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(世界はトランプ関税にどう対応したか)第10回 カンボジア――関税交渉の変遷と雇用不安

Cambodia: Tariff Negotiations and Job Loss Fears

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001771

2026年3月

(3,721字)

2025年に入り、トランプ政権の関税政策は世界に大きな衝撃を与え、特に米国市場への依存度が高い開発途上国に深刻な影響を及ぼした。カンボジアにとって米国市場は輸出産業を支える最重要の柱であり、同国がどのように対応し、どのような影響を受けたのかを把握することは極めて重要である。本稿では、カンボジアと米国の間における関税および貿易関係を整理し、相互関税がカンボジア経済にどのような影響をもたらしたのかを検討する。

シアヌークビルに近い鉄道駅に積まれたコンテナ貨物

シアヌークビルに近い鉄道駅に積まれたコンテナ貨物
カンボジアからの輸入に対する米国の関税

2025年4月2日にトランプ大統領は新たな関税政策を発表して、相互関税の大統領令を発出した。4月5日からすべての輸入品に対して一律10%のベースライン関税を課したうえで、4月9日から国別に上乗せした関税率の適用を予定していた。カンボジアに対する相互関税は49%であり、多くの専門家を驚かせる高い関税率であった。隣国のラオスは48%、ベトナムは46%、タイの36%と比べてカンボジアの関税率は最も高いといえる。その後、4月10日から国別に上乗せする相互関税の適用は停止され、8月1日まで延長された。この間、世界各国の政府は相互関税の削減を求めて、米国政府と個別の交渉を進めた。

表1 相互関税のタイムライン

表1 相互関税のタイムライン

(出所)ジェトロ・ビジネス短信から筆者作成

カンボジア政府はこの事態を打開するため、米国からの輸入品に対して関税率を大幅に引き下げることを提案し、米国製品19品目に対する関税の上限を35%から5%に引き下げると発表した1。4月30日には、米国向け原産地証明書の発行手続きを厳格化して、迂回貿易による原産地偽装の取り締まりを強化した。カンボジア政府は、米国の首都ワシントンで5月と6月に米国政府と対面交渉を行い、7月にオンライン交渉を行った。

トランプ大統領は7月7日にカンボジアに対する関税を49%から36%に引き下げると発表した。続いて、7月31日にトランプ大統領は大統領令に署名して、カンボジアに対する相互関税を36%から19%に引き下げた(表1)。カンボジアは当初公表された49%の高関税率を回避した一方、8月8日に政令に署名して、米国から輸入する全製品(中古品を除く)に対する関税を0%にすると発表した2

カンボジアと米国の相互貿易協定

2025年10月26日、米国とカンボジアは、両国の経済関係を大幅に強化することを目的とした「相互貿易協定」に署名した。この協定は、2006年の米・カンボジア貿易投資枠組み協定を基盤に、関税・非関税障壁の削減、供給網の強靱化、経済安全保障分野での協力深化を図る包括的な枠組みである。

最大の特徴は、カンボジアが米国製品に対する関税を100%撤廃したことである。工業製品、農産品、食品などすべての米国産品が無税でカンボジア市場に輸出できるようになった。これはすでに即時実施されており、米国企業にとって「前例のない市場アクセス」を提供すると米国政府は評価している3

一方、米国側はカンボジア製品に対し、既存の相互関税制度の下で設定された19%の関税水準を維持するが、航空機部品や医薬品など一部品目は例外として無税扱いとなる。協定はまた、原産地規則、貿易円滑化、経済安全保障に関する協力を強化し、サプライチェーンの信頼性向上を目的としている。

協定はカンボジアが後発開発途上国であることを認識しつつ、双方が互恵的な市場アクセスを拡大し、地域経済の安定と繁栄に寄与することをうたっている。今後は両国議会での批准手続きが進められる。

カンボジアと米国の貿易関係

カンボジアにとって米国市場はどれくらい重要なのだろうか。表2は、2024年におけるカンボジアの主要輸出品目について、米国市場と世界全体の輸出額を比較したものである。カンボジアの輸出構造は依然として労働集約型産業に大きく依存しており、特に履物、衣類、旅行用品の3品目が中心的役割を果たしている。これらの品目は全世界輸出において50.7%のシェアを占める。

表2 2024年におけるカンボジアの主要輸出品目

表2 2024年におけるカンボジアの主要輸出品目

(注) 履物、衣類、旅行用品は、それぞれHSコードの第64類、
第61・62類、第42章に対応する輸出額の合計
(出所)UN Comtradeより筆者作成

米国向け輸出額は合計99億ドルで、そのうち履物・衣類・旅行用品の3品目が52.7%のシェアを占める。これらの品目において、全世界に占める米国市場シェアは38.7%に達しており、米国がカンボジアにとって最大の輸出先であり、縫製・履物産業が米国市場に強く依存していることを意味する。衣類は米国向け輸出のなかで最も大きな輸出品目であり、特に旅行用品は米国市場への依存度が非常に高く、世界全体の輸出額20.6億ドルのうち72.3%が米国向けである。米国市場がカンボジアで作られるバッグやスーツケースの最も重要な市場である。

履物、衣類、旅行用品の輸出産業はカンボジア経済の成長エンジンであるが、カンボジアの輸出は特定品目と特定市場(特に米国)に集中しており、トランプ政権の関税政策や国際情勢の変化に対して脆弱な構造を持っている。一方、米国市場でカンボジア製品が競争力を持っていると考えられる。

相互関税がカンボジア経済に与える影響

最終的に相互関税は19%となったが、カンボジア経済はどのような影響を受けているのであろうか。現実の経済は多様な要因によって変動しているため、相互関税による影響だけを厳密に取り出して実証することは非常に難しいが、経済モデルに基づいたシミュレーションの結果が、アジア開発銀行から報告されている4

分析方法を要約すると、計算可能一般均衡(CGE)モデルを用いて、米国がカンボジアに課した相互関税(10%・19%・36%)が経済に与える影響を定量的に推計している。CGEモデルは、国際貿易・生産構造・家計行動を同時に扱うため、関税変更が産業間・国際間でどのように波及するかを総合的に評価できる点が特徴である。加えて、2023年の家計調査データを用いて、36%の関税が雇用喪失や所得減少を通じて貧困に与える短期的影響を、推計している。

分析の結果、米国の相互関税は、カンボジア経済に対して関税水準ごとに大きく異なる影響をもたらすことが示された。現在適用されている19%の関税は、GDPや雇用、消費など主要指標に対してほとんど影響を与えない。これは、米国が関税を世界的に引き上げたことで、カンボジアの競合国(バングラデシュ、中国、インド、ベトナムなど)が平均24%の関税を課されており、相対的にカンボジアの関税負担が軽いためである。

一方、もし関税が36%の場合、カンボジアは深刻な経済的影響を受けると推計されている。消費ベースでは貧困率が1.3ポイント上昇し、雇用ベースでは1.6ポイント上昇する。特に、低賃金の製造業労働者が失業または低所得の農業・サービス業へ移動することで、所得が20%程度低下するためである。つまり、19%の関税は影響が少ない一方、36%の関税であった場合にカンボジアの脆弱な輸出依存構造を通じて、雇用や消費は大きな影響を受けていた可能性が高い。

米国関税による雇用不安に対する一般の見方

第二次トランプ政権による相互関税の導入は世界的に大きな注目を集め、特に開発途上国では、米国向け輸出の減少を通じて雇用が失われる可能性があるとメディアで繰り返し報じられた。カンボジア政府は米国との交渉により相互関税率を19%まで引き下げることに成功したものの、国内では「米国の関税引き上げで仕事が減り、家族を養えるのか不安だ」といった声がメディア報道を通じて広がっていた5

米国の関税引き上げによってカンボジア国内で雇用不安が広がっているのかを把握するため、筆者は2025年9月29日から10月15日にかけて、無作為に抽出した600世帯を対象に電話調査を実施した。調査員は各世帯に電話で連絡し、世帯主または配偶者のいずれかに回答を依頼した。回答者には、提示した文言に対して、(1) 全くそう思わない、(2) そう思わない、(3) どちらともいえない、(4) そう思う、(5) 強くそう思う、という5段階の尺度で意見を示すよう求めた。調査の中心となる質問は、「最近の米国の関税引き上げがあなたの仕事に悪影響を与えているか」である。

図1 米国関税による雇用への悪影響に対するカンボジア人の見方(%)

図1 米国関税による雇用への悪影響に対するカンボジア人の見方

(出所)カンボジアにおける家計調査から筆者作成
図1は、米国の関税引き上げが雇用に与える悪影響に関する世論の調査結果を示している。回答者のうち、38.5%が「悪影響がある」という主張にそう思わないと答え、さらに20.0%が全くそう思わないと答えた。合計58.5%が否定的な回答を示しており、関税引き上げの雇用への影響について概ね楽観的な見方が広がっていることを示唆する。一方、15.6%は中立を選択しており、悪影響について判断がつかない、または無関心である可能性がある。この層が強い悪影響を感じていないと仮定すれば、最大74.1%が雇用への悪影響を心配していないことになる。これに対し、17.5%がそう思う、8.4%が強くそう思うと答えており、悪影響を懸念する人々は比較的少数である。つまり、米国の関税引き上げが国内雇用に与える影響について、カンボジアの回答者の多くは比較的楽観的であり、一部の層のみが悲観的な見方を示している。こうした世論調査の結果は、経済モデルによって推定される19%の関税率では影響が小さいというシミュレーションと整合的である。
※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
  • 筆者撮影
著者プロフィール

田中清泰(たなかきよやす) アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門は国際経済学、開発経済学。最近の著作は、Agglomeration Economies in the Formal and Informal Sectors: A Bayesian Spatial Approach,” (with Yoshihiro Hashiguchi) Journal of Economic Geography, Volume 20, Issue 1, pp. 37-66, 2020、Do International Flights Promote FDI? The Role of Face-to-face Communication,” Review of International Economics, Volume 27, Issue 5, pp.1609-1632 2019、など。


  1. 具体的には、牛肉や豚肉、乳清などの乳製品、ナッツ類、トウモロコシ、大豆、砂糖シロップ、冷凍ジャガイモ、ウイスキー、大型自動車やバイクなどである。NNA ASIA米国に関税交渉要請、関税引き下げも発表」(2025年4月8日)を参照。
  2. 次を参照。“Sub-decree No. 139 by the Royal Government of Cambodia.”/“Prakas No. 632 by the Ministry of Economy and Finance.”/“Instruction No. 3724/25 by the General Department of Customs and Excise.”
  3. 米国ホワイトハウスの声明 “JOINT STATEMENT ON UNITED STATES-CAMBODIA AGREEMENT ON RECIPROCAL TRADE.”(2025年10月26日)を参照。
  4. Milan Thomas and Pirom Khiev, Economic Impacts of the United States Tariff on Cambodia, ADB Brief No. 360, 2025年11月.
  5. 例えば次の記事を参照。Sovann Sreypich, Garment, Footwear Workers Worry About U.S Tariff Hike Costing Their Jobs,” CamboJA News.(2025年6月29日)
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