ライブラリアン・コラム

料理雑誌『クルア』を読んで、タイの食文化を懐かしむ

小林 磨理恵

2021年8月

食への誇りとこだわり

タイ料理は美味しい。バンコクへの長期赴任中、なんでも美味しいと言って食べていたのだが、なぜか友人らは不満げだった。「なんでもアロイ(美味しい)では面白くない」という。「正直にマイ・アロイ(美味しくない)と言って」と疑われる。おそらくかれらは、食の批評を求めていた。これは美味しい、あれはあんまりと言って、お互いの好みを探りながらの共食を楽しんでいたのだ。そこにはタイ料理に対する絶対的な信頼も見え隠れする。

そう気づいてから、食事中はどんな味で「マイ・アロイ」が登場するのかを観察し、帰宅後には食に関する本で復習した。テキストには、料理雑誌『クルア』(ครัว、Khrua Magazine)を選んだ。友人が「私は食べる専門なんだけどね」と言いながら楽しそうに読んでいたからだ。

タイ料理も食べられないし、友人と食事を共にすることも叶わない。そんな今だからこそ、『クルア』を広げてタイの豊かな食文化を思い出してみたい。

写真1 本稿で紹介する『クルア』各号の表紙
写真1 本稿で紹介する『クルア』各号の表紙
ソムタムのお供にしたい米の麺、カノム・チーン

『クルア』は、タイ料理専門の月刊誌である。誌名はタイ語で「台所」の意味。1994年創刊、2017年終刊。料理雑誌といえばレシピ本を想像されるかもしれない。本誌にも美しい写真とともに懇切丁寧なレシピが多数掲載されている。しかし本誌の大きな価値は、タイ料理の食材や食文化を深く掘り下げたところにある。

まずはカノム・チーンを特集した2016年5月号をみてみたい。カノム・チーンは米の麺で、日本の素麺によく似ている。楽しく、時に厳しく昼食を共にしてくれた友人らは、初対面での筆者の一言「ソムタム(青パパイヤのサラダ)が好き」を聞き逃さず、最初の昼食では多種多様のソムタムを揃えてもてなしてくれた。「ソムタムってこんなに種類があったのか」と驚いていたところに登場したのが、カノム・チーンである。もちもちの麺がソムタムの汁によく絡んで美味しいと、この時学んだ。

『クルア』には、カノム・チーンの10段階の製造工程や生産者の様子が、写真と共に紹介されている。近年は人手不足により、家族で全製造工程をこなす従来の方法が難しくなり、代わりに製粉工場が現れ始めたという。これによりカノム・チーンの流通量は増え、市場価格は下落。多くの生産者が工場の製粉に依存するようになった。大量生産での防腐剤使用による安全面の懸念も示されている。

そして、ラーチャブリー県とアーントーン県の2人の「カノム・チーン職人」へのインタビューに続く。こだわりの米作りから製粉・製麺まで、今も自ら手掛けている。新鮮で美味しいカノム・チーンを求めて、早朝から待つ人もいるのだそうだ。職人の一人は、「試しに工場の製粉を使ってみたこともあるが、なぜか柔らかくならなかった。防腐剤の影響かもしれない」という。カノム・チーンは1日たてば美味しくなくなるので、一度に沢山買わずに、新鮮なものを毎日買うことを顧客に勧めているそうだ。

写真2 カノム・チーン
写真2 カノム・チーン
栄養たっぷりのお粥、ジョーク

バンコクでは至るところにジョーク(お粥)専門店がある。日本ではお粥は体調が芳しくないときに食べるものというイメージがあるが、タイでは朝食として好まれている。筆者は食中毒からの病み上がりで初めてジョークにお世話になったのだが、具材豊富で味もしっかりあり、何より食べやすいことから、普段にもジョークを選ぶようになった。

2016年6月号の『クルア』はジョーク特集。表紙には梅干しがのったジョーク。よく見ると「okayu ジョーク・イープン(日本のジョーク)」と書かれている。同誌によれば、中国語でお粥はジョー(zou)。その潮州アクセントのジョク(zog)から、タイではジョークと呼ばれるようになったそうだ。つまりジョークは、中国の食文化に由来している。

ジョークとカーオ・トムの違いが興味深い。「カーオ・トム」を直訳すると「煮たご飯」。見た目も似ているので両者の区別は難しいが、米粒の形が残っているお粥がカーオ・トムで、スープ状になるまで煮詰めたものがジョークなのだそうだ。ジョークには具ありと具無しの2種類がある。具ありジョークはさらに2つに分けられ、一つは米と具材を初めから一緒に煮込むもの。もうひとつは、具無しジョークに生の具材か火を通した具材を入れてさらに煮込むもので、例として豚肉のジョーク、鶏肉のジョーク、魚のジョーク、蟹のジョークなどが挙げられていた。これが屋台等で食べられる一般的なジョークではないかと思う。お好みで卵を添えると良い。

写真3 ジョーク・ムー(豚肉のジョーク)
写真3 ジョーク・ムー(豚肉のジョーク)
飲み物もバリエーション豊か

友人の特訓のおかげで「マイ・アロイ」の味覚を徐々に獲得していくなか、筆者は自分なりのこだわりをタイの飲み物に見出すようになった。きっかけは、さすがにマイ・アロイだろうと勧められた、「バイホーラパー」(バジルの一種)とパイナップルのスムージーにはまってしまったこと。バジルの苦みとパイナップルの甘みのミスマッチが良い、とタイ語でどこまで伝えられたか不明だが、嗜好のズレを妙に喜んでもらえた。

ふと周りを見渡せば、生絞りのライムジュース、ナーム・サムンプライと呼ばれるハーブティー、野菜や果物の組み合わせを自分で指定するコールドプレスジュース、日本でもお馴染みのタピオカミルクティーが、どれも屋台で手に入った。種類の豊富さと美味しさで、気づけば1日の出費は飲み物代が食事代を上回っていた。とりわけ、自然の花や葉だけで驚くほど鮮やかに発色するハーブティーは、目も楽しませてくれた。

だからこそ「健康のための飲み物」特集を組んだ『クルア』2017年6月号には、大いに期待し、少しの不満が残った。ここで紹介されたのは、まずコールドプレスジュース、続いて植物性ミルク、スムージー、ついにお茶、と思ったら緑茶やウーロン茶で、その次にようやくハーブティー。レモングラスやパンダンリーフなど、よく飲まれるハーブの効能が紹介される。そして最後にインフューズドウォーター(果物などを浸した水)という顔ぶれ。期待していたハーブティーなど「タイらしい飲み物」はわずかにとどまった。

ハーブだけがタイの飲み物文化ではないし、植物性ミルクが定番化する日がくるのかもしれない、と納得してはみたものの、どうしてもハーブが気になってしまった。最近では、日本でも見かける青い飲み物は、バタフライピーの花を煎じたもの。ライムを絞って飲む。酸味強めの真っ赤なローゼルには、ナツメを加えるとほのかに甘みが増す。もっと試してみたくて、ヤワラート(中華街)にハーブの買い出しに行った。売り物ではないが、大量のローゼルとベルノキを発見(写真4参照)。こうしたハーブはどこで誰に作られているのか。そもそもタイでハーブを飲む習慣はいつどのように始まったのか。そういったことを『クルア』で知りたかったが、これは自分の課題にしておきたい。

写真4 ローゼル(左)とベルノキ(右)、ヤワラート近辺にて。
写真4 ローゼル(左)とベルノキ(右)、ヤワラート近辺にて。
クルアは終わらない

書店の雑誌コーナーを遠目に見て、『クルア』の表紙が黒いことに気づいたとき、嫌な予感がした。中央に豪華な海老料理。やはりそれは終刊を意味していた1。情報のオンライン化と紙媒体の広告収入の減少を背景に、2016年頃から長寿雑誌の終刊が相次いでいた。『クルア』もその一誌となってしまったのだ。

最終号の2017年7月号では、編集長が『クルア』を語りつくしていた。当初より『クルア』は、「タイらしさ」を打ち出すことを重視したという。タイ料理を勉強しようとすると、西洋の文献を読むしかなかった。なぜタイ人は自分たちのことを記録しないのかという疑問が出発点となり、タイの食文化を深く掘り下げる雑誌を創ることにした。文献調査よりも実際の経験。地方の食文化にも注目し、現地に赴きよく食べたのだという。

『クルア』は、新たな読者層を若い世代に求めていたようだ。2016年7月号からは題字のデザインを変更するなど、見た目と内容の現代化を模索した。確かに「飲み物」特集の表紙は、明るく楽しい。ただ、タイの食文化の深淵を探り記録するというコンセプトは、どうにか維持できなかったものかと残念に思う。

最終号で、クルアは家の中心であると述べられていた。タイ語で「家族」はクロープクルア、「世帯」はクルアルアンで、「クルア」が言葉に含まれている。筆者にとっての「クルア」は、チャオプラヤー川沿いの小さな食堂、そして2年間昼食を共にしてくれたタマサート大学図書館のライブラリアンたちである。心からの御礼を伝えたい。そして、共食の空間が必ず戻ってくることを願っている。

参考文献
  • 写真1 Sangdad出版社(『クルア』版元)の許諾を得て、筆者撮影
  • 写真2 パブリックドメイン
  • 写真3~4 筆者撮影
著者プロフィール

小林磨理恵(こばやしまりえ) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は東南アジア(2011年~現在)。2016~2018年海外派遣員(バンコク)。最近の著作に「タイの「読むこと」をめぐる世界」(『バンコク日本人商工会議所所報』694号、2020年)、「The Nation終刊――タイ社会と新聞の寛容さをめぐる一考察」(『IDEスクエア』2019年)など。

  1. 冊子体の終刊後は、ウェブサイトKRUA.COを通じて、タイの食文化を発信し続けている。同ウェブサイトでは、レシピや食にまつわるエッセイ、クッキング動画など、豊富なコンテンツが提供されている。