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コラム

[インタビュー連載]シリコンバレーのアジア人企業家

第11回 連載の終了にあたって

PDFダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051452

川上 桃子

2019年8月

連載「シリコンバレーのアジア人企業家」には、筆者が2014年から17年にかけて行った在米台湾人10人へのインタビュー記事がおさめられている。

筆者は、2013年9月から2014年3月にかけて、アジア経済研究所の海外研究員として、カリフォルニア大学バークレー校に滞在する機会を得た。台湾のハイテク産業の発展史を研究してきた筆者が、北カリフォルニアでの在外研究を強く希望した理由の一つに、シリコンバレーの台湾人ハイテク移民コミュニティへの関心があった。

シリコンバレーは、過去半世紀以上にわたって、破壊的技術を次々に生み出してきた世界最強のイノベーションコミュニティである。先行研究(Saxenian and Hsu 2001, Saxenian 2002, 2006)のなかで、この地域の傑出した優位性の背景のひとつとして注目されてきたのが、ハイテク移民を媒介として形成されたアジアのハイテク・コミュニティとの深い経済リンケージである。なかでも台湾は、最も早い時期からシリコンバレーとの間に人的な結びつきを創り出し、このつながりをハイテク産業の発展に活用してきた事例として知られる。

上記のサクセニアンらの研究やシューらの研究(Hsu and Zhou 2011)では、在米台湾人コミュニティが台湾のハイテク産業の発展に果たした役割が明らかにされてきた。一方で、彼らを生み出し、アメリカへと送り出すことになった台湾側、彼らを受け入れることとなったアメリカ側の経済・社会的な文脈には、十分に光が当てられてこなかった。

大学を卒業したばかりの台湾の若者たちは、いかなる理由で海を渡り、なぜアメリカに残ることを選んだのか。どのような環境のもとで、異国の地でのハイテク企業の創業というリスクをとったのか。シリコンバレーのハイテク・コミュニティは、太平洋のかなたからやってきた若者達をどのように受け入れ、彼らにどのような活躍の舞台を与えたのか。

シリコンバレーの台湾人たちのライフストーリーを聞き、顔の見える個人の道のりを具体的にたどることで、シリコンバレーと台湾という二つのハイテク・コミュニティの間のリンケージ形成史を描き出したい――このような動機から行ったのが、このコラムにおさめた一連のインタビューである。バークレー滞在中および帰国後に行った調査では、台湾出身者のほか、インド、パキスタン、フィリピン出身の企業家へのインタビューも行ったが、コラム記事の作成にあたっては、台湾出身者に焦点を絞ることとした。これにより、同じ台湾出身の企業家でも、世代や渡米の時期によって、キャリア形成のあり方や母国との関わり方に違いがあることが浮かび上がったように思う。

10名の台湾人企業家のストーリーは、バラエティに富んだものである。同時に、インタビューを重ねるなかで筆者が感じたのは、シリコンバレーの台湾人コミュニティの形成を駆動したピア効果の強さであり、「シリコンバレーの台湾人」という現象が持つすぐれて世代的、集合的な性格であった。あるインタビュー対象者(記事未収録)は、自身の留学、就職、連続起業、エンジェル投資家への転身の過程を振り返り、「彼にできたのだから、僕にもできる」「彼には負けたくない」と思わせてくれる身近な同郷者たちの存在が常に励みになって、気が付いたら自分も常に次のステップを目指していた、と話してくれた。

実際、北カリフォルニアで出会った台湾人のなかには、「シリコンバレーの成功した企業家」という言葉が呼び起こすイメージとは異なり、物静かでシャイな、いかにも科学者・エンジニアらしい印象の方が少なくなかった。本コラムにおさめた10篇の記事からは、極東の小さな島から渡ってきたそんな理工系の秀才たちが、仲間たちと力を合わせ、シリコンバレーと台湾の社会経済環境から与えられた条件を活かしながら、連続企業家やベンチャー投資家となっていった道のり、そして彼らの海を越えた社会的上昇を可能にしたアメリカと台湾の時代的背景が読み取れるように思う。

他方で、一連のインタビューについては、台湾出身の女性たちの姿や2000年代以降のシリコンバレーの変化をとらえられなかったこと、他のアジア出身者に視野を広げられなかったこと、といった心残りがある。さらに研究を進め、「シリコンバレーのアジア人」の姿をより多面的に描き出したいと考えている。

インタビューの実施にあたっては、台湾科学技術部のシリコンバレー拠点であるScience and Technology Division, Taipei Economic and Cultural Office in San Franciscoの現ディレクターである葉至誠博士、元ディレクターである楊啓航博士、汪庭安博士、第1回インタビューにご登場いただいたChun Chiu氏および故C.T.Wu博士をはじめとする多くの方に大変お世話になった。記して謝意を表したい。

写真:ショックレー研究所跡地にて(筆者撮影)。

ショックレー研究所跡地にて(筆者撮影)。
参考文献
  • Hsu, Jinn-yuh and Yu Zhou (2011) "Divergent engagements: Comparing the roles and strategies of Taiwanese and mainland Chinese returnee entrepreneurs in the information technology industry." Global Networks, 11(3): 398-419. 
  • Saxenian, A.,and Hsu, J.Y. (2001) "The Silicon Valley - Hsinchu connection: Technical communities and industrial upgrading." Industrial and Corporate Change, 10(4), 893–920. 
  • Saxenian, A. (2002) "Transnational communities and the evolution of global production networks: The cases of Taiwan, China and India." Industry and Innovation, 9(3), 183-202. 
  • Saxenian, A. (2006) The New Argonauts: Regional Advantage in a Global Economy. Cambridge: Harvard University Press.(酒井泰介訳、星野岳穂・本山康之監訳『最新・経済地理学 グローバル経済と地域の優位性』日経BP社、2008年)。
著者プロフィール

川上 桃子(かわかみももこ)。 アジア経済研究所地域研究センター次長。博士(経済学)。専門は台湾を中心とする東アジアの産業,企業研究。最近はシリコンバレーとアジアのハイテクリンケージ,中台研究に関する研究も行っている。単著に,『圧縮された産業発展 台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム』名古屋大学出版会(2012年,第29回大平正芳記念賞受賞),最近の共編著に川上桃子・松本はる香編『中台関係のダイナミズムと台湾:馬英九政権期の展開』アジア経済研究所(2019年)など。

書籍:圧縮された産業発展

書籍:中台関係のダイナミズムと台湾