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(混沌のウクライナと世界2022)第12回 アメリカの戦略転換と地域紛争――ロシア・ウクライナ戦争の影響とその展望――

Grand-Strategic Change and Regional Conflicts: Assessing the Impact of the War in Ukraine on U.S. Grand Strategy

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053525

2022年11月

(7,635字)

アメリカの戦略構想への影響は?

2022年2月24日、ロシアはウクライナに対する全面進攻を開始した。前年秋より国境に展開していたロシア軍が、「特別軍事作戦」と称して、ウクライナ東部のみならず、首都キーウを含めた全土への侵略を図ったのである。しかしながら、当初は圧倒的不利にあると予期されたウクライナ軍は善戦を続け、戦況は長期化の様相を呈している。本稿執筆時点(2022年11月初旬)でウクライナ軍は反攻に転じて久しく、他方でロシアは動員の強化に追い込まれ、前線では激しい戦闘が続いている。

2021年1月に誕生したジョセフ・バイデン(Joseph R. Biden, Jr.)米政権は、中国との長期的競争への勝利を掲げた戦略構想の整備に取り組んできた。その柱は、同盟関係の強化、アメリカの国力の再建、中国の成長鈍化にある。同時に、バイデン政権は中国にリソースを集中すべく、国際環境の改善を試みた。2021年半ばから夏にかけて、バイデン政権が大きな混乱を伴いながらもアフガニスタンからの撤退を断行し、またロシアとの関係改善を模索した所以である1

ロシア・ウクライナ戦争の勃発によって、米ロ関係の安定という当初のバイデン政権の方針は継続不可能となった。ではこの戦争は、どこまでアメリカの戦略構想を変化させるのだろうか。従来の中国を中心とした戦略構想を根底から覆す戦略転換を導くことになるのか、それともその修正に留まるのか。またその変化は、アメリカの同盟政策、そして日米同盟にどのような影響を与えるのか。これは中国と向き合う日本外交の今後を占ううえでも鍵となる問いである。

本稿では、戦略論と同盟論の視点から、分析の前提となる概念を再検討することで、アメリカ外交への影響を考えてみたい。結論を先取りすれば、ロシア・ウクライナ戦争の勃発ではなく、この戦争の終わり方が(あるいは終わらないという状況が)、アメリカのグローバルな戦略構想、さらには日米同盟に甚大な影響を与える可能性がある、ということになるだろう。

写真1 米国務省で習近平国家主席と並ぶ バイデン副大統領(当時)(2015年9月25日)

写真1 米国務省で習近平国家主席と並ぶ
バイデン副大統領(当時)(2015年9月25日)
世界戦争と戦略構築

まずは基礎的な概念を整理し、今次の戦争とは、また戦略とは何であり、あるいは何ではないのかについて考えてみたい。

戦略(strategy)という言葉は難しい。軍事の世界では、狭義の軍事行動に関する用語として、作戦(operation)および戦術(tactics)の上位に位置する概念として使用されている。そもそもこの言葉が軍事に関するギリシア語に語源を持つことを考えれば、これが最も正当な用法であろう。

だが一般に「アメリカの戦略」というとき、そこで意識されているのは狭義の軍事戦略(military strategy)のみならず、政治、外交、あるいはイデオロギーや文化といった要素を包含した高次の戦略概念、すなわち大戦略(grand strategy)である。本稿では戦略という言葉を、この大戦略の意味で用いていることに留意されたい。

一見して茫漠とした概念である。近年の研究で、ニナ・サイローブは(大)戦略という概念の曖昧さを指摘し、整理を試みている。それによれば、戦略という言葉は、サイローブが戦略の「基本指針」(grand principles)と名付けた、政策決定者・エリート層に共有された国家の目標や行動の原則という意味で使われることがある。あるいは、ある国家の過去の行動から浮かび上がる戦略的なパターン、つまり「行動様式」(grand behavior)を指すこともある(Silove 2018)。この基本指針や行動様式としての戦略は公文書等にまとめられているわけではなく、一般的には実態を捉えることが難しい2

しかしながら、こと第二次世界大戦後のアメリカの戦略を考えるとき、その基本指針あるいは行動様式には一定の共通了解がある。すなわち、アメリカの安全保障とは、狭義の国防に留まらず、その民主主義的な政治体制、資本主義的な経済活動、自由主義的な価値の防衛であり、換言すれば広義の「アメリカ的生活様式」(American way of life)の維持にある。そしてその実現のためには、アメリカと価値および政治体制を共有する民主主義諸国が数多く世界に存在し、米企業の活動を支える資本主義的経済システムがグローバルに広がり、これを支える国際制度が構築されなければならない。

戦前までの西半球の防衛を焦点とする伝統的な戦略を一新した、いわゆる「リベラルな国際秩序」(liberal international order)の構想である3

この現代アメリカの戦略を支える基本指針は、第二次世界大戦、そして冷戦という戦火なきグローバルな戦争に起源がある。国際政治学では、藤原帰一とジョン・アイケンベリーによって、三十年戦争4、ナポレオン戦争5、第一次世界大戦、第二次世界大戦といった当時の国際社会全域を巻き込む大戦争が、大国間の力関係の変動のみならず、新たな国際秩序が誕生する契機となると指摘されてきた6。いわゆる世界戦争である。アメリカは、第二次世界大戦というシステムレベルの変動期に、自らにとって望ましい国際環境を再定義し、その実現の追求を図ろうとする新たな基本指針を打ち出した。レベッカ・リスナーは、近年の研究で、アメリカが国際システム自体への向き合い方を根本的に転換したこの瞬間を捉え、これを「戦略構築」(strategic overhauls)と名付けている(Lissner 2021)。

以上をふまえれば、世界戦争によって大国間のパワーバランスと利害関係は著しく変化し、したがって戦後の主要な大国は戦略構築に踏み切って新たな基本指針を掲げることとなり、その相互作用のなかから戦後の国際秩序が生まれると整理できよう。

地域紛争と戦略構想

ロシア・ウクライナ戦争がアメリカの戦略に与える影響を検討する際、まず確認しておくべきは、この戦争は現段階で世界戦争ではない、ということである。同戦争には世界各国が強い関心を持ち、ウクライナには北大西洋条約機構(NATO)諸国が精力的な援助を行っている。だが現在のところ直接の参戦国はロシアとウクライナに限定され、戦場の範囲もウクライナ国内に局限されている。こうした世界戦争に至らない限定的な武力紛争は、さまざまな時代に多様な名称で呼ばれてきたが、ここではさしあたり「地域紛争」と呼んでおきたい。

この地域紛争は戦略構築の契機とはならない。欧州諸国やロシアにとってはともかく、少なくともアメリカからみたとき、この戦争がアメリカ主導の国際秩序の擁護という従来の基本指針自体の変更を促すものとはいえない。むしろその必要性を再確認させるものであろう。つまりロシア・ウクライナ戦争のアメリカの戦略への影響を考えるとき、問題となるのは、その基本指針ではない。

注目すべきは、サイローブが「戦略構想」(grand plans)と呼び、基本指針(grand principles)や行動様式(grand behavior)と区別した、より狭義の戦略概念へのインパクトである(Silove 2018)。具体的には、包括的な中短期の戦略目的、すなわち対処すべき脅威を設定し、またこれに対処するための手段とリソース配分の優先順位を整理した政府の公式文書であり、アメリカでは「国家安全保障戦略」(NSS: National Security Strategy)が該当する7

戦略構想の根幹は、主たる目的(脅威)の所在とこれに対応する手段を結びつける論理にある。このいずれかが大きく転換することを、本稿では戦略転換(strategic transformations)と呼びたい。すなわち、目指すべき国際環境のあり方(基本指針)は継受しつつも、脅威およびリソース配分の優先順位、またその背景となるロジックに変化が生じるケースである8

ただしこれまでの歴史を振り返ってみると、第二次世界大戦後のアメリカの戦略構想に関する限り、地域紛争が勃発した時点で戦略転換が生じるわけではない。地域紛争が勃発したとき、アメリカは既存の戦略構想を適用してこれに対応しようとするからである。例えば1950年の朝鮮戦争の勃発は、前年にすでに米政府内部で提起されていたNSC68(国家安全保障会議文書68)の戦略構想の実施を促進する役割を担い、新たなアメリカの戦略構想を生み出したわけではない。2003年にはじまるイラク戦争の事例でも、アメリカの開戦決定の背景に2001年の同時多発テロに端を発する予防攻撃論(先制攻撃ドクトリン)や、より広義には1990年代以来のリベラルな戦争論の影響をみることはできるが、この戦争の勃発によってアメリカの新たな戦略構想が出現したということは難しい9

ロシア・ウクライナ戦争をみても、現在までのところ、バイデン政権が戦略転換に踏み切ったとはいえない。2022年10月に公表されたNSSや国家防衛戦略(NDS: National Defense Strategy)といった文書において、バイデン政権は、中国を長期的な唯一の挑戦者と位置付ける姿勢を改めて確認した。またその対応手段として、アメリカの国力の回復、中国の成長の阻害、同盟・友好諸国との協調を重視する姿勢も政権発足時から変化していない。NSSの公表はロシア・ウクライナ戦争の勃発によって延期されており、その影響が反映されていると考えることができる。だがジェイク・サリバン(Jacob J. Sullivan)大統領補佐官が述べたように、NSSによって「バイデン政権の外交政策に対するアプローチが根本的に変化したわけではない」10。ロシア・ウクライナ戦争の勃発は、アメリカの戦略転換の契機とはならなかった。

地域紛争の勃発と戦略調整

だが戦略構想の根幹が維持されたとしても、地域紛争の勃発によって既存の戦略構想に内在する要素の一部が強調され、二次的な脅威が付加されることや、あるいはリソースの投入が量的に増減することはあり得る。とりわけ後者の手段の増強では、国内における軍事へのリソース配分の拡大たる軍拡のみならず(内的均衡――internal balancing)、国外からのリソースの調達、つまり同盟関係の強化(同盟国への負担分担要求の拡大)が生じることに注意が必要である(外的均衡――external balancing)。既存の戦略構想の内部にすでに生じていた変化を意識化し、手段を整備し、変化を固定・推進する。これを本稿では、戦略調整(strategic adjustments)と呼びたい11

アメリカの戦略構想の変遷を一瞥すれば、地域紛争の勃発が戦略調整の契機となってきたことが確認できる。朝鮮戦争の勃発は、アメリカの大規模な軍拡と、NATO・日米同盟・米比同盟・ANZUS(オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ3国間の安全保障条約)といった米同盟網の形成、すなわち手段の大幅な拡張が起こった事例として知られる12。アメリカは、ベトナム戦争では自由世界援助計画(Free World Assistance to South Vietnam)の名のもとに、湾岸戦争では国連決議に基づく多国籍軍として、同盟諸国のリソースの動員を試みた。アフガン戦争・イラク戦争では、アメリカはテロ組織のみならず、これを黙認する国家の存在や、彼らが潜伏する地域の不安定性を対処すべき脅威に追加し、また有志連合(coalition of the willing)として同盟諸国からのリソースの獲得を図った。つまり地域紛争の勃発によって、紛争以前の米戦略構想に既に存在した一部の要素の先鋭化・明確化と、リソースの増強、とりわけ同盟国に対して戦時協力を求める「連合形成」(coalition building)をはじめとした負担分担要求の拡大が生じる13

ロシア・ウクライナ戦争の勃発も、やはりアメリカの戦略調整の契機となったと評価できる。まずロシアが対応すべき脅威となったことは自明だろう。バイデン政権は本稿執筆時点ではロシア・ウクライナ戦争に参戦しておらず、また今後も直接の武力行使には踏み切らないということを繰り返し明言しており、この点で上記の事例とは異なる。しかしながら、バイデン政権はウクライナに大規模な軍事援助と濃密な軍事情報を提供し、またロシアに対する空前の規模の経済制裁に踏み切り、同盟諸国に対ロ制裁への協力とウクライナへの支援を求めている。事実上の連合形成といってよい。

これに伴って、2022年10月のNSSにおいて、バイデン政権は、ロシアを喫緊の安全保障上の課題として、中国に次ぐ脅威と位置付けた。2021年半ばの段階ではバイデン政権がロシアとの関係改善を模索していたことに鑑みれば、少なからぬ変化といってよい。アメリカにとっての脅威が「権威主義体制で、かつ現状を変更しようとする政策を掲げる諸大国」であると明記されたことは、対ロ抑止および経済制裁が、中国との長期的競争への対応という既存の戦略構想の一部に組み込まれたことを示唆する(The White House 2022, 8)。中国への対処を最優先課題とする既存の戦略構想の根幹は維持されつつも、ロシアという二次的な脅威が付加されたという点で、戦略調整が生じたといえる。

米戦略構想の手段に注目してみれば、同盟・友好諸国との協調と、その負担分担を推し進めるバイデン政権の姿勢がさらに鮮明となる。バイデン政権は、同盟諸国に対ロ制裁への協調を呼びかけるとともに、台湾へのコミットメントを強め、かつ日本をはじめとしたアジア同盟諸国に台湾と経済安全保障への関与の強化を求めている。また中国を見据えて、東南アジアにおいて、シンガポールやベトナムといった権威主義諸国と密接な軍事的協力関係を構築し、軍事政権発足以降は関係が停滞していたタイにも接近している(古賀 2022)。バイデン政権は、2021年の段階では民主主義サミットを開催するなど体制間競争を強調しており、現在も民主主義を重視する姿勢は一貫している。しかし同時にNSSでは、「民主的制度を導入していない、しかしルールに基づく国際秩序に依拠し、またこれを支援する諸国」と協調することが明記されたことにも留意したい(The White House 2022, 8, 16, 18)。同盟・友好国との協力の加速という点で、これも戦略調整ということができる。

要するに、ロシア・ウクライナ戦争によって、中国との長期的競争を見据えたバイデン政権の戦略構想が転換したわけではない。しかし、対処すべき脅威としてロシアが追加され、国際的な連携を重視する姿勢がより鮮明となり、同盟国への負担分担の期待が高まっている。一定の戦略調整が生じたといえよう。

写真2 米ロ首脳会談でのバイデン米大統領と プーチン露大統領(2021年6月16日)

写真2 米ロ首脳会談でのバイデン米大統領と
プーチン露大統領(2021年6月16日)
地域紛争の終焉と戦略転換

以上、地域紛争の勃発は、基本指針の再検討である戦略構築(strategic overhauls)も、戦略構想の抜本的見直したる戦略転換(strategic transformations)も導かず、その影響は戦略調整(strategic adjustments)、つまり既存の戦略構想内部の修正にとどまると指摘した。しかしながら、紛争の終わり方に注目してみると議論は一転する。すなわち地域紛争の終結(あるいは終結の不在)は、戦略転換の契機となり得るのである14

1953年の朝鮮戦争の休戦は、多くの研究でアメリカの東アジア戦略の転機となったと指摘されてきた。すなわち、中国を意識した軍事的封じ込めから、同盟諸国の政治・経済の安定を目指した体制間競争への転換である。またベトナム戦争の事例を見れば、その長期化は1971年の米中接近の重要な背景となった。この戦略転換によって、アメリカは、中国を対処すべき脅威ではなく「暗黙の同盟国」(tacit ally)と位置付けることとなり、東アジア情勢は一変する。さらに1975年のサイゴン陥落、つまりベトナム戦争の終焉によって、アメリカは東南アジアから後退し、同盟国タイからの撤退に追い込まれる。2000年代のアフガン戦争およびイラク戦争では、アメリカは紛争終結に失敗しただけでなく、中東・中央アジアの安定に20年という膨大な時間と多大なリソースを注ぎ込んだことで消耗し、米中間のパワーバランスの変化を加速させることとなった。中国との競争を強く意識した戦略構想を打ち出したバイデン政権が、アフガン撤退を断行したことは示唆的であろう。

以上の事例は、地域紛争の終結、あるいは逆に容易に終結せずに長期化するという事態が出現すると、アメリカは戦略転換を余儀なくされる可能性があるということを示している。地域紛争が終結に至る過程で、アメリカは当該紛争地域から撤退し、あるいは逆に、紛争後の地域の不安定化を抑えるためにそのプレゼンスを拡大せざるを得なくなる。これによって脅威の所在やリソース配分の優先順位に変化が生じ、戦略転換が生じるのである。

ロシア・ウクライナ戦争の場合も、終戦の段階で、ウクライナ、ロシア、あるいは欧州諸国に大規模な混乱が生じ、アメリカが欧州の安定のために膨大なリソースを継続的に投入せざるを得ない事態となれば、2000年代から2010年代にかけての時期と同様に、再びアメリカは中国との長期的競争への対応に力を注ぐことができなくなる。また逆に戦争が容易に終結せずに長期化し、その支援にアメリカのリソースが継続的に投入される事態となった場合も、やはり対中戦略を含めた戦略構想の見直しに発展する可能性がある。すでにロシア・ウクライナ戦争は8カ月以上にわたって続き、またアメリカはウクライナに巨額の支援を提供しており、米軍の中国への対応にいかなる影響があるのか、危惧される。

こうした状況にあっては、日本が、中国を念頭に防衛力の増強と米軍との連携強化に努めることは合理的であり、必要でもある。ただし、重要なのは実質的な防衛力の増強であり、見た目の財政支出の増額ではないということは確認しておきたい。

また同時に、ロシア・ウクライナ戦争が続く限り、新たな軍事衝突を東アジアで引き起こさないよう緊張関係を管理することが、日本の安全保障にとって短期的には非常に重要となる。そのため、対中抑止の強化のみならず、中国との意思疎通の重要性は高まるばかりである。さらにアメリカの戦略構想に与える影響と中国の存在を考えれば、ロシア・ウクライナ戦争を地域紛争に押しとどめること、ロシアに侵略の果実を与えることなく早期に戦争を終結させること、そして戦後のウクライナの安定を実現することが、日本の利益となることは明らかだろう。ロシア・ウクライナ戦争の早期かつ安定的な終結の実現は、この意味で、日本外交に突き付けられた課題でもある。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
  • 写真1 U.S. Department of State from United States, cropped.(Public Domain)
  • 写真2 The White House.(Public Domain)
参考文献
著者プロフィール

玉置敦彦(たまきのぶひこ) 中央大学法学部准教授。博士(法学)。専門は国際政治学、同盟論。おもな業績に、「ジャパン・ハンズ――変容する日米関係と米政権日本専門家の視線、1965-68年」『思想』1017号(2009年)。「帝国と同盟――非対称同盟の理論」東京大学大学院法学政治学研究科博士(法学)学位論文(2014年)。“Japan’s Quest for a Rules-based International Order: The Japan-U.S. alliance and the decline of U.S. liberal hegemony,” Contemporary Politics, Vol. 26, No. 4 (2020). “Japan and International Organizations,” (with Phillip Y. Lipscy), in Robert J. Pekkanen and Saadia M. Pekkanen eds., The Oxford Handbook of Japanese Politics. (New York: Oxford University Press, 2021)など。


  1. 詳細については玉置(2022)を参照されたい。
  2. サイローブは、戦略(grand strategy)という概念のなかに、基本指針(grand principles)、行動様式(grand behavior)、戦略構想(grand plans)の3つの意味が混在していると指摘した。戦略構想については本文にて後述。
  3. 関連文献、またドナルド・トランプ(Donald J. Trump)政権の位置付けについては玉置(2018)を参照。
  4. 1618年から1648年にかけて、ドイツを中心に欧州諸国を巻き込んで展開された大戦。終戦協定となったウェストファリア条約(1648年)を契機として、現代まで続く主権国家体制が誕生したといわれる。この点については現在の研究ではさまざまな見直しが行われているが、以上のような古典的見解を反映して、国際社会・主権国家体制を「ウェストファリア体制」と呼ぶこともある。
  5. フランス革命(1789年)を契機とした戦乱、とりわけ、ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)率いるフランスによる欧州全域への侵略に端を発する大戦。ウィーン会議(1814~1815年)で終戦を迎える。この後に成立したウィーン体制は保守的かつ抑圧的ではあったが、他方でクリミア戦争(1853年)までの40年弱にわたり、欧州の大国間の「平和」を実現したとも評価されている。
  6. この新たな秩序の構築は、世界戦争の勝者のイニシアティブによるのか、あるいは戦後の諸大国の合意によるのか、議論が分かれてきた。前者の議論を提起したものとしてIkenberry(2001)、後者の議論として藤原(1998a)やFujiwara(2003)がある。
  7. ただし、こうした文書に常にリソース配分の優先順位の記載があるわけではない。あるいは外部に公表される文書の場合、あえて明確にしない場合もある。
  8. リスナーはこれをstrategic adjustmentsと呼び、strategic overhaulsと対比している(Lisnner 2021)。この二分法に対して、本稿は本文のように3つの段階に区別することを提案している。本稿とリスナーの分類を比較すれば、①まずstrategic overhaulsは同様であるが、②リスナーのいうstrategic adjustmentsを本稿では戦略転換と呼び、③さらにより微妙な変化を捉える概念として、戦略調整という概念を追加したものと整理できる。
  9. イラク戦争については玉置(2016)を参照。
  10. The White House, “On-the-Record Press Call by National Security Advisor Jake Sullivan Previewing the Biden-⁠Harris Administration’s National Security Strategy,” October 12, 2022. (2022年11月2日最終アクセス)。
  11. Lissner(2021)やSilove(2018)の議論からは抜け落ちているレベルの変化である。
  12. なお、米韓同盟は朝鮮戦争の休戦を、米華同盟は第一次台湾海峡危機を契機として締結されている。
  13. ソ連のアフガニスタン侵攻も、米戦略構想への影響という点で興味深い事例である。だがこのときの西側諸国間協調は冷戦期の既存の制度の強化という側面が強く、アメリカによる連合形成といえるのかどうか、慎重な検討が必要である。
  14. この点については藤原帰一が先駆的な検討を行っている(藤原 1992; 1998b)。ただし、戦争の勃発と終焉が区別して論じられているわけではない。