ライブラリアン・コラム

特集

ウェブ資料展:途上国と感染症

台湾の奇跡――世界が注目する防疫対策

澤田 裕子

2020年8月

今回紹介する資料
末尾に「※」印が記載してある資料はアジア経済研究所図書館で所蔵しています。リンクを開くと蔵書目録(OPAC)がご覧になれます。
日本の仏系防疫

2020年1月31日にジョンズ・ホプキンス大学が発表した報告によると、中国との地理的な近さと航空便数の多さから、台湾は世界で二番目に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の発症例が多くなるだろうと予想されていた(Wang 2020)。日本の厚生労働省にあたる台湾の衛生福利部の疾病管理署サイト(https://www.cdc.gov.tw/En)では、新型コロナウイルス感染情報が地図やグラフで毎日更新されている。2020年8月27日午前0時30分付の台湾の感染者数は487人、死亡者数7人である。迅速な初動と水際対策、徹底した隔離対策などが功を奏して、台湾では新型コロナウイルス感染症の感染者、死者数が抑えられていることが確認できる。

一方日本はといえば、7月以降、感染者数が増加している。日本の感染症対策の緩さや遅れは、1月末からすでに台湾で「仏系防疫」ではないかと心配されていた(来栖2020)。「仏系」という言葉は、雑誌『non-no(ノンノ)』2014年3月号で紹介された、究極の草食男子である「仏男子(ブツダンシ)」に端を発する(J-CAST2014)。その3年後、1990年代生まれの中国の若者が、ストレスを増やさないため、いろんなことをあまり追及しすぎないという意味で「仏系」という表現をウェブで使い、話題になった(人民網日本語版2017)。各メディアは、「仏系」の流行に対して、「社会の成長にはマイナス」「若者は戦闘心を持つべきだ」と批判を加えた(浦上2018)。中国語の「仏系防疫」には、日本を批判する気持ちも込められている。

本コラムでは、台湾がなぜ新型コロナウイルス感染症を防げたのかについて、最近刊行された良書2冊から、共通の論点を抜き出して考察する。取り上げた論点は、臨戦態勢による初動の速さ、中国に依存しないマスク供給体制、閣僚のリスクコミュニケーションと高い専門性、そして唐鳳政務委員とマスクマップシステムである。片やジャーナリストで大学の特任教授、片や会社経営者と立場は異なるが、台湾をよく理解する著者らが、台湾の防疫対策を時系列に解説するとともに成功要因を分析し、台湾の政治的立場、歴史的背景、これまでのSARSなどの感染症の経験から、アフターコロナの展望まで、丁寧にわかりやすく説明している。『ニューズウィーク日本版』Special Reportとあわせて、ぜひ読んでいただきたい。

臨戦態勢による初動の速さ

まず、野嶋剛はタイトルの『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』という問いに対して、最初に語るべきは台湾のスピーディで集約的な初動の見事さだと述べる。中国湖北省の武漢市衛生健康委員会が発した武漢市における非定型肺炎の集団発生に関する2019年12月30日付通達は、翌日未明、台湾のフェイスブックにアップされ、ウェブ掲示板へと転載された。その後、衛生福利部の疾病管理署が情報を把握し、そこから24時間の間に閣僚会議、検疫体制の強化、中国への確認、WHOへの通報、国民への注意喚起と矢継ぎ早に措置が取られた。野嶋は、集団で迅速に行動できることが台湾の強みだと強調する。一方、藤重太は『国会議員に読ませたい台湾のコロナ戦』で、特筆すべきは初動対応の速さと強さであることは間違いないとしながら、台湾の防疫対策の成功の本質は、感染症との戦いを防疫戦争、施策を作戦というように軍事戦略として位置付けたことだと見る。

当時、台湾は2020年1月11日に行われる総統選挙の運動期間中であったが、台湾当局は感染症に関する情報を逐次発信した。1月20日には中央感染症指揮センターが開設され、1月23日には厚生大臣にあたる陳時中衛生福利部長を指揮官に任命した。野嶋によると、指揮センターに与えられる法的権限はとても強力で、指揮官は軍を含め、政府のあらゆるリソースを動員する権力を持つ。外務省にあたる外交部の「台湾中央流行疫情指揮センター及防疫方法」1からも台湾の防疫システムが軍事組織に近いことが見て取れる。

中国に依存しないマスク供給体制

次に、他国と明暗を分けた重要な要因として、台湾が中国やWHOの情報を盲信せず、独自の判断で対中遮断を行い、水際対策を徹底したことがともに挙げられている。また、蔡政権に対する中国の圧力と国際環境の厳しさから、中国に対する過度な依存を是正する必要もあった。

野嶋著「第2章マスク政治学」と藤著「第1章『マスク国家隊』のサプライチェーン構築」を参考に、台湾がマスクを自給自足するまでの過程を簡単に述べる。一般向けマスクの9割を中国に頼っていた台湾は、マスクを戦略物資、防疫資源とみなしてすぐに輸出入を停止し、経産省にあたる経済部の沈栄津経済部長を長としたマスク国家隊を組織して24時間体制で増産を進め、自主供給体制を確立した。マスク国家隊は、旧正月の休暇を返上してマスク製造機器の開発から始め、2月15日には日産400万枚の新生産ラインを稼働するまでになった。5月20日に行われた第15代台湾総統の就任式で、蔡英文総統は台湾を支えたマスク国家隊を防疫ヒーローとして称え、その他のあらゆる職種の無名のヒーローたちに対しても感謝の意を表した。

閣僚のリスクコミュニケーションと高い専門性

さらに、政府関係者の情報公開に対する姿勢、閣僚らのコミュニケーション能力とPR能力の高さ、行政のサービス精神、それらに支えられて形成される社会の共感力も、台湾の防疫対策の要であった。藤は、社会を取り巻くリスクに関する正確な情報を政府、行政、専門家、企業、市民が共有し、相互に意思疎通を図るリスクコミュニケーションの重要性を説いている。人びとに訴えるソフトな戦略だが、厳しい法的罰則とのバランスが重要である。

野嶋著「第5章 蔡英文政権の強力布陣と『脱中国化』路線」と藤著「第3章 台湾に『素人大臣』がいない理由」から、閣僚の専門性の高さについて見ていきたい。台湾は半大統領制(総統内閣制)を採用しており、野嶋によると、閣僚は国会議員に相当する立法委員からは基本的に起用されない。防疫対策の前線に立ったのは、陳建仁副総統、陳其邁行政院副院長、陳時中衛生福利部長で、三人とも医療関係の専門家であった。特に、中央感染症指揮センターで指揮を執る陳時中衛生福利部長について、野嶋は、体力と気力さらには感染症拡大防止に懸ける厳しい姿勢から、鉄人大臣と親しまれている旨を紹介している。中央感染症指揮センターの陳時中部長らによる記者会見は、1月初めから6月7日まで土日も含め毎日行われた。厳しいが人情味がある陳時中部長の誠実な会見を見ながら、藤は感動で涙ぐむこともあったという。

唐鳳政務委員とマスクマップシステム

大臣にあたる各省庁の部長や主任委員のほか、台湾には政務委員というポストがあり、省庁を跨がる案件を統合的に進める権限を持っている。野嶋は、2016年に入閣したIT担当の唐鳳政務委員を破格の人材として称賛している。唐鳳政務委員は政府のオープンガバメントを推進し、政府や議会の政策決定や情報公開における透明性を向上させ、市民と政府間の対話プラットフォームを立ち上げた2

2020年7月21日付『ニューズウィーク日本版』の特集号「台湾の力量」で、唐鳳政務委員が表紙を飾っている。同誌によると、唐鳳政務委員は8歳からプログラムを独学、15歳で起業、33歳で引退、35歳で入閣している。24歳でトランスジェンダーであることを明かしており、台湾社会の多様性を象徴する存在だ。

2月6日から、健康保険システムと紐付けできる特定薬局や保健所で、本人確認によるマスク販売が導入された。藤によると、健康保険証にはICチップが搭載されていて、診療記録、投薬記録、レセプト記録(医療報酬明細情報)が、被保険者、医療機関、中央健康保健所の間で共有されている。個人の医療データと衛生福利部中央健康保険署、医療機関、健保特約薬局、保健所を繋ぐネットワークに、新たにマスクの購買記録を付け加えて一元管理できる仕組みを作り上げた。藤は、唐鳳政務委員の功績は、すでに繋がっているネットワークデータの一部を民間に開放したこと、そしてそれにより、多くのIT企業がマスクマップを開発できる環境を整えたことだと述べる。3月9日に導入されたオンライン予約可能な「マスク実名制2.0」でも、野嶋によると、システムのアップグレードに唐鳳政務委員が貢献している。さらに4月22日からは「マスク実名制3.0」の導入によって、コンビニに置いてあるマルチメディア端末で予約できるようになった。中央健康保険署の「マスク需要供給情報プラットフォーム」(https://mask.pdis.nat.gov.tw/)にアクセスすると、マスクの販売場所や在庫、販売時間などの情報が地図、チャットボット、音声アシスタントなどで入手できる。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏との対談では、唐鳳政務委員自身がマスクマップの導入過程について解説している(AI新聞2020)。

台湾の奇跡
野嶋は、2019年の大晦日に台湾の奇跡とも呼べるような防疫作戦が始まったと述べている。台湾の奇跡といえば、1960~1980年代の急速な経済成長が有名である。一方、マスクマップで使用されたIC対応の健康保険証も1995年に導入された全民健康保険の成果の一つである。すべての人々がほとんど同じ経済的な負担で、相応な水準の医療サービスを受けられるようにしたことを台湾の第二の奇跡とする考え方もある(鄭2008)。今回取り上げた著作には興味深い論点がほかにも多くあり、ここで紹介したのはその一部である。まだまだ終息が見えないコロナとの戦いにおいて、台湾の奇跡に学ぶところは多い。

写真:台北市西門駅改札前。サーモグラフィーカメラにより体温測定を実施している。

台北市西門駅改札前。サーモグラフィーカメラにより体温測定を実施している。

写真:台北市立図書館。入館時は本人確認と額での非接触式検温が求められる。

台北市立図書館。入館時は本人確認と額での非接触式検温が求められる。
写真の出典
  • すべて菅原香織氏友人提供
著者プロフィール

澤田裕子(さわだゆうこ) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は東アジア。最近の著作に「第4章 中国――世界水準と「中国の特色」――」(佐藤幸人編『東アジアの人文・社会科学における研究評価――制度とその変化――』アジア経済研究所、2020年)など。

  1. 台灣中央流行疫情指揮中心及防疫作法」は、中央感染症指揮センターが情報、作戦、ロジスティクスの三分野に分かれていることを明示している。野嶋が述べるように、有事において、情報と作戦は分離すべきとの軍事思想に基づく。
  2. 当アジア経済研究所の機関誌『アジ研ワールド・トレンド』2018年2月号の特集「オープンガバメント・データ整備の動向を追う――開発途上国を中心に」で、台湾の動向について紹介している。あわせて参照されたい。