研究者のご紹介

荒井 悦代 研究者インタビュー

「スリランカで起きている大小の出来事を一つ一つ積み上げ、今後の政治経済の展開を読む」

所属: 地域研究センター 南アジア研究グループ
専門分野: 現代スリランカの政治、社会

アジ研に入られたきっかけとスリランカを担当された経緯は?

大学時代、中国経済に関するゼミで小島麗逸先生のお世話になったのですが、先生の研究スタイルや生活スタイルが非常にユニークで感銘を受けました。こんな研究ができたらいいなと思い、先生の助言もありアジ研の入所試験を受けたところ、たまたま採用されたんです。入所してすぐスリランカを担当したのですが、中村尚司さんが退職されて以来アジ研にはスリランカ研究者がいない空白の状態でした。一人で一から勉強せざるを得なかったのですが、インド担当の先輩が見かねて一緒に本を読んでくれたりと助けてくれました。インドに行ってみてスリランカとの違いや、スリランカでいま起きていることがインドではかなり前に起 きていたといったことがわかり、インドとは国のスケールが違いますが、比較しながら研究を始めました。それと、なによりスリランカの人々は非常に穏やかで、何も知らないに等しい駆け出しの研究者も優しく受け入れてくれましたので、入りやすかったと思います。

「アジア動向年報」の執筆のために、普段どんな作業や調査をされているのですか。

海外赴任の時期をのぞき、基本的にずっと『 アジア動向年報 』 のスリランカを担当し、毎年の政治・経済情勢全般にわたる分析レポートを書いています。大学では経済学を専攻したのですが、経済だけでは説明できないことが多く、ましてやスリランカのように長期間内戦状態にある国を扱う場合、どうしても政治分析が中心になります。もちろん、大きな事件や動きがあればそれを 追いますが、普段から現地の新聞を毎日チェックするという地道な作業の継続です。インターネットが普及する以前は、新聞を積み上げてクリッピングしながら 情報を一つ一つ拾っていました。途上国の新聞はインクが落ちやすく、手がすぐに汚れるんですよ。また、途上国の新聞情報には時折かたよりや不足がみられの で、それを補うためには、やはり現地経験から得たカンや洞察力が必要ですね。今ではネットで文字情報だけでなく音声や動画も見られ、情報が溢れていますが、玉石混淆である点では一昔前の紙ベースの新聞と同じです。溢れる情報の中から使える情報をすくい取って、日本の読者・研究者に必要な情報に加工・編集し付加価値をつけてゆく必要があります。研究者の力量が問われるところですね。私の場合、スリランカの政治だけでなく、社会全般を一人で見てきました。実 は、反政府勢力のLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)という重いテーマをずっと追い続けるのも疲れるんですよ。そこからちょっと距離を置いてスリランカの社会がどうなっているのかといった社会のあり方や経済の視点から見るなど、多面的にアプローチしないと理解できないところがかなりあります。大きな事件と気になった小さな出来事の積み重ねとで、その先のスリランカ政治や経済の課題についても展開できるようになります。日常的な動向分析とスリランカ研究 は私にとって一連の流れなんです。

マスコミの場合、大事件が起ると一斉に騒ぎ出しますが、いつの間にか報道がしぼんでしまう。でも、私たちの場合、現地で起こった出来事を最初から最後まで フォローして全体の中でどう位置づけられるかを見極める必要があります。そうやって、一つ一つ事象を積み上げていくことによって、これは前にもあったなとか、前にもあった事例だけど今回はちょっと事情が違うな、これからはこの辺に注目してフォローしようといった心構えもできます。やはりアジ研の情勢分析の強みは、こうした積み上げと継続性にあると思います。きちんと歴史的な背景や現地体験などに裏付けられた分析ができるので、何か起きてもすぐに対応でき、かつ一本筋の通った視点からみることができると思います 。

昨年やっとスリランカの内戦が終結しましたが、現地はどんな状態だったのですか。

海外調査員としてコロンボに滞在していた2009年5月に、内戦終結を目の当たりにすることができました。スリランカでは1983年から25年以上も政府軍とLTTEの内戦が続いていました。両者は時折停戦を挟みながらも狭い国内で戦闘を続けてきました。人口約2000万という小さな国で8万人が命を落としています。2008年9月に赴任したときは、まだ出口の見えない状態でしたし、内戦や自爆テロの爪痕が首都のコロンボでも普通に見られました。道端に兵 士が立っていて怖いなとか、もしかしたら隣に座っているおばさんが自爆キットでテロを起こすんじゃないかなんて不安なこともありました。そんな不安や危険と隣り合わせ中で、皆毎日学校や仕事に行くというのが「普通の生活」だったんです。2009年になって軍が一気にゲリラ勢力を壊滅させましたが、誰も内戦が終わるなんて、予想も期待もしていなかったと思います。私はコロンボ郊外に住んでいたのですが、そこでさえ、喜ぶ市民の爆竹がひっきりなしに聞こえてい ました。町は国旗で溢れ、角々に振る舞い料理なども並んでお祭りのようでした。私自身、ずっとスリランカの内戦と向き合ってきましたので、内戦終結の場に居合わせて、スリランカの人々と一緒に祝うことができたのは研究者冥利に尽きます。夜でも皆イベントやお祭りなどに自由に出かけられるようになり、開放されたな、おもりが取れたなと感じることがありました。スリランカはこれからどんどん変わっていくと思います。この内戦終結については アジ研ワールド・トレンドの現地レポート で報告しています

2004年に発生した津波被害の復興 は ものすごく早かったですね。世界中から援助の申し出があって援助物資もかなり入りましたし、台風と比べて被害地域が沿岸2、3kmに限られていたので、他の地域には影響がなく非難場所を確保することもできました。また、スリランカ政府の要請を受けてアジア開発銀行や日本のJBICが作成した復興のための明確な指針が有効に働いたと思います。

いま興味を持っている研究、今後の研究は?

紛争後のスリランカ社会の変化などです。紛争が間違いなくスリランカの発展を阻害していましたので、これからは人々の行動から物理的・心理的なおもりがとれてどんどん変化していくと思います。でも一方で変わらない面もあると思います。その場合、どうして変わらないのか、変わらない背景は何なのか。スリラン カの人々に寄り添いながら長いスパンで客観的に考えて行きたいですね。それと、多くのスリランカに関わる研究者の方々は現地社会に本当に足を突っ込んで、NGOなどを立ち上げたり、和解プログラムを本気でやってみたりと、自分の研究を還元しています。私もそのうち研究で現地に還元し恩返しできるようになりたいし、そうならないといけないと思っています。

(取材:2010年5月27日)