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相互依存の再編と経済安全保障
The Restructuring of Interdependence and Economic Security
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001947
2026年5月
(3,846字)
はじめに
近年、「経済安全保障」「デカップリング(経済切り離し)」「フレンドショアリング」といった言葉を耳にする機会が増えている。背景にあるのは、米中対立の激化、ロシアによるウクライナ侵攻、半導体や重要鉱物をめぐる輸出規制など、経済と安全保障が強く結びつくようになった国際情勢の変化である。
これまで世界経済では、「貿易が拡大すれば各国は豊かになり、相互依存が深まることで対立も抑えられる」という考え方が重視されてきた。実際、戦後のグローバル化はこの考え方を土台として進み、多くの国で経済成長をもたらした。しかし近年では、経済的な結びつきが、他国に対する圧力や影響力の手段として利用される場面が増えている。本レポートでは、全米経済研究所(NBER)に公開されている、近年の地経学研究の成果をもとに、世界経済で何が変わっているのかを整理する。より詳細な議論については、参考文献を参照されたい。
貿易は「利益」だけでなく「力」にもなる
従来、貿易は基本的に双方に利益をもたらすものと考えられてきた。各国が得意な分野に特化し、互いに輸出入を行うことで、世界全体の効率が高まるという考え方である。しかし近年の研究では、「どちらがどれだけ相手に依存しているか」が重要視されるようになっている。特に、依存関係が一方的である場合、その依存そのものが一方の国に大きな影響力(パワー)を与えると考えられている[Liu and Yang 2025]。例えば、ある国しか生産できない重要な部品や資源がある場合、その供給国は強い交渉力を持つ。輸出を止めれば、相手国の産業や経済活動に深刻な影響を与えられるためである。
実際、近年ではこうした事例が増えている。米国は中国向けの先端半導体輸出を規制し、中国も重要鉱物の輸出管理を強化している。また、ロシア産エネルギーへの依存が高かった欧州諸国は、ウクライナ戦争後に大きな影響を受けた。このように、経済的な相互依存は、協力関係を生み出すだけでなく、他国への圧力手段にもなり得ることが明らかになっている。
こうした問題を理解する上で重要なのが、「サプライチェーン」の存在である。サプライチェーンとは、原材料の調達から製造、輸送、販売までの一連の流れを指す。現在、多くの製品は一国だけでは作られていない。例えばスマートフォン一つをとっても、設計、部品製造、組立などが複数の国に分散している。これは国際分業の深化によるものであり、企業はより安く効率的に生産できるようになった。しかしその一方で、サプライチェーンが複雑化したことで、一部が止まると全体に影響が及ぶようになった。コロナ禍での半導体不足や、ウクライナ戦争によるエネルギー供給不安は、その代表例である。このため現在では、多くの国が「効率性」だけでなく、「安定性」や「安全性」を重視するようになっている。具体的には、調達先を複数化する、特定国への依存を減らす、同盟国との取引を強化する、といった政策が進められている。
経済安全保障
こうした流れのなかで重視されているのが「経済安全保障」である。これは、単に経済効率を追求するのではなく、国家安全保障の観点から経済政策を考えるという発想である。従来は、「安く輸入できるなら海外に依存した方が合理的」と考えられてきた。しかし現在では、「もし供給が止まったらどうなるか」というリスクも重視されるようになった。その結果、各国政府は半導体、蓄電池、医薬品、重要鉱物などについて、国内生産を支援する政策を強化している。また、先端技術の輸出規制や対外投資規制も拡大している。
もっとも、こうした政策は単純な保護主義とは異なる。近年の研究では、安全保障上のリスクが高い分野に限定して、選択的に介入することが重要だと指摘されている。つまり、現在の政策は「自由貿易を完全に否定するもの」ではなく、「過度な依存を避けるための調整」として理解する必要がある。
経済安全保障政策を考える際には、効率性と安全保障のトレードオフが重要な役割を果たす[Becko et al. 2025]。従来の経済学では、関税や補助金などの政策は、市場の効率性を損なうものとして否定的に捉えられることが多かった。しかし、供給停止や経済的威圧のリスクが存在する場合には、単純な自由貿易が必ずしも最善とは限らないという考え方が広がっている。例えば、ある国への依存が極端に高い場合、その国との政治対立や紛争によって供給が止まれば、経済全体に大きな損失が生じる可能性がある。このため、安全保障上重要な製品については、多少コストが高くても国内生産を維持したり、調達先を分散したりすることが合理的だと考えられている。
もっとも、安全保障を重視するからといって、すべてを国内生産に戻すことが望ましいわけではない。完全な自給自足はコストが極めて高く、現実的でもないためである。そのため近年では、「リスクの高い依存だけを減らす」という考え方が主流になりつつある。具体的には、調達先の多様化や、価値観を共有する国との経済連携強化によって、安全保障と経済効率の両立を目指す方向が重視されている。
政治体制と国内政治
こうした経済安全保障政策において、国家の政治体制や国内政治の仕組みも重要な要素となる[Clayton et al. 2025]。権威主義国家では、政府が企業に対して強い影響力を持つ。そのため、国家戦略に沿って企業行動を動かしやすい。政府は規制や補助金を通じて、企業に対し輸出制限や投資変更などを求めることができる。一方、民主主義国家では、法制度や市場原理、株主や世論などの制約が存在するため、政府が企業を直接統制しにくい傾向がある。ただし、権威主義国家においても、政府による介入が過度になると、企業活動の自由や市場の信頼が損なわれ、長期的な経済成長を妨げる可能性がある。
さらに、経済安全保障政策は単に国家間の競争だけで決まるのではなく、国内政治の影響も強く受ける。例えば、輸出規制や制裁によって利益を失う企業や産業は、政府に対して政策変更を求める可能性がある。一方で、安全保障上の利益は社会全体に広く分散するため、政策の負担と利益が一致しない場合も多い。そのため、経済安全保障政策は、単に「国家対国家」の問題ではなく、国内の利益団体や企業、政治勢力の間の調整問題としての側面も持っている。例えば、半導体規制では、一部企業は市場を失う不利益を受ける一方、政府は安全保障上の利益を重視して規制を進める。このように、経済安全保障政策は政治経済学的な対立を伴うケースが多い。
同盟と新しい多国間主義
近年の特徴として、経済分野でも「同盟」や国際協調の重要性が高まっている点が挙げられる[Clayton et al. 2025]。代表例が、米国による対中半導体規制である。米国は単独で規制を行うだけでなく、日本やオランダなど同盟国とも連携し、先端技術の輸出を制限している。特に、半導体製造装置で高い技術力を持つオランダ企業ASMLに対して、オランダ政府を通じて輸出規制への協力を求めた事例は象徴的である。このことは、現在の国際経済においては、市場規模や技術力だけでなく、「どれだけ同盟国を組織できるか」が大きな力になっていることを示している。つまり、現代の経済競争は、一国単独の競争というより、「連合対連合」という性格を強めつつあるのである。
もっとも、こうした動きは単純な「ブロック化」だけを意味するわけではない。近年の研究では、地政学的競争が強まるほど、むしろ国際的なルールや協調の必要性も高まると指摘されている。もし各国がそれぞれ安全保障を理由に自由に規制を強化すれば、世界経済は過度に分断(fragment)され、経済効率が大きく損なわれる可能性がある[Clayton et al. 2024]。こうした現象は協調の失敗(coordination failure)と呼ばれている。そのため現在では、供給網の安定化、産業補助金、輸出管理、重要技術の管理などについて、国際的なルールづくりの必要性が高まっている。つまり現在の課題は、「自由貿易を維持するか、安全保障を優先するか」という単純な二択ではない。安全保障を考慮しながらも、世界経済の過度な分断を防ぐための新しい国際協調の仕組みをどのように構築するかが重要になっている。
おわりに
こうした変化によって、自由貿易の時代は終わるのだろうか。近年の研究は、世界経済が完全に分断へ向かうとは考えていない。現代経済があまりにも深く相互依存しているためである。米国と中国は対立を深めているものの、依然として互いに巨大な市場であり、経済的に重要な存在であり続けている。そのため現実には、安全保障上重要な分野では依存を減らしつつ、それ以外の分野では経済関係を維持するという方向に進むと考えられている。
つまり現在起きているのは、「グローバル化の終焉」というより、「安全保障を組み込んだ新しいグローバル化」への移行である。現在の国際経済では、従来重視されてきた「効率性」や「自由化」に加え、「安全保障」「供給網の安定」「政治リスク」も重要な要素となっている。各国は単に「どこで最も安く生産できるか」だけでなく、「どの国への依存が安全か」を重視するようになっており、今後は効率性と安全保障のバランスをどのように取るかが、世界経済の重要な課題になると考えられる。
謝辞:本稿を作成するにあたり、椋寛教授(学習院大学)より有益なコメントをいただいた。また、本稿作成には日本台湾交流協会より研究助成(日台若手研究者共同研究)を受けている。ここに記して謝意を表す。
インデックス写真の出典
- The White House(Public Domain)
参考文献
- Becko, John S., Gene M. Grossman, and Elhanan Helpman 2025. “Optimal Tariffs with Geopolitical Alignment.” NBER Working Paper No. 34108.
- Clayton, Christopher, Matteo Maggiori, and Jesse Schreger 2024. “A Theory of Economic Coercion and Fragmentation.” NBER Working Paper No. 33309.
- Clayton, Christopher, Matteo Maggiori, and Jesse Schreger 2025. “The Political Economy of Geoeconomic Power.” NBER Working Paper No. 33353.
- Liu, Ernest, and David Y. Yang. 2025. “International Power.” NBER Working Paper No. 34006.
著者プロフィール
早川和伸(はやかわかずのぶ) アジア経済研究所 開発研究センター 経済統合研究グループ 主任研究員。博士(経済学)。専門は国際貿易、アジア経済。主な業績として、“What Goes Around Comes Around: Export-Enhancing Effects of Import-Tariff Reductions,” Journal of International Economics, 126 (2020, Ishikawa, J., Tarui, N.との共著)、“Impact of Free Trade Agreement Use on Import Prices,” World Bank Economic Review, 33(3) (2019, Laksanapanyakul, N., Mukunoki, H., Urata, S.との共著)などが挙げられる。
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