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コラム

新型コロナと移民

第6回 アジア移民ハイウェイと新型コロナウィルス

PDF版ダウンロードページ: http://hdl.handle.net/2344/00051962

2021年2月
(7,116字)

世界最大の移民受け入れ地域

湾岸アラブ諸国(クウェート、カタール、バハレーン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、オマーン)の6カ国は、アメリカやEUと並んで世界最大の移民受け入れ地域の一つである。国連人口部門の移民統計によれば、2019年の全世界の移民人口は2億7164万人で、湾岸アラブ諸国はその11%の約3000万人を吸収している。

湾岸アラブ諸国の移民社会は、三つの特徴を持つ。第一に、自国民人口に対する移民人口の割合が高いこと、第二に、移民と国民の断絶が明瞭であること、第三に、移民の大半が一時滞在者であることである。

第一の特徴である移民人口の割合の極端な高さについては、表1から明らかである。移民人口数ではアメリカやドイツの方が多いが、移民人口割合(移民人口/(移民人口+国民人口))を参照すると、湾岸アラブ諸国は圧倒的にその数値が高い。例えば、アメリカやドイツ、イギリスやフランスといった先進国の移民人口割合は15%前後であるのに対して、湾岸アラブ諸国の場合は、最も移民割合が低いサウジアラビアで38%、最も高いアラブ首長国連邦で88%である。なお、日本と比較した場合、移民人口数が近いのはオマーンだが(日本は約250万人、オマーンは約230万人)、その割合は日本では2%、オマーンでは46%である。

この理由は、湾岸アラブ諸国の経済が石油輸出に依存していることで説明できる。一国に居住可能な人口規模は、一般的にはその領域で生産される富の総量、すなわちその領域内の経済活動の総量に規定される。これに対して石油輸出国には、石油輸出の対価として国外で生産された富が国内に大量に流入する。また、石油産業自体は国内の他の産業とほとんど関連を持たない。つまり、石油輸出国の国内に存在する富の総量は、その国の領域内の経済活動よりも大きくなる傾向にある。このため、石油輸出国は国内の経済活動に従事する人口よりも大きな人口を支えることが可能となる。これは別の表現をすれば、経済規模と国内の労働力の規模の間に大きな差があるため、大量の移民を労働力として受け入れているということになるだろう。

表1 移民受け入れ人口の比較(2019年)

表1 移民受け入れ人口の比較(2019年)

(注)国連人口局の作成する統計においては、「移民」に関するはっきりとした定義は存在せず、各国が「移民」と定義して報告した人口がそのまま「移民人口」として扱われている。
(出所)United Nations, Department of Economic and Social Affairs. Population Division (2019)より、筆者作成。

第二の点は、移民と国民との間の断絶である。これは、移民と国民の賃金を比較すると明らかとなる。近年の湾岸アラブ諸国は国民と移民に区別した賃金データを公表しないようになっているが、部分的に明らかになっていることから判断すると、国民と移民の賃金はサウジアラビアで2.4倍、クウェートで6.3倍の開きがある(表2)。

一般的に、湾岸アラブ諸国では国民の多くは公的部門に就労し、移民は民間部門に就労する傾向がある。湾岸アラブ諸国では公的部門の給与は民間部門の2倍以上であることが多く、国民が民間部門に就労する場合、その多くは管理職で高給を得る傾向にある。湾岸アラブ諸国では、国民と移民で就労分野や待遇を区別する二重労働市場が機能しているのである。

表2 湾岸アラブ諸国の平均賃金(国民、移民)

表2 湾岸アラブ諸国の平均賃金(国民、移民)

(注)KDはクウェートの通貨単位であるクウェート・ディナールを、SRはサウジアラビアの通貨単位であるサウジリヤルを表す。
(出所)Kuwait Central Statistical Bureau (2016), General Authority for Statistics (Saudi Arabia) (2020)をもとに、筆者作成。

第三に、多くの移民が一時滞在者としての身分しか獲得できないことが挙げられる。各国の公式統計では移民の滞在期間はほとんど明らかにならない。しかし、筆者の現地調査を通じて得られた情報や、筆者以外の多くの研究者の指摘するところから判断して、大半の移民労働者が2年程度の労働契約に基づいて湾岸アラブ諸国に滞在していると考えられる。湾岸アラブ諸国では、どれほど長く滞在しようとも、原則的に移民が受け入れ国の国籍を取得することは不可能である。このため、比較的長期間滞在している移民であっても、その多くは短期の労働契約を更新し続けることで長期滞在しているにすぎず、制度的には短期滞在者に位置付けられる。移民のなかには湾岸アラブ諸国でビジネスを立ち上げ、長期的な計画に基づいてここを生活の拠点とする者もいるが、少数派であり、多くは自身の短期的な目的――結婚資金や子どもの教育費用、自国での住居建設費用――のために滞在している。

このような特徴を踏まえると、新型コロナウィルスが移民社会を通じてどのように湾岸アラブ諸国に影響を与えていると考えることができるだろうか。移民人口割合が極端に大きく、その大半が小売や低賃金労働に従事する一時滞在移民であるということは、基本的に湾岸アラブ諸国の移民は雇用の調整弁として機能することを意味している。

このため、コロナ禍によって帰国する移民が急増したとしても、直ちに湾岸アラブ諸国の社会システムや経済活動が麻痺するということはない。また、これまで湾岸アラブ諸国の移民の大半が帰国したという情報もない。報道では、「アラブ首長国連邦からインド系移民が13万人帰国」「海外在住インド人の帰国申請者がドバイで20万人」「オマーンの移民人口が8万人減少」といった数値が報告されているが、湾岸アラブ諸国に滞在する総移民人口の3000万人と比較するとこの数は非常に小さい。おそらく、コロナ禍で湾岸アラブ諸国から帰国する移民は、多くても全移民の1割前後にとどまるのではないだろうか。むしろ、湾岸アラブ諸国の経済にとって喫緊の課題は観光客の減少であり、観光客の減少に伴う人員削減の必要性を考えれば、移民の帰国は経済的打撃というよりも必要な対応と重複する。

アジアを席巻する湾岸からの国際送金

新型コロナウィルスは、移民本人だけでなく、その家族の暮らし、また彼らの送り出し国の経済にも深刻な影響を及ぼす。というのも、自分自身を養うためだけに湾岸アラブ諸国に渡ることもあるが、移民の多くは家族のため、また帰国後の自身の生活のために渡航するため、湾岸アラブ諸国で得た賃金の大半を送り出し国に送金するからだ。移民が湾岸アラブ諸国から帰国せずとも、給与が削減されたり職を失ってしまえば、この送金が減少あるいは途絶えることになる。

湾岸アラブ諸国に滞在する移民人口が突出して多いことは、彼らが送金する額も多いことを示唆する。事実、世界銀行の統計によれば、世界中の移民による国際送金額のなかで、湾岸アラブ諸国から送られたものは1980年代以降おおむね20%から25%を占める(図1)。移民人口の割合が送金額の規模を説明するのであれば、湾岸アラブ諸国に滞在する移民が全世界移民人口のおよそ10%であることを考慮すると国際送金に占める割合もまた10%程度であるはずだ。にもかかわらずこれが20%から25%の水準にあることは、湾岸アラブ諸国からの送金額が相対的に高水準にあることを示している。

図1 移民の国際送金と湾岸アラブ諸国(1980-20019年)

図1 移民の国際送金と湾岸アラブ諸国(1980-20019年)

(出所)World Bank(2020)をもとに、筆者作成。

このことは、移民一人当たりの送金額を算出してみるとよくわかる(表3)。サウジアラビアの移民一人当たりの国際送金額は年間2377ドルであり、1412ドルのアメリカの約1.7倍であり、アラブ首長国連邦は3.7倍、カタールは3.8倍と軒並み3倍を超える。もしも湾岸アラブ諸国で働く移民の賃金がアメリカよりもずっと高いのであれば、この現象は容易に理解できるが、上記のとおり湾岸アラブ諸国の移民の賃金は低く抑えられている。では、なぜ湾岸アラブ諸国の移民は他の国に移動する移民よりも多くの金額を送金するのだろうか。

表3 移民人口と国際送金額(2019年)

表3 移民人口と国際送金額(2019年)

(出所)United Nations, Department of Economic and Social Affairs. Population Division (2019), World Bank (2020)より、筆者作成。

この理由は、おそらく移民の滞在期間と関係している。先進国では、選択的移民受け入れ制度が採用されている。この制度は、移民の能力に応じて受け入れを判断する仕組みであり、低技能労働者を特定の分野に限定して受け入れ、その代わりに高技能移民を広く・多く受け入れる。また、高技能移民は将来的に帰化を承認する対象であり、大半の高技能移民もそれを前提としているため、彼らは市民権を取得した後の受け入れ国での生活に備えて貯蓄し、獲得した給与を出身国に送金するインセンティブは低い。また、家族帯同の場合は、子どもの教育費や扶養のための費用は受け入れ国内で支払われる。

これに対して、湾岸アラブ諸国に居住する移民の大半は低技能労働者であり、受入国政府によって市民権を与えられることはない短期滞在労働者に位置づけられている。移民の側でも湾岸アラブ諸国を長期的な展望を持って生活する場所とはみなしていないので、受入国での投資はほとんど行わない。代わりに、単身で生活している彼らは切り詰めたわずかな生活費を除いて、獲得した賃金の大半を出身国に送金する。たとえ給与水準が低くとも、莫大な移民人口が、その大半を出身国に送金することによって、結果的に莫大な金額が移転されることになる。このように、湾岸アラブ諸国での移民の境遇が、そのまま湾岸アラブ諸国が支払う送金額に反映されていると言えるだろう。

湾岸アラブ諸国は、アジアの移民送り出し国にとって主要な移民先となっている。湾岸アラブ諸国に滞在している移民の大半はアジア出身であり、インド、バングラデシュ、パキスタンといった南アジア諸国、インドネシアやフィリピンといった東南アジア諸国、エジプトやイエメンといった中東諸国が上位を占める(表4)。これらの各送り出し国出身の全移民に占める湾岸アラブ諸国への移民割合は、エジプトやイエメンでは70%を超え、南アジア諸国でも50%前後、東南アジア諸国ではインドネシアで約50%、フィリピンで28%となっている。すなわち、アジアの移民送り出し国が被る送金の減少は、湾岸アラブ諸国からの送金額の減少によって多くの部分が説明される。コロナ禍による失業や賃金カットの影響は、移民労働者当人だけでなく、彼らによってもたらされる送金に依存している家族、ひいては送り出し国の経済にも大きな影響を与えるが、特にアジア地域においてこの影響が甚大であることが推測される。

表4 出身国別湾岸アラブ諸国滞在移民人口と、全移民人口に占めるその割合(2020年)

表4 出身国別湾岸アラブ諸国滞在移民人口と、全移民人口に占めるその割合(2020年)

(注)使用している統計のデータ収集年が異なるため、表1、表3とは移民人口が若干異なる。
(出所)United Nations, Department of Economic and Social Affairs. Population Division (2020)をもとに、筆者作成。

送金から見られる湾岸アラブ諸国の影響力は、アジア・アフリカ地域における移民現象の特徴をよく物語っている。アジア・アフリカ地域においては、多様な国に移民が分散しているわけではない。湾岸アラブ諸国という極端に多くの移民を受け入れる地域を中心に、この地域を「主要な」移動先とする移民送り出し国との間で太く、強固な移動ルートが形成されている。このルートはそれを利用する移民の数が多いだけでなく、短期滞在に由来する高頻度の移動にも特徴がある。大量の人々が頻繁に行き交う移民ルートは、まさに「アジア移民ハイウェイ」と呼ぶにふさわしい。今まさにコロナ禍による損失に苦しみながら、そこから回復する機会を求めて、多くの人々が「アジア移民ハイウェイ」の門が開かれることを待ち望んでいるだろう。

(付記)本記事はJSPS科研費JP20H04415の成果の一部です。

参考文献
著者プロフィール

松尾昌樹(まつおまさき) 宇都宮大学国際学部准教授、博士(国際文化)、国際政治経済(中東地域)。主な著作は、『湾岸産油国 レンティア国家のゆくえ』(講談社メチエ、2010年)、『中東のあらたな秩序』(編著、ミネルヴァ 書房、2016年)、『石油の呪い 国家の発展経路はいかに決定されるか』(浜中新吾との共訳、吉田書店、2017年)など。