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(グローバルサウスと世界)第6回 トルコはグローバルサウスに該当するのか──4つの側面からの検証

Does Turkey belong in Global South?

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000125

2023年12月

(5,485字)

グローバルサウス概念の整理

近年、国際政治や国際経済で注目されている概念のひとつが「グローバルサウス」である。インドや中国のような新興国を代表する国々が、自らをグローバルサウスの盟主もしくは代弁者という印象を持たせようとしていること、ロシアのウクライナ侵攻に対して米欧、ロシア・中国のどちらにも与しない国々が多数存在することが明らかになったことがその主要な要因である。

一方でグローバルサウスという概念は曖昧で明確な定義はない。また、白石が指摘するように、グローバルサウスという概念は誰がどのような意図で使用するかによって伸び縮みするということを押さえておくことが肝要である(白石 2023)。これまでの議論を俯瞰すると、①冷戦期の「南北問題」の後継概念、②冷戦期の「第三世界」の後継概念、③BRICSをはじめとする「新興国」の総称、④ロシアのウクライナ侵攻に関して中立の立場を採る国々の総称、といういずれかの意味合いで「グローバルサウス」が用いられている。本小論では、グローバルサウスの一国と見なされることもあるトルコに関し、これら4つの観点から、同国がグローバルサウスに該当するかどうかを検討する。

① ポスト南北問題としてのグローバルサウス
まず、「南北問題」の後継概念としてのグローバルサウスについて確認したい。南北問題という言葉は1959年末にイギリスのロイド銀行頭取オリバー・フランクスの「先進工業諸国と低開発地域との関係は、南北問題として、(米ソを中心とした)東西対立とともに現代世界が直面する二大問題の1つである」という発言によって広く知られることとなった(西川 1979)。

ただし、南北問題は誰がその言葉を使用するかによってその意味が異なっていた。先進国の人々が南北問題という言葉を使用する場合、低開発諸国の経済状況の悪化が社会革命を招き、西側陣営との距離が拡大することを危惧し、それを防ぐために低開発諸国の近代化、あるいは開発が必要であるという含意があった。一方で、途上国にとっての南北問題とは、自国の低開発の原因が先進国にあることを追及する表現であった。

1970年代から80年代にかけて世界経済の相互依存が深化し(グローバリゼーション)、それに伴って政府が極力市場に関与せず、自由競争を促す政策、いわゆるネオリベラリズムが普及すると、南北問題は次第にグローバルサウスという概念にとって代わった。グローバルサウスは、正確には途上国から見た南北問題の後継概念であり、ネオリベラリズムとグローバリゼーションでもがく途上国、およびネオリベラリズムとグローバリゼーションに抵抗・対抗する途上国を描写するものであった。

② ポスト第三世界としてのグローバルサウス
次に「第三世界」の後継概念としてのグローバルサウスについて考えたい。第三世界は冷戦期の構造とそれに伴う同盟関係に起因した概念で、「第一世界」(アメリカを中心とした西側陣営)、「第二世界」(ソ連を中心とした東側陣営)のいずれにも属さない多数の非先進国からなる「非同盟諸国」を指す言葉として使用されていたが、1990年前後にソ連の崩壊に伴い冷戦構造が解体したことでその意味を失った。この冷戦後の時代において各国は基本的に覇権国であるアメリカに付き従う構造となった。

ただし、ポスト冷戦期でもアメリカと一定の距離を置く非同盟諸国は存在した。そうしたポスト冷戦期の非同盟諸国は地理的に赤道以南に多かったため、グローバルサウスと呼ばれた。そのなかには北朝鮮、イラン、イラク、アフガニスタン、リビアのようにアメリカの覇権に抵抗し、欧米諸国から「ならず者国家」と呼ばれた国々もあったが、グローバルサウスのほとんどの国は必ずしもアメリカや欧米諸国と対立していたわけではなかった。

③ 新興国の別称としてのグローバルサウス
グローバルサウスの3番目の定義は「新興国」の別称としてのそれである。政治・経済・軍事などすべての分野において国際政治上で影響力が増大していることが新興国の条件とされるものの、その本質的特徴は経済成長に求められる(宮城 2016)。

新興国のなかで最も有名なのは、2001年にゴールドマン・サックス社の経済学者ジム・オニールが提唱したBRICsと呼ばれるブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国である。さらに2005年のゴールドマン・サックスのレポートには、BRICsに続く新興国として韓国、バングラデシュ、エジプト、インドネシア、イラン、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、トルコ、ベトナム、メキシコのNEXT11の名前が挙げられた。2011年からはBRICsに南アフリカが参加するようになり、小文字の「s」が大文字の「S」となってBRICSと称されるようになった。2024年からBRICSに加盟することが決まったアルゼンチン、アラブ首長国連邦(UAE)も新興国のひとつである1。こうした経済成長の大きなポテンシャルを持つ新興国は、グローバルサウスを代表する国々と見なされている。

④ ロシアのウクライナ侵攻における中立国としてのグローバルサウス
最近グローバルサウスという言葉が頻繁に用いられる要因ともなっているのが、ロシアのウクライナ侵攻において中立の立場を選択する国々が多数存在していることである。ウクライナを支持する「民主主義国」とロシアを支持する「権威主義国」との間に緊張関係がある状況下で、どちらの立場も採らず、権威主義国に比較的寛容な国々を表す概念として「グローバルサウス」が使われているのである。これに対してアタリは、グローバルサウスの概念のなかには民主主義と権威主義が混在して含まれていることが問題だと指摘し、「デモクラティックサウス(民主的なサウス)」「ノンデモクラティックサウス(非民主的なサウス)」に区分することを提唱している(アタリ 2023, 49)。

ここまで見たように、グローバルサウスの概念は主に4つの定義に大別することが可能である。ただし、いずれの定義においても問題なのは、グローバルサウスの概念に「サウス」という地理的要素が名称に含まれている点である。発展途上国、非同盟諸国、新興国、ロシアのウクライナ侵攻で中立の立場を採る国々には「ノース」の国々も含まれており、必ずしも「サウス」の国ばかりではない。「グローバルサウス」という言葉を使うことで、「サウス」の国だけが一致して特定の立場を採っているような誤解を招く恐れがあることに注意しなければならない。

トルコはグローバルサウスか

それではこの4つの定義からトルコはグローバルサウスかを検証したい。まず、南北問題の後継概念としてのグローバルサウスにトルコが当てはまるか確認する。トルコは1970年代終わりまで輸入代替工業化を経済政策として採っていたが、1980年代に首相、その後大統領を務めたトゥルグット・オザルが中心となり、他国に比して早くから新自由主義的な構造改革に着手した。その後、1990年代中ごろから2000年代初頭まで金融危機に苦しむことになるが、2002年11月の総選挙で単独与党となった公正発展党は、「保守的なグローバリスト」(Öniş 1997)と形容されるように、党のアイデンティティに関してはイスラームとトルコの歴史を重視する保守主義でありながら、経済に関しては、新自由主義を含むグローバリゼーションを最大限活用するというスタンスを採った。この政策は少なくとも2010年代半ばまではトルコ経済を好転させた。その後、経済成長は鈍化し、一時的に経済政策は国家資本主義的な特徴を見せたが、新自由主義とグローバリゼーションを全面的に否定する政策は採られなかった。よって、トルコに南北問題の後継概念としてのグローバルサウスの特徴は見られなかった。

次に、第三世界の後継概念としてのグローバルサウスにトルコは当てはまるだろうか。第三世界という言葉を有名にした、1955年の「アジア・アフリカ会議」(通称バンドン会議)には、トルコも当時のファティン・ルシュトウゥ・ゾルル外相を出席させた。ただし、トルコは冷戦初期において、ソ連と陸続きで国境を接するという地政学的特徴から、ソ連と共産圏に対する「防波堤」の役割を果たす国家として1952年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟するなど、明らかに「第一世界」に該当、もしくは近い立ち位置であった。よってトルコは第三世界の国ではなかった。

ではポスト冷戦期はどうだっただろうか。トルコはアメリカの同盟国であるが、2003年4月のイラク戦争に派兵をしなかったり、2016年7月15日クーデタ未遂事件2をめぐりアメリカ政府と対立したりするなど、必ずしもアメリカに付き従っているわけではなかった。トルコの位置づけとしては、「非同盟に近いアメリカの同盟国」という理解が一番しっくりくる。

トルコは新興国とみなせるだろうか。上述したように、トルコは、BRICSには入っていないものの、NEXT11には含まれている。また、G20にも名を連ねている。さらにトルコは、メキシコ、インドネシア、韓国、オーストラリアという他の新興国とともに2013年にMIKTAを立ち上げ、毎年持ち回りで外相会談を開催している。こうした他の新興国と並んでトルコが取り上げられていることから明らかなように、トルコは「新興国」であると判断できる。

最後に、ロシアのウクライナ侵攻において中立の立場を選択したかどうかを確認してみよう。トルコは、積極的に中立の立場を選択した国のひとつである。トルコはロシアの侵略行為を非難したが、ロシアとの良好な二国間関係、地政学的な近接性、国内経済、安全保障などを考慮すれば今後もロシアとの関係を維持することが不可欠であるとトルコ政府は考えた。

そこで、トルコは積極的にロシアとウクライナ間の和平の仲介を試みた。その手段は2つであった。1つ目は、ウクライナとロシアの代表者同士の停戦交渉を実施することである。トルコは2022年3月9日に初めてのウクライナ・ロシア外相会談をイスタンブルで実現させた。さらに同年3月29日にもイスタンブルでロシア、ウクライナの代表団による停戦交渉が実施された。2つ目の手段は、ウクライナの小麦輸出再開であった。ウクライナは世界有数の穀倉地帯であったが、ロシアの侵攻により小麦が輸出できなくなり、世界中で小麦の値段が高騰した。ウクライナの港を封鎖したロシアに対し、国連、そしてモントルー条約によって黒海の出入り口であるボスポラス海峡とダーダネルス海峡を管理するトルコが説得を行い、2022年7月13日にイスタンブルで四者協議が行われ、その1週間後にウクライナの小麦の輸出が正式に再開された。イスタンブルには両海峡を通る船をチェックする調整センターが設置された。この輸出合意は1年ほど続いたが、ロシアが延長しなかったため、2023年7月18日に失効した。トルコの仲介努力は結局実を結ばなかったものの、静的な仲介ではなく、動的な仲介は国際社会にインパクトを与えた。

トルコ国際協力調整庁(TİKA)の傘をもちながらトルコ高官の到着を待つソマリア市民

トルコ国際協力調整庁(TİKA)の傘をもちながらトルコ高官の到着を待つソマリア市民
トルコはグローバルサウスへと傾倒するのか

本論では、グローバルサウスの概念をいま一度精査するとともに、トルコがグローバルサウスかを検討した。トルコはグローバルサウスの4つの定義のうち、ポスト南北問題、新興国、ロシアのウクライナ侵攻における中立国という3つでそれに該当していた。そのため、トルコをグローバルサウスの一国とみなすことは客観的には妥当である。

その一方で、トルコ政府自身は中国やインドのように自国をグローバルサウスと位置づけていない。なぜトルコの政治指導者たちは自国をグローバルサウスと認識、主張することが少ないのか。その要因は大きく2点考えられる。1つ目はアイデンティティの要因である。トルコは1923年の共和国建国以来、一貫して西洋化の道を歩んできた。1952年にNATOに加盟し、2004年にはEU加盟候補国となっている。もちろん、2002年11月の総選挙で与党となって以降、エルドアンの下で20年以上政権を運営している公正発展党は親イスラーム政党であり、それまでの政権ほど西洋化を推し進めることはなくなった。しかし、代わりに提示されたアイデンティティも「イスラーム」や「トルコ・ナショナリズム」であり、「途上国」や「新興国」というアイデンティティが国家アイデンティティとして強調されることはなかった。

2つ目は戦略的な要因である。伝統的にトルコ外交の特徴のひとつは「全方位外交」、もしくはリスクヘッジする「ヘッジング外交」であるが、これは多くの国家や国際機構と友好関係を構築し、交渉を行うことが基本となる。そのため、グローバルサウスも含め、特定の陣営にコミットすることは避ける傾向にある3。ただし、トルコは公正発展党政権下でアフリカとの関係を強化しているように、グローバルサウスに位置する国々を重視しているのも事実である。

このように、トルコは客観的に見るとグローバルサウスの一国として位置づけられるのだが、政策決定者の主観レベルでは自国をグローバルサウスとしては位置づけておらず、またグローバルサウスとして特段振舞っているわけではない。グローバルサウスが戦略的にも経済的にも重要になっている近年、トルコ政府が今後どのようにグローバルサウスの概念およびそこに位置づけられる国々を活用していくのか、注視する必要があるだろう。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
参考文献
  • アタリ、ジャック 2023 「『グローバルサウス』は存在しない」『Voice』2023年11月号、48〜55ページ。
  • 今井宏平 2016 「トルコ──新自由主義・親イスラーム政党・秩序安定化外交」(松尾昌樹・岡野内正・吉川卓郎編『中東の新たな秩序』ミネルヴァ書房、所収)。
  • 今井宏平 2020 「グローバル・サウス」『現代地政学事典』丸善出版、2020年。
  • 白石隆 2023 「『グローバル・サウス』とは何か」2023年4-5月号、一般財団法人日本経済研究所、2023年11月24日閲覧。
  • 田中明彦 2023 「中国には毅然と、新興国には誠実に」『Voice』2023年11月号、38〜47ページ。
  • 西川潤 1979 『南北問題』NHK出版。
  • 宮城大蔵 2016 「新興国台頭と国際秩序の変遷」『国際政治』第183号、1〜14ページ。
  • Öniş, Ziya 1997 “The political economy of Islamic resurgence in Turkey: The rise of the Welfare Party in perspective,” Third World Quarterly, Vol. 18, No. 4, pp. 743-766.
著者プロフィール

今井宏平(いまいこうへい) アジア経済研究所海外派遣員(アンカラ)。Ph.D. (International Relations). 博士(政治学)。著書に『トルコ100年の歴史を歩く──首都アンカラでたどる近代国家への道』平凡社(2023年)、『戦略的ヘッジングと安全保障の追求──2010年代以降のトルコ外交』有信堂高文社(2023年)、共著に『エルドアン時代のトルコ──内政と外交の政治力学』岩波書店(2023年)が、編著に『クルド問題』岩波書店(2022年)、『教養としての中東政治』ミネルヴァ書房(2022年)などがある。


  1. 2023年8月のBRICS首脳会議では、アルゼンチン、UAE以外にエジプト、エチオピア、イラン、サウジアラビアの新規加盟も決まっている。本特集「グローバルサウスと世界」の南アフリカの記事を参照。アルゼンチンは2023年12月10日に発足したハビエル・ミレイ政権で外務・通商・宗務大臣に任命されたディアナ・エレナ・モンディーノ氏が11月末に新政権はBRICSの参加を辞退すると述べており、アルゼンチンはBRICSに新規加盟しない可能性が強くなっている。ただし、2023年12月20日時点でBRICSに関する正式な立場は新政権から表明されていない。
  2. エルドアン大統領および公正発展党に不満を抱く軍の一部のグループがクーデタを試みた事件である。このクーデタ実行部隊は、一時的にイスタンブルとアンカラの軍の重要施設を占拠し、フルス・アカル統合参謀総長(当時)をはじめとする軍部のトップを拘束するも、結果としてクーデタは失敗に終わった。この事件は、アメリカに在住するフェトフッラー・ギュレン師率いるギュレン運動に属する一部の軍人によって実行に移されたと言われている。
  3. もちろん、超大国アメリカとの関係、NATO加盟国としての地位は、自国の安全保障に鑑みてトルコにとって重要である。それでも、ロシアから防空ミサイルシステムを購入したり、スウェーデンのNATO加盟問題に反対したりするなど、NATO加盟国のなかでも独自の外交を展開している。
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