鈴木 均 研究者インタビュー
「自らを律したフィールドワーク、そして次なるもの」
専門分野:イランおよびアフガニスタンの地域研究
イランとの関わり、研究のスタイルについてきかせてください。
研究の方法論的には東京大学の大野盛雄先生(故人)のご指導を受けたことが一番大きいと思います。ただし僕自身大学院修士課程までは歴史ということでやっていたんですね。そのときの修士論文の成果を『アジア・アフリカ言語文化研究』(第32号、1986年)に発表したのが、「イスタンブル在住イラン人とタバコ・ボイコット運動——ペルシア語紙『アフタル』の分析を通じて——」です。僕にとっての本当の意味での処女作なんですけれども、実は、これが当時の僕としては良く出来すぎていた。その後の僕にとって、これを乗り越えなければならないということがずっと課題になっていました。
そんななかでアジ研での研究生活を始めました。大学院時代の歴史研究から脱却してフィールドワークに移る、それはジャンプだったんですね。社会科学的な方法論で現在のアジア諸国、アフリカ諸国を扱うアジ研というところに入った以上は、近代史という枠組みで研究を続けるわけには行かないだろうというのが、僕にとっての第一のオブセッションみたいなところがありました。それで、アジ研に入った年の夏だったと思うんですけれど、北海道大学でイラン研究会という会合が持たれて、そこで発表したのがイランの地域性と都市化の問題みたいなことでした。アジ研にある人口センサスとか、イランについての国土調査・国情調査みたいな、革命前に行われたもの、そんなものを見ながら、かなりへたくそな手つきながら模索を始めたんですね。そこではあまり結果は出なかったんですけれども、アジ研に蓄積されていた1950年代からの人口センサス資料をあがきながらあれこれ集計しなおしてみたりしたのが、今回の本(『 現代イランの農村都市——革命・戦争と地方社会の変容 』勁草書房、2011年2月)の出発点の一つになっていることは確かです。
フィールドワークを進めるうえで現地での長期にわたる調査は欠かせませんね。
ただ、一つは、そのときに一度私の恩師の大野先生がテヘランに訪ねていらして、そのときに言っていただいた言葉が、今でも忘れられません。大野先生曰く「私はペルシャ語をちゃんと習得する前に農村に入って調査を始めたことを今でも後悔している」という風におっしゃったんですね。それである意味救われたというか、今いろいろな理由があって調査自体には入れないけれども、資料を収集したり、語学を習得したりするというベーシックなことをやるのは、長期的に見れば決して無駄ではないということをそのときに言っていただいて、かなり勇気づけられたということがあります。もう一つは、この時海外派遣の最後に1カ月程度を使ってイランの西北方向から南部方向に伸びているザグロス山脈を一周したことです。それで、マシュハド以外の主要な都市をずっとつなぐように移動しながら見ていくことが出来た。このときの旅行の結果というのは活字の形では文章にまとめていませんが、旅行の記録のノートと写真の形で今でも持っています。実はそれも『 現代イランの農村都市——革命・戦争と地方社会の変容 』の基本的なコンセプトの中に流れ込む、いわば予備調査の予備調査のような役を果たしています。
最近はかなり政治についても関心を持たれているようにみえます。研究領域が広がっているのでしょうか。
僕にとっては政治分析、現状分析みたいなことは応用問題なんです。アジ研で基礎研究というものを標榜している研究会は多々あると思いますが、生意気を承知で言えば、基礎研究の中にもやっぱり「閉じた基礎研究」と「開いた基礎研究」、というのがあると思うんですね。「開いた基礎研究」の方が望ましいと思いますし、さらにはそれがどこに向かって開いているべきかというと、現在のアクチュアルな問題に対して、開いていた方がいいと思うんです。
今年は中東の民主化運動という大きなうねりが生じており、これに対応して「政策提言研究」を行う予定です。基本的には所側からの要請で始まっているのですが、やっぱりこれも多少運命みたいな気もします。3つの大きな変化というのが現時点で出てきていると思うんですよね。一つは中東アラブ世界の民主化の激動ということ、一つは3月11日の日本の大震災、それからもう一つは先日のオサマ・ビンラディンの殺害ですね。これらをすべてリンクさせないと、政策提言というような議論は現在出来ないことだと思うんです。政策提言研究なので当然ながら日本側の条件も考えなければなりません。実は、僕は震災が起きる前は提言したいことがあったんです。それは、いままでの資源エネルギー、もっとはっきり言えば「石油の供給の安定ということのみを優先させた日本の中東外交では限界があるんじゃないか」ということを言おうと思っていたんです。しかし、あにはからんや、特に原発の事故によっておそらく日本のエネルギー政策というのは全体として再考を促されるでしょうし、そういうこととの関係でイランのみならず湾岸諸国、中東との関わりみたいなものも変わってくると思うんですね。そこを考慮しないで提言みたいなことは言えない、ということを改めて感じています。
そのように研究領域を広げるなかで、研究者としてのプロセスに関わる思いはありますか。
ずっと基礎研究みたいなことをやってきてある程度年数を経て、僕みたいなところにいる人間にとっては、おそらくこれからも基礎研究を続けていくのか、つまり双書みたいなものを作っていくような研究会を組織し続けるのか、それともいわゆる外からの要請、アクチュアルな要請というものに答えるということを研究的な仕事の一部として位置づけるのか、という岐路に立たされているところがあると思うんですよね。それは僕自身のアジ研という組織の中での残された年限から言えば、時間も体力も使うフィールドワークを軸に、新たに問題を設定しなおして、大きな仕事をアジ研にいる間にまとめるという経路は難しいと感じています。それで、今後はある程度フィールドということにこだわらず、これまでの蓄積のうえに文献研究を加味したような問題の設定を探るような形で、具体的にはイランの近代化における家族意識の変容みたいなことを追求したいと考えています。しかし、それはちょっとアジ研での私の研究者としてのライフスパンの中には納まらないというか、これから最長10年という限られた時間のなかでの現実的な選択として、そういう外からの要請にこたえるということで自分の研究的な関心を持続していくということは有り得ると思ったんですね。それで、政策提言みたいなことに足を踏み入れることを考えたわけです。
今回一冊纏め上げて、一つ成し遂げたという部分、一つ区切りを作ったという部分で、少し距離を置いてみる、というところでしょうか。
僕はもともと成長が遅いタイプなので、未だに成長し続けているんです。
(取材:2011年5月9日)
【ご案内】 本インタビューに関わる記事が『 アジ研ワールド・トレンド 』(No.175,2010年4月号)に掲載されています。ウェブでもご覧になれますので、ぜひご一読ください( http://d-arch.ide.go.jp/idedp/ZWT/ZWT201004_014.pdf )。