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動き出すタイ政治――次期下院選挙の対立軸を考える

Realignment and Rupture: Thai Politics toward the Next General Election

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053472

2022年8月

(5,071字)

解散総選挙に向け活発化する政党

タイ政治が動いている。2022年8月24日、憲法裁判所は、プラユット首相の任期満了時期をめぐる野党からの訴えを受けて、プラユットに対し公務停止命令を下した。首相や連立与党第1党パラン・プラチャーラット党(PPRP)の支持率は、新型コロナウイルス対策や景気回復の遅れにより低下している。連立政権内では閣僚ポストなどをめぐって不協和音が続き、PPRP党内でも議員の離党が続いた。首相はこれまで4度の不信任案審議を乗りきったものの、2023年半ばまでに行われる次期下院選挙を控え、足元は大きく揺らいでいる。

対照的に、タイ貢献党は政権奪回に向け攻勢に出ている。支持層拡大に向けて組織改革を進め、実質的な首領であるタクシン元首相も前面に出始めた。二大政党の間で、他の中小政党も静かに勢力拡大を図り、キャスティングボートを握るべく政権に揺さぶりをかけている。

2022年5月に行われたバンコク都知事選では、タイ貢献党元幹部のチャッチャートが無所属で出馬し圧勝した。地方選挙ではあるが、政治対立を超え幅広い層の支持を集めた候補の勝利は、国政選挙の動向を示唆するとして注目を集めた。

本稿では現在の政治状況を把握したうえで、2006年のタクシン政権崩壊からこれまでの経緯を振り返り、現在の対立軸や政党の立ち位置を考えてみたい。

写真1 プラユット首相(左、2019年10月23日)とプラウィット副首相(右、2018年10月19日)

写真1 プラユット首相(左、2019年10月23日)とプラウィット副首相(右、2018年10月19日)
プラユット政権の求心力低下

2021年にタイを襲った新型コロナウイルス第3波への対応をめぐる不手際で、プラユット政権に対する国民の不満が高まった。国立開発行政院(NIDA)の世論調査機関NIDAポールが行った調査の結果は、2021年3月以降プラユットの支持率が低下した様子を示している(図1)。

図1 NIDAポールによる「首相にふさわしい人物」の世論調査回答(%)

図1 NIDAポールによる「首相にふさわしい人物」の世論調査回答(%)

(出所)NIDA poll “kansamrwat khanaenniyom thang kanmueang raitraimat”
(政治に関する四半期世論調査)、 2020年第1回から2022年第2回より筆者作成。

国軍に対する政権の影響力も低下した。プラユット政権は、2014年にクーデタを実施した国家平和秩序維持評議会(NCPO)を母体とし、国軍、そしてNCPOの受け皿政党であるPPRPを権力基盤としていた。その要が、NCPOの副議長であり現在はPPRP党首として政権を支えるプラウィット副首相である。陸軍第2歩兵師団出身のプラウィットは、陸軍司令官就任後に同師団出身者を軍の要職に置いて陸軍を支配し、プラユットも派閥の幹部として今の地位についた。しかし2018年以降、陸軍司令官のポストは第2歩兵師団ではなく第1歩兵師団が占めるようになった。「王の護衛」と称する同師団は現国王と繋がりが強く、プラウィットらの影響は及ばない1

国会におけるプラユットの地位も揺らいでいる。プラユットはPPRPを中心とする17政党の指名で首相となったが、彼自身は議員でもPPRPの党員でもない2。またPPRP内では、NCPO以来の非政治家党員と結党時に他党から移籍した政治家党員の間で主導権争いが続いている(玉田 2020;船津・塚田2021)。連立政権内でも、PPRPなど主要政党と中小政党の間で閣僚ポストをめぐり軋轢を抱えてきた。

政権内の亀裂は、2021年9月に行われたプラユットに対する3回目の不信任案審議で顕在化した。タイ貢献党が提出した不信任動議に対し、PPRP内から同調者が出たのである。造反を主導したのは、PPRPの幹事長であった。最大与党の幹部が党内派閥や他党の議員を糾合し首相に不信任票を投じようとしたことで、プラユットの影響力低下が露呈した(青木・高橋 2022)。プラユットは不信任を免れたものの、PPRPの造反派党員は2022年1月に離党して新党・タイ経済党を設立した。

政権奪回を狙うタイ貢献党とタクシンという両刃の剣

揺らぐプラユット政権やPPRPに対し、タイ貢献党は2020年から若年層など新しい支持者の獲得を目指し組織改革を続けてきた。同年6月には対話型の政治運動を開始し、SNSも駆使して支持者との政策対話の場を設けている。また2021年10月の党大会では、タクシン元首相の次女である35歳のペートーンターンを党顧問に就任させた。これらは、2019年下院選挙で反軍政を掲げ躍進した新未来党やその後継政党である前進党を意識した戦略であり、革新派の支持基盤切り崩しを狙った措置と見られる。図1のNIDAポールの調査結果をみると、正式な首相候補ではないにもかかわらず、ペートーンターンを首相候補として支持する回答者の割合が急増しており、タイ貢献党の戦略の効果をうかがわせる。

他方で、タクシンの娘を党の顔に据えることは、両刃の剣でもある。党のタクシン色が強まれば、政治家による党の私物化を嫌う有権者の離反を招きかねない。さらには、タクシンを批判する反タクシン派が攻撃を先鋭化させる恐れもある3

写真2 チャッチャートの選挙ポスター。

写真2 チャッチャートの選挙ポスター。標語には「統率力があり、仕事ができる。
チャッチャートを知事に選ぼう」とある(2022年5月21日)。
バンコク都知事選の結果が示唆するもの

以上のような状況で2022年5月に行われたのがバンコク都知事・都議会議同時選挙であった。「国政選挙の前哨戦」といわれた同選挙では、無所属で出馬した元タイ貢献党幹部のチャッチャート(元運輸大臣)が歴史的な大量得票で都知事に当選し、都議会ではタイ貢献党が議会の40%に当たる20議席を獲得した。

注目されたのは、チャッチャートがタイ貢献党だけでなく、革新派の前進党、保守派の連立与党・民主党の支持者からも票を集めた点である4。チャッチャートはタイ貢献党の元幹部だが、同時に王室を支持する保守的な一族の出身でもある(Than Sethakit 2022)。選挙期間中、彼は「政治改革」には触れず、「すべての人のためのバンコク」を訴え、交通問題、都庁改革などの課題解決を公約として支持を集めた5

PPRPが候補を一本化できず、保守派の票が割れたこともチャッチャートの追い風となった。プラユット政権に近いといわれたアサウィン前知事(独立候補)が大差で落選したことを併せて考えれば、都知事選の結果は、タイ貢献党への支持というより現政権の拒否であり、穏健な保守派から改革志向の革新派まで幅広い有権者に行政能力を訴えたチャッチャートの戦略が奏功したといえる。

ただし、都知事・都議会選挙の結果から国政選挙の動向を推測するのは注意が必要だろう。タイでは有権者の政治志向をめぐる地域的な差異が大きく、バンコク地方選挙の結果はこうした地域差の一端とも考えられるからである。

選挙制度改革をめぐる政党間の駆け引き

各党の動向に加え、選挙を左右する要因として注目されるのが、現在進行中の選挙制度改革である。現行の選挙制度は、2021年9月に上下院合同会議で承認された2017年憲法の一部改正に基づく。その要諦は、小選挙区比例代表併用制を以前の選挙区比例代表並立制に戻し、さらに小選挙区選出議員と比例代表選出議員の議席配分を350人:150人から400人:100人へと変更する点にあった(表参照)。改正前の制度は、NCPO政権下で大政党であるタイ貢献党の躍進阻止を狙い2017年に導入されたものである。憲法改正は、これを大政党に有利といわれた2017年より前の制度に戻すことを企図していた。

憲法改正案は、連立与党内のタイ矜持党をはじめ中小政党の多くの議員が棄権するなか、大政党であるタイ貢献党やPPRPの賛成を得て成立した。両党の隠れた狙いは、革新派の野党・前進党の躍進阻止である。前進党は現在国会内で孤立しつつあるものの、2020年に「王制を含む政治体制改革」を求めた革新派の支持を集める。PPRPにとって、前進党は反プラユットの急先鋒に立つ政敵である。他方、タイ貢献党は2019年の下院選挙で十分な候補者を立てることができず、反軍政票を前進党の前身であった新未来党に奪われた苦い経験がある。タイ貢献党は亡命中のタクシンに対する国王恩赦を狙っているといわれ、「王制を含む政治体制体革」には一貫して慎重な立場をとってきた。

「反前進党」で利害の一致したPPRPとタイ貢献党が2017年憲法改正案を成立させたことで、次期選挙は二大政党の一騎打ちになるかと思われた。しかし、先述のようにPPRPが分裂したため、次期選挙はタイ貢献党の独壇場になる可能性が出てきた。現在国会では、憲法改正を踏まえ選挙法改正審議が進行中であり、PPRPとタイ貢献党といった大政党と、その他の中小政党とに分かれ、それぞれ自らに有利な選挙法改正案を成立させるべく駆け引きを続けている。しかしどの案が成立したとしても、タイ貢献党やPPRPが単独で過半数の議席を獲得できない限り、中小政党との連立は避けられない。連立政権が成立した場合も、利害調整で不安定な状況が続くことが予想される。

表 2021年に承認された2017年憲法改正の主要点

表 2021年に承認された2017年憲法改正の主要点

(出所)仏歴2560年タイ王国憲法およびRachakitchanubeksa 2021より筆者作成。

図2 タイ政治の対立軸と各党の立場

図2 タイ政治の対立軸と各党の立場

(出所)新聞報道などより筆者作成。
何をめぐる対立なのか?

選挙制度と並び政局を左右するのが、次期選挙での争点である。以下では2000年代のタイ政治を振り返り、現在の対立軸や各政党の立ち位置を考えてみたい。

2000年代半ば以来、タイの政治対立は下層と中・上層の間の階層対立を基軸に、タクシンの是非、選挙民主主義の是非、そして王室や官僚(国軍)、大企業といった上層による支配の是非といった複数の争点が重なって展開してきた。タクシンは選挙と分配政策を通じて下層の人々と結びつき、大きな権力を手にした。これに危機感を抱いた中・上層が、タクシン派政権の排除を繰り返したのが、2000年代の選挙とクーデタの循環の実態であった(重冨2010)。

NCPOは2014年のクーデタでタイ貢献党政権を退けた後、受け皿政党であるPPRPを通じて2019年の国会選挙で政権を獲得し、「民主的政権」に衣替えして王室・官僚・大企業による「特権階級」支配を永続化しようとした。これに反対したのが若者を中心とする2020年の反政府運動であった。若者の多くは2019年選挙で新未来党を支持し、PPRP体制による「特権階級」支配の終焉と、主権在民を保障する政治体制改革を求めたのである。この時点で「タクシンの是非」という争点は後退し、「特権階級」支配と民主主義がタイ政治の対立軸となった(重冨2020: 青木2020)。現在の各政党の立場は図2のようになる。

次期総選挙もこの対立軸の下で争われると思われたが、新型コロナウイルスの流行で状況は変化した。パンデミックやその後の経済低迷で、自身もまた脆弱な立場にあることに気づいた中間層は、下層の人々と同様にその不満をプラユット政権にぶつけ、革新派だけでなく「政治改革」に慎重だった穏健派も、目前の課題の解決を求め政権交代を訴え始めた(青木・高橋2022)。バンコク都知事・都議会同時選挙におけるチャッチャートの勝利とタイ貢献党の躍進は、こうしたプラユット政権に対する人々の不満を示したともいえる。

総選挙までに景気が好転し現政権への不満が緩和されなければ、現状からの「変化」を求める声がさらに高まり、「特権階級」支配や「民主主義」という争点と結びついてPPRP体制の是非が強く問われる。そうなると国家運営能力を有し、現状を打破できると有権者が期待する政党が有利になる。下層だけでなく、不満を持つ一部中間層が経済発展と分配政策の実績があるタイ貢献党に期待したとしても不思議ではない。政治体制改革を抜きにすれば、反プラユットで一致するタイ貢献党と前進党の協力も考えられるが、その場合、タイ貢献党は政治体制改革への姿勢を改めて問われるだろう。政治体制改革を強調すれば、極端な改革を嫌う穏健派の票は他の中小政党に流れる。反対にタイ貢献党がPPRPと連携して前進党に不利な選挙制度を導入すれば、これを不服とする革新派の街頭行動が拡大する可能性がある。

一方で争点が「タクシンvs反タクシン」に回帰する恐れもある。タイ貢献党は、タクシン人気に頼りつつ反プラユット票の獲得を目指している。タクシン自身も都知事選の結果を「民主主義の勝利」として下院選挙も同様の結果になると発言した(Bangkok Post 2022)。タイ貢献党が「タクシン復権」と「選挙民主主義」を重ねる戦術を再び採るならば、選挙による政権交代を求めるがタクシンは支持しない革新派や穏健派の票は、他の中小政党に向かうだろう。さらに反タクシン派を刺激し、政治は選挙とクーデタの循環に戻ることもありうる。

いずれにせよ、改正後の選挙制度と対立軸の組み合わせ如何により、選挙の流れは決まり、図2の政党間関係も再編されると考えられる。党派間の政権争いが続くのか、低迷する経済の改革や今後の国家体制などより本質的な問題を問う選挙になるのか。タイの政治は静かに重要な局面を迎えている。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
参考文献
著者プロフィール

青木(岡部)まき(あおき・おかべ・まき) アジア経済研究所地域研究センター動向分析研究グループグループ長代理。専門は国際関係、タイ外交とメコン地域協力。主な著作に、青木まき編著『タイ2019年総選挙――軍事政権の統括と新政権の展望――』(アジア経済研究所、2020年3月)、青木(岡部)まき「メコン広域開発協力をめぐる国際関係の重層的展開」(『アジア経済』第56巻2号、2015年6月)。


  1. アピラット(2018年就任)、ナロンパン(2020年就任)ら直近の陸軍司令官は、いずれも第1歩兵師団出身である(Marwaan 2019)。なお、同師団の中核である第1歩兵連隊と第11歩兵連隊は、2019年に国王直属の近衛部隊に移管され、国王の権限下にある。
  2. 現行の2017年憲法159条(首相資格)には、首相の要件として下院議員資格を求める規定がなく、非議員が首相に就任できる。
  3. 現にペートーンターンは、幹部就任直後の2021年11月9日に、反タクシン派の活動家によって、タクシンとの関係や刑法112条(不敬罪)などを理由に国家汚職防止取締委員会へ訴えられた。
  4. 投票前に世論調査会社superpollが実施した調査によれば、タイ貢献党支持者の33.2%、前進党支持者の28.4%、タイ貢献党から分派したタイ建設党支持者の21.0%、保守派で連立政権に加わる民主党の支持者13.8%が、チャッチャートを支持すると回答した(Thai Post 2022)。
  5. チャッチャートの公式サイトを見ると、全公約216項目のうち、上位を道路整備(42項目)、都庁組織改革(35項目)、安全と環境、保健対策(各34項目)が占める。
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