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コラム

国際移動:アフターコロナをみすえて

第6回 フィリピン——移民労働者省の発足は変化をもたらすか

Philippines: Does the Newly-Created Department of Migrant Workers Bring About Changes?

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053564

2023年1月
(4,161字)

アフターコロナをみすえた移民労働者省長官の話

2022年2月、世界有数の移民労働者送り出し国フィリピンで、新たに移民労働者省(Department of Migrant Workers)が発足した。

「ウクライナ情勢が不透明ななか、(クルーズ)産業における我々の船員に対する需要は増え続けるでしょう」

アフターコロナをみすえてそう述べたのは、同年6月に発足したばかりのフェルディナンド・マルコスJr.政権により長官に任命されたスサン・オプルである。ウクライナは世界第6位の船員供給国である。しかし、戦争でその供給は伸び悩む可能性が高い。フィリピンは海運従事者数では押しも押されもせぬ第1位。世界の船乗りの5人に1人はフィリピン人だ。

海外の労働市場で需要が伸びると長官が述べたのは船員に関してだけではない。入国規制緩和、保健医療制度の新型コロナ感染症への対応力強化、ワクチン接種者比率の増大により、経済は回復し始めており、職種にかかわらず雇用機会が増えている国がある。「伝統的」な送り出し先におけるフィリピン人労働者への需要増加は期待できる。保健医療、レジャー、製造業の分野での雇用は伸びるだろう。西ヨーロッパ(ポルトガル)、東・中央ヨーロッパ(ハンガリー、ルーマニア、セルビア、クロアチア)の新興労働市場でも好調な兆しがみえている、と意気軒高だ(Depasupil 2022)。

写真1 ドバイのショッピングモールでバルーンを売る移民労働者

写真1 ドバイのショッピングモールでバルーンを売る移民労働者
移民労働者送り出しの「伝統」

ここでいう「伝統的」な送り出し先とは、北米、西ヨーロッパ、アジア、中東諸国のことを指す。もはやこれらへの送り出しを「伝統的」というほど、フィリピンの移民労働者送り出しの歴史は長くなった。

移民労働者送り出し政策が短期の開発政策として導入されたのは、1970年代前半のことであった。きっかけは「オイル・ブーム/オイル・ショック」である。石油産業国有化と石油価格の上昇は、「オイル・ブーム」となって産油国に未曾有の経済成長をもたらした。一方、フィリピンのような非産油国にとっては、国際収支が悪化し、大量の失業者を抱える「オイル・ショック」となった。

このような状況に際し、現大統領の父親のフェルディナンド・マルコス政権は、1974年労働法にもとづいて陸上労働者をあつかう海外雇用開発委員会(Overseas Employment Development Board: OEDB)と、海上労働者をあつかう国家船員委員会(National Seamen Board: NSB)を設立した。これによって、中東産油国を中心とする労働力需要に政府主導で対応する海外雇用の制度化を目指した。1977年には、労働雇用省の管轄下に移民労働者とその家族に社会・福祉サービスの提供を行う海外労働者福祉庁(Overseas Workers Welfare Administration: OWWA)を設立した。

しかし、海外雇用のルートを政府機関に限定した政策は、導入4年後に早くも崩れることになる。1970年代後半からは、中東産油国に加えてアジアの新興工業経済地域(NIES)諸国で働く移民労働者が増え始めた。多様な業務が政府の手に負えなくなり、1978年には、政府はリクルートの業務を民間セクターに譲らざるを得なくなった(小ヶ谷 2003)。1982年には、海外雇用開発委員会(OEDB)と国家船員委員会(NSB)に加えて雇用サービス局(Bureau of Employment Services)が統合され、労働雇用省の管轄下に海外雇用庁(Philippine Overseas Employment Administration: POEA)が設立された。1990年代になると、移民労働者からの送金額が製造業の輸出額を超え、海外労働はフィリピン最大の外貨獲得手段になった。こうして、移民労働者送り出し政策は、短期の開発政策として終息させることが不可能な状況になった。

先進国、中東産油国、NIES諸国で、家事労働、介護、看護、サービス業における女性労働力に対する需要が伸びたことを背景に、フィリピン人女性の移民労働者の数は急増し、1980年代半ばには新規海外雇用者に占める女性の割合は5割に近づいた。「移民労働者の女性化」と呼ばれる現象に伴い、就労国での人権侵害が頻発するようになり、彼女たちの保護の問題は、フィリピンの国政をゆるがす一大争点になった1

移民労働者省の新設

フィリピン人移民労働者にかかわる省庁をまとめてワンストップのサービスを提供する新しい政府機関の設立は、ドゥテルテ前大統領(任期:2016年6月30日~2022年6月30日)の選挙公約でもあった。2016年の大統領選で、ドゥテルテは海外在住フィリピン人の有効不在投票数43万695票の約7割を獲得して当選した(Abad 2021b)。そして、2021年12月30日、移民労働者省を設立する法律を成立させた。

移民労働者省は、労働雇用省の海外雇用庁(POEA)、フィリピン海外労働事務所など5機関、外務省の移民労働担当次官事務所、社会福祉開発省の社会福祉随行員局の7つの機関を統合した。海外労働者福祉庁(OWWA)も同省の管轄下に移された。これにより、雇用手続きを効率化し、帰国後の社会統合などの政府の支援を受けやすくする。職業訓練などによって彼らをエンパワメントし、保護をすることがその任務とされた。同省設立の法律施行後2年以内は移行期とされ、2023年から本格的に始動する。ドゥテルテ政権は、移民労働者と元移民労働者、それらの家族(配偶者、両親、未成年および障がいなどがある子ども、未婚の移民労働者の場合には弟妹)が無料で利用できる専用の病院建設にも着手。同政権が退陣する前日の2022年6月29日に正式に開所した。

賛否両論

移民労働者省の成立を後押しした国会議員はこう主張する。同省は、アフターコロナの世界でフィリピン人移民労働者が直面する課題に対応できる仕組みだ。さまざまな機関を一つにすることで政府のサービスを集中させることができる、と。一方、別の議員からは、新しい省と外務省との管轄の線引きが難しいなど、効率化に対する疑問も呈された(Abad 2021a; 2021d)。

移民労働者にかかわるNGOは、設立は歓迎だが、まずは既存の仕組みを検証し、新しい省が違いを生み出すのかを精査すべきと意見する。ドゥテルテ政権では行政サービスの向上や、パンデミックによって帰国した失業者への支援が十分ではなかったなど、移民労働者を取りまく環境は悪化した。こうした問題に対処するのが先決だ、と設立に反対するNGOもある(Abad 2021c)。

新型コロナがパンデミックになった2020年、フィリピンの新規海外雇用者数は75%減少した。国際移住機関(IOM)が2020年9月から12月にかけて同年3月20日以降に帰国した労働者8332人に対して行った調査によると、約16%が自費での帰国を余儀なくされ、17%が最後の給与が未払いの状況で帰国し、48%が帰国後に家計の収入が6割以上落ち込み、83%が帰国後平均3カ月間失業していたという(IOM 2021)。労働雇用省は2021年11月28日までに、80万9374人の移民労働者が帰国したと発表した。このような脆弱性を露呈しても、海外雇用を促進する省を設立するのか、と懸念する声もある(DOLE 2021)。

フィリピンでは1990年代前半までに起きた女性移民労働者に関する人権侵害の事件を受けて、1995年に「移民労働者と海外フィリピン人に関する1995年法」が成立した。同法はフィリピン人移民労働者が「送金を通じて国家経済に重大な貢献していることを認めつつも、国は経済発展を維持し、国家発展を達成する手段として海外雇用を促進しない」ことを定めた。そのために、「地方での雇用機会創出、および富や発展の利益の公平な配分を促進する」ことが目指された。同法は成立以降、二度改正されたが、この文言は変わっていない。研究者や移民労働者の啓発団体は、移民労働者省設立は、フィリピン人が海外に出稼ぎに行かざるを得ない根本的問題の解決なしに、海外雇用を制度化するものではないかと疑問を投げかける(Abao 2022)。

移民労働者省を託されたマルコスJr.政権

任期満了後に政界を引退したドゥテルテ大統領に代わったマルコスJr.大統領は、大統領選挙期間中、父親の政治的レガシーである移民労働者送り出し政策を引き継ぐと約束した。

アフターコロナにドゥテルテ政権から移民労働者省を託されたマルコスJr.政権は、どのような政策を展開するのだろうか。コロナにより移民労働者に頼るフィリピン経済の脆弱性が露呈したとはいえ、コロナによって打撃を受けた経済の回復のためには彼らが必要だというディレンマがある。新設された移民労働者専用の病院では、勤務していた看護師が早くもより良い給与を求めて退職し、海外に飛び立つという皮肉も生まれている。医師は病院の予算が十分ではないと嘆いている(Gascon 2022)。

前述のIOMの報告書では、帰国者の約5割がサウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)からであった。フィリピンは2014年にUAEが各国大使館に自国の家事労働者の雇用契約書をチェックすることを禁止してから同国への家事労働者の新規雇用者の送り出しを止めていたが、状況が改善されたとして2021年3月31日に再開した。サウジアラビアへの家事労働者の新規雇用も2021年12月2日以来禁止していたが、同国が保護の施策を強めたという理由で翌年11月7日に解禁した。フィリピン人移民労働者の状況は、ビフォーコロナに戻るのか、それとも新たな展開をみせるのか。これからも注目していきたい。

写真2 ドバイでフィリピン食を提供する軽食堂

写真2 ドバイでフィリピン食を提供する軽食堂

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連載終了にあたって

2020年に新型コロナウイルスが世界的に感染拡大してからすでに3年以上が経過した。ワクチン接種などによって重症化をある程度防げるようになったものの、多くの死者が日々報告されている。本連載は今回をもって最終回となるが、人の移動が新型コロナウイルス感染拡大以前に戻れるのか、新たな展開をみせるのか今後も注目していきたい。

(児玉由佳)

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • すべて筆者撮影(2017年)。
参考文献
著者プロフィール

石井正子(いしいまさこ) 立教大学異文化コミュニケーション学部・教授。博士(国際関係論)。専門はフィリピン研究、紛争研究。おもな共著に、『湾岸アラブ諸国の移民労働者――「多外国人国家」の出現と生活実態』明石書店(2014年)、International Labour Migration in the Middle East and Asia: Issues of Inclusion and Exclusion, Springer(2019年)、Asian Migrant Workers in the Arab Gulf States: The Growing Foreign Population and Their Lives, Brill(2020年)など。


  1. 1995年半ば、「コンテンプラシオン事件」と「サラ・バラバガン事件」という当時のラモス政権をゆるがす事件が起きた。
    シンガポールで家事労働をしていたフロール・コンテンプラシオンが、1991年3月に同じフィリピン人家事労働者デリア・マガとその雇用者の子どもを殺害した罪で、1993年1月に死刑判決を受けた。フィリピンでは冤罪であるという見方が強く、ラモス政権も減刑を働きかけたが、1995年3月に刑が執行された。移民労働者を十分に保護していないという抗議が起こり、同政権はロムロ外相を更送せざるを得なくなった。
    前年の1994年7月、UAEで15歳のムスリムの少女サラ・バラバガンが雇用者(67歳)を刺傷した。裁判でサラは、雇用者に強姦されそうになり、自己防衛のために殺害したと供述した。しかし、再審では殺人罪で死刑が宣告された。国内での抗議活動と国際的な支援運動が展開された結果、サラの実刑は軽減された。

今回と同じテーマの関連コラム『新型コロナと移民』(2020-2021年)もぜひお読みください。