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国際移動:アフターコロナをみすえて

 
第1回 エチオピア――サウジアラビアからの帰還事業再開から見えたもの

Resuming the Repatriation Operation for Ethiopian Deportees from Saudi Arabia

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053464

2022年8月
(5,041字)

エチオピアにおける新型コロナウイルス感染者数は、2021年12月をピークに減少し、2022年7月21日には新規感染者数が99人と比較的低いレベルとなっている1。新たな変異種による感染再拡大の可能性はあるものの、とりあえず感染状況は沈静化しているといえよう。これによって人々の動きも活発になると思われるが、エチオピアの場合は、サウジアラビアからの強制帰還者の受け入れという形で人の国際移動が再び動き出した。

サウジアラビアからの強制帰還者受け入れの再開

エチオピアは、地理的に近いこともあり、多くの労働者をサウジアラビアへと送り出している。図は、国連の移民統計をもとに国際移動の推移を示したものだが、エチオピア人の移住先として、サウジアラビア(16万人、2020年)は、アメリカ(25万人、同)に次いで2番目となっている。ただし、この統計に捕捉されていない非正規の移民も多く、現在サウジアラビアには75万人のエチオピア人が滞在していると推計されている2

図 エチオピアからの国際移民の変遷(5年ごと、ストック(注)

図 エチオピアからの国際移民の変遷(5年ごと、ストック)

(注)その国におけるエチオピア人の滞在者数を示しており、出入国者数を表すフローとは異なる。
(出所)UNDESA(2020)をもとに筆者作成。

エチオピア政府は、サウジアラビアへの渡航者が増え続けていた2013年10月に、湾岸アラブ諸国への労働目的の渡航を禁止した3。その背景には、2013年4月に始まったサウジアラビアによる非正規移民に対する厳しい摘発がある。サウジアラビアの非正規移民に対する摘発強化は、サウジアラビア政府が提唱したサウダイゼーション(労働力の自国民化政策)の一環であり、外国人労働者の数を減らすためのものである4。その結果、多くのエチオピア人が強制送還されることとなり、エチオピアでは社会問題となった。2017年5月から2021年12月までに42万5000人超のエチオピア人労働者がサウジアラビアから強制退去させられている5。このような状況を受けてエチオピア政府は、湾岸アラブ諸国への労働移動についての政策を検討するために、暫定的に労働目的の渡航を禁止したのである。

新型コロナウイルス感染拡大の初期である2020年後半は、強制帰還者に対するエチオピア側のコロナ対策が整っておらず、エチオピア政府は新型コロナウイルス感染拡大を理由に強制帰還者の受け入れを停止するなど混乱していたが、その後いったん強制帰還者の受け入れを再開し、2021年7月には、2017年5月以降最大となる3万2000人近くの帰還者を受け入れた。しかし、ほぼ同時に、サウジアラビア政府は、新型コロナウイルス感染防止のために、エチオピア、アラブ首長国連邦、ベトナム、アフガニスタンからの入国を原則禁止した6。さらに、2021年末には、エチオピア政府による強制帰還者受け入れ事業はほぼ停止するなど、両国間の人の移動はほとんど停止した7。エチオピア政府の受け入れ停止の理由は明示されていないが、2021年末は、後述の内戦の激化によって反政府軍が首都まで200キロメートルのところにまで侵攻していた時期であり、エチオピア政府には強制帰還者を受け入れる余裕はなかったと考えられる。

しかし、2022年3月30日にエチオピア政府がサウジアラビアからの強制帰還者受け入れ事業を再開させたことで、事態が再び動き出した。サウジアラビア政府とエチオピア政府との間で、受け入れに関して合意に達したとして、非正規移民として拘置所に収容されていたエチオピア人の帰国が始まったのである8。今回の強制帰還者受け入れ事業では10万2000人を2023年2月までに受け入れる予定だという。なお、6月24日の段階ですでに約4万2000人が帰国している9

明らかになる拘置所の実態

エチオピア政府によるサウジアラビアからの強制帰還者受け入れ事業の再開によって明らかになったのが、サウジアラビアの拘置所の劣悪な環境である。この実態については、2020年8月の段階で、イギリスのテレグラフ紙によってすでに報道されている。同時に、エチオピア政府もサウジアラビア政府との友好的関係を保つために、拘置所の悲惨な状況を隠蔽しようとしていることも指摘されていた10

今回多くの強制帰還者たちがエチオピアに帰国したことで、拘置所の実態がより具体的に報道されることとなった11。帰国後インタビューを受けた人々は、数カ月におよぶ拘置所生活を経験しており、2020年に指摘されていた状況はほとんど改善されていなかったことが明らかとなった。強制帰還者の女性は、何カ月もの間400人近い人々が一つの部屋に入れられ、太陽を見ることもできなかったと語った。また、男性側の環境はより劣悪で、床にじかに寝かされ、生存ぎりぎりの食料しか与えられなかったと男性の強制帰還者は証言している。不衛生な状況下で、医療の提供もなく、新型コロナウイルス感染だけでなくさらに深刻な生命のリスクにさらされていたのである。

強制帰還者たちの今後

エチオピア政府と協力して強制帰還者支援にあたる国際移住機関(IOM)によると、サウジアラビアからの強制帰還者たちは、エチオピアに帰国後さまざまな支援を受けることができるという。緊急支援としては、医療ケア、食料、宿泊所、精神的支援といったものがある。また、妊婦や授乳中の女性、高齢者そして精神障害を含む医療の必要な人々など、特に脆弱な人々への支援を行うことで、安全に尊厳をもって故郷に戻れるようにすることをめざすという12

しかし、上述のインタビュー記事から明らかになったのは、病人への医療サービスはあるもののサウジアラビアにおける長期間の非人道的な拘置所での生活に対する補償はなく、首都アディスアベバから出身地まで戻るための交通費が支給されるのみだということであった13

サウジアラビアで検挙されるまでに稼いだ給料を、検挙前にエチオピアに送金できていればまだいいが、その前に拘束された場合は、サウジアラビアに行くための斡旋料や旅費のための借金だけが残ってしまうことになる。

多くの人々がエチオピアで仕事が見つからずにサウジアラビアに渡航したことを考えると、もうサウジアラビアには行かないと語る人々も、借金返済や収入確保のために再び渡航を選択する可能性も高い。

新型コロナウイルス感染拡大とエチオピア内戦

2020年11月に始まったエチオピア内戦が強制帰還者にもたらした影響について最後に言及しておきたい。エチオピアは、1995年から民族連邦制をとっており、政党の多くが地域民族政党である。そのうち主力4党によって形成された連合政党が長年政権に就いていた。そのなかでも中枢にいたティグライ人民解放戦線が、政治抗争によって連合政党から離脱し、中央政府との対立が先鋭化していた。その結果、2020年11月に内戦が勃発したのである。ティグライ人民解放戦線は、エチオピア北部ティグライ州に多く居住するティグライ人に支持されている政党である。この政党が、中央政府に対して武力攻撃を行い、一時は首都アディスアベバに迫る勢いであった。ただし現在は停戦状態にある(児玉 2022)14。この内戦によって、ティグライ人に対する逮捕などが相次いでおり、特定の民族に対する迫害として、国際人権NGOなどによってエチオピア政府は批判されている15

同様の状況が、サウジアラビアからの強制帰還者についても起きている。エチオピア政府は否定しているが、サウジアラビアで非正規移民として検挙されたティグライ人は、分離主義者を支援した疑いで、出身地であるティグライ州に戻る前にエチオピアで相次いで検挙されている16。2021年1月のヒューマン・ライツ・ウォッチの報告では、帰国後数千人単位のティグライ人が拘置所に収容されているという17

新型コロナウイルスがもたらしたもの

新型コロナウイルスの感染拡大は、病気になるということだけでなく、さまざまな形で人々に影響を及ぼしている。サウジアラビアで検挙されたエチオピア人たちは、新型コロナウイルスがなければ、長期に及ぶサウジアラビアの拘置所での拘留もなく、短期間でエチオピアに帰国することができたであろう。しかし、今回についていえば、生命の危機にさらされ、それでも自国政府は助けてくれないことを認識することとなった。

さらに、久しぶりの母国は、内戦によって民族対立が先鋭化するなど随分と様子が変わってしまっている。このような状況下で、人々は生活を維持するためにどのような選択をするのか、注視していきたい。

(付記)本記事は、アジア経済研究所「人の移動に関する総合研究・発信プロジェクト」およびJSPS科研費 JP20H04415の成果の一部です。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

参考文献
著者プロフィール

児玉由佳(こだまゆか) アジア経済研究所新領域研究センタージェンダー・社会開発研究グループ長。博士(地域研究)。編著書に『アフリカ女性の国際移動』アジア経済研究所(2020)など。

  1. エチオピア保健省ツイッター(2022年7月22日付)
  2. IOM “Funding Needed to Assist Over 100,000 Ethiopian Migrants Returning from the Kingdom of Saudi Arabia,” 30 March 2022. したがって、図のデータでは、捕捉されていない非正規の移民の数の増減が反映されておらず、後述するようなエチオピアやサウジアラビアの移民政策の影響を反映していない。
  3. ただし、エチオピアには出国ビザはないため、労働目的の渡航は事実上可能であった(Asnake and Zerihun 2015, 46)。
  4. Abreham Ketema “Ethiopian Detainees Report Being Mistreated in Saudi Arabia,” the africa report, 1 June 2022.
  5. IOM “Return of Ethiopian Migrants from The Kingdom of Saudi Arabia” (Annual Overview 2021), ReliefWeb, 2022.
  6. Reuter “Saudi Arabia Bans Entry from UAE, Vietnam, Ethiopia and Afghanistan -Agency,” 3 July 2021.
  7. 注2に同じ。
  8. エチオピアでの内戦が2022年3月24日に暫定的な停戦となったことも、強制帰還者受け入れ事業再開の理由であると考えられる。
  9. 注5およびEthiopian Monitor “Ethiopia Airlifts 3,200 Citizens from Saudi Arabia,” Ethiopian Monitor, 24 June 2022.
  10. Brown, Will and Zecharias Zelalem “Investigation: African Migrants ‘Left to Die’ in Saudi Arabia’s Hellish Covid Detention Centres,” The Telegraph, 30 August 2020; Zecharias Zelalem and Will Brown “Exclusive: Ethiopia Tried to Silence its Own Citizens Stuck in Hellish Saudi Detention Centres,” The Telegraph, 3 September 2020.
  11. Press TV “Saudi Arabia Deports Hundreds of Ethiopians after Months-Long Detention, Torture,” 1 April 2022; Eshete Bekele “Deported Ethiopian Migrants Tell of Suffering in Saudi Arabia Detention,” DW, 23 June 2022.
  12. 注2に同じ。
  13. 注11のDW 2022に同じ。
  14. なお、この内戦の発端には、新型コロナウイルス感染拡大が関係している。
  15. Amnesty International “Ethiopia: Tigrayans Targeted in Fresh Wave of Ethnically Motivated Detentions in Addis Ababa,” 12 November 2021; Human Rights Watch “Ethiopia: Ethnic Tigrayans Forcibly Disappeared,” 18 August 2021.
  16. 注11のPress TV 2022に同じ。
  17. Human Rights Watch “Ethiopia: Returned Tigrayans Detained, Abused,” 5 January 2022.

今回と同じテーマの関連コラム『新型コロナと移民』(2020-2021年)もぜひお読みください。

【連載目次】

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