研究者のご紹介

寳劔 久俊 研究者インタビュー

「ミクロデータと農村調査に基づいて中国農村の変容を実証する」

寳劔 久俊 研究員
所属: 開発研究センター 開発戦略研究グループ
専門分野: 労働市場分析、ミクロ計量経済学、中国農村経済論

=最新の刊行物=:中国農村改革と農業産業化 』(アジ研選書-現代中国分析シリーズ3) 2009年12月発行

中国に関心を持ったきっかけは?

中学、高校の頃から吉川英治、司馬遼太郎、陳瞬臣などの中国の歴史小説を読み漁り、それが高じて当時から春秋戦国時代の思想家の原書や書き下し文も読んでいました。大学では文学部史学科に入学して中国の思想家の勉強をしたかったのですが、迷いに迷ったあげく「歴史では飯は食えない」と判断して、経済学部を選びました。偶々大学1、2年の頃にパール・バックの『大地』と山崎豊子の『大地の子』を読んで大きな感銘を受け、それまで私は歴史と現代を分けて考えていたことに気づきました。時代の流れの中で懸命に生きる人々の姿に強く魅かれ、経済開発なかで人々の生活の変化と、それを推し進める時代のうねりといったものを追求したいと思い、中国の開発研究を志すようになりました。

研究スタイルとこれまでの研究について

私が学んだ一橋大学には実証を重んじる研究風土の中で生まれた優れた中国研究の業績があり、また経済発展を詳細な統計データによって跡づける独特の学風を持つ経済研究所もあります。中国の経済発展の歴史を統計データによって実証する手法は、私の性格にマッチしていたのと、幸運にも南亮進、清川雪彦両先生を始めとした多くの先生方のご指導のお陰で、自分の研究の方向性ができたように思います。

中国には現在でも7億人以上もの農村人口があります。中国の経済発展の歴史は農村部の変化を抜きに語れないと思い、これまで農村部に視点をおいて農家の働き方や生活の変化を農家の個票データによって分析してきました。統計データの利用と推計は不可欠な作業ですが、データや理論モデルだけで農村問題を議論してしまうと、実態とかけ離れた結論を導いてしまう危険性があります。私の場合、農村調査を通じて農村の幹部や農民の方から色々と教えてもらい、なぜそこに至ったのかというプロセスや物語を描くようにしています。そこから得た情報を経済学の枠組みで整理し、データを利用しながら実証研究を行うのが私の研究スタイルです。また、日中の研究機関や大学の研究者・友人と提携し、一緒に議論しながら調査票の設計を行ったり、共同論文をまとめることで、現地の人の見方を理解したり、新たな知見を得たりすることは大変重要な作業になっています。

アジ研で研究するメリットは?

途上国の農業、農村問題を理解するには、幅広い知識と豊富な現地経験が必要ですが、アジ研には世界各地の農村、農業問題の専門家がいて、研究会や雑談などを通じて各国の情況をすぐに教えてもらえます。また、アジ研図書館が所蔵する中国関係の書籍、年鑑類、地方志、雑誌等は日本でも屈指の存在で、中国人研究者ですらその量と質に大変驚かれます。資料を利用しながら実証分析を行う私のような研究者にはアジ研図書館はかけがえのない存在です。

イチゴのハウス栽培(山東省煙台市)
最近、中国の農村について優れたルポルタージュやテレビ番組も増えていますが、私が接触している農村の印象と異なることも少なくありません。日本では中国 農村は酷いところで農民は搾取されているとか、農業管理はいい加減だといったステレオタイプな見方が強く、違和感を覚えます。確かに農民の生活は厳しいのですが、農民たちはとても素朴で、また村幹部の多くは農民のために一所懸命働いています。そして一口に農村と言っても地域によって大きく異なること、農村 部も着実に変化していることも知ってもらいたいと思っていました。中国では、2000年ごろから政府の農村政策に大きな転換がみられますので、この本では、「農村改革」を一つのキーワードに、地方財政、農村金融、出稼ぎ労働、食品安全管理、農産物流通制度といった側面から捉えてみました。

また、2002年の冷凍ホウレンソウ事件や2008年のメラミン混入事件などで、日本人の中国産食品に対する信頼が損なわれましたが、このような事件を一つの契機に中国農業のあり方も大きく変化し、輸出向けの食品安全性に対しては特に厳しく取り組んでいます。例えば、アグリビジネス企業と農家との契約栽培が広く普及し、農業協同組合が数多く設立され、企業自身が直営農場を持って統一的な栽培管理を行うなど、近年めざましい変化があります。この本では農業の変化について、中国流の農業インテグレーションである「農業産業化」を中心に据えて、多くの資料の整理と実態調査から分析しました。1990年代から現在 までの変化をかなり押さえられたのではないかと思っています。

今興味を持っている研究、今後研究したいテーマは?

現在3つの研究に取り組んでいます。まず、『 食料危機と途上国におけるトウモロコシの供給体制 』 研究会では、中国のトウモロコシの需給変化を分析しています。トウモロコシは他の穀物と異なり、経済発展とともに飼料用と工業用の需要が重要性を増します が、中国でもここ数年生産と消費がともに伸びています。国際市場との関連性や国内のトウモロコシ流通システムなどについて現在、調査を進めています。2つ目は農地流動化の現状について。農業産業化に伴って農業経営の大規模化が着実に進み、農地も流動化しています。以前は親類友人といった農家間での口頭契約が多かったのですが、現在では土地を株式化して企業に貸し出すとか、農地の請負権を村に戻して大規模経営者にまとめて貸し出すなど、様々な方法がとられています。ただ、農地問題は非常に複雑で、制度と実態との乖離も大きく、生臭い問題も絡んでいてたいへんです。

そして、3つ目は歴史的視点からの現代中国を考察することです。ここ数年、東京国際大学と東洋文庫の研究会に参加し、ロッシング・バックが1930年代に中国で行った大規模農家調査のオリジナル資料の一部を利用しながら、1930年代と現代の農業の比較を行いました。農業技術や市場経済の発展度合い、土地所有制度で大きな相違があるものの、1930年代は商業的農業が進み、大規模経営も普及していたので、現代農業を考察する上で新たな知見を提供してくれます。中国の経済発展をみるとき、歴史的視点が欠かせないと思っていますし、南京農業大学でバック調査のオリジナル資料が発見されたことの意義は大きいです。ちなみに、ロッシング・バックとは『大地』の著者パール・バックの夫です。この本が私を中国研究へ誘ってくれたとも言えますが、奇しくも再びもう一人のバックと出会い、彼が中心的に携わった調査のオリジナル資料の復元・分析作業をお手伝いすることになるとは全く思っていませんでしたので、勝手ながら何か因縁めいたものを感じています。やはり私の研究は、さまざまな人の縁に支えられているのですね(笑)。

(取材:2010年1月13日)