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コラム

新型コロナと移民

 
第2回 サウジアラビア――コロナ禍が直撃する移民労働者の生存戦略

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051838

2020年9月
(5,555字)

湾岸アラブ諸国の国籍別ソーシャル・ディスタンス

「ソーシャル・ディスタンス」

この言葉は、新型コロナウィルスの時代になって、日本に定着し始めた。だが、それが蔓延する前から「国籍別のソーシャル・ディスタンス」を実践してきた社会がある。湾岸アラブ諸国である。

湾岸アラブ諸国とは、湾岸協力会議(Gulf Cooperation Council: GCC)を形成するアラブ首長国連邦(UAE)、オマーン、カタル、クウェート、サウジアラビア、バハレーンの6カ国を指す。これらの国々といえば石油輸出大国というのが一般的なイメージであろう。だがこの6カ国の移民総数は2019年現在で約3000万人であり、ヨーロッパ(約8230万人)、北アメリカ(約5865万人)に次ぐ移民受け入れ地域でもある1 。そのほとんどが短期契約の労働者だ。総人口に占める移民の比率はUAEでは約9割にもなる。最小でもサウジアラビアの約4割であるから、いかに移民労働者が多いか想像していただけるだろう。

移民労働者は数が多いだけではない。その国籍はアメリカやイギリスなどの欧米、エジプトやヨルダンなどの近隣アラブ諸国、エチオピアやスーダンなどのアフリカ諸国、そしてインド、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン、インドネシア、ネパールなどのアジア諸国と多岐にわたる。

しかし、これだけ多くの移民が働いているのにもかかわらず、国民は移民とともに社会を形成しているという実感が薄い。それは、国民と移民、そして移民どうしが国籍別にソーシャル・ディスタンスをとって生活圏を形成しているからである。とりわけ国民と移民は職場での接点はあっても、生活圏が交わり親しい社会関係を結ぶことは、一部の高度専門職の人材や雇用主と良好な関係を築いている住み込みの家事労働者を除いては、ほぼない。

例えばそのことを実感したのは、2013年3月にフィリピン人海外労働者の調査のためにサウジアラビアを訪れたときであった。首都リヤドにアル・バトハー(Al Batha)という地区がある。移民労働者のための商店や飲食店が集中しており、ここを歩くとまるでマニラの下町にいるようだ(写真1)。サウジアラビア国民は、この地区の存在を怪しみ、怖れ、近寄らないのだという。

写真1 アル・バトハーの通りにあるフィリピンで人気のファーストフード店「ジョリビー」(2013年3月)

写真1 アル・バトハーの通りにあるフィリピンで人気のファーストフード店「ジョリビー」(2013年3月)
国民と移民の生活スタイルには雲泥の差がある。国民は移民の生活圏には滅多に足を踏み入れない。移民の「労働者としての側面」以外には概して無関心である。生活者としての移民に接することを阻害するソーシャル・ディスタンスと階層格差。これらが、この地域の国民が移民労働者を人(ヒト)として扱わない虐待の多さの構造的要因ではないか。そう論じたことがあった(Ishii 2020)。
国籍別ソーシャル・ディスタンスと移民の生存戦略

一方、無関心であることは、不必要なことについては無干渉になる実態をも形成する。そして無干渉は国民の監視の行き届かない空間(ニッチ)を創出する。移民労働者はそうした空間で非正規なものも含めて巧みな生存戦略を練ってきた。

例えばサウジアラビアで家事労働者の逃亡が多くなるのはラマダン(断食月)の時期だ。日々の断食明けの食事やラマダン明けの祭りの準備のために家事労働者への需要が高まる。この時期の逃亡は仕事が多く耐えきれないから、という理由もある。その一方で、逃亡すれば、非正規労働市場を通じてより高い賃金の家事労働の職に確実にありつけるから、という積極的なものもある。非正規なリクルートやリスクに直面したときの支援ネットワークは国民の監視が行き届きにくい空間で発展する。いや、非正規と分かりながら雇用するのは国民の側でもあるので、国民は見て見ぬふりをして自分たちもその恩恵にあずかっている面もある。そして、国内に大量に非正規労働者が滞留すると、アムネスティ(恩赦)が宣言され、無償での帰国が促される。

しかし、新型コロナウィルスの影響は、そうした空間への当局の監視を強め、移民労働者の生存戦略にも大きな影響を与えている。

メッカのロックダウンと非正規移民労働者

2019年、サウジアラビアには小巡礼(ウムラ)に1900万人、大巡礼(ハッジ)に250万人が訪れた。巡礼に伴う宗教観光業は同国のGDPの約7%を生み出す一大産業だ2 。しかし、サウジアラビアは2020年2月末よりメッカとメディナへの巡礼を中止。7月の大巡礼は国内居住者に限った。3月末に全土でロックダウンを開始し、6月21日以降はメッカを除いて緩和した。

大巡礼の時期にはラマダン同様人手が足りなくなる。メッカの人口約190万人のうち、約45パーセントが非正規を含む移民労働者とその二世、三世であるという3 。しかし、巡礼の中止とメッカのロックダウンは、こうした非正規労働者を直撃している。

2020年のラマダンは4月24日から5月22日であった。パキスタン出身のタレクは1990年代、彼がまだ20歳台であったころに小巡礼ビザでメッカにやってきた。彼はそのまま滞在し、1年後に身元保証人を見つけ、以来30年間、タクシーの運転手をして母国の弟4人と自分自身の家族を支えてきた。ラマダンは書き入れ時で、通常は3カ月分の収入を1カ月で稼ぐことができた。しかし稼ぎを失い、小麦粉と水で食事を確保し、ラマダンの施しを受けてしのいだ4 。あるバングラデシュ人の男性は、数年前、彼の雇用主が居住許可証更新費の支払いを拒んでからメッカの宗教観光業で非正規労働者として働いてきた。しかし、仕事を失い、家主からは退去を命じられた。コロナ感染を疑われるため、新しい居住先を見つけられず、モスクに助けを求めた5

放置していた移民の居住空間への当局の介入

一方、ロックダウンをしたのにもかかわらず、メッカでの感染者数は減らなかった。その原因として目をつけられたのが、メッカの人口の半数弱を占める移民労働者の居住環境だ。都市の様ざまなサービス業に従事する労働者は、狭い部屋を複数人で共有することが多い。生活空間は密集し、クラスター感染発生のリスクは高い。

4月14日、サウジアラビア当局(Saudi Ministry of Municipal and Rural Affairs)は、新型コロナウィルス対策として、移民労働者の居住環境の衛生を指導する委員会を立ち上げた。地方自治体も密集した住居の把握と衛生用品の配布を始めた。

コロナ禍を契機に、これまでほとんど実施されてこなかった「労働者の居住についての健康と安全規制(Health and Safety Rules for Workers’ Accommodation)」の徹底が雇用主に促され、監視が強まる可能性がある6 。移民の生活圏への当局の介入は、移民の生存戦略にどのような影響を与えるのだろうか。

解雇と帰国、感染のリスク――サウジアラビアのフィリピン人海外労働者の場合

雇用を守るためのサウジアラビア政府の施策は主に国民に向けられた。移民労働者に対しては、給与支払が確認され、健康診断を受ければ、雇用主の許可なく出国ビザを取得できる措置が講じられた。

サウジアラビアは、フィリピンが1974年に国策として海外労働者送り出しを制度化して以来、最大の送り出し先である。1980年代には香港やシンガポールなどへの女性家事労働者の渡航が増加した。が、フィリピン統計局によると2019年には約49万人がサウジアラビアで働いており、断然一位である(表1)。一方、コロナ禍に関する報道で、フィリピン政府筋は100万人以上が同国に滞在しているとの推計を発表した7

表1 フィリピン人の海外出稼ぎ先推定人口(2019年)

表1 フィリピン人の海外出稼ぎ先推定人口(2019年)

(注)比率の表示は四捨五入
(出所)Philippine Statistics Authority 2019をもとに筆者作成。

在リヤド・フィリピン大使館は、4月にはマニラ行き6便の飛行機の手配を発表するなど、帰国支援に着手した。6月になると同国で助けを求めるフィリピン人は2万6000人になった。うち、2700人の帰国しか実現できておらず8 、しかも労働雇用省の担当官6名が感染し、彼らが勤務する大使館内の事務所を一時閉鎖するなど、対応は混乱した。帰国者は自分で航空券を買える人、出国ビザがある人などに限定され、非正規労働者などの帰国は要相談とされた。

失職した海外労働者に対し、労働雇用省は4月に1人当たり200米ドルの現金給付支援を発表した。しかし予算が足りず、ドゥテルテ大統領は8月に50億ペソの追加予算を承認。8月上旬時点で60万人が支援を必要としていたが、当初予算の想定は25万人分のみであった9

在リヤド・フィリピン大使館によると、2月9日から8月20日までに2万4581人が帰国を果たした。6月には、同国で新型コロナウィルスにより死亡した145人を含む301人の遺体の送還が発表された10 。9月13日現在、海外にいるフィリピン人のなかでは、中東とアフリカ(27カ国)にいるフィリピン人の死者数を含めた感染者数はのべ7002人で、アジア太平洋(20カ国)1205人、ヨーロッパ(19カ国)1169人、アメリカ(10カ国)805人と比べても多い11

帰国した海外労働者に対しては、帰国直後にPCR検査と14日間の隔離を義務づけ、その間の宿泊費は政府が負担する方針などを定めた。しかし、地方都市までの移送手段、地方都市から出身の村までの交通手段の確保が十分ではなく、多くの海外労働者が帰宅困難者となってマニラや地方都市に滞留した。政府の対応は後手に回り、そのしわ寄せは労働者自身が負っている。海外労働者は、出稼ぎ先だけではなく、帰還途中で感染のリスクと隣り合わせとなった。

海外労働者はフィリピンでは国のヒーローと位置づけられている。しかし、受け入れ国や送り出し国の保護政策は十分ではなく、リスクを自分で取らざるを得ない。移民労働者たちは、非正規なものも含めた巧みな生存戦略によりリスクに直面した人たちを互いに支えてきた。コロナ禍を契機に、こうした非正規の生存戦略にサウジアラビア当局が監視を強める可能性がある。それがどのような変化をもたらすのか。これからも注目していきたい。

(付記)本記事はJSPS科研費 JP20H04415の成果の一部です。

写真の出典
  • 渡邉暁子氏撮影。
参考文献
  • Ishii, Masako. 2020. “Formal and Informal Protection for Domestic Workers: A Case of Filipinas.” In Asian Migrant Workers in the Arab Gulf States, edited by M. Ishii, N. Hosoda, M. Matsuo and K. Horinuki, 145-171. Leiden: Brill.
著者プロフィール

石井正子(いしいまさこ) 立教大学異文化コミュニケーション学部・教授。博士(国際関係論)。専門はフィリピン研究、紛争研究。おもな共著に、『湾岸アラブ諸国の移民労働者――「多外国人国家」の出現と生活実態』明石書店(2014年)、International Labour Migration in the Middle East and Asia: Issues of Inclusion and Exclusion, Springer(2019年)など。

  1. United Nations Department of Economic and Social Affairs, International Migration 2019: Wallchart(2020年8月25日閲覧)。
  2. Jaffery, Rabiya. Mecca’s Migrants Face Economic Uncertainty as Religious Tourism Continues to be Suspended, Migrants.org(2020年8月25日閲覧)。
  3. 注1に同じ。
  4. 注1に同じ。
  5. Shaker, Annas. Decades of Migration Mismanagement has Saudi Scampering to Contain the Spread, Migrants.org (2020年8月25日閲覧)。
  6. 注4に同じ。
  7. Three Planes to Fly Home Remains of Filipinos from Saudi Arabia, Al Jazeera(2020年8月25日閲覧)。
  8. Nasrallah, Tawfiq. 23,000 Filipino Workers Displaced in Saudi Arabia, Gulf News(2020年8月25日閲覧)。
  9. Bernabe-Santos, Kirstin. Covid-19: Philippine President Duterte Approves Additional P5-B Fund to Help Filipino Expats, Khaleej Times(2020年8月25日閲覧)。
  10. PH to Bring Home Remains of OFWs from Saudi on or Before July 4, ABS-CBN News(2020年8月25日閲覧)。
  11. Department of Foreign Affairs. Number of COVID 19 Cases Among the Filipinos Abroad:As of September 13 2020(2020年9月14日参照)。


(2020年9月25日 誤字修正)