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第7回 第三のデニム大国トルコ――リーバイスとマーヴィ・ジーンズを中心に

Türkiye, the third denim powerhouse: Focusing on Levi's and Mavi Jeans

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001419

2025年6月
(5,769字)

古着ブームの中心にあるデニム

現在(2025年5月)は空前の古着ブームと言われている。正確に言うと、1990年代半ばの第一次古着ブームに次ぐ、第二次古着ブームである。しかし、下北沢や高円寺といった古着の聖地に足を踏み入れると多くのインバウンドの旅行者でごった返していることからもわかるように、現在の古着ブームは日本人だけでなく海外の人々にも拡大している。その中心にあるのは、やはり「デニム」である。第一次古着ブームを牽引したのもデニムであったことは言うまでもない。一部の商品には云百万という値段が付くこともある。

デニムと聞くと、何を思い浮かべるだろうか。製品の種類としてのジャケット、パンツ(ジーンズやジーパンとも呼ばれる)1、メーカーとしてリーバイス、リー、ラングラー、エドウィン、ユニクロなどだろうか。それとも、デニム発祥の地である米国、日本のデニム王国である岡山2を想起するだろうか。成人、いや、高校生や中学生でも一度もデニム地のズボンやジャケットを身に付けたことがない人は極めて少ないのではないか3。これは世界的に見ても同様のことが言える(と思う)。大学4年時に初めてトルコに旅行した際も、多くの男女がデニムパンツを履いていることが気になった。特に若者の着用率が高かった。デニムパンツは世界中に普及していることを実感した瞬間であった。

米国、日本に次ぐデニム大国、トルコ

デニムパンツが日本やトルコをはじめ、世界に普及していったのは意外と最近のことである。そもそも労働着であったデニムパンツは、19世紀後半にゴールドラッシュが起きたカリフォルニアの炭鉱で使われており、その後、カーボーイなどもその耐久性から着用するようになった。米国の東海岸に普及したのは第二次世界大戦後と言われている4。その後、デニムパンツは急速に世界に普及するが、それにはいくつかの要因――若者文化への浸透、衛星放送の発展、自由貿易──が考えられる。

デニムを国単位で考えた時、デニム発祥の地である米国が第一のデニム大国であり、その米国のヴィンテージデニムに価値を見出し、現在の古着ブームを牽引するとともに多くのオリジナルのデニムメーカーが凌ぎを削る日本が第二のデニム大国である。後述するが、現在、リーバイスの高級ラインのデニム地は日本製である。米国と日本のデニムに関しては、これまでも日本で数多く紹介されてきた5

筆者はここで声高に主張したい。米国、日本に次ぐ第三のデニム大国はトルコであるということを。これは筆者がトルコの政治と外交について研究しており、トルコに思い入れが強いためではなく(?)、根拠がある。そもそも、デニム発祥の地である米国はさておき、なぜ日本が第二のデニム大国なのか。それは、前述したように、日本の有力なオリジナルデニムメーカーの存在、そしてデニムの祖であるリーバイスに生地を提供しているという、2点である。この2つを満たすのが日本以外では実はトルコだけなのである。有力なオリジナルデニムメーカーという点では、イタリアのディーゼルやオランダのジースター・ロウなども当てはまるが、イタリアやオランダはリーバイスとの関係が薄い。逆にベルギーはリーバイスのヨーロッパでの最初の工場があるものの、オリジナルデニムの印象が薄い。本小論では、トルコの専門家および一介のデニム愛好者として、トルコのデニムに関して、リーバイスとの関係およびトルコ・オリジナルのデニム会社という2つの点から概観したい。

グローバル化するリーバイス

世界に浸透していったデニムの旗振り役はリーバイ・ストラウス社であった。リーバイスの名前で知られる同社は、19世紀半ば、ドイツ系ユダヤ人のリーヴァイ・ストラウスによってサンフランシスコで創業した。当初は卸売り問屋としての性格が強かったが、その後、やはりユダヤ人のジェイコブ・デイヴィスが考案し、リーバイ・ストラウス社に持ち込んだ、リベット(現在ではほとんどのデニムパンツのコインポケットに付いている銅製の部品)で補強されたデニム地やダック地のパンツの製造を手がけるようになり、次第に製造業者の側面を強めていった6。リーバイスのデニムの売り上げは第二次世界大戦後に急速に伸び、次第に海外でも履かれるようになっていった7。リーバイスの初めての海外工場は1965年に香港で立ち上げられ、翌66年にはベルギー工場も稼働しはじめた8。アジアでは香港工場に続き、1960年代後半にマカオとフィリピンでも工場が立ち上げられた。さらに1971年に日本でもリーバイ・ストラウス(ファーイースト)リミテッド日本支社が発足した9

その後、リーバイスはヨーロッパ各国に進出していった10。トルコでは1988年にデニムコ(Denimko)という会社がリーバイスのライセンスを取得し、トルコでリーバイス製品の製造を始めた11。1992年には、リーバイスが51%、デニムコが49%の株式を保有する共同出資会社として、リーバイス・イスタンブル支社が設立された12。この共同出資会社で、トルコ人として初めて取締役となったアクソイ(Haluk Aksoy)は1999年のインタビューでリーバイス・イスタンブル支社がリーバイスの共同出資会社の走りであると述べている。確かに、1982年に設立されたリーバイス・ジャパンはそれ以前に存在していたが、米国のリーバイス社の完全な子会社であり、共同出資会社ではなかった13。また、アクソイによると、リーバイス・イスタンブル支社はリーバイス・ヨーロッパの傘下にあり、その中心はベルギーのブリュッセルであった14

神話化したmade in U.S.A、日本製とトルコ製の躍進

筆者が中学生・高校生だった1990年代中頃から後半、リーバイスの多くは米国製か日本製であったため、デニムの主要生産国は米国と日本だと考えていた15。しかし、リーバイスは経営難により、90年代から米国の工場を次々と閉鎖した。2003年に米国内の2つの工場、サンフランシスコのバレンシア工場とテキサス州サンアントニオの工場を閉鎖し、米国製のデニムは終わりを告げた16。代わって労働力がより安価な他国の工場へと移った。

また、1990年代までは現行品に力を入れていたリーバイス本社であったが、日本の第一次古着ブームのなかでヴィンテージ品と呼ばれる過去のリーバイス製品の人気が沸騰し、さらにリーバイス・ジャパンがヴィンテージ品のレプリカモデルを発売して、その売れ行きが好調と見るや、リーバイス本社もレプリカモデルの販売に着手した。1990年代から2002年にかけてのレプリカモデルは、バレンシア工場で作られていたが、上述のようにバレンシア工場の閉鎖により、他国での生産を余儀なくされた。1999年からこのレプリカラインは、「リーバイス・ヴィンテージ・クロージング(以下LVC)」として再出発した。このLVCの製造の中心となったのが米国、日本、そしてトルコであった。

2003年に米国のリーバイス工場は閉鎖したが、リーバイスのデニム製品に使用されていた米国産のコーンミルズ社(2004年以降はコーンデニム社)製のデニムは継続して生産されていた。LVCの一部の製品にはこのコーンミルズ社製のデニム地が使用された。コーンミルズ社製以外にLVCに使用されたデニム地は、日本のカイハラ社製のものであった17。コーンミルズ社製のデニム地は、同社最後のノースカロライナ州ホワイトオーク工場を2017年末に閉鎖したことで、完全にカイハラ社製のデニム地に移行した。

ではトルコにもカイハラ社と並ぶような、上質のデニム地があったのだろうか。答えはノーである。トルコは米国や日本と異なり、生地ではなく、仕立ての中心地であった。近年のLVC製品の多くがmade in Turkeyの理由はそのためである。デニム地は米国産、日本産であっても仕立てはトルコで行うため、made in Turkeyと表示される。LVCはリーバイスの現行ラインのなかで最も高価なラインであり、その仕立ての多くをトルコが担っていることからも、リーバイス社がトルコの縫製を信頼していることが窺える18。ただし、トルコ国内ではLVC製品は一部の古着専門店を除き、販売はしていない。LVC以外にも、よりその時代のトレンドを意識した「リーバイス・メイド・アンド・クラフテッド(LMC)」、ベルギーのリーバイス支店など、ヨーロッパの支店が中心となって開発し、2000年代初頭に多くのファンを魅了した「リーバイス・レッド」、そして「リーバイス・エンジニアード」などもトルコで仕立てられている。その意味では、リーバイスのトルコ支社は、米国とヨーロッパのデニムの中間に位置付けられる存在である。

写真1 リーバイス・エンジニアードデニムの10周年記念モデル・トルコ製。

写真1 リーバイス・エンジニアードデニムの10周年記念モデル・トルコ製。写真に掲載するデニムはすべて筆者の私物である

写真2 写真1のジーンズの内タグ。

写真2 写真1のジーンズの内タグ。Made in TurkeyとLevi Strauss & Co. Europeの記載。 リーバイスのヨーロッパ支社のトルコ製の製品であることがわかる

写真3 コーンデニム社製の生地を使用し、トルコで縫製したLVCの506XXブランケット付きジャケット

写真3 コーンデニム社製の生地を使用し、トルコで縫製したLVCの506XXブランケット付きジャケット

写真4 写真3の内側。

写真4 写真3の内側。右上にMade in Turkeyの文字
トルコにおけるリーバイス

それでは、トルコにおいてリーバイスはどれくらい受け入れられているのだろうか。リーバイス・トルコのウェブサイトではトルコで45の支店があるとされている。トルコにはリーバイスだけでなく、リーバイス系列のドッカーズ(Dockers)の支店もアンカラとイスタンブルに一店舗ずつある。筆者の肌感覚ではトルコでリーバイスを履いている人はそれなりにいるが、あまり多くない。10人に1人くらいの割合だろうか。多いのは後述するマーヴィ(Mavi)ジーンズをはじめとしたトルコのメーカーのデニムである。

一方、筆者がトルコで実施した世論調査における、「次のなかで(米国大使館、米軍基地、アップル、スターバックス、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、バーガーキング、ナイキ、リーバイス)どれが米国の象徴だと思うか」という質問で、リーバイスという回答は最も少ない1.3%であった(米国大使館35%、アップル22%、米軍基地12%、マクドナルド10%、スターバックス7.5 %、バーガーキング 5.3%、ナイキ 4.8%、ケンタッキーフライドチキン 1.6%)19。リーバイスはトルコ人のなかで米国の象徴という意識は薄いようである。単純にジーンズメーカーのひとつとして見られているといった方が正しいだろう。

トルコ・デニムの代表格、マーヴィ・ジーンズ

ここまでは、主にリーバイスの歴史を振り返りながらトルコとの関係について論じてきた。ここからはトルコ独自のデニムについて概観する。トルコで最初にデニムを作り始めたのは、フランスで服飾について学んだムフテシェム・コット(Muhteşem Kot)が1960年に立ち上げたコット社と言われている20。トルコのデニムは、リーバイスをはじめとした米国産のデニムよりも、シルエットの綺麗さを重視するヨーロッパのデニムの影響を受けている。

トルコのデニムの代表的な会社と言えば、マーヴィ・ジーンズ(Mavi Jeans)がその筆頭に挙がる21Maviとは、トルコ語で青の意味で、Mavi Jeansとはブルージーンズの意味である。マーヴィ・ジーンズは1991年にイスタンブルで創業した。イスタンブル郊外には綿製品の工場が多くある。リーバイスだけでなく、ZARAやH&Mといったファストファッション・ブランドのデニムもトルコ産が多い。マーヴィ・ジーンズは創業こそ遅かったものの、トルコ人のハートを掴み、国内で人気を博している。筆者がマーヴィ・ジーンズを初めて購入したのは、二度目のトルコ渡航である2005年春であったが、その時はすでに多くのトルコ人がマーヴィ・ジーンズを履いていた。

ウェブサイトによると、マーヴィ・ジーンズはすでに1990年代後半からは海外に進出し、現在、34ヵ国に展開している22。その内訳を見ていくと、直営店はトルコで352店舗、ロシアで16店舗、カナダに4店舗ある。ショッピングモールなどに入っている店舗はトルコのみで535店舗だ。フランチャイズ店舗はトルコで70店舗、ロシアで17店舗、トルコ・ロシア・カナダ・米国を除く国で26店舗ある。そして、マーヴィ・ジーンズの商品を取り扱っている店はトルコで570店舗、米国で1320店舗、ロシアで105店舗、ヨーロッパで730店舗、カナダで640店舗、その他の国で28店舗となっている23

写真5 ベルリンのマーヴィ・ジーンズの店舗

写真5 ベルリンのマーヴィ・ジーンズの店舗

マーヴィ・ジーンズの特徴は、デニムだけでなく、Tシャツやシャツなど、さまざまな衣類でトレンドをうまくとりいれつつ、スタイリッシュなファッションを提供する点にある24。例えば、先進的に伸縮可能なポリエステルの生地を取り入れてきた。日本では、綿100%のデニムの「色落ち」、言い換えればデニムの「育成」が愛好者の間で人気があり、これが米国製デニム、特にヴィンテージデニムの価値として評価された。一方、トルコにおける消費者のデニムの捉え方は完全にファッションに特化しており、デニムを育成する人はほとんどいない。そのため、日本のデニム愛好者が「邪道」と考えるポリエステル入りのデニムにもほとんど抵抗はない。

その一方で、マーヴィ・ジーンズはサステナビリティに非常に力を入れており、例えば、2024年の年次レポートを見ても、その多くのページをサステナビリティに割いている25。スタイリッシュでサステナビリティ。まさにファッションのトレンドの王道を歩いているのがマーヴィ・ジーンズと言える。

写真6 伸縮するマーヴィ・ジーンズのデニムパンツ

写真6 伸縮するマーヴィ・ジーンズのデニムパンツ

写真7 写真6のデニムパンツの内タグ。

写真7 写真6のデニムパンツの内タグ。もちろんMade in Turkey。綿は92%
デニムは米国と日本の専売特許ではない

日本人は、米国のデニムへの憧憬と、日本自体が第二のデニム大国ということもあり、米国以外の国々のデニムにはほとんど関心を示してこなかった。トルコのデニムは、リーバイスの製品以外、日本にはほとんど入ってきていないが、第三のデニム大国として存在感を高める可能性は十分にあるのではないか。イタリアのディーゼル、オランダのジースター・ロウ、スウェーデンのヌーディ・ジーンズも一時的な流行を見せたが、そこまで知名度を獲得していないことを考えると、マーヴィ・ジーンズが日本に上陸するよりも、まずは誰もが知るリーバイスにおけるトルコ製品の品質の良さが日本人に認知されることが重要かもしれない。

本稿を読まれて、トルコのデニムに興味を持たれた方はぜひ今後はデニムの生産地に注目し、トルコ製のデニムを見つけ、身に付けてみてほしい。

-写真8 トルコ製リーバイスの野良着とマーヴィ・ジーンズのイスタンブルTシャツ

写真8 トルコ製リーバイスの野良着とマーヴィ・ジーンズのイスタンブルTシャツ

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • 写真1、2、3、4、6、7、8筆者撮影
  • 写真5  Naturally Selenator(CC BY-SA 4.0
著者プロフィール

今井 宏平(いまいこうへい) アジア経済研究所 地域研究センター 中東・南アジア研究グループ 副主任調査研究員。Ph.D. (International Relations). 博士(政治学)。著書に『トルコ100年の歴史を歩く: 首都アンカラでたどる近代国家への道』平凡社(単著、2023)、『戦略的ヘッジングと安全保障の追求:2010年代以降のトルコ外交』有信堂(単著、2023)、『エルドアン時代のトルコ:内政と外交の政治力学』(岩坂将充との共著、2023)、編著に『クルド問題』岩波書店(編著、2022)、『教養としての中東政治』ミネルヴァ書房(編著、2022)などがある。


  1. ジーンズという名称は少なくとも1870年代から使用されていたようである。青田充弘『501XXは誰が作ったのか?:語られなかったリーバイス・ヒストリー』立東社、2018年、57頁。
  2. 岡山、特に倉敷市がデニムの中心地である点に関しては、「デニム・ジーンズ」『中国地域の歴史ある地域産品』を参照。
  3. 筆者のデニム遍歴も紹介しておこう。筆者にとってデニム、特にデニムパンツは馴染み深い。実家が酒屋だったこともあり、父は作業着として常にデニムパンツを履いていた(だいたいがリーバイス505)。そのため、個人的にはスーツよりもデニムの方が仕事着という認識であった。初めて自分でデニムを買ったのが中学3年(リーバイスの557のレプリカジャケットとパンツの519)で、高校も私服だったので、デニムは身近であった。高校では日本のレプリカデニムを中心に着用した。また、中学や高校で1960年代や1970年代の米国の若者文化や音楽に興味を持ち、その中でデニムがヒッピー文化や学生運動の象徴アイテムの1つと知り、その文化的意味も考えるようになった。ボブ・ディランの「フリーホイリーン」のアルバムジャケットのデニムパンツが格好良く映った。大学から現在に至るまでもリーバイスや日本のレプリカデニム、そしてトルコのマーヴィ・ジーンズなどを着用している。
  4. 出石尚三著/リーバイ・ストラウス ジャパン監修・協力『ブルージーンズの文化史』NTT出版、2009年、5頁。
  5. 青田および出石の前掲書はリーバイスの歴史を検証した本であり、雑誌のLightningではたびたびリーバイス、リー、ラングラーなど米国のデニムの特集が何度も組まれてきた。日本のデニムに関しては、例えば、杉山慎策『日本ジーンズ物語』吉備人出版、2009年、藤原裕『日本人が見出したヴィンテージの価値 教養としてのデニム』KADOKAWA 2022年を参照のこと。
  6. リーバイス社の詳細な歴史に関しては、青田、前掲書を参照。
  7. 日本では、米軍による払下げ製品や、米国からの輸入品を扱う店で置かれていたようである。その後、1958年から72年にかけては堀越商店がリーバイスの販売権を持っていた。
  8. 青田、前掲書、254頁。
  9. 会社情報」 リーバイ・ストラウス ジャパン ウェブサイト。
  10. リーバイスが進出したのは、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、スペイン、ギリシャ、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、クロアチアであった。
  11. Levi Strauss & Co. Türkiye,” HR Dergi, Nisan 1999 Sayısı. ちなみに、リーバイスの製品はボタン裏に番号が刻印されており、そこで製造工場や製造国を識別するが、トルコの番号はT01, 034, 093, 247, 3813, 4006, 4016, 4649, 4896, 5044, 4983である。“Deciphering your Levi’s button stamp,” Granite City Denim.
  12. 前掲 “Levi Strauss & Co. Türkiye.”
  13. リーバイ・ストラウス ジャパン 沿革」『Strainer』.
  14. 前掲 “Levi Strauss & Co. Türkiye.” ブリュッセル支社はヨーロッパ支社だけでなく、中東・アフリカ支社のとりまとめも行っていた。
  15. ただし、日本製のリーバイスは本社製品ではなく、リーバイス・ジャパンの企画の場合が多かった。
  16. LEVI’S 501 150th ANNIVERSARY」リーバイ・ストラウス ジャパン ウェブサイト。
  17. 広島県福山市に本社を置くカイハラ・デニムのデニム地は、リーバイス以外にもユニクロ、EDWIN、Lee、GAP、J.Crew、APC、POLOといった国内外の有名ブランドのデニムに使用されている。「企業情報」カイハラ・デニム ウェブサイト。
  18. トルコの仕立屋に関しては、ワールド・イン・ファッションの第5回、村上薫「仕立屋Nが描く夢──ポスト・コロナのイスタンブルから」も参照されたい。
  19. この世論調査は、筆者が代表を務める科学研究費基盤B「ポピュリスト分析のための「安全保障化」の再検討:定性的・定量的手法の融合」(23K22096)による支援を受け、実施したものである。
  20. Dünyaya denim giydiren dört ülkeden biri: Türkiye,” Türkiye Tekstil Sanayii İşverenleri Sendikası Website.
  21. トルコにはマーヴィ・ジーンズ以外に、1994年に創業し、マーヴィ・ジーンズ同様に他国に積極的に進出しているCollins、そしてLTBがデニム会社として存在感がある。
  22. About Mavi,” Mavi Website.
  23. Global Ağ,” Mavi Website.
  24. マーヴィ・ジーンズのイスタンブルに関連するTシャツは、スタイリッシュでトルコらしく、リーズナブルでトルコのお土産として非常にお勧めである(あくまで個人の主観である)。
  25. Mavi 2024 Annual Report,” Mavi Website.