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コラム

中国貴州・ミャオ族の村々から

第1回 藍染の村(1)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051867

2020年10月
(5,673字)

ミャオ族とは?

中国の南部、貴州省、雲南省、湖南省、広西チワン族自治区一帯の人里離れた山岳地帯に、少数民族のミャオ(苗、Miao)族と呼ばれる人々が住んでいる。ミャオ族の祖先はもともと揚子江中・下流域に住んでいたが次第に南下し、宋代以降は漢民族の南下の動きに押され、戦乱などを経て山中に移り住んだと推定されている(鈴木2012)1 。2010年のミャオ族の人口は942万6007人で、中国の少数民族としては4番目に多い2 。同系統の言語を話す人々は、インドシナ半島北部の山岳地帯にも分布している。

中国のミャオ族は雲貴高原を中心とした広い範囲に分布しており、主に農林業に従事しているが、歴史的な経緯から方言、居住地や生業形態、衣装の特徴はさまざまである3 。ミャオ族に関する先駆的な研究を残した鳥居龍蔵によれば、衣服の色によってミャオ族は紅、青、白、黒、花の5つの集団に分類できる4 。本連載で紹介する貴州省南東部に位置する黔東南ミャオ族トン族自治州に住んでいるのは、藍染の衣服を愛用する黒ミャオと呼ばれる人々である5

この地域は数年前まで道路の通わない秘境中の秘境であったが、近年交通インフラの整備や市場経済の浸透により、大きな変化にさらされている。本連載では筆者らが2017年と2018年におこなった現地調査に基づき、リレー形式で貴州省のミャオ族の文化とくらし、急速に失われつつある民族文化を守るためのさまざまな取り組みを紹介していきたい。

地図 貴州省ならびに貴州省行政管轄図

地図 貴州省ならびに貴州省行政管轄図

(出所)藤田・大塚・山田・松永(2020)、41ページ。

写真1 ミャオ族の村から棚田と山々を臨む。

写真1 ミャオ族の村から棚田と山々を臨む。
ミャオ族の衣装

ミャオ族の特徴として最もよく知られているのは、色鮮やかで繊細な刺繍や染付が施された、女性の伝統衣装であろう。基本的に女性の服装は上着とスカートの組み合わせだが、自作の織り布、染め布で作られた本体の表面に針と糸を用いた重厚な装飾を加えることで完成し、その技法は一着につき少なくとも3、4種類、多いものでは10種類以上にもおよぶ(鳥丸2017)。

文字を持たないミャオ族は、長い歴史のなかで移動を繰り返しながら、民族の歴史や神話を口頭で伝承してきた。こうした民族のアイデンティティは、歌や踊りのほか、刺繍やろうけつ染めの絵柄、銀細工など装飾品の抽象化されたデザインという形で代々受け継がれてきた。ミャオ族には森羅万象に命が宿るという独特の世界観があり、代表的なモチーフとしてはミャオ族の始祖として神聖化された「胡蝶媽媽フゥティエマーマ 」と呼ばれる蝶、不死や再生の象徴の鳥、水を司る豊作の象徴の龍のほか、魚、虫、草花や樹木などの動植物、渦や波などがある。また、邪悪なものが布目から入ってくるという言い伝えから、魔除けのために刺繍をする習慣がある。とりわけ赤ん坊を背負う時に使われる負ぶい帯には、子の健やかな成長への祈りを込めて、広範囲にきめ細かい刺繍が施されている(苗族刺繍博物館2016)。

写真2 光沢のある藍染布に鮮やかな刺繍がほどこされた負ぶい帯。

写真2 光沢のある藍染布に鮮やかな刺繍がほどこされた負ぶい帯。
特筆すべきは、このように膨大な時間と労力をかけて作られる手の込んだ衣装が、為政者への献上品や販売目的ではなく、あくまで自分や家族のための日常着あるいは婚礼や祭りの晴れ着として制作されてきたという点である。機織り、染色、刺繍などの技術は、農作業の合間を縫って各家庭の母から娘に代々伝えられ、若い女性が一人前になるための一種のイニシエーションという意味合いも持っていた(鈴木2012)。近年、市場経済化や教育の普及によりミャオ族の価値観にも大きな変化があり、後継者となるはずの若い世代の多くが進学や出稼ぎで村を離れていることから、技術の伝承は困難になっている。
藍染ができるまで

調査地で作られる藍染の手工芸品には、文様が白く染め抜かれたろうけつ染め、独特の染色加工により光沢を帯びた藍染布、染糸で伝統的な吉祥模様が織り出された織布など、さまざまな種類がある。ここでは代表的な光沢を帯びた布とろうけつ染めができるまでの過程を、順を追ってみていこう6 。なお、かつて原材料は自給が基本だったが、1980年代以降沿海地域で生産された綿布や絹糸が流通するようになると、綿花の栽培や養蚕、機織りはほとんど行われなくなり、多くのミャオ族が布地や糸を市場で調達するようになった。それでも、染色だけは自分で行う女性も依然多いという(佐藤2018)。

藍染作りは、春から夏にかけて染料(インディゴ)の原料となる藍草を畑で育てるところから始まる。夏に藍の葉を摘み取り、水に漬けて染料の成分を抽出し、これに灰汁や石灰を加えて攪拌あるいは加熱し、最後に沈殿したインディゴ(泥藍)を取り出す。

写真3 畑に植えられた藍草(左上)、藍草を水に漬ける工程(右上)、加熱用の釜(左下)、沈殿物から取り出したインディゴ(右下)。

写真3 畑に植えられた藍草(左上)、藍草を水に漬ける工程(右上)、
加熱用の釜(左下)、沈殿物から取り出したインディゴ(右下)。

こうしてできたインディゴを溶かした液に布を浸して染め、日光で干してはりを出す。この染めの工程は用途に応じて何度も繰り返し、色の濃さを調整する。晴れ着に用いられることの多い独特の光沢のある布は、染め上がった布をさらに豆汁、草木や木の実の抽出液、水牛の皮の煮出汁、卵白と薬草酒、豚の血などに浸してから乾燥させ、仕上げに木づちで叩いて作られている。地域によってはいぶして光沢を出す例もある(鳥丸・鳥丸2004)。

写真4 光沢のある藍染布(左)、光沢のある布を使った晴れ着を着てみせてくれた作り手の王鬧果さん。襟、袖、裾に刺繍や染め布を縫い付けた装飾がある(右)。

写真4 光沢のある藍染布(左)、光沢のある布を使った晴れ着を着てみせてくれた作り手の王鬧果さん。
襟、袖、裾に刺繍や染め布を縫い付けた装飾がある(右)。

ろうけつ染めは、主に日常着や布団、風呂敷などの生活用品に用いられる。白い布地に熱で溶かしたロウで模様を描いたあと藍で染めると、ロウの部分が白く残り、模様が現れる。下絵付けにはロウ刀と呼ばれる特有の道具と、ミツバチの巣から採れるミツロウが使われる。図案には手本やテキストは存在しないため、制作者は自分の感性や想像力にしたがってフリーハンドで絵付けをしていく。絵は非常に繊細で、忍耐力と集中力が求められる。ベテランの作り手になると、ランチョンマット程度の大きさのものなら1、2日、布団カバーのような大きなものでも一週間で下絵付けを完成させることができるという。

写真5 ろうけつ染めの下絵(左)、村で展示されていた蝶、鳥などが生き生きと描かれた完成品(右)。

写真5 ろうけつ染めの下絵(左)、村で展示されていた蝶、鳥などが生き生きと描かれた完成品(右)。
作り手と生産者組合

ミャオ族の社会はもともと閉鎖的で、性別役割分担が明確である。女性はあまり地域の外に出ずに農作業や子育て、衣装づくりに従事してきた。女性の教育を軽視する伝統的な考え方と貧困が原因となって、1990年代以前に生まれたミャオ族女性の多くは十分な学校教育を受けていない。それでも市場経済化の波に乗り、現金収入を求めて女性も外地へ出稼ぎに行くようになった。とはいえ言語の壁もあり、就業先は同郷のつてがある場所や染色技術が生かせるところが多いようだ。

すでに述べたとおり、ミャオ族の藍染は本来自家用であり、一部の収集家への販売を除いてほとんど地域外では流通していなかった。ところが改革開放によっていち早く豊かになった沿海地域の人々の間で1990年代に観光ブームが起こると、貴州を含めた少数民族地域に多くの旅行者が訪れるようになった(武内・塚田2014)。2006年に中央政府が無形文化遺産の保護政策を打ち出し、丹寨県政府がミャオ族のろうけつ染めの登録を申請したことから伝統工芸品の価値が広く認知されるようになると、販路の確保を目的として大小の生産者組合(専業合作社)が設立された(陳ほか2018)。

ここで藍染の作り手の例として、丹寨県基加村の楊春燕さんのライフヒストリーを紹介したい7。1978年生まれの楊さんは物静かな女性で、2003年に同じ県内の村から嫁いできた。二人の子どもがいる。生家は貧しく布地を節約する必要があったため、9歳頃から木の葉を使って絵付けの練習を始めた。2007年から数年間、村を離れて深圳市にある丹寨県出身者が経営するホテルや、丹寨県の工房で藍染制作の仕事に従事した。

2014年に村に戻り、村の女性17名とろうけつ染めの生産者組合を設立し、リーダーのひとりとなった。以前働いていた工房のつてで、国内だけでなくフランス、アメリカなど海外の顧客が工房を訪れることもある。価格は作品の質によって決まるが、ろうけつ染めは芸術作品同様に一点ごとのばらつきが大きい。組合員の年間給与も数千元~数万元と大きな幅があるという。

写真6 作り手の楊春燕さん(左)、12歳の時に母の助けを借りながら初めて自分で作ったろうけつ染め。制作中にだんだん技術が上がっていった形跡の残る、思い出の詰まった作品だという(右)。

写真6 作り手の楊春燕さん(左)、12歳の時に母の助けを借りながら初めて自分で作ったろうけつ染め。
制作中にだんだん技術が上がっていった形跡の残る、思い出の詰まった作品だという(右)。
作り手へのインタビューから、標準化が難しいろうけつ染め工芸品は、販路の確保や顧客とのマッチングといった課題を抱えていることがうかがえる。次回は、藍染の流通や生産者と都市の消費者をつなぐ人々について紹介する。
写真の出典
  • 写真1、6 貴州省黔東南ミャオ族トン族自治州丹寨県にて筆者撮影(2018年8月)。
  • 写真2、4、5 同上(2017年8月)。
  • 写真3 貴州省銅仁市石阡県(左上)、その他は同省黔東南ミャオ族トン族自治州丹寨県にて筆者撮影(2017年8月)。
参考文献

(日本語)

  • 金丸良子(2005)『中国少数民族 ミャオ族の生業形態』古今書院。
  • 佐藤若菜(2018)「中国貴州省のミャオ族における民族衣装の物質性:上衣の製作に着目して」『民族藝術』34号、141-148ページ。
  • 鈴木正崇(2012)「ミャオ族の歴史と文化の動態――中国南部山地民の想像力の変容」風響社。
  • 武内房司・塚田誠之編(2014)『中国の民族文化資源――南部地域の分析から』風響社。
  • 鳥居龍蔵(1907)『苗族調査報告』東京帝国大学人類学教室。
  • ―――(1976)『鳥居龍蔵全集第11巻』朝日新聞社。
  • 鳥丸貞恵・鳥丸知子(2004)『布に踊る人の手――中国貴州苗族 染織探訪18年』西日本新聞社。
  • 鳥丸知子(2017)『ミャオ族の民族衣装 刺繍と装飾の技法: 中国貴州省の少数民族に伝わる文様、色彩、デザインのすべて』誠文堂新光社(Torimaru, Tomoko, 2008. One Needle, One Thread: Miao(Hmong) embroidery and fabric piecework from Guizhou, University of Hawai'i Art Galleryの日本語版)。
  • 藤田香・大塚健司・山田七絵・松永光平(2020)「地域資源をいかした持続可能なコミュニティ構築のための都市・農村間連携」『近畿大学総合社会学部紀要』第8巻第2号、39-70ページ。
  • 苗族刺繍博物館(2016)『ミャオ族の刺繍とデザイン』大福書林。

(中国語)

  • 陳燕・任暁冬・陳正府・穆柳梅(2018)「非物質文化遺産視角下郷村手工芸人的伝承現状、発展策略与市場推広――以貴州丹寨楊武鎮苗族蝋染為例」『西北民族大学学報(哲学社会科学版)』第1期、152-158ページ。
  • 国務院人口普査弁公室・国家統計局人口和就業統計司編(2012)『中国2010年人口普査資料』北京:中国統計出版社(第6次人口センサス)。
著者プロフィール

山田七絵(やまだななえ) アジア経済研究所新領域研究センター研究員。農学博士。専門は中国農業・農村研究。主な著作に、『現代中国の農村発展と資源管理――村による集団所有と経営』東京大学出版会 2020年。

追記

本連載は、科学研究費助成事業基盤研究(C)「日本と中国の地域資源をいかした都市・農村間連携モデルと持続コミュニティの創出」(17K2055、代表者・藤田香、平成29年度~平成31年度)の成果の一部である。研究会で実施した現地調査の詳しい記録は、藤田ほか(2020)に整理した。

  1. ただし、ミャオ族は文字を持たず客観的な史料が存在しないため、民族の起源には諸説ある。
  2. 国務院人口普査弁公室・国家統計局人口和就業統計司編(2012)。
  3. 中国の少数民族は、1953年~1982年に政府が行った民族識別工作によって確定された概念である。鈴木(2012)によれば、民族の識別にはスターリンによる指標が基準として用いられたが、実際のミャオ族の多様性に対応しきれず、結局「現地の民族エリートの直感的なイメージや意見が大きく作用して、最終的には『創られた民族』として再構築された」。結果として、支配の利便性のため多様な人々が漢字表記の「苗族」の名称のもとに国家の政治体制に組み込まれることとなった。
  4. 居住地によって分類すれば、標高の低い川沿いや盆地など平坦地に住み稲作を行う「平地ミャオ」と、山腹や山頂部に住み焼畑を行う「高坡ミャオ」の二つの集団に分けることができる。前者はスカート丈が長く、後者は短いので容易に判別できる(金丸2005)。
  5. それぞれの主な居住地域は、紅(貴州省東部)、青(同省中央部)、白(同)、黒(同省東南部)、花(貴州省西部、雲南省、広西チワン族自治区、インドシナ半島北部)となっている(金丸2005、原典は鳥居1907; 1976)。
  6. 貴州省のミャオ族の染織技術については鳥丸・鳥丸(2004)、刺繍や装飾の技術やデザインについては鳥丸(2017)が、現地で撮影した豊富な写真とともに詳しく紹介している。苗族刺繍博物館(2016)は、同博物館所蔵のミャオ族の刺繍を中心とした古布のコレクションの一部を紹介した写真集である。ミャオ族刺繍を育てる会ウェブサイトには、同博物館やミャオ族の手工芸の技法、後継者育成の取り組みに関する記事がある。
  7. 楊波氏のサイト「楊波図文集――郷村芸術家」に、ろうけつ染めの作り手のプロフィールや作品の写真が多数掲載されている。