ライブラリアン・コラム

特集

ウェブ資料展:途上国と感染症

インドネシア史のなかの感染症

土佐 美菜実

2020年8月

今回紹介する資料
末尾に「(※)」印が記載してある資料はアジア経済研究所図書館で所蔵しています。リンク先は図書の蔵書目録(OPAC)になります。
インドネシアと感染症

インドネシアと感染症というと、まず結核が思い浮かぶ。というのも、筆者は結核の既往歴があり、入院および半年間の服薬を経験したことがあるからだ。これがいったいインドネシアとどう関係するかというと、インドネシア独立期の英雄、スディルマン将軍もまた結核を発症し、病に苦しみながらオランダ軍と闘ったことが彼の英雄譚においてよく語られるからである。私自身の経験から言うと、この病気を完全に発症した場合、肺機能は一気に低下し、些細な動作でさえ息も絶え絶えとなる。そのため、同じ病に伏したという親近感よりも、結核を患いながら、ジャワ島の密林でゲリラ戦を指揮したという彼の奮闘ぶりに驚きを禁じ得ない。インドネシアで最も尊敬される偉人の一人に位置付けられているのも納得である。

また、結核は現在もインドネシア国内において高い罹患者数を抱える感染症である。WHOの統計によると、2018年の結核発症件数は56万3879件で、世界でもインド、中国に続いて3番目に多い1。このほか、デング熱やポリオなどもインドネシアでは依然、毎年一定数の感染者が出ており、根絶に向けた道のりを歩み続けている最中である。地方においてはマラリアや狂犬病のリスクも無視できない。このように、インドネシアでは感染が拡大しているCovid-192以外にも人びとの生活を脅かす感染症は数多く存在し、種々の感染症対策は国民を守るための重要な使命であり続けている。そのため、インドネシアでの感染症の研究というと、特に公衆衛生や医療体制・政策に焦点をあてたものが必然的に多く見受けられる。しかし、その一方で歴史研究から感染症と人びとの関わりを論じる研究も散見される。こうした歴史学からのアプローチは以下で繰り返し強調することになるが、単に感染症だけの話にとどまらないインドネシア社会全体を理解するための入り口となりうる。したがって、分野を越えて広く関心が集まる可能性を秘めており、さらにはCovid-19が蔓延した今の世界に生きる私たちにとって示唆に富むものであると言えるだろう。以下ではそうした歴史学の観点から書かれたインドネシアの感染症について知る2冊を紹介したい。

歴史にみる感染症

病と癒しの文化史 東南アジアの医療と世界観』(大木昌)は、病を通じてインドネシアの歴史を描くことを試みた1冊である。本書にはこれまでインドネシアが経験してきた、あるいは今もなお根絶に向けて格闘している様々な感染症が登場する。オランダ領東インドと呼ばれた植民地時代より、インドネシアにとって感染症はまさに死活問題であった。この本は、交通網の発達や人口の増加など、植民地支配に伴う近代化・都市化のなかで、感染症の流行が繰り返し訪れる難局であったことを容易に想像させる。

本書の後半部分にあたる「西洋医学との遭遇」と「西洋医学との葛藤」の2つの章は、インドネシアにおける植民地経験の一端を垣間見ることができて興味深い。著者が述べるとおり、「インドネシアの人びとは、自分たちの価値観とすりあわせながら、西欧医学を少しずつ選択的に摂取してきた」のであり、その過程を丁寧に追うことは病や医療にとどまらないより広範なインドネシア史の理解の一助となるだろう。

さらに、人びとの未知の感染症に対する恐怖や、宗教・文化的背景に起因する感染症対策への拒絶について述べたこの箇所は、現代のCovid-19やそのほかの感染症でみられる人びとの反応との共通点を読み手に想起させる。例えば、19世紀初頭から半ばにおいて、天然痘の流行を抑え込むために種痘、すなわち予防接種の普及を行政は試みた。しかし、一部の住民の間ではこうした自分たちの手に負えない病気と未知の医療技術への不安から、行政側の陰謀説など様々なうわさが広まり、種痘の実施の妨げとなるのであった。これは現代で言うところのインターネット、特にソーシャルメディア上のデマ情報などにあたると言えるだろう。実際、インドネシアでは現在、Covid-19に関連するインターネット上のデマの取り締まりに乗り出しており、政府の対策チームのウェブサイトにてデマ情報の通報を受け付けているほか、注意喚起も行っている3

また本書では、種痘を行う際、体にわずかな傷がつくことを、ムスリムの住民らがアッラーからいただいた身体を汚す冒涜行為にあたるとして拒否した事例に触れている。現代のインドネシアにおいても、ワクチンに豚由来の成分などが含まれていることがムスリムの間で問題視されるなど、宗教的な価値観が無視できない場合がある4。こうした時代を超えた類似性に着目することも、歴史研究の面白さではないだろうか。


次に紹介するUncertainty, anxiety, frugality : dealing with leprosy in the Dutch East Indies, 1816-1942(Leo van Bergen)では植民地時代のインドネシアにおけるハンセン病対策を分析している。植民地行政によるハンセン病対策の紆余曲折を論じた本書では、前掲『病と癒しの文化史』が述べるような病気や医療が「宗教や文化や政治と切り離せない問題」であることに加えて、経済事情が与える医療政策への影響力を指摘している。感染症に焦点をあてた歴史研究が単に医療や科学技術の進歩の話にとどまらず、広く社会・人類史につながることをこの本も教えてくれるのだ。

本書の舞台となる19世紀から20世紀初頭にかけて、ハンセン病は世界的に猛威を振るう未知の病として恐れられ、原因、予防、治療など、当時の西洋医学でも不明な点が多かった。そのため、まさにこの本のタイトルが示すとおり当時の植民地政府による対策は不確実で安定しないものであった。同時に、宗主国オランダの財政危機に端を発する植民地での経済的な陰りがハンセン病対策の紆余曲折に拍車をかけることとなる。経済的不安定さによってハンセン病対策にまで手が回らない植民地政府に代わり、その受け皿となったのがヨーロッパからのキリスト教宣教団であった。1897年に第1回国際らい会議にてハンセン病が遺伝病ではなく感染症であることが確認され、国際的に隔離政策が推奨されることになる。以降、宣教団が運営するハンセン病コロニーと呼ばれる隔離療養施設が患者たちの主な行き先となった。

現在、多くの国がCovid-19の影響のもとに防疫か経済かのはざまで揺れ動いている。本書で触れるような経済事情に翻弄されるハンセン病対策の不安定さは、今日の私たちにとって全く無関係な話とは思えない内容である。

おわりに

繰り返しになるが感染症(対策)の歴史を綴る試みは、その時代や地域の政治・経済・宗教・文化など、あらゆる側面と密接にかかわり、社会全体への理解につながると言えるだろう。今回は詳しく取り上げないが、医学者でもあり人類学者でもある清野謙次の『インドネシアの民族醫學』(太平洋協会出版部、1943年)では、現地の医学(=民族医学)というものがその土地の文化や宗教の一部となっており、総体的に学ぶことの重要性を冒頭で熱心に指摘している。著者の関心は、大東亜共栄圏の構築という当時の大義に基づいたものであったとはいえ、病や医療の問題が必ずしも近代医学や関連する科学分野だけのものではないことを再確認させられる文言である。

そして、もしも今日のCovid-19を題材に私たちの経験が描かれるとしたら、それは膨大な超大作となる予感がする。ただし、その大作に挑戦する歴史家が現れるのはまだ当分先のことかもしれない。

写真:植民地期のバタヴィア(現在のジャカルタ)の様子

植民地期のバタヴィア(現在のジャカルタ)の様子
写真の出典
  • Andries Beeckman, The Castle of Batavia, 1661(source: www.rijksmuseum.nl)(Public Domain).
著者プロフィール

土佐美菜実(とさみなみ) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課。担当は東南アジア島嶼部。

  1. WHO 2019. Global tuberculosis report 2019.
  2. 2020年7月28日に発表された1日あたりの新規感染者は1748人であった。感染者の累計は10万2051人にのぼる。詳しくはCovid-19対策チームのウェブサイトで確認することができる。
  3. Covid-19対策チームウェブサイトのデマ情報関連ページ
  4. "Vaksin MR 'tidak halal': MUI pusat bolehkan karena darurat, di daerah masih ada yang menolak", BBC News Indonesia, 22 August 2020.