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研究者のご紹介

研究者のご紹介

岩﨑 葉子 研究者インタビュー

イランの商慣行から覗き見る経済制度の歴史

所属:開発研究センター 企業・産業研究グループ長
専門分野:イラン、経済学(経済制度史研究)

イランを研究対象に経済制度史の研究を続けてこられていますが、まずなぜイランを選ばれたのでしょうか?

中学生頃まで遡るのですが、1979年のイラン革命を見て、あっ、革命って今でも起こるんだ、と驚きました。当時の多くの小中学生の例に漏れず『ベルサイユのばら』を愛読していて、歴史上だけでなく現代の世界でも革命が起きているということにびっくりしました。それと、「(日本においては)メジャーでない外国」、希少価値のある外国にも興味がありました。そこからイランに興味を持ち始めました。

アジ研に入所後は経済学で苦労しました。もともと経済制度に関心があったのですが、経済学の知識、学問的バックグラウンドがないために、自分の関心はこういうことだ、と的確に言語化できなかった。大学ではペルシャ語専攻で、経済学を勉強したわけではありません。アジ研に入所後の最初の3年は暗中模索で、アジ研で経済学の研修を受けてもあまり面白いとは思えませんでした。

でも、2年間の海外派遣でイランに行って帰ってきた後、経済学を自力で勉強し直して、自分の関心はこれだ、とようやく概念化できるようになりました。  

とはいえ、私が関心を持っている経済制度というものは、長い時間をかけて形成されるものなので、ただ断片を切り取って分析するタイプの研究アプローチでは制度の真実には近づけない、明らかにならないことが多いと考えてもいました。イランから戻ってきて経済学を勉強し直して10年ぐらいずっと研究を続けるなかで、もっと歴史的に長いスパンで分析する必要がある、そういう総合的な分析をしたいと思うようになりました。

その分析アプローチの助けとなったのは、歴史学です。じつは私の学部・修士時代の指導教官は東洋史学の先生だったのですが、今思えば、その時に受けた指導が現在の研究のための基礎訓練になっていて、役に立ったと思っています。

歴史学は実証の手続きが大変厳密な学問です。きちんと史料批判をしているか、あることを主張するためには何が揃っていなければならないか、自分が使うデータの信ぴょう性はどの程度あるのか、そのデータをどう使い、どう引用すべきなのか、そしてどう注釈を付けるかまで、その一連の手続きがとても厳しいのです。大学時代にそういう訓練を多少なりとも受けたことがあったので、後年、もう一回初心に戻って、ああいった歴史学の方法論を取り入れながら経済制度の分析をしてみようと思いました。

経済制度史を研究するための史資料は多岐に渡りますし、数量的なもの以外にも法律やイスラーム法学の多くのデータも総動員しないといけないので、時間がかかります。そしてある程度地域についての教養も求められる。そういった総合的なアプローチが自分は好きでしたし、歴史学の方法論を勉強していたことは、とても良かったです。

自分が何を面白いと思うか、何に魅力を感じるかは、学生の頃からそんなに変わっていない気がします。私は「商売人のしきたり、業界の慣行」といったことに興味があり、明文化されていないけれど、でも皆がそういうものだと思っている、受け容れているような、自生的な経済システムに関心があります。こういう明文化されていない制度やしきたりは、研究対象としてもきっと面白いだろうとずっと思っていました。

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先日は『サルゴフリー 店は誰のものか――イランの商慣行と法の近代化――』(平凡社、2018年4月発売、272頁、4800円+税)を出版されました。本書について教えてください。

本書は、イランで「サルゴフリー」と呼ばれる、店舗の賃借人に帰属する高額な用益権の売買制度の歴史的な形成過程を扱ったものです。首都テヘランをはじめとするイランの大都市部の商業地では、店舗の土地・建物の所有権を売買したり、月額家賃を払って賃借したりするようなタイプの商業施設は非常に少なくて、その代わりに、店舗の使用者が所有者からその用益権(サルゴフリー)を購入して商売をするタイプの店が一般的です。

現在のイランの不動産市場では、この方式のほかにも、普通の賃貸、所有権売買の選択肢も立派に存在します。ところが、テヘランの店舗の7、8割が「サルゴフリー方式」で賃貸されている。私の根源的な疑問は、一体なぜ、この方式だけが突出して採用されているのかということでした。

今から百年ほど前には、サルゴフリーは、店舗の店子同士の間で(場所を明け渡す見返りに)インフォーマルにやりとりされた金銭のことを指し、それは特別に良い商業地だけに見られた商慣行でした。しかし第二次世界大戦中にイランにお雇い外国人のミルスポー博士というアメリカ人がやって来て、インフレを助長しがちなサルゴフリーの慣行に眉をひそめ、これを英米法風に法制化してしまう。すると、もともとイスラーム法に基づいて定められていたイランの民法体系のなかに、所有権とか用益権とかをめぐる異質な外来の概念が混淆してしまい、これが思いのほか大きい社会的混乱を引き起こします。  

この新たな法律の枠組みのなかで、店子と地主が資産や収益を守るためには、実はサルゴフリー方式が最も適していました。たくましいイランの人々は、問題をはらんだ法制度のもとで最大限の努力と調整を重ね、その制度の不適切な部分を変形し、法律の条文を変えることなく新しいサルゴフリーのシステムを作り上げていきました。  

そこへ今度は1979年のイラン革命が起き、イスラーム法学者が政治の中心に座ります。従来このミルスポー法制を問題視していたイスラーム法学者は、革命の機運とともにこの法制度そのものの改正に乗り出し、またもやサルゴフリー関連の法制度が変更されます。しかしよく見てみると、革命後の法改正はミルスポー博士以前のサルゴフリーを復古させるものではなく、第二次世界大戦後にイランの人々が実践して来たシステムを踏襲し、それとイスラーム法学との今日的な整合性を追求したものでした。  

このように、サルゴフリーをめぐる物語は当初私が考えていたよりもずっと複雑で、イランの現代史上の様々な事件と関係がありました。それは単にイラン固有の文脈でのみ意味がある物語ではありません。イランというイスラーム世界が「近代化」の過程で直面した、所有権とは何か、所有者とは誰かといった、おそらくは多くの後発アジア諸国が経験した伝統的な価値体系の一大転換であったという意味で、非常に普遍的な経験であったと思います。詳細は本書をご覧ください。

どうしてこの題材を選んだのでしょうか?

それはイランの商業地でフィールドワークをやっていたときにたまたま出会ったものでした。なぜ「サルゴフリー方式」だけが突出して採用されているのかという疑問に突き動かされながら、長い、長い謎解きの旅に出てしまい、18年かかってようやくこの本を刊行するに至りました。この題材は掘り下げていったらじつは結構な鉱脈だったと思います。サルゴフリー、つまり「店は誰のものか」という研究テーマはイランの現代史とか、イスラーム法の今日的なあり方など、かなり幅広い背景を持っていたからです。

経済システムというのは、経済合理性だけで変容するものでもなく、説明できるものでもない。歴史的な経路依存性があるし、「サルゴフリー」には「サルゴフリー」なりの必然性がある。つまり、人間社会の経済システムのあり方は、そんなにスタティックなものじゃなく、文化と絡み合っています。いきさつ、しきたりも背負っています。「サルゴフリー」もそうだろう、と思います。

イランのバーザールも、経済合理性はおろか慣行だけで回っているような世界に見えますよね。そういうところはたしかにある。でもよくよく分解してみると、それなりに合理的なシステムでもある。ただ、「商売人のしきたり、業界の慣行」といったものはその時代の人心のあり方と密接に関係していて、いわば時代性を反映しているでしょうから、いずれは変わっていってしまうものです。そんな、歴史のなかに消えゆくものを、しっかり書き残しておきたいと思っています。

研究者を目指す人へ:「好き」を手放さないで

このテーマなら論文が書けそうだとか、学位が取れそうだとかいうことではなく、自分自身が興味のあること、好きなことを突き詰めて、まったく新しい「ジャンル」を確立するような人が出てきてほしいです。先人が積み上げてきた研究を勉強することはもちろん大事だけれど、その延長線上で仕事をするだけではつまらない。

ときには目前の課題やまわりからの要請に応じることも必要ですが、自分が「好き」だと思うことに執着し、手放さないことが大事なのではないでしょうか。

(取材: 2018年6月4日)