IDEスクエア
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(2024年インドネシアの選挙)第6回 政治YouTuberの台頭とインドネシアの民主主義
The Rise of Political YouTubers and Democracy in Indonesia
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001056
2024年7月
(4,653字)
インドネシアにおける民主主義の後退と市民社会
ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領の2期10年が任期満了を迎えようとしている。2014年に「初の庶民出身」として大統領に就任したジョコウィは、経済開発の成果や頻繁な現場視察などによる国民へのアピールによって、高い支持率を維持し続けた。他方で、情報および電子取引法(ITE法)の濫用によって、ソーシャルメディア上で政府や大統領を批判した人物が逮捕されるケースが頻発するなど、自由な言論空間たる市民社会の活動が制限された。とくに大統領の側近であるルフット・パンジャイタン海事・投資担当調整大臣の資源ビジネスへの関与を批判した2人のNGO活動家が、2021年にITE法違反で刑事告訴された事件は象徴的だった(2024年1月8日に無罪判決)。アムネスティ・インターナショナルによれば、この事件を含め、2021年1月から12月の間に人権活動家に対する367件の起訴や逮捕、暴力、脅迫があり、そのうち100人以上がITE法違反で告訴されたという。こうしたことから、ジョコウィ政権の2期目には多くの研究者がインドネシアの民主主義は後退しているとみなすようになった。
ジョコウィ大統領の権限濫用は、民主主義を支える最も重要な手続きである選挙の正統性までを揺るがした。2024年2月の大統領選挙を前に、ジョコウィは過去2度の大統領選で対決したプラボウォ・スビアント国防相を自らの後継者と位置付け、さまざまな手段でその当選を支援した(水野 2024; 見市 2024)。最大の問題は、プラボウォの副大統領候補に弱冠35歳だった長男ギブラン・ラカブミン・ラカを据えるため、大統領が憲法裁判所の審議に事実上介入したことだった1。選挙法では、40歳未満の者は正副大統領への立候補が認められていなかったにもかかわらず、大統領の義弟が長官を務める憲法裁判所の裁定でこれが覆った。その結果、ギブランの立候補が認められることになったのである。
さらに、プラボウォの選挙対策チームによるソーシャルメディアの活用は、候補者をめぐる諸問題を覆い隠した。過去の大統領選でも問題視されてきた、プラボウォの国軍特殊部隊隊長時代の人権侵害への関与は、「フェイクニュース」だとされた。代わりにプラボウォのチームは彼の大統領候補者としてのイメージを向上させるため、彼自身が舞台上で踊る様子のほか、それを加工してアニメ化した「かわいい」「踊る好々爺」の動画を大量にティックトック(TikTok)などのソーシャルメディアで流した。この戦略は効果的で、若い世代ほどプラボウォ組を支持することになった(川村 2024; 岡本・八木・久納 2024)。
他方で、ユーチューブ(YouTube)上では新たな形態での政治的議論がさかんになった。YouTubeは、少人数による親密な雰囲気のなかで、テレビでは扱いにくいテーマを長時間にわたって議論することができるソーシャルメディアである。簡単な機材さえあれば誰でも番組を始めることもできる。そのため、テレビ司会者や政治コメンテーター、元国会議員、NGO活動家などによる新設のYouTubeチャンネルが多数現れ、既存のテレビ局を凌駕する人気の番組を提供するようになった。第二次ジョコウィ政権下において自由な言論空間が狭まったことは、代替的なメディアの需要を高めさせた。さらに、2020年3月以降の新型コロナウイルス流行も、こうした傾向を後押しする大きなきっかけとなった。
こうした背景から、選挙期間中にはYouTubeでさまざまな議論が展開されるようになった。とくに投票日が近づくとジョコウィへの批判が高まり、NGO活動家や大学教員からも、国家機関による選挙への介入に対する抗議が広がった。そして、大統領選の3日前には「汚れた票」という約2時間の告発番組がYouTube上の複数のチャンネルで公開され、1千万回以上再生された。すなわち2024年の大統領選をめぐるYouTube上の批判的議論の盛り上がりは、インドネシアの市民社会の活発さを再確認する機会ともなったのである。
YouTuberと大統領選
インドネシアの人気YouTuberの多くは、日本と同様に、お笑いやゲーム実況、親子で楽しめるコンテンツなど、多様な層に娯楽を提供してきた。なかには数千万人のチャンネル登録者を抱えるものもいる。インドネシアでは、政治コンテンツの人気も高く、お笑いなど他ジャンルとの垣根も低い。そのため、2024年大統領選においても、候補者たちは人気YouTuberの力を借りることになった。
登録者2200万人を超えるインドネシア有数のYouTuberであるデディ・コルブジエルは、2000年代にテレビを舞台にマジシャン、プレゼンターとして名を馳せたいわゆる大物芸能人である。いち早く2009年にYouTubeチャンネルを開設し、多彩なテーマの一つとして、国政の話題も取り上げていた。しかし、本人の出演(自撮り)による10分以下のコメントがほとんどだった。当時はテレビの影響力の方がはるかに大きいとみなされており、YouTubeは政治の議論の場所にはなっていなかった。
彼のYouTube上の人気トークショー、「ドアを閉めろ」(Close the door)は2019年選挙後に始まった。芸能界のみならず、政界にも交友関係が広いコルブジエルは、カジュアルな雰囲気を演出してゲストの胸襟を開かせる。プラボウォも過去3年間に、2度彼の番組に出演している。そして2度目の出演は、大統領選投票日の前日であった。プラボウォ陣営がYouTuberの影響力をいかに重視していたかが分かるだろう2。
写真1 マジシャン、テレビ司会者で人気YouTuberのデディ・コルブジエル
政治YouTuberの台頭
2020年前半以降、コロナ禍によってあらゆる集会やセミナーなどがオンライン化していくなか、政治コメンテーターや元国会議員などがYouTubeチャンネルを次々と開設した。これらの「政治YouTuber」の先駆者たちは、ほとんどが50歳代半ばから60歳代の男性である(表1)。テレビの政治番組の有名司会者の多くは女性で、ゲストが男性なのとは対照的である。テレビ番組でこれまでゲストとして出演してきた政治コメンテーターたちは、YouTubeチャンネルによって国政に関する日々のコメントを自ら発信できるようになった。元国会議員やテレビ司会者の場合は、コルブジエルなど一部芸能人出身のYouTuberたちの成功にならい、ゲストと一対一のトークショー形式を採用している。しかしながら、個人のYouTuberが多彩なゲストを呼ぶためには広い人脈が必要である。そのため、この種のチャンネルの主宰者は、政界などの活動経験が豊富で顔の広い比較的高年齢の男性に偏っている。
政治YouTuberたちは、テレビではなかなか聞くことができない刺激的な議論を日々提供し、動画の再生回数とチャンネル登録者を増やしている。とくに人々の関心が高い大統領選は、政治YouTuberたちにとって視聴者獲得のための格好の機会であった。
表1 主要政治YouTuber
(注)YouTubeチャンネル登録者数は2024年5月末時点のもの。
2月の選挙時よりもそれぞれ概ね数万人増加している。
(出所)筆者作成
テレビの政治コメンテーターとして有名になり、YouTuberとしても成功した代表者がロッキー・グルンとレフリー・ハルンである。前者は、インドネシア大学政治学部の元教員で政治思想を専門とする。大胆な政権批判を売りとしており、テレビや他の政治YouTuberの間でも引っ張り凧である一方で、何度もITE法違反で刑事告発されてきた。後者は行政法の専門家で、2010年に憲法裁判所の汚職疑いを『コンパス』紙上で指摘、憲法裁に設けられた第三者委員会の委員長に任命されて有名になった。レフリー・ハルンもまたジョコウィ政権に批判的な立場を取り、とくにイスラーム色の強いグループと連携してきた。2023年7月には、レフリー・ハルンのチャンネルでのロッキー・グルンの発言が大統領の名誉を毀損したとして、二人揃って告発されている。いわばジョコウィ政権に敵対する「悪役」として存在感を示してきたのである。
後発ながら、自身のキャリアや人脈を背景に、旬のゲストとの対談で着実に登録者数を増やしてきた一人にアブラハム・サマドがいる。サマドは弁護士出身で、汚職撲滅委員会(KPK)委員長時代(2011〜15年)に、警察の汚職を追及した気骨ある活動家として知られている。2014年大統領選ではジョコウィの副大統領候補に名前が挙がったこともあった。しかしながら、2022年後半にYouTubeチャンネルを開設すると、ジョコウィ政権の諸政策に対する批判的立場を明確にした。こうした批判の最たるものとして、サマドのチャンネルは前述の告発番組「汚れた票」も公開した。
選挙期間中に数百万回の再生回数を誇る動画を提供できた政治YouTuberの多くは、以上のようなジョコウィ政権への批判者たちであった。
写真2 政治コメンテーターのロッキー・グルン
新世代の政治YouTuber
では、政治YouTubeの視聴者は中年以上であり、若者たちに影響を与えるのはもっぱらTikTok やインスタグラム(Instagram)の短い動画なのだろうか。そう簡単には言えないだろう。むしろ、インドネシア政治についてのYouTuberの動向からは、世代の広がりを見出すことができる。
2024年選挙に向けて急成長したYouTubeチャンネル「政治のすべて(トタル・ポリティック、Total Politik)」は、まだ30歳代半ばのアリ・プトラとブディ・アディプトロが運営している。世論調査機関で働いていたアリ・プトラがチャンネルを開設し、のちにアメリカ系のテレビ局CNNインドネシアの司会者であった友人のブディ・アディプトロが加わった。2018年のチャンネル開設当初は数千程度の再生回数の動画がほとんどであったが、2024年選挙を前に300万回を超えるものもあった。
このチャンネルの一つの特徴は、「緩さ」である。若者たちがカフェで議論しているかのような、気軽な服装や雰囲気で、政治家や専門家などのゲストから話を聞き出す。ゲストからホスト役の二人に問いかけることもある。典型的な動画は、一人ないし二人のゲストへのインタビューである。40分から1時間以上、カメラは長回しのままでほとんど編集はない。
このチャンネルは、選挙期間中にはさまざまな企画で視聴者を惹きつけた。最も再生されたのは、大統領候補のアニス・バスウェダン陣営による「仕込み」なしの対話集会「アニスに要求せよ(Desak Anies)」の中継だった。そこでは、若い人権活動家やミュージシャンが、アニスのかつてのジャカルタ州知事選での宗教アイデンティティの利用、LGBTQ+についての立場など、厳しい質問を投げかけた。この他、各陣営のスポークスパーソンへのインタビューや討論はもちろん、もう一人の大統領候補ガンジャル・プラノウォの一般支持者がプラボウォのスポークスパーソンに議論を挑む企画などもあった3。
2024年大統領選における政治YouTuberの台頭は、政治に関する議論の舞台を多様化させ、豊かにしている。政治や社会運動の一線を退いた中高年の男性政治YouTuberたちが先駆者となったが、すでに新世代が異なるアプローチで新たな市場を開拓している。第二次ジョコウィ政権で狭まった言論空間は、選挙をきっかけに再びこじ開けられた。そのなかで、YouTubeは有効なツールとなったのである。
写真の出典
- 写真1 Netmediatama, YouTube: The Best Of Ini Talkshow - Deddy Corbuzier Jadi Co Host, Penonton Histeris Senang (Waktu: 03.38).(CC BY 3.0)
- 写真2 Sorge Magazine, YouTube: Sorgemagz.com - Rocky Gerung "Perempuan Punya Pengetahuan Riil Tentang Keadilan" (Waktu: 00.15).(CC BY 3.0)
- インデックス写真 筆者撮影
参考文献
- 岡本正明・八木暢昭・久納源太 2024. 「ティックトックの政治化は民主主義を空洞化するのか?」『IDEスクエア』6月.
- 川村晃一 2024.「なぜプラボウォは圧勝できたのか?──2024年大統領選挙を開票速報から分析する」『IDEスクエア』3月.
- 見市建 2024. 「インドネシア大統領選 『最悪の選挙』 はいかに戦われたか」『世界』4月号 No.980: 109-112.
- 水野祐地 2024. 「インドネシアからの大統領選挙キャンペーン報告──選挙の公正性は守られるのか」『IDEスクエア』2月.
著者プロフィール
見市建(みいちけん) 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。博士(政治学)。専門はインドネシア政治研究、比較政治学。おもな著作に、『新興大国インドネシアの宗教市場と政治』NTT出版(2014年)、『ソーシャルメディア時代の東南アジア政治』(共編著)明石書店(2020年)など。
注
- Francisca Christy Rosana, “Bagaimana Anwar Usman Mengatur Putusan Mahkamah Konstitusi〔アンワル・ウスマンはどのように憲法裁判所の決定を操作したのか〕,” Tempo, 22 October 2023.
- プラボウォの個人アカウントのYouTubeチャンネル登録者数はわずか9万人ほどで、対立候補のアニス・バスウェダン(登録者数106万人)、ガンジャル・プラノウォ(264万人)に大きく水を開けられている。プラボウォ陣営は、個人アカウントとしては、もっぱら短い動画や写真を中心とするインスタグラム(1290万人)とフェイスブック(1092万人)に力を入れた。
- 選挙から4カ月経った2024年6月になってトタル・ポリティックは再び脚光を浴びることになった。きっかけはスタンダップ・コメディアンのパンジ・プラギワクソノをゲストに呼んだ動画である。パンジは、ジョコウィの世襲を批判してきた。見解を問われた司会のアリは、政治家の世襲は「アジア的価値観」を反映しており、法律で認められている「人権」であると、これを容認する発言をした。パンジはアリを厳しく非難し、このやり取りが大きな話題となった。2人はその後それぞれ複数のYouTubeチャンネルに出演して発言の意図を説明するなど、さらに波紋を広げた。とくにパンジは、公開から1日で200万回以上再生されたデディ・コルブジエルのチャンネルへの出演を含め、人気YouTubeチャンネルを渡り歩き、トタル・ポリティックや事実上プラボウォのキャンペーンに協力したデディ・コルブジエルを「体制派」と一刀両断した。さらに自らのチャンネルにアニス・バスウェダンやリドワン・カミル(前西ジャワ州知事)を招いて世襲の是非について議論を続けた。