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ライブラリアン・コラム

資料展「沈黙の時代──トンチャイ・ウィニッチャクン著作とタイ現代史」

小林磨理恵

2023年10月

タイの歴史学者トンチャイ・ウィニッチャクン氏が、2023年福岡アジア文化賞大賞を受賞したことを記念し、アジア経済研究所(以下、アジ研)図書館では、同氏の著作74点を集めた資料展「沈黙の時代──トンチャイ・ウィニッチャクン著作とタイ現代史」を開催した(2023年8月1日〜9月28日)。会期を終えた今、資料展の内容を振り返りたい。

なお、本文中に言及した著作には、脚注にて書誌情報を示したほか、著作名から当館蔵書検索システム(OPAC)の書誌データにリンクされるようにした。本コラムがトンチャイ氏著作への案内役となれば幸いである。

写真1 資料展の様子

写真1 資料展の様子
沈黙は忘れることではない

本展の名「沈黙の時代(Age of Silence)」は、トンチャイ氏の著作Moments of Silence: The Unforgetting of the October 6, 1976, Massacre in Bangkok(沈黙のとき──忘れていない1976年10月6日、バンコクでの虐殺)1に由来する。本書は10月6日事件をめぐる「沈黙」に光を当てたものだが、トンチャイ氏の著作全体を見渡せば、それらが19世紀末以降のタイの近現代史にかんする内容であること、また「沈黙」は、タイ近現代史に通底する主題にもなり得ると考えたことから、本展の名を「沈黙の時代」と表現した。

Moments of Silenceにおける「沈黙」は、何を意味しているのか。トンチャイ氏は本書でこのように説明している(筆者仮訳)。

「沈黙は、忘れることではない。それは、思い出すことも忘れることもできない状態、記憶を分かりやすく意味のある方法で表現できない状態、あるいは、過去から完全に離れることができない状態をいう。私は、この記憶と忘却の間にある状態を『忘れていない』“unforgetting” と呼ぶ。1976年10月6日にバンコクで起きた虐殺の、忘れていないことを述べよう。」(p.9)

「記憶と忘却の間には、生きた沈黙があると主張したい。音楽では、曲と曲の合間に静寂がある。それは、生きて音楽を構成する不可欠な要素である。[……]もしも記憶が、音楽や映像のようなものであれば、沈黙は、無音声の、あるいは目に見えない記憶の一部なのだ。」(p.18)

1976年10月6日、タイ・タマサート大学構内で、国境警察や右翼大衆組織により、多数の学生や市民が虐殺された。「10月6日事件」と呼ばれるこの事件を生き延びた学生の一人が、トンチャイ氏である。トンチャイ氏は、タマサート大学の学生自治会副委員長として反政府デモの先頭に立っていた。同日夕方のクーデタののちに逮捕され、2年に及ぶ獄中生活を経験した2

事件から40年以上を経て出版されたMoments of Silenceは、トンチャイ氏が人生の使命として取り組んだ書である。10月6日事件の背景はいまだ検証されていないが、その真相の追及が目的ではない。事件を「沈黙」する間に、何がどのように記憶されてきたかを明らかにする試みである。

生き証人として、歴史学者として10月6日事件に向き合う

「アジ研図書館が所蔵する最も古いトンチャイ氏著作」として最初に紹介したものは、月刊評論誌『本の道』(タイ語)に掲載された「左派と書店(これはタイの話ではありません)」3と題する記事である。1983年のオーストラリア・シドニー大学留学中に執筆したもので、シドニーの書店を5つに類型化し、その一つとして左派系の書店を解説した。これがどこの書店の話であるかは終盤まで明かされない。あらゆる可能性に想像をめぐらせ、考え抜くことの重要性を説くトンチャイ氏の姿勢が、この頃すでに表れていた。

資料展ではトンチャイ氏の著作の起点をこの記事に定めた。しかし、学生と共に本展を訪れた神田外語大学の和田理寛氏が、タマサート大学時代のトンチャイ氏へのインタビューがあることを記憶しており、当館の書架からその本を見つけ出してくれた。『我々は無実の人──10月6日事件元被告の声4(タイ語、初版1978年8月刊)である。

10月6日事件からおよそ2年を経ても、タイ国内での事件にかんする情報は制約されていた。そのなかで出版された本書は、瞬く間に品切れとなり、翌79年10月に早くも第二版が出版された。当館で所蔵するのはこの第二版である。刑務所に収監されていた学生の証言を集めた本書のなかで、20歳のトンチャイ氏は、「我々の国にとっての民主主義は、統治の品質を宣伝する薬瓶のラベルに過ぎない。ラベルに隠れた薬は独裁政治なのだ」と語っている(pp.276-286)。投獄されてなお、鋭い批判精神を失っていなかった。

トンチャイ氏が10月6日事件を学術的に論じた端緒は、月刊誌『サーラカディー』(タイ語)の1996年10月号にある。本号の特集「1976年10月6日から20年──多くが忘れたい歴史からの教訓」の一つの論考として、トンチャイ氏による「記憶とトラウマの歴史──1976年10月6日、流血の弾圧事件」5が掲載されている。

1996年は、記憶と政治の関係にトンチャイ氏が着目した起点であり、10月6日事件をめぐる歴史の分岐点でもあった。そのことは、これまでに7冊刊行された「トンチャイ・ウィニッチャクン著作選集」のうちの一冊、『10月6日、忘れられない、覚えられない6(タイ語、2015年刊)において、こう述べられている(筆者仮訳)。

「いつの日か正義を実現するために、10月6日事件をめぐる議論に公共の場が与えられ、免責を追及する扉が開かれることを望んでいる。あの日から今日まで、議論することへの制約が『天井』のように存在する。しかしその天井は、20年目の1996年10月6日に引き上げられた。隠された政治の力に社会が気づき始め、その政治の力を理解しようとする知識が、ますます生み出されている。」(pp.16-17)  

40年目の2016年には、評論誌『ファーディアオガン』(タイ語)が10月6日事件の特集を組み、トンチャイ氏は「試論 タイ式法治国家における免責特権と人権への理解」7を執筆している。また、同年10月4日付のタイの英字紙Bangkok Postでは、事件の現場に立つトンチャイ氏へのインタビューを大きく掲載した8。トンチャイ氏は「10月6日を想わなかった日は1日もない」といい、「死に名前を与えたい。かれらは無名ではない。一人の人間として追悼されねばならない」と語っていた。

写真2 10月6日事件の20周年特集号(手前)と40周年特集号(左奥)

写真2 10月6日事件の20周年特集号(手前)と40周年特集号(左奥)
歴史からタイの民主主義を読み解く

トンチャイ氏はタマサート大学を卒業した後、シドニー大学で修士号と博士号(歴史学)を取得した。1988年提出の博士論文を基に執筆したものが、代表的著作となったSiam Mapped: A History of the Geo-body of a Nation9である。国民や国家の概念と、近代的地図との相関関係を明らかにしたその論は、ベネディクト・アンダーソンによる『想像の共同体10を補完するなど、ナショナリズム研究に大きな影響を与えたと知られている。本書は、タイ研究の泰斗である石井米雄氏により日本語に翻訳され、『地図がつくったタイ──国民国家誕生の歴史11として2003年に出版された。タイ語(2013年)12、中国語(2016年)、韓国語(2019年)13にも翻訳され、広く読まれる古典的な書である。

Siam Mapped以降、19世紀末からのタイ近代史の叙述を主としたトンチャイ氏は、同時に、歴史学に軸足を置いてタイの現代政治の在りようを批判的に論じてきた。その端緒は、2001年の論文「王式ナショナリズムのタイ史」(タイ語)にある。それまで十分に議論されていなかったタイの民主主義と君主制との関係について論じ、「王式ナショナリズム(Royal Nationalism)」という鍵概念を提示した。本論文の初出は、月刊誌『芸術・文化』(タイ語)23巻1号である。当館では本号を未所蔵のため、本展で展示することは叶わなかったが、「トンチャイ・ウィニッチャクン著作選集」の一冊『王式ナショナリズムの肖像14(タイ語)に再録されており、本書で読むことができる15

2001年以降、トンチャイ氏は英語とタイ語により、数多くの民主主義にかんする著作を執筆してきた。そのなかで、タイの民主主義は王室に導かれていることを意味する「王式民主主義(Royal Democracy)」という概念が生み出された。2019年の論文、「危機にあるタイの王式民主主義16(英語)においては、王室が実質的な力を持たない民主主義国家の立憲君主制とは異なり、タイでは選挙で選ばれた政治権力の「上」に君主制が存在すること、その非公式な力が通常の政治制度に埋め込まれていることが指摘されている。

タイでは2020年に、学生を中心とする大規模な民主化デモが起こり、長らく「タブー」とされてきた君主制改革が訴えられるなど、社会に大きな衝撃を与えた。デモにおいて、プラカードのように掲げられたのが、トンチャイ氏の『政治の上に王が存在する民主主義17(タイ語、2013年刊)や『10月6日、忘れられない、覚えられない』であった。トンチャイ氏の著作は、若者が民主化を訴える際の根拠として提示されたのである。 かつて学生運動の先頭に立ち、タイの民主主義はまがい物だと訴えたトンチャイ氏は、今、新たな世代の民主化への希求を知的基盤となって支えている。

トンチャイ氏とアジ研図書館

トンチャイ氏は、2016年12月から2019年11月までの約3年間、アジ研に在籍した。その間、Moments of Silenceの他、タイ語の単著4冊を執筆したという。執筆を重ねる傍らで、「研究室から1分10秒」の位置にある図書館を日々訪れ、幅広く文献を涉猟していた。沢山の蔵書を借り出してくれた、図書館ヘビーユーザーのお一人である。

トンチャイ氏のパートナーであるソムルディ氏には、図書館の執務室で、タイ語資料の目録業務をボランティアとして支えていただいた。筆者にとってはタイ赴任から帰国したばかりの時期で、ソムルディ氏の存在が何より心強かった。アジ研図書館を陰日向に応援してくださったお二人に、心からの感謝を記したい。

写真3 資料展に訪れたトンチャイ氏とソムルディ氏(2023年9月22日)

写真3 資料展に訪れたトンチャイ氏とソムルディ氏(2023年9月22日)
謝辞

資料展開催にあたり、多くの方にご協力いただいた。末廣昭氏(東京大学名誉教授)には、展示用にタイ・大メコン圏(GMS)地図をご提供いただいた。和田理寛氏(神田外語大学)には、筆者が見落とした重要な文献をご指摘いただき、展示資料に加えることができた。今泉慎也氏(アジ研)にはSiam Mappedのタイ語版を、また金信遇氏(アジ研)には同書の韓国語版をご寄贈いただいた。そして、本展に足を運んでくださったすべての方に、記して御礼申し上げます。

写真の出典
  • 写真1、2 青山由紀子氏撮影
  • 写真3 筆者撮影
著者プロフィール

小林磨理恵(こばやしまりえ) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は東南アジア(2011年~現在)。2016~2018年海外派遣員(バンコク)。

  1. Thongchai Winichakul. Moments of Silence: The Unforgetting of the October 6, 1976, Massacre in Bangkok. Honolulu: University of Hawaiʻi Press, 2020.
  2. 石井米雄「訳者あとがき」トンチャイ・ウィニッチャクン著、石井米雄訳『地図がつくったタイ──国民国家誕生の歴史』明石書店、2003年。
  3. ธงชัย วินิจจะกูล. "ฝ่ายซ้ายกับร้านหนังสือ (นี่ไม่เกี่ยวกับประเทศไทยนะ)." ถนนหนังสือ (2), 1983, pp. 82-85.
  4. เราคือผู้บริสุทธิ์ : เสียงจากอดีตจำเลยคดี 6 ตุลา พิมพ์ครั้งที่ 2. [กรุงเทพฯ]: กลุ่มนักศึกษากฎหมาย, 1979.
  5. ธงชัย วินิจจะกูล. "ความทรงจำกับประวัติศาสตร์บาดแผล: กรณีการปราบปรามนองเลือด 6 ตุลา 19." สารคดี , 12(140), 1996, pp. 181-194.
  6. ธงชัย วินิจจะกูล. 6 ตุลา ลืมไม่ได้ จำไม่ลง: ว่าด้วย 6 ตุลา 2519. นนทบุรี: ฟ้าเดียวกัน, 2015.
  7. ธงชัย วินิจจะกูล. "บททดลองเสนอ: อภิสิทธิ์ปลอดความผิด (Impunity)
    และความเข้าใจสิทธิมนุษยชนในนิติรัฐแบบไทยๆ." ฟ้าเดียวกัน, 14(2), 2016, pp. 191-221.
  8. Achara Ashayagachat. “Giving Names to the Nameless: Academic and Student Leader of the 1973 Popular Uprising against Military Rule Wants to Ensure Future Generations Remember the Massacre at Thammasat,” Bangkok Post, 4 Oct. 2016.
  9. Thongchai Winichakul. Siam Mapped: A History of the Geo-Body of a Nation. Honolulu: University of Hawaii Press, 1994.
  10. ベネディクト・アンダーソン著、白石隆・白石さや訳『定本想像の共同体──ナショナリズムの起源と流行』書籍工房早山、2007年。
  11. トンチャイ・ウィニッチャクン著、石井米雄訳『地図がつくったタイ──国民国家誕生の歴史』明石書店、2003年。
  12. ธงชัย วินิจจะกูล. พวงทอง ภวัครพันธุ์, ไอดา อรุณวงศ์, พงษ์เลิศ พงษ์วนานต์ แปล. กำเนิดสยามจากแผนที่ : ประวัติศาสตร์ภูมิกายาของชาติ. กรุงเทพฯ: โครงการจัดพิมพ์คบไฟ ร่วมกับ สำนักพิมพ์อ่าน, 2013.
  13. 통차이 위니짜꾼 지음, 이상국 옮김. 지도에서 태어난 태국: 국가의 지리체 역사. 과천: 진인진, 2019.
  14. ธงชัย วินิจจะกูล. โฉมหน้าราชาชาตินิยม: ว่าด้วยประวัติศาสตร์ไทย. นนทบุรี: ฟ้าเดียวกัน, 2016.
  15. ธงชัย วินิจจะกูล.”ประวัติศาสตร์ไทยแบบราชาชาตินิยม : จากยุคอาณานิคมอำพราง สู่ราชาชาตินิยมใหม่หรือลัทธิเสด็จพ่อของกระฎุมพีไทยในปัจจุบัน.” In โฉมหน้าราชาชาตินิยม: ว่าด้วยประวัติศาสตร์ไทย. นนทบุรี: ฟ้าเดียวกัน, 2016, pp. 5-19.
  16. Thongchai Winichakul. "Thailand's Royal Democracy in Crisis." In After the Coup: The National Council for Peace and Order Era and the Future of Thailand, edited by Michael J. Montesano, Terence Chong, Mark Heng. Singapore: ISEAS, 2019, pp. 282-307.
  17. ธงชัย วินิจจะกูล. ประชาธิปไตยที่มีกษัตริย์อยู่เหนือการเมือง: ว่าด้วยประวัติศาสตร์การเมืองไทยสมัยใหม่. นนทบุรี: ฟ้าเดียวกัน, 2013.
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