ライブラリアン・コラム

特集

ウェブ資料展:途上国と感染症

感染症から読み解くスペインの新大陸征服と植民地史

村井 友子

2020年8月

今回紹介する資料
末尾に「(※)」印が記載してある資料はアジア経済研究所図書館で所蔵しています。リンク先は図書の蔵書目録(OPAC)になります。
はじめに

2019年末に中国武漢市で発生した新型コロナウィルス(COVID-19)感染症は、人の移動により飛沫感染等を通じて短期間で全世界に拡がった。2020年8月1日時点で、感染者数は1780万人、死亡者数68.3万人に上り、その勢いは未だ留まることを知らない。

人類史上未曾有のパンデミックと化したCOVID-19だが、世界史を紐解くと、疫病との闘いは、古から今日まで幾度となく繰り返されてきた。交易、探検、遠征、植民等による民族の大移動の裏には、必ずと言っていいほど、外部の侵入者がもたらす感染症に罹患し、命を落とす夥しい犠牲者が存在した。

コロンブスの「新大陸発見」と天然痘

なかでも、1492年のコロンブスによる「新大陸発見」とスペインによる征服と植民地化がもたらした病原菌は、アメリカ大陸・カリブ海地域の先住民社会に壊滅的な影響を与えた。

物語ラテン・アメリカの歴史――未来の大陸』は、文化人類学者増田義郎による古代から20世紀半ばまでのラテン・アメリカ史の書き下ろしである。 本書によると、アメリカ大陸は、長い間旧大陸から孤立した環境にあったことにより、固有の動植物相を形成した。人間は、ホモ・サピエンス種が成立してまもなくアメリカ大陸に渡り、後続部隊がなかったため、その後旧大陸で発生した疫病は、新大陸に渡ってこなかった。そのため、アメリカ大陸の住民たちは、ヨーロッパ人が15世紀末にカリブ海に姿を現したとき、旧大陸ではあたりまえになっていたウィルス性の病気、たとえばインフルエンザ、麻疹、天然痘を知らなかった。

最初の犠牲者は、コロンブスが第1回航海で「発見」し、「イスパニョーラ島」と名付けた島(現在のドミニカ共和国とハイチ)に居住していたアラワクと呼ばれる先住民族であった。彼らはキャッサバの栽培を中心とした焼畑農業を営んで生活していたが、突然現れた侵略者に征服され、支配下に置かれることになった。スペイン人に捕らえられ、奴隷として砂金採集等の過酷な強制労働を課される憂目にあった先住民たちは、疲弊し、旧大陸の病原菌の免疫を持たないため、次々と病に倒れていった。

ヨーロッパ帝国主義の謎 エコロジーからみた10~20世紀』の著者クロスビーによると、イスパニョーラ島の先住民族滅亡の引き金を引いたのは1518年の終わりか翌19年の初めに同島に到達した天然痘であった。天然痘ウィルスによって引き起こされるこの急性感染症は、アラワク族の3分の1か半分を速やかに死滅させたという。

先住民の代替労働力として、この島に連れてこられたアフリカ人は、過酷な強制労働により、数年で命を落とすことも多かったが、奴隷貿易により労働力として補充されたことに加え、旧世界の病原菌に耐性を有していたことから、この地に定着していった。イスパニョーラ島の住民は、スペイン人による侵略、植民地化、奴隷貿易そして病原菌により、完全に入れ替わることになったのである。

コロナ禍の今日、再び静かなブームを呼んでいるロングセラー『銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』の著者ダイアモンドは、疫病に免疫のある人たちが免疫のない人たちに病気を移したことがその後の歴史の流れを決定的に変えたと指摘している。スペイン人による新大陸遠征は、その後、コルテスのアステカ帝国征服(1521年)、ピサロのインカ帝国征服(1535年)へと発展した。この二つの歴史的大転換の裏にも天然痘のパンデミックによる先住民社会の衰退があった。

写真:スペインによる征服後、天然痘のパンデミックに苦しむアステカ人。

スペインによる征服後、天然痘のパンデミックに苦しむアステカ人。
La población, siglos XVI al XX

本書は、感染症が人口変動に与えた影響に光をあてながら、メキシコ500年史における人口の推移と人口構成の変容を考察した歴史人口学の研究書である。著者エルサ・マルビドは国立人類学歴史研究所(INAH)で44年にわたり、感染症と死を研究テーマとしてメキシコ史を研究した歴史学者である。なお、本書の人口統計のうち、植民地政府によってセンサスが実施される(1793年、1803年、1810年)以前の時代については、植民地政府の納税者記録とカトリック教会の各教区の信徒の記録などの史資料をもとに歴史学者が算出した推計値を用いている。本項では、マルビドの植民地時代の感染症の論考を中心に紹介したい。

コルテスのアステカ帝国征服と天然痘

スペイン人によりメキシコに感染症が最初に持ち込まれたのは1519年。コロンブスによる新大陸発見から27年後のことであった。コルテスは、先述のイスパニョーラ島の植民者であったが、キューバに渡り、その後スペイン軍を率いて、ユカタン半島からアステカ帝国の首都テノチティトラン(現在のメキシコ・シティ)へと遠征した。コルテスによるアステカ帝国の征服は1521年に完了するが、アステカ軍との最初の一戦では、スペイン軍側についた先住民トラスカラ人とセンポアラ人の兵士の間に天然痘が拡がったために敗退を余儀なくされた。この戦闘後ほどなく、アステカ側にも天然痘が拡がり、多くが命を落としていった。当時カリブ海地域に蔓延していた天然痘ウィルスは、スペイン軍の進軍とともに移動し、アステカ帝国でパンデミックを引き起こしたのである。

ヌエバ・エスパーニャと感染症

アステカ帝国崩壊後、スペイン王室を頂点とする植民地ヌエバ・エスパーニャ副王領は、先住民族が集住する中央部から南部、北部へと段階的に勢力を拡大し、各地に点在する先住民共同体を制圧後、植民地経済とカトリック教会の支配下に取り込んでいった。この植民地体制の確立期にあたる16世紀に先住民人口が急減し、1518年に2500万人いたと推計される先住民人口は、85年後の1603年に100万人まで減少したという。その主たる要因のひとつが、入植者達が持ち込んだ天然痘(1519年~)、麻疹(1531年~)、水疱瘡(1538年~)、ペスト(1545-49年~)、おたふく風邪(1550年~)、百日咳(1562年~)などの感染症であった。これらの感染症の免疫を持たない先住民たちは、感染すると、極めて高い確率(当時の致死率――天然痘90%、麻疹80%、ペスト90%など)で命を落としていったのである。

感染症の病原菌は、大西洋側にスペイン人が築いた貿易港ベラクルスにヨーロッパから到来する人々、家畜、貨物を媒介としてヌエバ・エスパーニャ全域に拡散し、長い歴史のなかで、パンデミック(大流行)、エピデミック(流行)、エンデミック(地域限定的流行)を各地で繰り返し引き起こし、多くの犠牲者を生んだ。初期の植民地社会は、先住民族とその2%にも満たない支配者層の少数のスペイン人で構成され、先住民人口の激減による先住民共同体の崩壊、放棄された土地の荒廃、慢性的な労働力不足などの深刻な問題を抱えていた。

しかし、17世紀になると、植民地体制がようやく安定し、植民地社会は成熟期に入っていった。ヌエバ・エスパーニャの人口構成も次第に変容していき、17世紀から18世紀にかけて、先住民と白人の混血メスチーソや植民地生まれのスペイン人クリオージョの数が社会のなかで徐々に拡大していった。これに加え、スペイン人以外のヨーロッパ人、南部の砂糖黍プランテーションの労働力として連れてこられたアフリカ人、1565年にスペインの植民地になったフィリピンのマニラからガレオン船に乗って、太平洋を越え、アカプルコやサンタ・クルス (現在のワトゥルコ)に到来するアジア人など、植民地社会の人種構成は多様化していった。この社会変容と世代交代の過程で、疫病の罹患後生還した先住民の子孫や、メスチーソの身体に、旧大陸由来の疫病に対する抗体が形成され、感染症に対して耐性を持つ人々の数が増えていったことにより、疫病による人口の急落に歯止めがかかったとマルビドは論じている。

しかし、その一方で、ペスト菌と呼ばれる動物由来の細菌を病原体とする感染症ペストは、一旦流行すると、人種を問わず高い確率で人々を死に追いやった。また、数十年ごとに繰り返し流行する様々な感染症は、罹患経験のない若年層を中心に犠牲者を出し続けた。結果、ヌエバ・エスパーニャは17世紀以降も依然として人口低迷の問題を抱え続けることになったのである。

以上のように、1519年から1821年まで続いたヌエバ・エスパーニャ副王領は、長年にわたり感染症に苦しめられ続けた。 そのなかで、特筆すべきは、1796年のイギリス人医師ジェンナーによる天然痘の種痘法の確立であろう。このワクチン接種はイギリスで絶大な効果を発揮したことから、すぐに世界中に広まり、ヌエバ・エスパーニャでは、1803年に、スペイン国王カルロス4世の命で派遣されたスペイン人医師バルミスが集団接種を実施している。ワクチンの改良により、WHOが天然痘の世界的な根絶を宣言したのは1980年になってからであるが、ジェンナーの種痘法は、天然痘のパンデミックで夥しい犠牲者を出してきた植民地社会にとって大いなる福音であったことは想像に難くない。

おわりに

図1のとおり、メキシコの人口は20世紀に入ってから急速に増加し、現在同国の総人口は約1億2千万人に至っている。2015年の中間センサスによると、メキシコの総人口の約21.5%にあたる約2440万人の国民が先住民としてのアイデンティを持っており、約6.5%にあたる約740万人が先住民言語の話者である。奇しくも、500年の歳月を経て、メキシコの先住民人口は、コルテスによるアステカ帝国征服直前の推計値に近づいている。しかし、彼らが置かれている状況は依然として厳しく、先住民言語話者の10人に7人が貧困層に属し、15.1%が医療サービスへのアクセスを保証されていない1

図1 メキシコの総人口の推移

図1 メキシコの総人口の推移

2020年8月1日のメキシコのCOVID-19の感染者数は43万4193人で世界第6位、死亡者数は4万7472人で世界第3位と、COVID-19のパンデミックは同国で猛威を振るい続けている。この厳しい状況のなかで、セーフティネットを持たない貧困層が最も脆弱な立場にあることは言うまでもない。スペインによる新大陸征服の歴史は、先住民族に感染症による甚大な犠牲を払わせた。この歴史を繰り返してはならないという思いとともに、今後のメキシコ政府のCOVID-19対策を注視していきたい。
写真の出典
  • Florentine Codex(Public Domain).
著者プロフィール

村井友子(むらいともこ) アジア経済研究所学術情報センター。担当はラテンアメリカ。主な著作は、「分断された二つの国――ドミニカ共和国とハイチ」(『ラテンアメリカ・レポート』13巻2号、1996年)、"The foundation of the Mexican welfare state and social security reform in the 1990s," (Comparative study of social security systems in Asia and Latin America - A contribution to the study of emerging welfare states-)The Developing Economies, Vol.42, No.2, 2004など。