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(混沌のウクライナと世界2022)第6回 ウクライナの「中立」は買えた――ロシア天然資源外交の興亡

Keep Ukraine Neutral: The Rise and Fall of Russian Gas Diplomacy

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053060

藤森 信吉
Shinkichi Fujimori

2022年6月

(6,530字)

ウクライナの中立

2022年2月24日、プーチン・ロシア大統領は、北大西洋条約機構(NATO)が「ロシアの歴史的領土であるウクライナ」を踏み台にしてロシア攻撃のタイミングをうかがっているとして、「安全保障上の脅威」を第一の理由に挙げてウクライナ侵攻を開始した1。そもそもロシア、ウクライナはともに旧ソ連諸国であり、ソ連時代の人的・経済的関係やインフラ、言語・文化・歴史の共通性を有してきた。そのため、ロシアはウクライナに対し、通常の国家間以上に豊富かつ効果的な梃子を有していた。ソ連時代の両国にまたがる分業生産体制は、独立後も維持され、両国間の貿易関係を下支えした。日常生活でロシア語はウクライナ語と同程度に利用されており、両国エリート間のコミュニケーションやウクライナ世論へのモスクワ・メディアの浸透を容易にした。また、「大祖国戦争2」はロシア人とともに勝ち抜いた輝かしい歴史として記憶されており、対ロ感情は悪くなかった。

1990年7月にウクライナ・ソビエト社会主義共和国最高会議が採択した主権宣言には、「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国は、将来において恒久的に中立国家となり、軍事ブロックに加わらない(中略)という自らの意向を厳に宣言する」と記されていた。この主権宣言は、ソ連からの独立を目指すものではなく(なぜならウクライナは1991年3月の連邦維持の是非を問う国民投票に参加している)、あくまでも刷新されるソ連邦の枠内でのものである。したがって「中立宣言」は、NATOの旧社会主義諸国への拡大を懸念するソ連邦に対するウクライナ側の自主規制と見ることができる。

ソ連邦の後継国を自認するロシアも、ウクライナの中立を重要視していた。1991年12月にロシア、ウクライナ、ベラルーシが調印した独立国家共同体創設条約においても「中立国の地位達成という願望を尊重する」という一文が盛り込まれていた。同時期、ウクライナ、ベラルーシだけでなく、モルドヴァも中立を宣言したのは、NATOの東方拡大問題が早くからロシアを含む旧ソ連諸国間で意識されていたことを物語っていた。

独立直後のウクライナは、中立政策の推進に熱心であったが、中・東欧諸国がNATO加盟を目指すなかで、ヨーロッパ安全保障から疎外されていることを認識し、加盟意思を表明しないまでもNATOとの協力関係を拡大させていくことになった(東野 2018)3。一方ロシアは、ウクライナの中立を天然ガスの供給により実現しようとした。いわば中立を買おうとしたのである。

以下、本稿は、安全保障上の課題であった「ウクライナの中立」をロシアが天然ガスを用いて実現しようとしたが、2014年以降に同手段が機能しなくなったことを論じる。

ウクライナを訪問したフォン・デア・ライエン欧州委員会委員長と記者会見するゼレンスキー大統領(2022年4月8日)

ウクライナを訪問したフォン・デア・ライエン欧州委員会委員長と
記者会見するゼレンスキー大統領(2022年4月8日)

表1 ウクライナの一次エネルギーに占める天然ガスの割合(1000石油換算トン)

表1 ウクライナの一次エネルギーに占める天然ガスの割合(1000石油換算トン)

(出所)ウクライナ国家統計局ウェブサイトを基に筆者作成。
天然ガス外交の素地

ウクライナは、一次エネルギー供給に占める天然ガスの割合が高く(表1)、その多くを輸入に依存している。そして輸入に占めるロシアの割合が高いという旧ソ連時代に出来上がった構造を維持してきた。ソ連時代に敷設された天然ガスパイプラインを利用する限り、供給源はロシアに限定される。中央アジア産の天然ガスも輸入可能だが、ロシア領パイプライン経由となるためロシア依存の解消にはつながらない。また、ウクライナの消費者はソ連時代の安価なガス料金に慣れており、ソ連解体後のガス輸入価格の国際化に対応できなかった。住民はソ連時代のような安い公共料金を望み、最大の輸出産業たる鉄鋼産業へも安価な天然ガス供給が政治的に求められていた。つまり、選挙での集票と利益団体からの圧力により、政府はガス料金引き上げをためらい、結果として価格転嫁が遅れ、以前の消費構造は維持され続けたのである。

一方で、天然ガス輸入は巨大な利権を生み出した。特に中央アジア・ロシア・ウクライナ・ヨーロッパ間の価格差から来る転売利益は莫大であり、この利権をロシアとウクライナ両国の政治家や天然ガス公社上層部で分け合っていた。

天然ガス利権が外交にどのように作用したかについては2つの見方がある。第1は、麻薬のようにお互いを切り離せない関係にしたため、ウクライナ政府内でロシア依存解消の意欲が生ぜず、ガス外交が長きに続いた。第2は、ロシア側が利権を要求することで外交面の一貫性が失われ、結果的にガス独占供給者かつガス債権者という有利な立場を外交的成果に結びつけられなかった、という見方である4

では、ウクライナに対してロシアはどのような天然ガス外交を行い、目的を達成しようとしたのだろうか。

黒海艦隊分割協定(1997年5月)

1992年以降、両国は旧ソ連ルーブル通貨から自国通貨に切り替え、名実ともに独立国家間の経済関係が樹立された。そして1993年から両国間でガス価格が「国際化」されたものの、対応できないウクライナは、ロシアの天然ガス公社ガスプロムに対し債務を累積させた。これを機に、ロシアのウクライナに対するガス外交が始まった5

最も顕著な例として、1997年5月28日に調印された「ウクライナ領におけるロシア連邦黒海艦隊分割および駐留に関連した相殺協定」が挙げられる6。そもそもこの協定は1995年2月に両国政府首脳間で仮調印され早期に発効可能であったが、1996年ロシア大統領選挙への影響を避けるため、本調印がずれ込んだ経緯がある。この協定は、ウクライナの対ロ・ガス債務30億7400万ドルをロシア側に引き渡した船舶・港湾設備および20年間(1997年~2017年)のロシア黒海艦隊の基地賃借料で相殺する、というものであった。ロシア側は、「ロシア黒海艦隊がウクライナ領に合法的に駐留し続ける限り、NATOはウクライナを加盟国に加えられない」と解釈した。また同月末、両国大統領が調印した「友好協力パートナーシップ条約」のなかには、「敵対する条約の調印を控える」との条項が盛り込まれていた。当時、ヤストルジェムスキー・ロシア大統領報道官(役職は当時、以下同じ)は「ロシアとウクライナ関係が近くなればなるほど、ロシアはNATO問題で悩まされることがなくなる」(Interfax-Ukraine, May 31, 1997)と述べていた。そこには、NATOへの接近を防ぐため、ロシアがウクライナを繋ぎとめるという考えが見て取れる。

ロシアの天然ガス外交は、クレムリンにとって望ましいウクライナ政治家の選挙応援にも向けられていた。ウクライナは2002年に公式に「ヨーロッパ・大西洋統合路線」を宣言し、従来のEU加盟に加えて、新たにNATO加盟の意欲を表明し中立を破棄していた。しかし、当時のウクライナ・欧米関係は、クチマ大統領の非民主的な政治手法や、イラクへのレーダー売却疑惑等で冷え切っていた。ロシアがウクライナを囲い込める機会は充分にあった。2004年のウクライナ大統領選挙2カ月前の8月、ロシアはウクライナと2000年に結ばれたガス供給価格(50ドル/1000㎥)の延長で合意した。ロシアは、欧米受けが良い野党候補ユーシチェンコを警戒しており、上がり続けるEU向けガス価格とは無縁の据え置きは、露骨な与党候補ヤヌコヴィッチへの援護射撃だったと見做せる7

2010年ハリコフ合意

2004年ウクライナ大統領選挙でヤヌコヴィッチを破り当選したユーシチェンコは、「ヨーロッパ・大西洋統合路線」を推進し、2008年のNATOブカレストサミットにおいては、ウクライナが将来的な加盟国となることが宣言された8

しかし、2010年に、ロシアが贔屓としていたヤヌコヴィッチが第四代ウクライナ大統領に就任すると挽回する機会が訪れる。ウクライナは、2009年1月にロシアとの間で調印したガス供給契約によりガス輸入価格の高騰に見舞われていた。このタイミングで、ロシアは「ウクライナの中立」を確固たるものとすべく、天然ガス供給価格の値下げを持ち掛け、2010年4月、ハルキウ(ハリコフ)において「ロシア連邦黒海艦隊のウクライナ領駐留問題に関する二国間協定」が締結された。この協定において、ロシアはウクライナに供給する天然ガス価格を2009年契約の算出価格から100ドル/1000㎥値引きすることと引き換えに、ロシア黒海艦隊駐留期間の25年延長を獲得した。すなわち、ウクライナのNATO加盟を阻止できる期間がさらに延びたのである。これに加えて、ロシアは、中立への回帰を規定する法律の採択をヤヌコヴィッチに求め、彼の与党「地域党」が第一党を占めるウクライナ議会は2010年7月、軍事的中立政策を謳う「内外政の基本方針」法を可決した。

しかし、この値引きをもってしても、ウクライナ経済は価格高騰に対応することができなかった。天然ガスを大量消費する鉄鋼業界は、ヤヌコヴィッチ政権の支持団体であり、かつ彼の故郷ドネツィク州の主要産業であった。また、2015年大統領選挙が近づき、有権者の支持を考えるとガス料金値上げは避けるべき選択肢であった。結局、ガス輸入価格の高騰を国内販売価格に転嫁できなかったウクライナの政権は、ロシアを頼るしかなかったのである。

2013年秋、ヤヌコヴィッチは、ロシアが提示する265.5ドル/1000㎥(四半期ごとに価格改定)という、当時の輸入価格の4割近い値引き提示に転び、代わりに2013年11月のEUとの連合協定調印の延期を決定した。EUとの連合協定調印は、NATO問題と直接関連はないが、ロシアは、ウクライナのさらなるヨーロッパへの接近は必然的にNATOとの関係拡大の加速を導くと見たのである。しかし、連合協定調印の延期は、首都キーウでの抗議運動を招きウクライナ全土に混乱が拡大するとともに過激化した。2014年2月、ヤヌコヴィッチは首都キーウを脱出し政権は瓦解に至った。

天然ガス外交の崩壊

ヤヌコヴィッチ政権が崩壊すると、ロシアは間髪入れずにクリミアに軍事侵攻して併合し、次いでウクライナ東部ドンバス地域への介入の度合いを強めていった。一方ウクライナの新政権は、2014年6月に棚上げされていたEUとの連合協定に調印した。これに対しロシアは2007年の黒海艦隊分割協定のみならず2010年のハリコフ合意の終了、そして2013年に約束した天然ガス値引き期間の打ち切りを通告した。

ウクライナ新政権は、必然的に「侵略国」ロシアに対する依存を解消するエネルギー政策を採り、一次エネルギー供給に占める天然ガスの割合を減らすだけでなく、天然ガス調達先をロシアとの長期契約からEUスポット市場に切り替えた。すなわち、ヨーロッパ企業がEU市場で調達した天然ガスを既存の輸送パイプラインを逆走利用して、ウクライナに輸送する「リバース輸入」を本格化させたのである。リバース輸入は2012年11月から開始されていたが、2014年以降の増強工事により全輸入量をカバーできるまでに輸送力が強化された。その結果、ウクライナは2015年11月にロシアからの天然ガス輸入量ゼロを達成し、EU輸入に完全に切り替えることに成功したのである(図1参照)。

図1 ウクライナの天然ガス供給源(10億m3)

図1 ウクライナの天然ガス供給源(10億m3)

(出所)ナフトガス・ウクライナ社ウェブサイトを基に筆者作成。

ウクライナは2019年2月に「ウクライナのEUおよびNATOの完全加盟を国家戦略路線とする」ことを憲法条項に盛り込み、一層のNATO加盟意欲を示した。それでもなお、ロシアはエネルギー外交を諦めていなかった。2019年7月のウクライナ議会選挙の直前に親ロ派政党「野党プラットフォーム・生活党」代表団がモスクワを訪問した際、ガスプロム社指導部と会談がセットされた。席上、ミレル・ガスプロムCEOは「新たな直接契約でロシアから輸入を再開できれば、ガス末端価格は25%下がる」(Tass 2019)と述べ、贔屓政党の選挙戦を支援した。「野党プラットフォーム・生活党」は、プーチンが贔屓するビクトル・メドヴェドチューク率いる政党で、選挙公約に「ウクライナの中立国家化」を掲げていた。しかしながら、ウクライナは、「侵略国」ロシアに依存しないエネルギー政策をすでに確立し、さらには、ウクライナの親ロ派政治勢力の大票田、すなわちクリミア、ドンバスはロシアによってウクライナ政治から切り離されていた。ロシアのエネルギー外交は、二重の意味でもはや機能する余地がなくなっていたのである。

2014年のロシアによるクリミア併合以降、貿易戦争と制裁の応酬により両国間の経済関係は縮小し、ロシア・メディア、ロシア語、ロシア文化はウクライナの公共空間から締め出された。結果、ロシアは天然ガスだけでなく、これまで持っていた手段が機能する土壌を喪失する。「ウクライナの中立」を実現するためにロシアに残された手段は、強制外交、すなわちミンスク合意の履行9、もしくは軍事力の直接行使しかなかった。しかしプーチンは前者の履行を諦め、結局は後者が選択されたのである。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
参考文献
著者プロフィール

藤森信吉(ふじもりしんきち) 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター共同研究員


  1. ロシア大統領府ウェブサイトを参照。例えば宇山智彦は、侵攻の理由を安全保障上の脅威ではなく「ロシアとウクライナの一体性」を説くプーチンの対ウクライナ歴史認識にあると指摘する(AERA.dot 2022)。
  2. ロシアおよび一部の旧ソ連諸国では、ナチス・ドイツの1941年6月のソ連侵攻から1945年5月9日の降伏までの戦争を大祖国戦争と呼称されている。ソ連は1939年9月にポーランドに侵攻したが、これは大祖国戦争に含まれない。ウクライナでは、2014年以降、「大祖国戦争」という名称は「第二次世界大戦」に置き換えられている。
  3. ウクライナとNATOとの関係については東野(2018)を参照。
  4. 2006年および2009年のいわゆる「天然ガス紛争」は、中央アジアおよびロシアのガスをウクライナに一括供給する利権をめぐる闘争とみなせるため、本稿では同紛争をガス外交の範疇に入れない。2006年にはロシア側が指定するRosUkrEnergo社が唯一の仲介者としてウクライナが輸入するすべての輸入ガスを一括で管理、2009年には翌年のウクライナ大統領選挙を睨んで、ティモシェンコ首相(当時)がユーシチェンコ大統領(当時)の資金源となっていた同社を仲介から外すことでプーチン首相(当時)と合意した。議論の詳細はBalmaceda(2015)を参照。
  5. 「ロシア連邦の対CIS諸国戦略路線に関するロシア大統領令」 (1995年9月14日)にガス外交を示唆する文面がある。ロシア大統領府ウェブサイト参照
  6. 条約、協定、ウクライナの法律はウクライナ最高会議ウェブサイトのデータベースを参照。
  7. ガス外交に加え、プーチン人気も効果が高かった。2000年代前半、ウクライナ世論は自国大統領よりプーチンを高く評価していた。Pania(2005, 30)table b14を参照。
  8. 2006年の「天然ガス紛争」にもかかわらず、ウクライナのNATO接近は止まなかったことになる。この事実は、「2006年天然ガス紛争は、ガス外交ではなく利権闘争である」という説を補強する材料となっている。
  9. 2015年2月にロシア、ウクライナ、ドイツ、フランス間で調印された「ミンスク合意履行のための措置パッケージ」(通称「ミンスク2」)の履行は、ウクライナに中立を押し付けるための強制外交と見做すことができる。ドネツィク州デバリツェベにおけるウクライナ軍大敗後に調印されたミンスク2のなかには「ウクライナ憲法の改正・非中央集権化、ドンバスに恒久的な特別な地位法の付与」という条項があり、ウクライナを連邦化し内外政の拒否権を含む権利をドンバスに付与することでNATO・EU加盟を阻止しようとするクレムリンの意図が込められていた。