Motorcycle Component Suppliers under Japanese and Chinese Influence, Tokyo: Springer, 2013など。

書籍:Platforms, Innovation and Capability Development in the Chinese Domestic Market

書籍:Exploiting Linkages for Building Technological Capabilities