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コラム

世界病院紀行

第2回 コートジボワール―― マラリアのリスクを理解する

Côte d’Ivoire: Understanding Malaria’s Risk

2026年11月
(4,888字)

病気に関する現地語講座(フランス語)

頻出単語

  • le paludisme ル・パリュディスム フランス語で「マラリア」
  • le moustique ル・ムスティック フランス語で「蚊」

例文

  • Je me suis fait piquer par un moustique. ジュムスイフェピケ パランムスティック 「蚊に刺された」
  • Je voudrais un medicament contre le paludisme, s’il vous plaît. ジュヴードレ アンメディカマン コントルルパリュディスム スィルヴプレ 「マラリアの薬をください」
マラリアの恐ろしさ

インフルエンザの予防や治療についてはみなよく知っている。人混みを避け、手洗いをする。ワクチンも打つ。かかったら抗ウィルス薬を服用し、人と会わずに安静を保つ。こういった知識があるのは、インフルエンザがありふれた病気だからだ。

では、マラリアについてはどうか。マラリアはかつて日本でも猛威をふるったが、1960年頃に根絶されている。今では、マラリアを知らない人もいるだろう。だが、予防や治療の知識がなくても支障はない。現代日本の日常生活でかかることはまずないからだ。

グローバルには、マラリアはありふれた病気だ。世界保健機関(WHO)の推計では、2024年には、サハラ以南アフリカ諸国を中心とする世界の80カ国で、2億8200万件の感染例があり、61万人が死に至っている[WHO 2025]。

日本で暮らす者にとってのマラリアのリスクは、こういった流行地への渡航にある。実際、日本への帰国後にマラリアを発症するケース(いわゆる輸入例)があり、2006~2014年の報告件数は557件にのぼるとの研究もある[Katayama et al. 2017]。

1994年9月には、日本人の農学研究者が、西アフリカのマリ共和国での調査を終えて帰国後にマラリアを発症し、9日後に亡くなった[安渓・澤田 1995]。同じ1994年の11月には、大西洋で操業していた宮城県のマグロ漁船の船員が洋上でマラリアを発症し、急死した。補給のためコートジボワールのアビジャン港に5日間寄港したときに感染したとみられる[久保 1995a]。

このように重大な結果をもたらす病原体は、マラリア原虫という微生物だ。この原虫を保有する蚊(ハマダラカという種名の蚊に限られている)に刺されて感染する。潜伏期間ののち、発熱、頭痛、呼吸器症状、胃腸症状など、風邪によく似た症状で発症する。原虫にはいくつかの種類があり、なかでも熱帯熱マラリアの場合、とくに高熱となり、意識障害や腎不全などを起こして死に至ることもある。

情報不足だった時代

マラリア根絶後の日本に暮らす人々は、マラリアに対する免疫がないため、「診断・治療の遅れで致死的となるので、的確な早期対応が求められる」[国立健康危機管理研究機構 2013]のであった。的確な早期対応に必要なのが、予防と治療に関する知識であることはいうまでもない。

現在はインターネットが発達し、たしかで詳細なマラリア対策の情報を簡単に入手できる。しかし、私がアフリカ研究を始めた30年前にはこうはいかなかった。マラリア対策に関する知識を得るのは難しく、先輩の経験談がほぼ唯一の情報源だった。

医師のいない山中の村でマラリアを発症し、高熱をおして徒歩で何日もかけて街にたどり着き、一命を取り留めた先輩の話はとくに恐ろしかった1。こういう目に遭わないよう、現地入りの前に乗り換えのパリの空港で忘れずに抗マラリア薬を買い求め、予防内服を開始するようにと先輩から教わった。先輩が書いてくれた空港の薬局の地図と薬剤名を記した手書きのメモが命綱のように感じられたものだ。

当時服用した薬は、クロロキン(商標名はニヴァキン)というもので、ひどく胃が荒れた。熱帯の暑さと湿気と時差ボケが堪える身体に追い打ちをかける胃の痛みはヒリヒリとしていて、アフリカ初滞在時のブルーな記憶として今もよみがえる。

うかつにも、発症したときの対策までは先輩に聞いていなかった。薬の箱に書いてある説明書きによれば、増量して服用するらしかったが、当時すでにクロロキンに耐性をもつマラリアの登場が報告されていた。それに代わる有効な薬が登場していたが、副作用に悪夢を見るとも言われており2、入手するのもためらわれた。発症したら、現地の薬局を訪ね、あいまいな医療知識と怪しいフランス語で薬剤師に説明することになるが、高熱を発した状態でそんなことが可能なのだろうか。どうかかかりませんように、と祈りながらの滞在だった。

マラリア対策の情報不足は、当時のアフリカ研究者が広く直面していた問題だったようだ。マラリアで亡くなった前述の農学研究者の友人たちを中心に設立された「マラリア情報ネットワーク」は、1995年からマラリアに関する情報を公開するウェブサイトを開設したが、その背景には、「熱帯地方で海外調査をする学生・研究者ばかりでなく、一般旅行者や海外駐在員は、マラリアや他の感染症についての正確な情報を、自由に入手できる状態ではありません」との現状認識があった[マラリア情報ネットワーク事務局 1995]。ネットワークの発起人たちはみなアフリカへの旅に慣れたベテランたちであった。そのベテランたちでさえもマラリア対策の知識を必ずしも得られていなかったことがここからわかる。

治療開始のタイミングの難しさ

マラリア情報ネットワークの活動や、漁船員の症例に立ち会った医務官による情報発信[久保 1995b]などもあって、1990年代半ば以降、日本のアフリカ研究界隈ではマラリア対策に関する信頼できる情報がより多く得られるようになった。長期滞在研究を控えていた私にはたいそうありがたかった。情報発信をしてくれた方々には本当に感謝である。

しかし、問題は、得られた情報をいざというときに実践に移せるかである。なにせマラリアの初期症状は風邪に似ていて、それでマラリアと気付かず、治療のタイミングを逃してしまうことが多いらしいのだ。疑わしい症状に陥ったときに、自分は、速やかにマラリア治療を始めることができるかどうか?

その懸念は現実のものとなった。2001年9月。コートジボワールのアビジャンでの2年間の在外研究を始めたばかりだった。仕事と生活がうまく軌道にのらず焦っていたなか、一日中しとしとと雨が陰鬱に降り続く小雨期に入った。私は体調がすぐれないことが多くなり、頭痛がし、微熱が出て、食欲も激減していった。これは何なのだろうか、風邪なんだろうか、などとぼんやりと天井を眺めながら横になる日々が続いた。マラリアである可能性にはまったく思いもよらなかった。

10日ほどそんな調子が続いていたところ、様子を見に来た大家が、激やせして抑うつ的な私をみて驚き、急いで病院に連れて行ってくれた。

医師はひととおり診察すると、「はっきり診断はできないけれど、体力が落ちて熱があるので、マラリアかもしれない。マラリアだと手遅れになると困るのでマラリアの治療を始めましょう」と言った。

え、これがマラリア? 先輩の体験談や死亡例の話が頭をよぎり、背筋が寒くなる。やっぱり、速やかに治療を開始できないって本当なんだな、もうずいぶん悪いのだろうか?

マラリアかどうかはわからないのですか、と医師に尋ねると、「血液検査で抗体の有無を調べられるけれど、検査結果が出るまでの間にひどくなると困るので、疑わしい事例はとにかく治療を始めちゃうんですよ。だから今本当にマラリアかどうかはわからない」と言う。なるほど、無駄足に終わるかもしれないが、手遅れになることは防げるかもしれない。これがマラリア先進地帯の対応かと納得する。

治療はどんなことをするのだろうか。病室で横になって待っていると、黄色い透明な液体で満たされた大きな点滴バッグが運ばれてきた。担当医曰く、「キニーネという薬で体内のマラリア原虫を殺します。6時間かけてこれを点滴します。そのあと生理食塩水を6時間かけて点滴して、キニーネを流し出します。これで1セットです。2泊3日かけてこれを4セット実施します」。

つまり入院治療である。まさかアフリカで入院することになるとは思いもよらなかったが、内服薬をもたされ、家で飲んで寝ててねと放り出されても、急変したときが心配だ。入院して点滴を受けるのは安心な選択肢であった。

病院は小規模だがこぎれいで、清潔で静かだった。主に在留外国人が利用する病院のようであった。食事は、アフリカ人の料理人が毎食前に病室までやって来て、今晩はボロネーズソースのパスタだぞとか、肉を食いたかったらステーキを焼いてあげるよ、とか親切である。朝食には、縦割りにした大きな完熟パパイヤにライムを添えたものが出た。まるでリゾートのようである。腕に点滴の針が刺さったままであることを除けば。

点滴を受けながら、私は、テレビで繰り返し流れる、ニューヨークの世界貿易センタービルへ旅客機が突入するシーンをみていた。世界は9・11事件に直面していた。事件に揺らぐ世界と、アフリカの街で点滴を受けている自分があまりにも対照的で、「世界の片隅でひっそりとしている感」が半端なかった。

キニーネの副作用であるキーンとした耳鳴りに苦しみながらも、私はなんとか2泊3日の治療を終え、少し元気になって退院した。入院費用は27万CFAフラン(当時のレートで約5万4000円)であった。

マラリアの「治療」

入院時の血液検査項目にマラリアの検査は含まれていたはずなのだが、退院時にもらった検査結果にはマラリアに関する記述がなかった。感染初期は抗体反応が出ないこともあるとも聞いていたので、発注だけで実際の検査は行われなかったのかもしれない。

それから8カ月後に確認をする機会があった。頭痛が続くことから大使館の医務官がマラリア感染を疑い、血液検査をしてくれたのである。翌週に届いた結果には「陰性」と書かれていた。これは抗体検査なので、現在かかっていないだけではなく、過去にもかかったことがないということである。つまり、2001年9月の私はマラリアではなかったことになる。

マラリア「治療」から8カ月後のマラリア抗体検査の結果。「陰性(Négatif)」とはっきり書いてある

マラリア「治療」から8カ月後のマラリア抗体検査の結果。「陰性(Négatif)」とはっきり書いてある

結果的に、治療と出費は無駄だったわけであるので、複雑であった。しかし、診断に時間がかかる以上、様子を見ることには、治療介入が遅くなるリスクがたしかにあった。「診断・治療の遅れで致死的となるので、的確な早期対応が求められる」わけなのであるから、そういう意味では的確な「治療」が行われたのである。かかってもいないものへの介入を治療と呼ぶのも変な話であるが。

それにしても、マラリアは不思議な病気だと感じる。ある日、コートジボワール人の研究協力者が額の汗をしきりに拭いながらがたがた震えていたので大丈夫かと声をかけると、いつものマラリアの発作だからじきになおる、心配するな、という。薬を飲んだり、病院に行ったりする様子もなく、がたがた震えながらいつもどおり仕事をしている。どうやら、繰り返し感染していると免疫がつくということらしい。「いつものマラリアの発作だから大丈夫」という語りは、伝聞も含め、ほかにも頻繁に耳にした。

冒頭で数字を示したとおり、この病気による死者は流行地で生じているので、免疫があれば心配ないというわけでは決してないだろう。重篤でなければ、免疫で乗り切れるケースもあるということだろうか。

かかってもいないマラリアの「治療」が必要な私のような人間がいる一方で、治療を必ずしも必要としないほどの一定の免疫を備えた人間がいる。どんな土地で生まれ育ったかで、病気の現れ方が違うわけだ。熱帯の感染症というと、病気のリスクがもっぱら渡航先だけにあるように考えてしまうが、実はそうではなく、リスクの半分は、異なる土地で生まれ育った自らの身体そのものにもあるようだ。こういう症状なら風邪だ、というような先入観もまたリスクの源となる。予防と治療の知識には、こういった自分自身の偏りをよく知ることも含まれるのだと知るのである。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • 筆者撮影
参考文献
  • 安渓遊地・澤田昌人 1995.「マラリアに斃れた小林央往さん――発病から9日の記録―― 」『日本アフリカ学会会報』(26): 1–9. (安渓遊地氏の個人ウェブサイトから読むことができる https://ankei.jp/yuji/?n=2621 最終アクセス日2026年8月25日).
  • 久保利夫 1995a.「アビジャンのマラリア事情01」マラリア情報ネットワーク・ウェブサイト (http://malaria.himeji-du.ac.jp/IPublic/Gaimusho/cote-d-Ivore/ 01.html 最終アクセス日1998年8月26日 現在はアクセス不可).
  • 久保利夫 1995b.「今日の悪性マラリア予防実践学、アフリカの医療現場から」『アフリカ研究』(47): 49–58.
  • 国立健康危機管理研究機構 2013.「マラリア (詳細版)」国立健康危機管理研究機構 感染症情報提供サイト (https://id-info.jihs.go.jp/infectious-diseases/malaria/detail/index.html 2026年8月29日アクセス).
  • マラリア情報ネットワーク事務局 1995.「「海外渡航者の為の医療情報サーヴィス」の公開について」『霊長類研究』11(3): 273–275.
  • Katayama Atsuhiro, Yuzo Arima, Tamano Matsui, Koki Kaku, Hitomi Kinoshita, and Kazunori Oishi 2017. "Epidemiology of Imported Malaria Cases in Japan, 2006–2014: A Sentinel Traveler Surveillance Approach." The American Journal of Tropical Medicine and Hygiene 97(5): 1532–1539.
  • WHO (World Health Organization) 2025. World Malaria Report 2025: Addressing the Threat of Antimalarial Drug Resistance. Geneva: World Health Organization.
著者プロフィール

佐藤章(さとう・あきら) アジア経済研究所地域研究センター主任研究員。博士(社会学)。専門はアフリカ地域研究、アフリカ政治。おもな編著に、『サハラ以南アフリカの憲法をめぐる政治』(アジア経済研究所 2024年)、『サハラ以南アフリカの国家と政治のなかのイスラーム』(アジア経済研究所 2021年)など。


注
  1. マダガスカル研究の故・深澤秀夫さん(東京外国語大学名誉教授)が、若かりし頃に経験したこの闘病記をご自身のウェブサイトで公開なさっていた。現在は残念ながらウェブサイトは閉鎖されている。
  2. これはメフロキンという薬剤のことである。悪夢を見るので服用を続けられないとの訴えがあることについては久保[1995b, 57]にも記されている。