研究者のご紹介

岡 奈津子 研究者インタビュー

第15回樫山純三賞《一般書賞》受賞記念インタビュー

岡 奈津子 研究員
所属:新領域研究センター ガバナンス研究グループ長
専門分野: カザフスタン、ナショナリズム、エスニシティ、移民、腐敗、非公式な慣習
――第15回樫山純三賞《一般書賞》の受賞、おめでとうございます。素直なお気持ちをお聞かせ下さい。
カザフスタンという、日本ではあまり知られていない国について、細々と研究を続けてきたと思っているのですが、今回、そんな自分の研究が注目されたのはほんとうにうれしいです。研究所の先輩や同僚が一緒に喜んでくれていることも、とてもうれしく感じています。
――受賞の経緯について、簡単にお聞かせください。

樫山純三賞の応募には自薦と他薦があるのですが、アジ研[編集部注:アジア経済研究所のこと]成果発信アドバイザーの勝康裕さんが、わたしの本を推薦してくれました。勝さんは、企画の段階から、編集、校正など最終的に本が出るまでの過程でずっとお世話になった方です。勝さんにおしりをたたいてもらえなかったら、そもそもこの本を出すこともできなかったと思います。

この賞の選考委員代表は輪番制で、今年は末廣昭先生だったそうです。末廣先生の講評によれば、今年は一般書部門だけで30点の推薦があったそうで、委員の先生方は短い期間のあいだに、おひとりあたり5〜6冊読まれ、「非常に民主的に選考しています」とのことでした。そのような過程を経て選んでいただき、とても光栄です。

――あらためて、受賞作『〈賄賂〉のある暮らし――市場経済化後のカザフスタン』(白水社、2019年)の内容についてお聞かせ下さい。

カザフスタンは、1991年にソ連から独立した中央アジアの新興国です。日本の7倍を超える領土に1800万人ほどが暮らしています。天然資源が豊富で、目覚ましい経済発展を遂げている中央アジアの大国です。

ただその一方で、他の旧社会主義諸国と同様、市場経済の導入にともなって様々な副作用、ひずみも生じました。その最たるものが贈収賄です。カザフスタンでは賄賂やコネを使って物事を進めることを「非公式な問題解決」と表現していて、暮らしの重要な一部になっています。

カザフスタンの人たちが一体どうやって「非公式」なやり方で問題を解決するのか。非公式な金品のやりとりを「違法」「悪しき行為」として断罪するのではなく、社会に定着したある種の「ルール」ととらえ、現地でのインタビューを通して実態を描こうとつとめました。

この本では、金品を渡す側、受け取る側、両者のかけひき、さらには仲介者の存在だとか、状況に応じた相場や、実際に渡す金額が変わる仕組み、渡す側にも受け取る側にもそうせざるを得ない理由があることなど、いくつもの側面に注目しています。たくさんの人にインタビューしながら「賄賂」を多角的にみることで、贈収賄が再生産される仕組みを描きたいと思いました。

――この本を作ろうという着想はいつぐらいからですか

「賄賂」に関するインタビューを始めたのは、2011年に2回目のカザフスタン長期滞在を開始したときでした。でも、最初に長期滞在した1999年からの2年間でも、警察とのカネの交渉など「非公式なカネのやりとり」について頻繁に見聞きしたので、ずっと気になっていました。

たとえば「娘を国営企業に就職させたくて100ドル用意したけれど誰に渡してよいか分からない」という話を聞いたこともありましたし、「公立病院はほんらい無料のはずなのに、親を入院させたら何をしてもらうにもいちいちカネを要求された」とか、「孫を保育園に入れようとしたら、園のトイレ用備品を買えと言われた」と怒っている人たちもいました。

贈り物なのか賄賂なのか…この点は先行研究でもさんざん議論されていますが、両者の境界は曖昧です。支払う側の人々も一方的な被害者というわけではなく、非公式にお金を払ってさっさと問題を解決するのは便利でもあるのです。そういう事例をたくさん耳にして、これはきっとカザフスタン社会全体を理解するのに重要なテーマだろうと思うようになりました。

以前、別のテーマで研究をしていたときも賄賂の話が出てきました。カザフスタンは独立後、国外に住む民族的なカザフ人を「父祖の地」に呼び寄せる政策をとってきたのですが、わたしはこれについて調べるために、中国やモンゴルなどから移住してきた人たちにインタビューしたのです[編集部注:参考文献①]。移住費用の補填や住宅購入資金として、移住後にまとまった金額を国から受け取ることのできる制度があるのですが、その手続きを行う際に賄賂を払わされたと証言する人が何人もいました。

――岡さんご自身のなかで、「賄賂」を調べていてよいのだろうか、といった葛藤はなかったですか。

たしかに…。このテーマで話を聞こうとすると「自分の国の悪口をいえというのか」と反発する人もいました。また、本がメディアで取り上げられたことをSNSで紹介したところ、カザフスタンの人から「あなたの研究のやり方には賛成できない」と批判されたこともあります。

ただその一方で、自分の経験談を率直に語ってくれる人は、意外と多いです。そもそも話したいことがあるからインタビューに応じてくれた、ということもありますが、面談相手はほとんどが好意的でした。出版を報告すると、「よくぞやってくれた」とか、「あなたの研究は我が国にとって必要なものだ」と言ってくれた人たちもいます。

現地の人たちにとっては、私がこの本で書いたようなことはむしろ「常識」に近いことで、意外性はあまりないと思います。カザフスタンでも「賄賂」に関する調査や研究、報道はごくふつうに行われていますし。

――研究や調査の途中で、まとまらないなあとか、もうやめようと思ったことはないですか。
本のあとがきでも書きましたが、調査が原因でカザフスタンの警察に連行されたときは、ちょっと、「続けられるかなあ」と弱気になりました。

写真:岡奈津子研究員

――この本の読者に、とくに伝えたいことがあればお願いします。

そもそも世界には、非公式な金品のやりとりをテーマにした、こうした調査をすること自体、不可能な国も少なくありません。当然のことですが、「賄賂」についてカザフスタンだけが特別なのではなく、本書で描いたような事例は大なり小なり、他の旧社会主義諸国や途上国にもみられます。広がり具合や背景は異なりますが、先進国の事例と共通する部分もあります。

カザフスタンのような日本では情報が少ない国について「どうしてわざわざ悪いことを書くのか」という反応もありました。たとえばアメリカとか中国とか、よく知られている国であれば、「賄賂」について書いてもそれはたくさんある情報のひとつにすぎない。一方でカザフスタンに関する本はあまりないのに、そのわずかな本が「賄賂」の話でよいのか、ということだと思います。

ただ、実際に手にとってお読みいただければ、「非公式なカネのやりとりは悪い」というような価値判断を加えることが目的ではない、とお分かりいただけると思っています。この本は、タイトルのとおり「賄賂」に焦点をあてていますが、腐敗そのものというよりも、非公式なカネのやりとりを描くことを通じて、カザフスタンの人々の暮らしぶりや、社会のありようが伝わるように書いたつもりです。

ですのでこの本が、カザフスタンを理解する一助になればうれしいです。

――賞の講評とは別に、研究者仲間や関係者などから、どのような感想が寄せられていますか。

まずタイトルですね。テーマの意外性、ということをよく言われました。「賄賂」と「暮らし」と結びつけたことが関心を呼んだのかもしれません。SNSでは、「すごいタイトルの本」「ぞわぞわするタイトルに惹かれた」「強烈なインパクト」などの書き込みが見られました。

じつは「賄賂」をタイトルに入れるかどうかはかなり迷いました。賄賂にカッコを付けたのは編集サイドのアイディアですが、そもそも「賄賂」と「贈り物」の境界は曖昧である、というのが、本のなかで強調したかったことのひとつでした。非公式な金品のやりとりを悪いことと決めつけずサバイバル戦略として描いているのがおもしろい、と評価してくれた方もいて、「賄賂」を前面に出したことはよかったと思っています。

研究仲間からのもうひとつの反応は、この本の「値段が安い」というものでした! やはり研究書ですと、一冊5000〜6000円とか、時には1万円を超えることもあります。それに比べてわたしの本は2200円(税抜き)ですので、たしかに安いです。これは、もう、出版社の白水社さんがかなりがんばって値段を下げてくれた、ということに尽きます。

じつは最近電子版も出版されまして、電子版は紙版よりさらに安いです。これは宣伝です(笑)。

――受賞をきっかけに続編の構想や新たな執筆テーマなどは浮かんでいますか

この本の英語版の出版を考えています。もともとこのテーマについては、まず英語版を出して、それから日本語版を出そうと思っていました。それが逆になってしまって…。

英語のほうは学術書の体裁にする予定です。そうすることで、日本語を読めない人たち、とりわけ海外の研究仲間に読んでもらいたいと考えています。そのあとは…まったく別のテーマでまた一般向けの本を書いてみたい、という気持ちがあります。

――本を執筆するにあたっていつも心がけていることはありますか。一般書の部門で受賞されたことも快挙です。

ひとりで本を書いたのは、研究書も含めてこれが初めてでした。論文を書くときとの違い、という意味では、まず難解な表現を使わない、扱っている地域やテーマについて知らない読者にも分かりやすく書く、ということでしょうか。

それ以外にも、アドバイザーの勝さんからは、カザフスタンと日本の関わりを書き込むように言われました。第2次世界大戦後に旧日本軍兵士がシベリアに抑留された事実は有名ですが、じつはカザフスタンに抑留された人もいて、そのためいまでも日本人墓地があることに触れました。また、日本でもファンが多いフィギュアスケートのデニス・テン選手が亡くなった事件についても書きました[編集部注:参考文献②]。

執筆と少し離れますが、つくづく思ったのは、「本も商品なんだ」ということです。せっかく書いても、宣伝しないと存在すら知ってもらえないのですね。今回の受賞は、新聞、雑誌、ラジオ、SNSなどいろいろなメディアでみなさんがこの本のことを紹介してくれたのが大きかったと思います。本はただ出すだけではダメで、作ったら今度は知ってもらう努力をしないといけないなあ、と痛感しました。

――「賄賂」をテーマにした研究をアジ研でやるのは難しくなかったですか。

うーん…。わたし、遅いんです、書くのが。じっくり書くことができたのは、それが可能なアジ研にいたからだと思います。それから、アドバイザーの勝さんという強力な助っ人がいるのはほんとうによかったです。

もちろん「賄賂」を研究テーマにするにはそれなりに困難もありましたが、結局は研究を続けることができました。今回受賞したことで、テーマの重要性を認めていただけたように感じています。

――今回、岡さんの本がこれほど多方面で取り上げられたことで、おなじようにマイナーな国を研究している研究者のひとりとして勇気をもらいました。

それはうれしいです!じつは、カザフスタンという国は、単に日本で知名度が低いというだけでなく、アジ研のような珍しい国ばかり研究しているような研究所のなかですら、マイナーなのです。

同じ地域を専門にする同僚たちが集まって議論しているのを横目で見ては、つねに「アウェー感」を感じていました。ごく最近まで中央アジアの研究者はわたしだけで、「集まる」ことすらできなかったので。

そんな「アウェー」だったカザフスタンが、今回こんなに注目してもらって、わたしもうれしいです。


参考文献①:例えば、関連する研究成果として次のような論文があります。岡奈津子「同胞の『帰還』:カザフスタンにおける在外カザフ人呼び寄せ政策」『アジア経済』第51巻第6号、2010年6月、2〜23ページ。

参考文献②:デニス・テン選手が亡くなった事件については、こちらの記事もあわせてお読みください。岡奈津子「デニス・テン選手を悼んで――フィギュアスケーターの死がカザフスタン社会に問いかけたもの」『IDEスクエア』2018年8月。

(取材:2020年11月13日)