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コラム

ワールド・イン・ファッション

第1回 ハイエンドとローエンドを選ぶ楽しさ――リアルからネットに移行する中国のファッション

Enjoying Both of High-end and Low-end Life: Chinese Fashion Shifting from Real to Internet

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053522

2022年11月
(4,320字)

思い出の五道口服装市場

北京に留学していた2011年頃、20代前半でオシャレ盛りだった私にとって楽しみのひとつが五道口にある服装市場であった。服装市場は、衣料品関連の商品を卸値で購入できる、いわゆる卸売市場である。その規模はところによって異なり、五道口服装市場は2階建てでこぢんまりとした印象だが、中国北部最大級の服装市場とされる北京動物園前の服装市場はいくつものビルが連なり、一日で回ることができない広さだ。規模の違いはあるものの、どちらの服装市場もビル内には2畳ほどしかない小さな小売店が数百とひしめき合い、商品は山積みに陳列されている。規模の大きい服装市場では階によって客層を分けており、若者向けの流行の品から中年男性向けのスーツといったオフィス用の服装なども購入することができる。価格帯もさまざまで、無地のTシャツや大量生産のストールといった安価なものから、著名ブランドのロゴマークやデザインを模した製品(以下、「ブランド」品)まである。後者は、正規品と比べると破格値だが服装市場の基準ではよい値段ということになる。服装市場は、商魂たくましい中国人との交流を楽しめる場所であることから、観光客にも人気のあるスポットだ。また、思いがけない掘り出し物を見つけることもあることから、流行に敏感な若者も足しげく通う場所でもある。

当時学生だった私は、よい値段の「ブランド」品というよりも、できるだけ安い洋服やアクセサリーを物色すべく、五道口服装市場をよく訪れた。服装市場の商品には定価がないことから、購入時に店主と交渉しなければならない。店主たちは、「中国は、ある著名ブランドの下請け生産を行っており、我々はそこで余ったものを売っている、だから高級品だ」などと畳みかけてくる。一瞬信じてしまいそうになるが、商品を手に取ってじっくりと細部まで確認する必要がある。革の材質や裁縫、つなぎ目の金具などを見ながら、店主が提示した価格から値切らなければならない。日本人である私は見た目からだと中国人との見分けがつきにくいことから、価格を大きくふっかけられることはなかったが、一目で外国人だとわかる欧米人の友人と訪れた時には、「不要(いりません)!」とデモ行進のように叫びながら歩かなければならないほど、店員からの必死な引き止めにあうこともあった。このような現地の人々との交流によって、教科書からは学べない語学も習得できたように思う。

しかし、私の思い出の地であった五道口服装市場は2019年1月をもって閉店していたことがわかった1。2022年初にはリニューアルオープンしており、現在は脱出ゲームやアニメ、eスポーツなど若者の流行を取り入れた体験型アミューズメントパークになっているようである2。なぜ服装市場は閉店してしまったのだろうか。中国の急速な経済発展にともなって消費者意識が変化し、服装市場のような場所で服を買う文化はなくなってしまったということなのだろうか。

中国の一般的な服装市場の様子(广州沙河万佳服装市场,年底有多忙碌)

『北京女子図鑑』から垣間見える中国の消費者意識の変化

五道口服装市場の閉店をうけて、以前見た中国ドラマ『北京女子図鑑』を思い出した。このドラマは、2017年にAmazon Prime Videoのオリジナルドラマとして配信された『東京女子図鑑』をもとに製作された。中国版では、四川省の田舎で育った陳可依という主人公が、2008年に北京に上京し、小さな企業の受付として働きはじめてから起業家になるまでの10年間の成長を描いている。中国において高度経済成長から持続可能な発展へと舵が切られた時期に重なることもあり、本作は、新たな価値観と伝統的な価値観との間で葛藤する若者の姿を、一人の女性を通して表現している。

とくに本作は、陳のファッションやその服装の変化を通じて、陳の野心の芽生えや自立していく姿を象徴的に描き出した。本作のファッションコーディネートを担当したのは時尚雑誌社の蘇芒である。時尚雑誌社は、『時尚COSMO』や『時尚先生esquire』といった中国の代表的なファッション雑誌を手掛けており、中国の流行の最先端を作り出してきた媒体といえる。本作では、ファッションが非常に重視されており、ファッションを見るだけでも中国における10年間の変化を理解することができる。

そもそも陳が四川の田舎から北京に上京したきっかけは、北京に暮らす友人が素敵な洋服やアクセサリーに身を包む、輝いた存在に見えたことであった。陳もいつかルイ・ヴィトン(以下、ヴィトン)のバッグを持って北京の街を闊歩することを夢見る。その夢は、北京で出会った交際相手にもそれとなく伝え、誕生日にはヴィトンのバッグを貰えるのではないかと期待に胸を膨らませる。しかし、実際に贈られたのは、「ブランド」品で、ヴィトンのマークが入っているヴィトンではない服だった。期待が大きかっただけに陳は大いに落胆し、自ら別れを切り出す。

この交際相手との別れは、陳の中国の伝統的な価値観からの脱却を示唆している。交際相手の男性は、陳との将来について、ゆくゆくは自らの地元に戻り、家庭を築きたいと考えていた。2人の地元が北京ではないことから北京戸籍を有しておらず、その場合、その子どもは北京では十分な教育を受けられない可能性がある。男性の地元に戻れば、2人の子どもに十分な教育を受けさせることができるだけでなく、親の援助を得て立派な家を買うこともできる。このような男性の考えは、戸籍制度や結婚の際に家を買うといった中国の伝統的な制度や価値観に根差している。だが、陳は憧れの北京での生活を捨てて、また田舎に戻ることに躊躇する。そしてこの男性と別れた陳は、そのままヴィトンの路面店へと向かい、なけなしのお金をはたいて夢見ていたバッグを自ら購入したのだ。この姿は、2000年代の中国に生きる女性の野心と自立を描いているように思われる。

本作からは、中国の消費者意識が急速な経済発展とともに大きく変化したのではないかと感じられた。服装市場に山積みになっていた「ブランド」品ではなく、高級ブランドの路面店で綺麗に飾られている商品を購入できるだけの経済力をもつ人々が増えたのだろう。これにともなって、価格が高くても良いものを持ちたい、身に着けたいと考える本物志向の中国人が確実に増えている。

デジタル服装市場の出現

中国人の消費における本物志向の高まりについては、筆者が2015年から行っている法曹人材へのインタビュー調査でも感じたことがある。上海にある弁護士事務所を訪問した際に、インタビューに応じていただいた弁護士の方が、彼のアソシエイトも含めた昼食に誘ってくださった。その際に彼は「ウェスティンとシェラトンのどちらがよいですか?」と尋ねてきたのだ。当時、まだ博士課程の学生でほとんど収入がなかった私は、とっさに質問の意図を理解できなかった。何度か聞き直すなかで、高級ホテルのレストランを指しているのだとようやく理解し、「私は10元(約200円)で炒飯が食べられるような地元で人気な食堂が好きなので、そういうところに行きたいです」と返答した。これに対し、彼は「研究者は安上がりですね!」と悪気なく答えたのである。私にとってこの発言は全く嫌味ではなく、むしろ富裕層の中国人を初めて目の当たりにし、有名人に遭遇したような感動を覚えた。彼は本物志向を強く持ち、ハイエンドの生活を楽しんでいるようにみえた。

このような富裕層の出現や『北京女子図鑑』で描かれた中国の消費者意識の変化から、中国人の消費における本物志向の強まりを垣間見ることができる。では、服装市場のような場所は本物志向をもつ中国人から敬遠され、また、そこで安価な衣料品や「ブランド」品を売る小売店は淘汰されてしまったのかというと、そうでもなさそうである。五道口服装市場は閉鎖されたが、依然として継続している服装市場は中国に多くある。そして、そこには路面での商売を行っている小売店が軒を連ねている。しかし服装市場が閉鎖しても継続していても、そのどちらの小売店も、商売の基盤をリアルな服装市場からアプリやネットへ移行させているのではないだろうか。たとえばWechatは、中国版のLINEのようなアプリで、それを通じてチャットや通話だけでなく電子決済もできる。ある服装市場の小売店をフォローすると、その小売店が仕入れている商品をアプリで見ることができる(写真1)。小売店に直接メッセージを送れば、購入することができるということだろう。また、Taobaoは中国版のAMAZONといわれており、正規店だけでなくさまざまな小売店もTaobaoのアカウントを持ち、ここを通じて商品を売ることができる。このような中国の電子商取引(eコマース)市場は2020年に世界最大となり、以後も新型コロナウイルスの感染拡大をうけてその成長は年々加速している。中国ではネットでの消費がリアルでのそれを凌駕しつつある。五道口服装市場のようにリアルな場が閉鎖されたとしても、そこにあった小売店は、WechatやTaobaoといったアプリやネットを通じて商売をし続けていると推測できる。

写真1 Wechat内の服装市場

写真1 Wechat内の服装市場

くわえて、消費者側の意識としても、必ずしも服装市場で売られている安価な衣料品への関心が失われたわけではなさそうである。上海で起業している友人に上海のどういうところが楽しいかを尋ねたところ、彼女は「上海の生活の楽しさは、ハイエンドとローエンドを選択できるところ」だと答えた。彼女は上海でのビジネスを成功させており経済的に豊かであるが、彼女の趣味は、地元の安くて美味しいレストランを探索することだった。実際に、私は彼女と地元で人気の火鍋のお店で待ち合わせ、コストパフォーマンスの高い夕飯を堪能した。そしてその後、上海に来た私を歓迎するために、彼女は上海の夜景が一望できる外灘の一見様お断りのルーフトップバーに連れて行ってくれた。上海の楽しさを私に体験させようと、彼女はローエンドとハイエンドの両方を楽しむ計画を立ててくれたのである。彼女は、このような生活の楽しみ方は、多くの友人と共有するところであるとも教えてくれた。そしてこのような楽しみ方はファッションについても同様で、自分へのご褒美に上海の南京東路にある正規店でブランドのバッグを買うこともあれば、Taobaoで安価な「ブランド」のマフラーを買うこともあるという3。もしかすると、彼女が「ブランド」のマフラーを購入したTaobaoのお店の店主は、2011年に五道口服装市場で私と価格交渉をしたあのおばさんかもしれない。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • 筆者撮影
著者プロフィール

内藤寛子(ないとうひろこ) アジア経済研究所地域研究センター東アジア研究グループ研究員。博士(政策・メディア)。専門は比較政治学、現代中国政治。おもな著作に、State Capacity Building in Contemporary China, Springer(2020, Vida Machikenaiteとの共編).「1980年代後半の行政訴訟法の制定過程における中国共産党の論理――体制内エリートの統制と人民法院の『民主的な』機能――」『アジア研究』第67巻第3号、1-18ページ(2021)、「(中国共産党第20回党大会特集)第1回 第20回党大会の注目点」『IDEスクエア』9月(2022)など。


  1. 北京五道口服装市場明天中午正式閉市」『北京日報』2019年1月30日(2022年8月5日最終アクセス)。
  2. 辺逛街辺玩劇本殺? 五道口服装市場変身潮流空間」『北京日報』2022年2月19日(2022年8月25日最終アクセス)。
  3. ただし、Taobaoは正規店も多いことから、かつて服装市場に行き、購入していたような「ブランド」品をめがけてわざわざ買い物をすることは少ないという。流行の品など、短期的な利用を目的とした商品を購入する際に、たまたまそのような「ブランド」品になるというのが実際のようだ。