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図書館

アジア経済研究所図書館は、開発途上地域の経済、政治、社会等を中心とする諸分野の学術的文献、
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ライブラリアン・コラム

景観に刻まれた歴史を歩く――アジ研一期生・友杉孝氏の眺めたタイ

 

小林 磨理恵

2020年10月

ド・ラ・ルベールとパルゴア

図書館で仕事をしていると、思わぬ書籍に出くわすことがある。今手元にある3冊の古書も、いずれ誰かに驚きを与え、あるいは疑問を持たれる日が来るかもしれない。その時のために、なぜこれらがアジ研図書館にあるのかを記しておきたいと思う。

3冊のうち2冊は上下巻である。著者はシモン・ド・ラ・ルベール、書名は『シャム王国誌』1。今から300年以上遡る1714年に、オランダ・アムステルダムで出版された。フランスの外交官であったド・ラ・ルベールが、当時シャムと呼ばれたタイのアユタヤーを1687~88年に訪れた際の見聞を記録した書である。17世紀のシャム社会をうかがい知ることのできる貴重な歴史資料だ。もう1冊は、キリスト教宣教師パルゴアの著作、『タイすなわちシャム王国誌』2の初版である。1854年、フランス・パリでの出版。タイ研究の泰斗石井米雄は、氏の最後の著作となった『もうひとつの「王様と私」』3で本書に言及し、その史料価値を高く評価している。いわく、「当時のシャムのあらゆる分野について精細に記録され」ており、「19世紀のシャムの政治、社会、文化に関し、パルゴアのこの著作に勝る書物はほかにない」。とりわけ、当時のシャム社会において他の宣教師がキリスト教の布教一辺倒であったのに対し、パルゴアはシャムの人々による信仰を第一に重んじ、仏教を謙虚に研究した。その研究成果が本書には詳細に綴られている。

写真:ド・ラ・ルベール(左)とパルゴア(右)の標題紙。「友杉蔵書」の印あり。

ド・ラ・ルベール(左)とパルゴア(右)の標題紙。「友杉蔵書」の印あり。
地域研究の草分け

これらの貴重書はいずれも、タイの都市や農村を経済人類学の視角から追究してきた友杉孝氏の寄贈による。友杉氏はアジア経済研究所・初代所長の東畑精一の面接試験を受けたアジ研一期生。アジ研に1959年から1973年まで在籍した。そののち研究の拠点を置いた東京大学東洋文化研究所で定年退職を迎えた。ゆえに2000点を超える友杉氏旧蔵書は東洋文化研究所図書室に受け継がれ4、タイ・東南アジア研究の進展に広く貢献して今日に至る。

友杉氏は退職した後も、自宅の書斎に文献を残していた。それらをアジ研図書館に寄贈してくださるとのこと。2018年の冬、蔵書を受贈するため友杉氏の自宅を訪ねると、「アジ研にお渡しする本がこれだけになってしまって申し訳ない。しかし、『残り物には福がある』とも言いますね」とおっしゃり、「とっておきの本」が収められた書棚に案内してくださった。その時目にしたものが、ド・ラ・ルベールとパルゴアの著作である。書棚の最上段に、大事に収められていた。

友杉氏はアジ研や日本の地域研究の草創期を語り得るお一人である。2018年11月に日本タイ学会が開催した友杉氏による講演会では、アジ研での研究生活の回顧にも長い時間が割かれた。なぜアジ研を就職先として選び、タイを調査地としたのか。バンコクへの留学のこと、そして帰国途中に立ち寄ったカンボジア・アンコールワットでの転落事故のこと(後にアジ研の「伝説」になったという)5

このなかで特に印象に残ったのは、初期のアジ研にはいくつかの論争があり、とりわけ地域研究とは何かをめぐって盛んに議論がなされたということである。議論を通じて、友杉氏自身は、「確かに体系は必要で、体系を持つためにはひとつの視角が必要である。しかし同時に、社会全体に対する目配りや感性が必要であって、両者の緊張関係、特に全体にわたる感性というものが大変重要なのではないか」という考えに到達したという6。地域研究者は、社会変化の要因を読み解く分析視角と、社会全体を鳥瞰する感性のどちらかではなく、その双方を研ぎ澄まし、互いにせめぎあう状態に高める。こうした考え方は、これからの地域研究者の道標にもなろう。ふと友杉氏の寄贈書に思いを巡らせれば、「全体にわたる感性」は、19世紀シャムにおけるパルゴアがすぐれて有した能力にも思われた。

写真:友杉孝氏(2018年12月21日、自宅の書斎にて)

友杉孝氏(2018年12月21日、自宅の書斎にて)
バンコクの景観を歩く

蔵書を受け取る日以前にも、友杉氏の自宅を訪れることがあった。実はその時の「とっておきの本」は、ド・ラ・ルベールやパルゴアではなく(それだけ沢山の貴重書を手元に残されていた)、『郵便家屋台帳』と呼ばれる資料の復刻版であった7

『郵便家屋台帳』は、タイで1883年の郵便制度創設を機に印刷された、郵便配達員の手引きとなる詳細な家屋名簿である。バンコクに居住する戸主の名前、職業、家屋形態等を記録したもので、19世紀末バンコクにおける人口や居住に関する豊富な情報を含んでいる。本台帳に記載された情報をデータベース化し、当時の居住形態の再現を試みた研究には、坪内良博著『バンコク1883年——水の都から陸の都市へ』8がある。坪内・石井(1982)によれば、「バンコクの国立図書館においてこれを披見する機会に恵まれ、マイクロフィルムに収めて日本にもたらすことができた」9。友杉氏自身も、最初は国立図書館で原本を閲覧した。その時は「ものすごく怖い。持つとパラパラと壊れてしまうような、酸性紙の本だった」という10。1998年に『郵便家屋台帳』は復刻版となって出版され、友杉氏は第1巻と第2巻を入手した。紙の破損を心配することなく、19世紀の史料を読むことができる。

友杉氏によれば、『郵便家屋台帳』にはそれぞれの住居の特徴、例えば高床であったり、ボロボロの壊れそうな家であったりということがすべて書いてある。「だから都市景観を見るうえにおいても面白い材料だと思うが、郵便台帳に記された家屋番号と現在の番号はもちろん違っているし、なかなか十分に利用できない」という11。友杉氏がバンコクの景観を読み解くうえで用いた資料と手法は大別して3つ。1つはラーマ5世期の文書、2つ目はバンコク旧市街に居住する高齢者への聞き取り、3つ目は景観の写真撮影である。これらを組み合わせ、景観に刻み込まれた人々の営みと記憶を丹念に描き出した友杉氏の著作が、Reminiscences of Old Bangkok12や『図説バンコク歴史散歩』13である。現代のバンコクの眺めと古い記録と記憶とを往来し、幾重にも重なる歴史を活写している。

『図説バンコク歴史散歩』が出版されてから20余年が経過した。本書にはバンコク旧市街に生きる人と街並みを友杉氏が撮影した写真が数多く掲載されるが、このなかにはすでに過去のものとなった景観も含まれる。バンコクを訪れたいと考えている方には、本書を携えて向かうことをお勧めしたい。本書で友杉氏は街歩きの楽しみをこう述べている。「時の経過のうちに人工物があたかも自然であるかのような様相を獲得してゆく。時の経過が人工物の中に入り込み、それを自然なものに変えて行くのである。都市の歴史散歩の楽しさは、このように眺めのなかに刻み込まれた時の経過あるいは人々の営みを具体的に窺い、想像力を働かせて、変わりゆく社会のなかでの文化の多様性を探ることにあるのであろう」(109頁)。

ヌワラエリアの味わい

友杉氏は神保町の書店街を散策することを日々の楽しみにしているという。受贈した古書の表紙裏には、神保町の古書店のラベルが貼付されていた。タイの歴史を記録した貴重書は、友杉氏が神保町で発掘したお宝なのである。

ド・ラ・ルベールやパルゴアや郵便台帳を含む、約130冊の寄贈書をアジ研に発送する手配を整えた後、友杉氏とともに神保町に向かった。書籍の選別と箱詰めには思う以上に時間がかかる。すっかり日が暮れていた。書店巡りは次の楽しみに残し、友杉氏行きつけの喫茶店でお茶をご一緒することに。そこで一押しの紅茶として教えていただいたのが、ヌワラエリアだった。スリランカの紅茶産地のなかでも最高地であるヌワラエリアで生産される銘茶。友杉氏はバンコクだけでなく、スリランカ南部に位置するゴールをフィールドに都市の諸相を調査した(『スリランカ・ゴールの肖像——南アジア地方都市の社会史』14)。その時出会った思い出の紅茶なのだそうだ。

紅茶の深い味わいと楽しいお話に心満たされ、ヌワラエリアをお土産に持ち帰った。そのヌワラエリアもとうに尽きてしまった。またの楽しみにとっておいた書店巡りが叶う日を、心待ちにしている。

写真の出典
  • すべて筆者撮影。
著者プロフィール

小林磨理恵(こばやしまりえ) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は東南アジア(2011年~現在)。2016~2018年海外派遣員(バンコク)。最近の著作に「タイの「読むこと」をめぐる世界」(『バンコク日本人商工会議所所報』694号、2020年)、「The Nation終刊――タイ社会と新聞の寛容さをめぐる一考察」(『IDEスクエア』2019年)など。

  1. De La Loubère 1714. Description du Royaume de Siam, D. Mortier. [AHTH/959.3/D1/1-2] ([]内はアジ研図書館請求記号。以下同様。)本書の初版は1691年にアムステルダムで出版。1693年にはロンドンにて英語訳が出版されている(書名はA New Historical Relation of the Kingdom of Siam)。英語版は繰り返し再版され、友杉氏からはWhite Lotus社による復刻版の寄贈を受けた(Simon de La Loubère 1986. The Kingdom of Siam, White Lotus. [AHTH/30/K2])。
  2. Mgr. Pallegoix 1854. Description du Royaume Thaï ou Siam, Se vend au profit de la mission de Siam. [AHTH/91/D4] 本書は上下巻から成り、友杉氏寄贈書は合冊されていた。英語訳版は、Monsignor Jean-Baptiste Pallegoix, translated by Walter E.J. Tips 2000. Description of the Thai Kingdom or Siam : Thailand under King Mongkut, White Lotus. [AHTH/91/D3]で、友杉氏から寄贈を受けた。なお、アジ研図書館では本書のタイ語訳版も所蔵している[Th/91/L1002]。
  3. 石井米雄 2015. 『もうひとつの「王様と私」』めこん. [AHTH/929.7/M1]
  4. 池本幸生 2007. 「東洋文化研究所図書室 (特集 アジア地域関連コレクション――わが国主要図書館の所蔵資料から)」『アジ研ワールド・トレンド』138号, 11-13.
  5. 講演録全文は、日本タイ学会ウェブサイトにて公開されている(研究史聞き取りの会——友杉孝先生(前編))。
  6. 日本タイ学会「研究史聞き取りの会――友杉孝先生(前編)」2020年10月5日最終閲覧。
  7. 『バンコク郵便家屋台帳』(原タイトルは「郵便局職員のためのクルンテープ住民リスト」、1883年作成、全4巻)のうち、第1巻と第2巻の復刻版(1998年にSamnakphim Tonchabapより出版)。友杉氏寄贈にてアジ研図書館所蔵 [Th/35/S1002/1-2]。
  8. 坪内良博 2011. 『バンコク1883年――水の都から陸の都市へ』京都大学学術出版会. [AHTH/301.22/B3]
  9. 坪内良博・石井米雄 1982. 「郵便家屋台帳からみた19世紀末のバンコク人口――予備的考察」『東南アジア研究』第20巻2号, 307-316.
  10. 日本タイ学会, 前掲資料.
  11. 同上.
  12. Takashi Tomosugi 1993. Reminiscences of Old Bangkok : Memory and the Identification of A Changing Society, Institute of Oriental Culture, University of Tokyo. [/301.2/T59]
  13. 友杉孝 1994. 『図説バンコク歴史散歩』河出書房新社. [AHTH/91/Z1]
  14. 友杉孝 1990. 『スリランカ・ゴールの肖像――南アジア地方都市の社会史』同文舘出版. [Ja/301.2/T30]