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コラム

フォーカス・オン・チャイナ

第3回 蔡英文政権と膠着化する中台関係

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050264

2018年3月

蔡英文政権の中台関係の基本方針

2016年5月の総統就任以来、民進党の蔡英文は、「現状維持」を中国と台湾の関係(中台関係)の基本方針とする立場を示してきた。元来、民進党は党綱領に「台湾独立」を掲げてきたが、台湾の総統となった蔡英文はそれを前面に打ち出すことはなかった。その一方で、蔡英文は総統就任演説が示す通り、「92年の会談において合意がなされたという歴史的事実を尊重する」という立場を取っている。

 「92年コンセンサス」とは、1992年に取り決めたとされている、中台間の会談における口頭の合意のことを指す。だが、民進党の蔡英文政権は、その存在そのものに懐疑的である。そのため、蔡英文は「92年コンセンサス」という言葉を用いるのを敢えて避け、という曖昧な立場を取り続け、独立にも統一にも傾くことなく、中台関係の現状維持を保とうとしている。

中国の国務院台湾事務弁公室は、蔡英文政権の対中姿勢は「書き終わっていない未完成の答案」であるとしてその曖昧さに対して不満を表明した。また、中国側は、中台間の対話は「『92年コンセンサス』という、『一つの中国』の原則を体現する共通の政治的基礎を堅持してこそ継続できる」として、同コンセンサスの受け入れを台湾側に強く求めた。だが、「92年コンセンサス」の受け入れをめぐって、蔡英文政権が曖昧な態度を取り続けたことから、中国側は、中台当局間の直接対話を停止させた。これにより、国民党の馬英九前政権(2008~2016年)のもとで行われてきた中台のハイレベル交流は凍結されたままとなっている。

写真:台湾の蔡英文総統

台湾の蔡英文総統
台湾海峡の「現状維持」をめぐる背景

1949年以来、台湾海峡においては、中国と台湾が統一せず、かつ台湾が独立しないという「現状維持」が保たれてきた。だが、2000年に独立志向の強い民進党が与党となり陳水扁政権が誕生すると、台湾海峡における「現状維持」という前提が突き崩される可能性を危険視する声が国際社会に挙がった。

その後、馬英九政権期に入って中台関係が改善すると、中国側は統一に向けて新たな攻勢を強め、台湾への接近によって「現状維持」という前提の切り崩しをはかろうとした。馬英九政権期における中台関係の緊密化によって、軍事衝突が突発的に発生する危険性はかつてに比べて大幅に低減した。その一方で、中台間の本格的な経済交流の拡大に乗じて、中国側は統一問題を視野に入れた政治的対話に持ち込むために積極的な外交攻勢を仕掛けたのである。これに関して、中国との経済交流によって台湾側がある程度の利益を得る以上は、その見返りとして、政治的対話の実現へ向けて譲歩すべきであるという考え方が中国側の根底にはあったことを指摘しておくべきであろう。

中国の台湾に対する軍事力行使の可能性

民進党の蔡英文政権が誕生する見通しが強まりつつあった時期の2015年3月に開かれた全国政治協商会議の場において、習近平は、民進党政権の誕生を見据えて、「『92年コンセンサス』という基礎を台湾側が堅持しなれば、地は動き、山は揺れる」(基礎不牢地動山揺)という表現を用いて台湾を強く牽制した。このような習近平の言葉に象徴されるように、中国側が武力行使を含む強硬な手段によって台湾海峡の「現状維持」の状況を変更する措置を取るという選択肢は依然として残されている。中国が台湾問題を「核心的利益」と位置づけている以上、台湾独立の動きに対しては軍事力行使を含む強い態度で臨むという中国側の姿勢は基本的には変わらないとみるべきだ。  

そのことは、また、中台関係の緊密化した馬英九政権期から、今日の蔡英文政権期に至るまで、中国は軍事面においては台湾に対して一切の妥協を見せていないことにも表れている。当時、中台交流の改善にもかかわらず、中国から台湾に向けられている弾道ミサイルや巡航ミサイルの配備数は10年前に比べて大幅に増加してきた。現在、中国が台湾に向けて配備している短距離弾道ミサイルの数は約1,100基余りにのぼるといわれている(Office of the Secretary of Defense 2010)。

中台の軍事バランス
中国人民解放軍は、台湾海峡における緊急事態に備えて、海軍や空軍の大規模な増強を続けてきた。近代的戦闘機に関していえば、1990年代後半から2000年初頭の頃は台湾が数のうえで中国側を凌駕していた。しかし、2007年頃を境にして拮抗した後、中国側の数が徐々に増え、馬英九政権末期頃には倍近くに迫り圧倒的に優位に立つという逆転現象が生じた。(図1参照)。その一方で、2007年以降の台湾の防衛費の推移をみると、2016年までのおよそ10年間、ほぼ横ばいの状況が続いてきた(図2参照)。

図1 中国と台湾の近代的戦闘機の推移(1991~2017年)

図1 中国と台湾の近代的戦闘機の推移(1991~2017年)

(出典)防衛省『防衛白書』平成29年版。

図2 台湾の防衛費の推移(2007~2017年)

図2 台湾の防衛費の推移(2007~2017年)

(出典)防衛省『防衛白書』平成29年版。

この10年余りの間、中国側は近代戦闘機の導入数の増加が示す通り、軍事力の増強を着実に進めてきた。他方、台湾の国防費をみれば、軍事力の維持に関して大きな変化はみられない。このように、中国側は軍事力の増強によって、台湾海峡の「現状維持」を変更する能力を強化してきたのである。

台湾の地理的重要性

台湾は、東シナ海と南シナ海の結節点に位置する。中国が東シナ海から宮古島を通過し、また、南シナ海からバシー海峡を通って西太平洋に出るのを監視することのできる戦略的要衝である。中国が国境を接した外部に深刻な脅威が存在しないにもかわらず、長年にわたって国防費を増加させてきた背景には、台湾への武力侵攻による統一が念頭にあるといえよう。さらに、中国の海軍や空軍が台湾を戦略的拠点とすることができれば、戦略的に圧倒的に優位に立つことが可能となるとみられている(阿部2016)。

台湾の地理的位置

地図:台湾の地理的位置

このような台湾の地理上の戦略的重要性を考慮に入れれば、台湾海峡の「現状維持」は重要である。また、かつての開発独裁体制から脱却して、平和的な手段によって民主化を達成した台湾は、「民主主義の価値観」をアメリカや日本などとともに共有するという点において、独裁体制下にある中国とは異なる独自の存在感を発揮してきた。

その一方で、中国は共産党一党支配を維持しつつ、国際社会において大国としての存在感を示している。また、2017年10月の第19回党大会などを経て、習近平政権の長期化が見込まれつつある状況のなかで、民進党の蔡英文政権の発足以来、中台のハイレベル対話は凍結されたままの状態にある。今後、中国側がこのような中台関係の膠着状態を打開すべく、台湾側を政治的対話の交渉のテーブルにつかせるために圧力を強める可能性もあるといえよう。

中国共産党創立100周年の前の年にあたる2020年までに、中国は台湾侵攻のための軍事的な準備を完了するといった観測も出ているなかで、中台情勢は予断を許さない状況が続いている(Easton 2017)。そのようななかで、蔡英文政権は、民主主義を旗印にして、アメリカや日本をはじめとする関係諸国などと連携しつつ、中国との適切な距離を保つという難しい舵取りを迫られているといえよう。

(2018年3月1日)

著者プロフィール

松本はる香(まつもとはるか)。ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター東アジア研究グループ副主任研究員。専門分野は冷戦外交史、中国外交、台湾をめぐる国際関係等。

書籍:民主と両岸関係についての東アジアの観点

書籍:2017 アジア動向年報

参考文献

  • 阿部純一.2016.「台湾とアメリカの「現状維持」をめぐる相克」安田淳・門間理良編『台湾をめぐる安全保障』慶應義塾大学出版会。
  • Easton, Ian. 2017. The Chinese Invasion Threat: Taiwan’s Defense and American Strategy in Asia. Createspace Independent Publishing Platform.
  • Office of the Secretary of Defense. 2010. Annual Report to Congress: Military and Security Developments Involving the People’s Republic of China (Washington, D.C.).
写真・地図の出典
  • 「台湾の蔡英文総統」By w:en:Presidential Office Building, Taiwan [CC BY 2.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons.
  • 「台湾の地理的位置」By CIA (https://www.lib.utexas.edu/maps/taiwan.html) [Public domain], via Wikimedia Commons.