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ブックフェアの「異変」——タイ政党の広報戦略と若者の政治関心

“An Incident” at the Book Fair: Public Relations Strategies of Thai Political Parties and Political Interests among Young Generation

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000019

小林 磨理恵
Marie Kobayashi

2023年8月

(4,742字)

タイでは毎年3月と10月に、国内最大のブックフェア1が開催される。例年300~400の出版社等がブースを出展し、書籍を値引きして販売するほか、作家によるトークイベントやサイン会も行われる。2022年10月のブックフェアは、12日間で約135万6千人を集客し(PUBAT 2022)、若い世代を中心に大変な賑わいをみせた。

2022年10月のブックフェアでは、ある「異変」が起きた。それは、政党が他の出版社に並んでブースを出展していたことである。書籍販売を目的とするイベントに政党が参入することは異例で、今のところこの回限りである。出展したのは、タイ貢献党と前進党であった。2023年5月の総選挙で注目を集めた二つの野党で、とりわけ前進党は、大躍進を果たして第一党となった(青木 2023 ; 外山 2023)。

総選挙からさかのぼること7カ月、両政党はブックフェアで何をしていたのか。なぜブックフェアが、政治活動の舞台と化したのか。本稿では、ブックフェアでの両党の活動を振り返ったうえで、ブックフェアが「政治化」した要因を、数年来の書籍を取り巻く状況に焦点を当てて考察したい。

政党は何をしていたのか

タイ貢献党と前進党のブースの展示内容には、特に若者を惹きつける仕掛けが幾重にも施されていた。2023年5月の総選挙をにらんで、若い有権者が政治に関心を持つことがねらいとしてあったとみられる。

(1)タイ貢献党の場合

タイ貢献党は、タクシン・チナワット元首相の流れをくむ最大野党である。2023年の総選挙では、タクシンの次女ペートーンターン・チナワットを首相候補に擁立し、前進党に次ぐ議席数を獲得した。ブックフェアではブース8区画分の広大なスペースを確保し、工夫を凝らした展示を披露した。

真っ先に目に入ったのは、足を組んでくつろぐタクシンをイラスト化したパネルである。そこでは、企業家から政治家になり、首相から亡命者になったタクシンの73年の人生を綴った書『タクシン・チナワット──原理と思考』2や、タクシンのイラストをプリントしたグッズが販売されていた。壁面にはヘッドホンがいくつもぶら下がり、耳を傾ければ、タクシン関係者から亡命中のタクシンに宛てたメッセージが聞こえるという仕掛けであった。
とりわけ人を集めていたのは、トイレを模した小部屋である(写真1)。そこは、夢を自由に落書きするために用意されたもので、学生や子どもたちが思い思いの夢を書きつけていた。その隣の部屋では、夢の実現を阻む社会と政治の要因が、またその隣では、夢を実現するためのタイ貢献党の政策が解説されていた。

写真1 トイレを模した小部屋に夢を落書きする

写真1 トイレを模した小部屋に夢を落書きする

タクシンは2000年代以降のタイ政治に影響力を持ち、社会をタクシン派・反タクシン派に二分するなど、政治動乱の渦中にあり続けた存在である。タイ貢献党のブースでは、タクシンを前面に出しながら、若者が楽しめる仕掛けによってかれらを呼び込み、さらに個人の夢と社会問題、党の政策との接続をアピールした。そこでのタクシンは親しみやすいアイコンのように機能し、その政治性は巧みに不可視化されていた。

(2)前進党の場合

前進党と関連団体の「進歩運動財団」は、計4区画分のブースを確保し、やはり工夫された展示と書籍の販売を行った。

前進党のブースは、当初は壁に黒いテープがびっしりと貼られた「ブラックボックス」だった。テープを剥がすと、「透明」なオレンジ色の壁が現れ、そこにタイの政治社会の問題が書き連ねられているという仕掛けである。多くの来場者がテープ剥がしに参加し、筆者が5日目に訪れた際は、黒いテープの痕跡はわずかに残るのみだった(写真2)。ブースの中に立ち入ると、前進党議員と直接対話できる場が用意されている。前進党の広報担当者は、「政治を恐いと思わせてはならない。若者や子どもたちに、様々な政治的考えに触れる機会を与えるべきだ」と、政党として出展する理由を明らかにした(Matichon 2022c)。

写真2 前進党ブース

写真2 前進党ブース

進歩運動財団のブースでは、前進党議員や、2020年2月に解党された新未来党の政治家の書籍が販売されていた。前進党党首ピター・リムジャルーンラットの『前進する方法』3や、旧新未来党党首のタナートーン・ジュンルンルアンキットによる『前に向かって考える』4、旧新未来党幹事長で、法学者のピヤブット・セーンカノッククンによる『最高権力が国民のものになるまで』5などが一堂に揃い、スタッフが熱心にその内容を説明していた(写真3、4)。ピターの著作には、ピターがタイの政治経済の問題をどう考えるかが記されており、そのなかには、王室への侮辱を罰する不敬罪(刑法112条)の改正に向けた考えも述べられている。不敬罪をめぐる議論は長らく「タブー」であり、こうした書籍の出版や販売が実現することは、驚くべき変化である。

写真3 タナートーンの著作を手にする若者

写真3 タナートーンの著作を手にする若者

写真4 上段の1冊が党首ピターの『前進する方法』

写真4 上段の1冊が党首ピターの『前進する方法』

ところで、前進党や進歩運動財団のブースには、白い丸をまとった猫のぬいぐるみが至る所にあった(写真2)。これは、前進党のマスコット「ノーンカイトム」(ゆでたまごちゃん)である。現地メディアのマティチョンは、ノーンカイトムの登場について、不敬罪や軍部の改革など、急進的な政策を推進することが与える恐怖を中和する効果をねらったと分析する(Matichon 2022a)。

ブックフェアでの両党の展示は、社会を分断しかねない「危うい」話題を身近なこととして捉え、議論しやすい雰囲気を意図的に創り出していた。また、それは成功しているようにみえた。しかし最終日に、サイン中のタナートーンが背後から暴漢に襲われるという事件が起きた(Matichon 2022b)。大事には至らなかったが、言論表現の祭典は最悪の形で幕を閉じ、政治の舞台としての印象を残した。

政治の舞台はなぜブックフェアだったのか

ブックフェアで襲撃に遭ったタナートーンは、かつて新未来党の党首を務めた。新未来党は若者から大きな支持を集め、2019年総選挙では新党ながら第3党に躍進した。しかし2020年2月に憲法裁判所から違憲判決を受けて解党され、タナートーンら幹部は以後10年の政治活動を禁じられている。その後継となったのが、ピター率いる前進党である。タナートーンは前進党と主義主張を共にし、現在も改革推進の象徴的な人物である。犯行の動機は詳らかでないが、改革派がねらわれたインパクトは大きい。

しかしここでは、政治的暴力の要因ではなく、ブックフェアが政治性を招くに至った社会的背景に注目したい。多くの来場者の目当ては、漫画と小説(恋愛、ファンタジー)である(PUBAT 2022)。若者へのアピールをねらいとするならば、他にも機会はあるだろう。果たして政党は、なぜブックフェアへの出展を試みたのだろうか。

その答えは、若者の読書熱の高まりに関係すると考えられる。Watchiranon (2020)によれば、2014年の軍事クーデタ以来、民主主義とは何かと疑問を抱き、政治や社会の混乱の理由を理解したい若い世代が、本を読むようになった。特に政治史、社会批評、君主制についての書が、よく読まれているという。

約4年前、2019年10月のブックフェアにさかのぼる。筆者はそこで、学術書や批評誌を手掛ける出版社の編集者と出会った。しばらく一緒に来場者の様子を眺めていたところ、学術書に手を伸ばす大学生と思しき姿が、多く目に留まった。その編集者は、「若い学生が政治の本を読むようになってきた。とても嬉しい」と語っていた。

一方、同じ会場で、当時新未来党の議員だったピヤブットや、副首相で法学者のウィサヌ・クルアガームら政治家による著作が大きな注目を集めていた。会場入りしたピヤブットとウィサヌは、政治的立場を異にしながら、互いの著作を手に笑顔で写真に納まる一幕もあった (Khaosod Online 2019) 。政治に関心を持つ読者の増加傾向が観察され、政治家の著作が注目された2019年10月のブックフェアは、後のブックフェアを政治の舞台にする序章であったといえる。

その4カ月後の2020年2月、新未来党が解党された。これに政府のコロナ対策への不満が重なり、同年7月以降、大学生、中高生を含む若い世代の大規模な抗議行動に発展していく。現在の政治状況にも連なる重要な転機を迎えた。

このデモにおいて、学術書が注目された。歴史学者トンチャイ・ウィニッチャクンによる『政治の上に王が立つ民主主義』6を掲げる写真が、SNSで拡散された。同書はあたかもプラカードのように機能し、民主化を訴える根拠として提示されたのである。同年8月には、タマサート大学構内で学生が集会をおこなって「君主制改革10項目」を主張するなど、政治的禁忌に堂々と触れる行為が社会に大きな衝撃を与えた。時同じくして、『将軍、封建制、白頭鷲——米国の世界秩序におけるタイ政治、1948年~1957年』7が出版された。同書は、歴史学者のナッタポン・チャイチンが自身の博士論文を基にし、冷戦体制下で王室、軍部、米国がいかに関係していたかを論じたものである。とりわけ王室の政治関与を明らかにしたことで、学術書としては異例の注目を浴び、空前の話題書となった。王室、君主制をめぐる議論は、デモや書籍を介して、じわじわと拡がった。

書籍への関心は、その影響力が警戒されるほどに高まった。2020年10月のブックフェアでは、前述のトンチャイやナッタポンの著作の発行元であるファーディアオガン出版社のブースに、警察官が偵察に現れた。その後、同社に警察官が立ち入り、ナッタポンの著作2作、トンチャイの著作1作が押収される(BBC News Thai 2020)。この「事件」により、ナッタポンとトンチャイの著作がますます売れるという皮肉な現象も生じた。その後も、2022年に同社編集長のタナーポン・イウサクンが身柄を拘束されるなど、同社に対する監視は続き、言論の自由からはほど遠い状況が浮き彫りになった。

君主制研究や政治批評を出版してきたファーディアオガン出版社は、2005年に君主制を議論した発行雑誌の発禁処分を受けるなどした影響から、「過激」とすらも認識されていた。しかし今では、タイ市民の同社に対する印象は一変したようにみえる。2022年10月のブックフェアでの同社のブースは盛況で(写真5)、さらに他の出版社のブースでもファーディアオガンの書籍が販売されるほど、関心を集めていた。

政党のブースが賑わう傍ら、タイ政治を読みたい読者の渇望に、書籍の出版を通じて応える出版社が存在する。その存在が、数年来の読書熱の高まりと共に広く受け入れられるようになったことを、2022年10月のブックフェアは強く印象づけた。

写真5 ファーディアオガン出版社のブース

写真5 ファーディアオガン出版社のブース
前進党への支持が意味すること

政治社会の混乱の理由を、書籍の中に探し求める若者の行動は、2020年の学生運動を契機に熱を帯びて定着していった。厚みを増した読者層の存在が、ブックフェアの注目度をも高めたと考えられる。政党がブックフェアにねらいを定めた動機も、ここにあろう。

2023年総選挙で、前進党は国の抜本的改革を掲げて多数の国民の支持を得た。議論さえ忌避された問題を正面から取り上げること、それに多数が賛意を表することは、2020年に抗議デモが起こる前の状況と比べると、驚くべき事態である。

ファーディアオガンへの抵抗感の薄れは、前進党への支持の高まりと軌を一にしている。双方ともに、政治社会を批評し、議論することの意義が市民の間で共有されたことの証左だといえよう。タイ政治の今後の推移を見通すことは困難だが、書籍の活性化と読者層の成熟がもたらした社会変化の意味は大きい。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
  • すべて筆者撮影(2022年10月、バンコクのブックフェアにて)
参考文献
著者プロフィール

小林磨理恵(こばやしまりえ) アジア経済研究所図書館司書。東南アジア関連の蔵書構築を担当(2011年4月~現在)。2016~2018年海外派遣員(バンコク)。


  1. 3月のブックフェアは「National Book Fair & Bangkok International Book Fair」、10月は「Book Expo Thailand」を正式呼称とするが、本稿では「ブックフェア」に統一した。
  2. 原タイトルはThaksin Shinawatra: Theory and Thought, ทักษิณ ชินวัตร: หลักการและความคิด (เวิร์คส์ ครีเอทีฟ, 2022)
  3. 原タイトルはวิถีก้าวไกล (พิธา ลิ้มเจริญรัตน์, 2021)
  4. 原タイトルはคิดไปข้างหน้า: รวมวิสัยทัศน์ว่าด้วยการเมือง เศรษฐกิจ และก้าวต่อไปของประเทศไทย (มูลนิธิคณะก้าวหน้า, 2022)
  5. 原タイトルはจนกว่าอำนาจสูงสุดเป็นของประชาชน (มูลนิธิคณะก้าวหน้า, 2022)
  6. 原タイトルはประชาธิปไตยที่มีกษัตริย์อยู่เหนือการเมือง: ว่าด้วยประวัติศาสตร์การเมืองไทยสมัยใหม่ (ฟ้าเดียวกัน, 2013)
  7. 原タイトルはขุนศึก ศักดินา และพญาอินทรี: การเมืองไทยภายใต้ระเบียบโลกของสหรัฐอเมริกา 2491-2500 (ฟ้าเดียวกัน, 2020)