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ライブラリアン・コラム

国境を超えて守りたい――知る権利と図書館の自由

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002002078

坂井 華奈子

2026年10月

文献にあらわれるさまざまな意見

「領土など、自国の主張と異なる資料があったときはどうしますか?日本も領土問題を抱えているでしょう?」

某国の政府系研究機関の職員を図書館見学ツアーで案内していた時のこと。さまざまな国の現地資料を持つ当館の書架を眺めながらの質問だった。とっさに「特別な対応はしていません。さまざまな立場で書かれた異なる意見の資料があれば、研究や議論のためにはそれらをあわせて提供することが必要です。」と答えた。念頭にあったのは『図書館の自由に関する宣言』である。もちろん領土に対する政府としての立場があることは理解できる。しかし、図書館としては多様な視点から書かれた資料があればそれぞれを提供する必要がある。

また別のある日、セミナーのために来所した海外の研究者らを案内していたときのことである。一人が母国語の資料の前で足を止め「この資料は自国ではとても物議を醸しているものです」と、それが日本の図書館にあることにやや驚きながら話してくれた。それを聞いて別の研究者も出身国の言語の棚を確認し、「確かに。私の国で議論になっている本もあります。」とうなずいた。さらに話題は隣国の資料へと移り、この棚ではそれほど論争的な資料は見当たらないようだとの感想から、その国では自由に出版すること自体厳しいのではないか、と話し合った。

こうした問題について考える際、図書館界には共有された理念がある。国際図書館連盟(IFLA)は『図書館と知的自由に関する声明』で知る権利と表現の自由を不可分のものとして位置付け、図書館が多様な資料を収集・保存し、検閲に反対する責任を負うとしている。また、日本図書館協会の『図書館の自由に関する宣言』では、「第1 図書館は資料収集の自由を有する」において、「多様な、対立する意見のある問題については、それぞれの観点に立つ資料を幅広く収集する」とし、さらに、「図書館の収集した資料がどのような思想や主張をもっていようとも、それを図書館および図書館員が支持することを意味するものではない」と述べている。

異なる立場から書かれた領土問題や歴史認識に関する資料が同じ書架に並ぶことも珍しくない。図書館の役割はどちらか一方を選ぶことではなく、利用者が比較し、自ら考えるための材料を提供することにあるのではないだろうか。

写真1 アジア経済研究所図書館の執務室にある「図書館の自由に関する宣言」ポスター

写真1 アジア経済研究所図書館の執務室にある「図書館の自由に関する宣言」ポスター
脅かされる自由

学生時代、禁書や検閲、図書館の蔵書に対する異議申し立てや知る権利について学び、議論する授業を受講した。前述の『図書館の自由に関する宣言』は、映画やコミックにもなった有川浩による小説『図書館戦争』でご存じの方も多いだろう。この宣言は図書館や図書館員のためだけのものではない。国民の知る自由を守るための図書館の宣言である。実際の宣言が制定された背景には、日本の戦時下の検閲と出版統制への反省をもとにした歴史的経緯がある。学生時代には、図書館の自由について学びながらも、検閲や情報統制はどこか遠い歴史上のものとして捉えていた。しかし、知る自由や情報へのアクセスをめぐる問題は決して過去のものではなく、現在でも世界各地で繰り返されている。

初めて実際の検閲に遭遇したのは、新人の頃、各国の新聞や雑誌の収集を担当していた時のことだった。次年度の契約更新のための基礎情報をまとめていた際に、中東地域では年度の途中で政府からの圧力を受け刊行停止になった新聞があることを知った。

担当地域である南アジアでも、しばしば出版活動への政治的圧力や情報へのアクセス制限の事例を目にする。インドにおける民主主義やメディアについて扱ったラヴィーシュ・クマール『声を上げる自由』では、政治や社会問題とともにジャーナリズムや報道の自由が主題となっている。また、南アジア全域をカバーし、政治や社会について報道する雑誌『Himal Southasian』は、2016年、拠点があったネパールで、政府機関による助成金の承認や外国人スタッフの就労許可などの手続きが進まず活動の継続が困難になったとして、刊行を停止した。直接的な発禁命令があったわけではないものの手続きが進まないことによって、媒体そのものが活動できなくなったのである。その後、Himal Southasianはスリランカに拠点を移し、2018年にオンラインで刊行を再開した。このように、情報の発信や流通を妨げる圧力は、直接的な検閲や発禁処分だけでなく、制度や行政手続きの形をとることもある。

最近の事例では、2026年にインドのジャンムー・カシミール連邦直轄領政府による図書館資料の取り締まりが実施され、4,249点の書籍が「反国家的内容」を理由に排除対象となったと報じられた。この具体的なリストは2026年9月現在、公開されてはいないが、その背景には2025年8月に政府が25冊の書籍を「分離主義的な言説や虚偽の歴史認識を広めている」として流通を禁止した政策がある。対象にはアルンダティ・ロイの『Azadi: Freedom. Fascism. Fiction.』など、当館でも所蔵している国際的に知られた著作も含まれていた。

米国では毎年、禁書週間(Banned Books Week)が開催され、図書館や学校で排除や利用制限の対象となった本を通じて読む自由や知る権利について考える機会が設けられている。しかし、毎年このような催しが行われるということは、それだけ現在も読む自由が脅かされ続けていることの裏返しとも言える。事実、米国の図書館界では図書の撤去要求だけでなく、図書館員への圧力や予算削減、展示や講演会への介入などが大きな問題となっている。米国の言論・表現の自由を擁護する非営利団体PEN Americaが2026年に公表した報告書『Out of Circulation』は、こうした動きから図書館が知的自由の拠点としての役割を果たせなくなる危険性を指摘している。

このように、現在でも知る自由が脅かされる事例は世界でも後をたたず、しかもその手法は検閲や発禁処分だけでなく、行政的介入、予算削減、組織運営への圧力など多様化している。だからこそ、図書館界ではそれを守るためのよりどころとして、宣言や声明を出してきたのだろう。

表現の自由を尊重し、知る自由を守ることの重要性は理解していても、様々な要因によりそれが必ずしも容易ではない状況は現実として存在する。図書館員は予算や制度、所属組織の方針など、さまざまな制約の中で働いている。カシミールのように、行政による取り締まりをその場で一介の図書館員が中止させることは困難だろう。新聞報道で大きく取り上げられれば世論は味方についてくれるかもしれないが、覆すのは容易ではなさそうだ。米国でみられる予算削減や職員の解雇、人事への介入、図書館員へのいやがらせなどを通じた圧力は対応がよりやっかいだ。もしもこのような状況が自分の身に降りかかったら…。こうした事例を見ていると、選書や展示、イベントの企画で萎縮したり、無意識のうちに無難な方向へと自己検閲をしたりしてしまいそうな危機感を覚える。

起きてしまった現実に対抗し、宣言や声明に基づいて団結することも重要だが、外国の図書館に働く同業者としてできることは何だろうか。実際に危機にさらされた見知らぬ同業者に思いを馳せながら、改めて自館の蔵書と向き合った。

写真2 25冊のリストにあったタイトルの一部

写真2 25冊のリストにあったタイトルの一部
国境を超えた資料を未来へつなぐ

資料や知識へのアクセスの保障という点では、論争的なものだけが重要なわけではない。当館のコレクションについて改めてみてみると、開発途上国・新興国の古い資料、貴重な一次資料も数多く所蔵されている。アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカの現地資料は日本では入手が難しいものも多いが、開館当初から継続して収集してきた。その後さまざまな経緯で寄贈されたものも含め、なかには本国でも十分に保存されていない資料が少なくない。

ずいぶん前のことだが、アフガニスタンの政府関係者が当館を訪れた際、貴重書コレクションの中から、1935年にアフガニスタン国から農業技術指導のために招聘された尾崎三雄氏が持ち帰った現地資料1をお見せしたことがある。すると、「これは、当時の小学校の教科書だね。紛争などでこのころのものは本国にはあまり残っていないのではないだろうか。とても貴重だよ。」と目を輝かせながら語り、長い時間見入っていた。

また、国連アジア太平洋統計研修所の紹介で、毎年のように来館するアジア各国の統計局の職員たちも、自国で数十年前に刊行された統計資料が当館の書架にずらりと並ぶ光景に驚きと感動の声をあげてくれる。

見学ツアーだけでなく、レファレンス対応で書架まで付き添った時にも、ある英国の研究者は「古い途上国の統計資料は、見た目はあまりよくないかもしれない。でも僕にとってはこの棚は宝石箱のようだよ!」と、刊行国の図書館では見つけられなかった資料を指し示しながら話してくれた。

ある国では読めなくなった資料が、別の国では読める。その可能性を残しておくことは図書館の大切な役割のひとつではないだろうか。図書館の役割は、正解を決めることではなく、さまざまな異なる声も含め資料へのアクセスを保障し、未来の利用者が自ら考える機会を残すことである。派手な仕事ではないかもしれない。しかし、資料を集め、保存し、提供し続ける。この静かな営みこそが、国境や時代を越えて知る権利と図書館の自由を守るもっとも確かな実践なのではないだろうか。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

参考文献

※特に言及のない限り、本コラムで参照したウェブサイトの最終閲覧日は2026年9月25日である。

写真の出典
  • すべて筆者撮影
著者プロフィール

坂井華奈子(さかいかなこ) アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課主幹。担当は南アジア。著作に「インド政府による電子ジャーナル購読計画“One Nation One Subscription”」(国立国会図書館『カレントアウェアネス-E』No.501 2025.5.22)、「インド情報の探し方・文献案内」(堀本武功・村山真弓・三輪博樹編『これからのインド──変貌する現代世界とモディ政権』東京大学出版会、2021年)、“A Guide to the Japanese Literature on the Battles of Imphal and Kohima.”(in Mayumi Murayama, Sanjoy Hazarika and Preeti Gill eds. Northeast India and Japan: Engagement through Connectivity, Routledge, 2022) など。