研究者のご紹介

大塚 啓二郎 研究者インタビュー

日本学士院会員に選定されて――これまでの研究活動とアジア経済研究所の将来――

所属:新領域研究センター・上席主任調査研究員
専門分野: 開発経済学
インタビュアー:深尾 京司 所長

日本学士院会員に選定されまして、大変おめでとうございます。開発経済学研究を志した契機は何でしたか?

高校のころ、ライシャワー駐日米国大使が書いたアジアは食糧不足で飢えて大変なことになるという小論を読んだことです。頭よりも体力に自信があったので農業関係がフィットすると思い、北大農学部へ行きました。けれども大学で、ノーベル賞を受賞したシカゴ大学のセオドア・シュルツ先生の有名な本Transforming Traditional Agricultureを読んで、面白かったので農業経済学を勉強しようと思ったんです。大学院は都立大の速水佑次郎先生のところに行きました。先生は傑出した大先生で厳しかったけれども陰で応援してくれていました。シュルツ先生に僕のことを推薦してくれていたんです。シュルツ先生は、速水教授がそれほど推すのであればと、ポケットマネーで1年目の奨学金を出してくれました。シカゴ大学大学院で博士号をとったのは79年でしたが、当時アジアでは緑の革命が起こって、既に食糧問題は解決していました。2000年頃になって、1960年代の食糧難のアジアに非常に似た状況がアフリカで起こっていることを知って、アフリカの農業の研究を始めました。

研究スタイルの特徴や優位性はどんなところでしょうか。

現場主義だと思っています。現場の人と雑談をしながら何が起こっているのかを考える。回帰分析ができるように重要な変数を集めるような質問票をつくるようにしているので、質問してデータ収集を始めるころには、結論の3分の2ぐらいのことは分かっています。話を聞きに行く時は、ミクロ経済学が入った道具箱を持って出かけていって、その中のどれかを使って理解するイメージです。シカゴ大学で訓練を厳しくやったおかげで、適切な道具を出すのは早いと思います。

国際的な組織のリーダーをされたりもしていますね。

国際稲研究所(IRRI)の理事長時代が印象に残っています。当時、IRRIの活動の範囲をアジアからアフリカに広げました。JICAや世界銀行に働きかけて、アフリカの農村調査を始めました。調査中に大変革(緑の革命)を起こして、重要なデータを収集するのが当初のもくろみだったんです。結局、アフリカは基本的な栽培技術が普及できていないので、改良種子や化学肥料を投入しても、思ったほど変革は進みませんでした。だから、私は基本的な栽培技術を普及させることが重要だと考えます。

先のお話の中で、ミクロ経済学の道具箱から道具を出すのが得意とありました。具体例を教えてください。

例えば、ガーナのココアの研究です。文献には土地が共同所有されているのでココアの木を育てるインセンティブがないと書いてあります。現地で話を聞いてみたら、所有している土地は、亭主の弟もしくは妹の息子が相続するとのこと。でも、亭主が亡くなったら自分では土地を相続できないはずの奥さんが、一生懸命ココアの林づくりを手伝っているんです。奥さんが手伝うインセンティブがないのに、おかしいなと思いました。何か絶対に理由があるはずだと、3週間ぐらい同じ質問をしていたら、ギフトという言葉が出てきたんです。これは、奥さんがココアの林の除草をよく手伝った場合は、親族会議を開いて奥さんに土地をあげる制度のことだったんです。最終的には、約3分の1がそのような女性の所有になっていました。報酬があるから投資する、という経済学の基本中の基本が正しくないいわけがないなと改めて感じました。

これまでの業績の中で一番印象に残っているものを教えてください。

Journal of Economic Literatureのシェア・テナンシー(分益小作)のサーベイ論文です。10年ほど時間をかけた研究でしたが、エディターのスタンフォード大学のジョン・ペンキャベル先生の後押しで掲載になりました。最初は、同じような仮定をしていても、研究者によって結論が随分違う妙な分野だと思いました。シェア・テナンシーに肯定的な論文と否定的な論文を全部拾って、実証研究と理論を対話させました。非常にありがたいテーマでした。また、ジプニーというフィリピンの乗り合い自動車の研究にも取り組みました。これは農業のシステムに非常に似ていて、シェア・テナンシーのようにドライバーとオーナーで歩合制を採用しているんです。意味のある研究だったと思っています。

学士院会員としての職責も含めて、今後されたい研究についてお聞きかせください。

単著で集大成の英語の本を書きたいと思っています。  

一つは、野菜や果物などといった、高付加価値農産物の研究です。私は、高付加価値農産物の生産増大は、外国直接投資(FDI)とほとんど同じ話だと思っています。FDIは、関連企業に技術を移転していく話で、下請企業へのトレーニング、その企業がそのまた下の企業をトレーニングし、地元の経済が力をつけていく構造だと思います。高付加価値農産物も同じで、例えばスーパーマーケットが進出して、契約栽培として農家に栽培方法を指導して、農産物を買いとる、という同じパターンです。だから、FDIも高付加価値農産物部門の発展も、開発戦略は似ているという内容の本を書きたいです。  

それから、緑の革命の話でアフリカの2008年ごろから7カ国ぐらいでパネルデータを作っているので、それは編書ですけど、終えてみたいと思っています。  

あと、家内が日本経済史の専門で、経済史というのは貧乏な時期からある程度豊かになる時期までを見ている。僕は一時点で貧しいところからずっと豊かなところを見ていますが、話は同じなので、いろいろお互いの研究に口を出しているわけです。彼女中心で私が入って、1回ぐらいは共著書を書いてみたいです。

開発経済学のスタイルは今後どのように変わると思われますか。

今後を予想するのはとても難しいですが、現実と理論の対話が重要だと思います。今のように多くの研究者が現場を見ていないと、非現実的な議論ばかりが横行し、どこかで揺れ戻しが来ると思います。数量分析だけをやっても、途上国の経済は理解できないし、それを発展させることもできないと思います。私は人的資本なくしては何に取り組んでもだめだと思っています。お金だけで解決されるような問題はあり得ません。

アジ研が目指すべき方向性についてお聞かせください。

最も重要なことは、国際的学術雑誌での論文掲載の重視です。論文掲載で業績を上げることが、研究費や給料の増加につながる仕組みにすれば、必死に取り組むと思います。アジ研は、これだけの大きな世帯になっているから難しいのかもしれませんが、セミナーの出席率が悪過ぎます。もっと、皆が助け合って論文の質をあげるように努力しなければいけません。国際雑誌での論文掲載は生易しいものではありません。私も投稿してはよく落ちます。辛いし、大変だし、決して愉快なものではありません。でも研究者の仕事は、大きく言えばグローバル・パブリックグッズに貢献することだと思います。だから、人類のためというと大げさかもしれませんが、国際的雑誌に論文を発表することで、人類の知識のプールを大きくすることを目指さなければなりません。  

また、研究費が減ってはいますが、メリハリをつけてアジ研独自の長期パネルデータをつくるべきです。研究者の関心に沿ったテーマでデータを継続的に収集し、公開することによって、アジ研は一挙に世界的に著名な研究所になると思いますよ。

あと一つだけお伝えしておきたいのは、白石隆前所長から来てもらうよう頼まれたときに、「一つだけ大きな仕事をやってくれ」と言われたことです。これは最初から僕の頭にあるので、現在取り組んでいるFDIの研究は、それなりのインパクトのある成果を残して終えたいと思っています。この研究で重要となる企業間取引のデータは、過去にさかのぼると収集が難しいです。ところが、例えばインドでは、自動車部品工業組合がディレクトリーを出していて、取引相手などの情報を掲載しています。どこまで正確にカバーしているかはともかく、相当貴重なデータがあるんです。「絶対データが欲しい」という強い欲望が、貴重なデータの入手を可能にしてくれたと思っています。時間がかかりますけど、おもしろい研究にしたいと思います。

写真:大塚 啓二郎 研究員

大塚 啓二郎 研究員(撮影:成果普及課)

写真:深尾 京司 所長

深尾 京司 所長(撮影:成果普及課)

(取材:2019年2月7日)