研究者のご紹介

長田 紀之 研究者インタビュー

「ミャンマー・ビルマの歴史から国家・国民の形成を紐解く」

所属:地域研究センター 動向分析研究グループ
専門分野:ミャンマー・ビルマ政治史、都市社会史

ミャンマーを研究することになったきっかけは?

これまでの研究は、学部の卒業論文から始まっているものです。大きな問いがあって、それを本にしよう、という訳ではなく、関心の赴くまま進めてきました。歴史の研究なので、当時の資料を見て考えながら、徐々に問題意識を育んできました。そして15年間のまとめとして、一昨年、『胎動する国境―英領ビルマの移民問題と都市統治』(山川出版社、2016年11月)を出版しました。

研究のきっかけとして、一番大きかったのは桜井由躬雄(ゆみお)先生(故・東京大学名誉教授)との出会いです。僕は東京大学の東洋史専攻に進学し、そこで東南アジア史の桜井先生に出会いました。先生からは、現地社会にどういう心持ちで向き合うか、そして歴史を書くというのはどういうことなのか、また学問、そして地域研究のイロハを教わりました。

桜井先生の影響はすごく大きかった。歴史は面白いなと思って、大学院に行こう、研究を進めていきたい、と思いました。ただ、僕の博士論文提出1カ月前に急逝され、博士論文も本も見ていただくことができなかった。でも先生のおかげで今があります。

どうしてミャンマーを選んだかについては、小さな選択を繰り返してきた結果です。ミャンマー研究の蓄積が少なかったこともありますが、それだけが理由ではありません。いつの間にか、どっぷりミャンマーにはまった、それが正直なところです。

大学4年の終わりに初めてミャンマーに行ってみました。現地で両替商に騙されて、レートをちょろまかされて持ち金の半分持っていかれ、もうこんなところ来たくない、もう2度とミャンマーには来たくない、と思いました。極貧生活1週間です。その後も、「こんなこと有り得ない」ということがたくさん起きました。でも、面白そうだな、とも思い、もう一度行きたいなとも思いました。

どうして研究者の道へ?

写真:長田 紀之 氏

もともと、歴史に興味はあったのですけれど、海外に興味が出てきたのは大学に入ってからです。大学3年生に上がるときに東洋史を選びました。東洋史は西洋史、日本史以外全部なので、アフリカも入ります。先生がいるかいないかにもよるけれど、一番グローバルな勉強ができるのは東洋史、という宣伝文句もできますね。そこでの桜井先生の授業が面白く、底なし沼にずぶずぶ足を踏み入れます。就職活動はしなかったですね。

卒業論文ではイギリスで資料調査を行うなどがんばったのですが、修士に行くにはこれでは駄目だと言われ、1年留年もしました。厳しい道なのだなと自覚すると同時に、研究者の道に進みたいという気持ちが出てきました。

近著『胎動する国境―英領ビルマの移民問題と都市統治』の内容について教えてください。

本書の元になった博士論文は、公衆衛生、都市計画、治安維持という、僕がこれまで卒論、修論、博士課程で手掛けてきたテーマを含んでいます。これらを全部まとめる必要があり、「国家の形成」、「国境の形成」を風呂敷として論文をくるむことにしました。

本書では、今ある国家や国民の姿というのは必ずしも当たり前なものではなく、歴史的に作られたものだ、ということを書きました。そうしたことはこれまでアカデミアの先人達からも言われてきましたが、僕の場合は思考や思念よりも、「オン・ザ・スポット」の身体的な経験に注目しました。行政がある権力をもって様々な場面で行動をとるわけですが、その現場で普通の人たちは、そのように行使される権力を身をもって経験しています。行政、国家が普通の人たちの中に権力を刻み込んでいく過程です。この着眼は重要ではないかと思いました。  

ラングーン(今のヤンゴン)という町、それは点に過ぎない場所ですけれども、ビルマでは人の流動性が一番激しく、一番重要な町です。ここで行政官と社会との政治的相互作用が起こった。このことによって、この都市が背負っている国家を普通の人たちにイメージさせた。そこでは誰がその国家に属する人で、誰がそうではないか、この区切りを経験的に刷り込ませていく過程があった。本書ではこう考えています。

また、この本は歴史を扱っていますが、現代への含意もあると思います。例えば、本書で示唆されたミャンマーの排他的なナショナリズムのあり方は、現在のロヒンギャ問題とも関わっているといえるでしょう。

これからどういった研究に取り組みたいですか?

今回執筆した本では、日常的な行政実践と人々の身体的経験に注目しましたが、国民国家形成を推し進めるもう一つの車輪である「思念」を見据え、独立後のビルマ国家とビルマ・ナショナリズムがどういうものとして現われてきたか、そして、そうして現われてきたものが都市空間にどういう影響をもたらしたのかも今後研究したいと考えています。

今回の本は19世紀後半から1930年頃までを対象としましたが、同じ時期のナショナリズム研究に真面目に取り組みたいです。

他にも、都市という意味では、植民地都市がこの後の時代にいかに国民国家の首都に変貌していくかという課題にも興味があります。  

1950年代以降、アジアの都市が肥大化していくのはかなり普遍的な現象です。ただ、ミャンマーの場合は、広大な後背地で内戦が長くつづき、避難民が都市に流入していくのがひとつの特徴です。20世紀後半の東南アジア都市の比較史も念頭に置きながら、ミャンマーの国民国家の首都形成にどういう特殊性があったのかというのも一つの切り口になります。

研究者を目指したい人に:「急がば回れ」

研究者を目指したい人に偉そうなことを言える立場ではないのですけれど、あまり狭い問題にとらわれすぎない方が良いだろうな、楽しいだろうなとは思います。そう思うのは、若い研究者が大学院生時代から業績中心主義でがんじがらめになっている状況があると思うからです。博士論文を提出するのにも公刊論文があることが条件とされたりして、専門以外の分野で見聞を広める余裕がなかなかないように思います。

しかし、たくさん本を読んだり、いろんなところに行ったり、いろんな人と話したりすることでしか培えないものがきっとあると思います。目に見えやすい業績には直結しませんが、世界観とか歴史観とか、そういう広がりを自分で作ることを意識的にすれば、研究にもいつかフィードバックがあるのではないでしょうか。「急がば回れ」なのかもしれません。

(取材:2018年1月22日)