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タクシン派連立政権の成立はタイ政治に安定をもたらすのか?

Will “Return of the Pheu Thai” Lead Thailand to Stability?

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000012

2023年10月

(4,696字)

タクシン派と反タクシン派の「大連立」成立

2023年5月に行われたタイ下院総選挙は、9月5日にタクシン派タイ貢献党(Pheu Thai Party)を中核とする連立内閣の成立というかたちで決着した。タクシン派政党は2001年以降に行われた過去5回の選挙のすべてで第1党となり、4度にわたって政権を樹立した。しかし、今回は様子が異なる。タイ貢献党は革新派政党・前進党(Move Forward Party)に第1党の座を譲り、結党以来はじめて第2党に留まった。それにもかかわらず、タイ貢献党が政権を獲得できたのは、仇敵であった反タクシン派のプラユット前政権与党と手を組み、国会内での多数派形成に成功したためである。2006年のクーデタによるタクシン失脚以来、互いに不倶戴天の敵とみられてきたタクシン派と反タクシン派の「国民的和解」はどのようにして可能となったのか。この「和解」は、対立が続いたタイ政治についに安定をもたらすのだろうか。

本稿では、2023年5月のタイ下院選挙とその後の連立形成をめぐる各勢力の駆け引きをたどり、今回の選挙が現代タイ政治に何をもたらしたのかを考察する。

15年ぶりの帰国直後、国王夫妻の肖像に礼拝するタクシン元首相(2023年8月22日)

15年ぶりの帰国直後、国王夫妻の肖像に礼拝するタクシン元首相(2023年8月22日)
政治対立の争点とその変化

「国民的和解」の意味するところを理解するため、ここではタイの政治対立でこれまで何が争点となってきたのかを把握しておく。2000年代の政治対立は、①タクシンに対する賛否、②選挙民主主義に対する賛否、そして③クーデタを許容する体制への賛否という3つの争点が交差し、①から③へと重点を移すかたちで変遷してきた。

2000年代の首相在任時、タクシンは多数派である地方住民や低所得層に直接裨益する政策を実行し、高い支持を得た。少数派だが1990年代の民主化を支えたと自負する中間層や知識人らは、タクシンの政策が公費による買票だとして激しい反政府運動を展開した。混乱のなか国軍が2006年にクーデタを実行し、タクシンは失脚した。この時代、「タクシンをめぐる対立」が政治の争点だった。

その後もタクシン派政党は選挙のたびに圧倒的支持を得て政権に返り咲いたが、国軍や官僚、中・上層市民といった反タクシン勢力は司法判断を利用してタクシン派政権を排除することを繰り返した。反タクシン派の市民は、タクシンのような汚職政治家から民主主義を守るための手段としてクーデタや司法判断、そしてそれを容認する国王の政治介入を支持し、街頭行動によってタクシン派政権を打倒しようとした。タクシン支持者やクーデタに反対する人々も自分たちの選んだ政府を防衛しようと対抗した。両派の衝突で政情が悪化するなか、2014年には国軍が武力でタクシン派タイ貢献党政権を排除し、プラユット陸軍司令官を首班とする軍事政権を樹立した。

軍事政権は選挙制度をタイ貢献党に不利なように改正したうえで受け皿政党パラン・プラチャーラット党(PPRP)に衣替えし、2019年の下院選挙で第2党に躍進した。現行憲法では、首相選出には上院(250議席)と下院(500議席)合計の過半数(376票)の支持が必要となる。PPRPは軍政下で任命された上院の支持を確保したうえ、下院でも連立形成に成功した。反タクシン派連立は第1党となったタイ貢献党を抑え、プラユットを首相に選出した。この時代はタクシンへの賛否と相まって「選挙民主主義をめぐる対立」が政治の争点となった。

ところが、この2019年選挙を契機に「現行の政治体制をめぐる対立」という新たな争点が浮上した。タクシン派とは異なる新たな反軍政勢力として新未来党(Future Forward Party)が台頭したことがそれを表していた。政権派は選挙法や憲法の違反を理由に新未来党や党首を憲法裁判所に提訴し、解党命令や党幹部に対する10年間の公民権停止を内容とした違憲判決を引き出して活動を封じた。若年層を中心とする新未来党支持者はこれに反発し、2020年には大規模な反政府運動が起きた。運動の参加者は、クーデタによる政権交代を可能にしている現在の政治体制そのものを問題視し、国王の政治介入を法で制限することや、刑法112条(不敬罪)改正などの制度改革を求めた(青木2020)。

こうして2020年代に入り、タイ政治の争点はタクシンへの賛否に加え、選挙民主主義への賛否や政治体制の在り方などに拡大して交差した。こうした過程で、有権者の意向は「タクシンは支持しないが選挙による政権交代は支持する」「タクシン支持者だが王室改革は支持しない」など複層化し、部分的な妥協の余地が生まれつつあった点に注意が必要である(表1)。

表1 2023年総選挙前の各党の政治的立場

表1 2023年総選挙前の各党の政治的立場

(注)青=野党、緑=与党系政党。
(出所)筆者作成
準備されていた「国民的和解」のシナリオ

このように争点の複層化が進みつつあったなか、2023年の選挙が近づくにつれ「政治改革」の争点が前面に出はじめた。

新未来党の後継政党である前進党は、2020年の反政府運動のうねりを受け、王制を含む政治改革の実行を運動方針として打ち出した。他方、プラユット政権を支える国軍・官僚、大企業、王室や、それを支持する一般国民や政治家にとって、王室をも含む政治改革要求は国家体制への攻撃であり許容できるものではない1

その一方で、タイ貢献党は政治改革要求に対し慎重な姿勢を崩さなかった。「選挙民主主義の復権」を訴え、国軍などの反タクシン派と戦ってきた同党だが、そもそも首領であるタクシン自身は、首相在任当時から王室を直接批判したことはない。さらに2006年から亡命中のタクシンが帰国し復権するためには、国王による恩赦の他に方策がなかった2。2023年の下院選挙直前、タクシンは「問題は不敬罪ではなくその運用」「帰国の許しを得たい」などの発言を繰り返し、政治改革支持派の批判を尻目にPPRPやその背後にいる王室へ秋波を送り続けた(Prachachat trakit 2023)。

さらに、タイ貢献党には、2019年の下院選挙で候補者調整に失敗し、反軍政票を新未来党に奪われた苦い経験がある。タイ貢献党は、2021年の選挙に関する憲法条項の改正審議や、2022年に行われた下院議員選出法改正審議において、PPRPとともに前進党に不利となる制度変更案に賛成した。タイ貢献党の動きに対し、PPRPやタイ団結国家建設党(UTN)もタイ貢献党との連立を示唆した。

こうした流れのすえ、2022年後半には国会内の勢力は改革を支持する「革新派」と反対する「保守派」に二分されていった。そのなかで政権奪回を目指すタイ貢献党は、中小政党の前進党と組むよりも、長年の対立を解消し「国民的和解」という大義名分のもとで、上下院を抑えるPPRPとの大連立に傾斜していったのである。

前進党躍進という番狂わせ

こうして迎えた5月14日の下院選挙では、タイ貢献党有利という事前の予想を覆し、前進党が第1党に躍進した。有権者はプラユットの続投や「大連立」より変革を選んだ(青木2023)。前進党(151議席)とタイ貢献党(141議席)は、他の民主派8党とともに連立形成で合意した。しかし、前進党の首相候補であるピター党首は7月19日の国会上下院合同首相選出会議で下院保守派や上院の支持を得られず、上下院の過半数(376票)を獲得できなかった。憲法裁判所はピターの下院議員選出法違反の容疑を理由に議員資格を一時的に停止した。これにより、ピター前進党内閣成立への途は実質的に断たれた。

タイ貢献党は当初、民主派との連立を維持しようとしたが、8月初旬にタイ矜持党、PPRP、PPRPから分派したUTNといった保守派政党との連携を表明した。そして22日には上下院合同首相選出会議でタイ貢献党が推薦したセッターが482票で承認され、第30代首相に選出された(Matichon2023;ピンラウィー・藤田2023)。

なお、首相選出の当日朝にはタクシンが15年ぶりに海外からタイへと帰国した。空港で大地に接吻した2008年の一時帰国の際とは異なり、今回タクシンは支持者らの前に姿を現すなり、空港入り口に設えられた国王夫妻の肖像に礼拝してみせた。その姿は、タクシンが国王を支持する保守派のもとに下ったことを人々に印象づけた(冒頭写真)。

今回の選挙でも圧倒的勝利をおさめ、有利な立場でPPRPら保守派政党と連立交渉を進めて「国民的和解」の大義の下で政権の座に返り咲く──タイ貢献党が描いたこの筋書きは、最終的に実現したといえよう。しかし前進党躍進という「番狂わせ」がおきたことで、民意である選挙結果を否定するかたちで、強引に政権を掌握せざるをえなくなったのである。

2023年下院選挙がもたらしたもの、もたらさなかったもの

タイ貢献党連立政権は、PPRPなど軍政系政党を取り込んだことで、以前の民選政権に比べると軍事クーデタのリスクは低くなったと目される(表2)。

表2 セッター第1次内閣一覧

表2 セッター第1次内閣一覧

(注)1)政党の略称は以下のとおり。
PPRP(パラン・プラチャーラット党・灰色)、PJT(タイ矜持党・青)、PT(タイ貢献党・赤)、
UTN(タイ国家団結建設党・黄)、CTP(タイ国家開発党・ピンク)、PCC(プラチャーチャート党・白)。
2) 兼務。
(出所) 官報をもとに筆者作成

ただし、それは国軍など保守派の利害を脅かさない限りにおいての安定であろう。

タイ貢献党の選挙公約だった民主的憲法の制定、徴兵制廃止、国軍改革といった政治関連政策の先行きは不透明だ。40ある閣僚ポストのうち、タイ貢献党は首相、財務相、国防相などの重要ポストを確保して政権の手綱を握った。しかしPPRPやタイ矜持党などプラユット前政権の連立与党の政治家も多く入閣していることから、連立内部の力関係は分散しているとみられる。PPRPなど保守派は、タイ貢献党が王制改革や国軍の勢力削減につながる政策を推し進めれば連立離脱を示唆して揺さぶりをかけることが予想される。また、選挙前に話題となった最低賃金引上げや大型インフラ投資計画などの経済政策についても、詳細はまだ公表されていない。タイ貢献党は政権の安定を優先し、各党の要望をすり合わせ、その合意の範囲内で政策を実施するものと思われる。その様子は、中小政党が連立政権を形成し、政策よりも党利党略で離合集散を繰り返していた1990年代の政党政治を彷彿とさせる。1990年代、タイでは政党間対立による短命政権が続いたものの、政権交代は選挙を通じて安定的に行われていた。「国民的和解」を掲げ成立した連立政権のもと、タイ政治はかつての「安定期」に回帰するのだろうか。

それは楽観的に過ぎる見方と言わざるを得ない。スワンドゥシット大学の世論調査機関が8月20〜22日に行った調査の結果では、全国1809人の回答者のうち、首相選出をめぐる国会内の抗争が社会対立に繋がることを危惧する意見が71.73%を占めた(Suandusit Poll 2023)。国会内の政治が1990年代の状態に戻ったとしても、国会の外では2000年代の政治対立でタイ社会における権力格差に気づき、構造的問題としてその是正を求める声が消えたわけではない。

これに対して政権を取った保守派は、大規模な反政府運動が不在のなか、政治改革派に圧力をかけ続けている。セッター内閣成立後の9月末から10月初旬にかけては、2020年の反政府運動の主だった活動家や集会参加者に対し、コロナ下での非常事態令違反を理由に相次いで有罪の実刑判決が下されている。ピターをはじめ前進党に対する審理も継続中である。

タクシン派と保守派の「大連立」とは、保守派が第2党のタクシン派を取り込み、第1党である前進党を政権から排除するものであった。一連の顛末で対立の争点は「政治改革の是非」に収斂し、革新派と保守派(タイ貢献党も今はこちらに含まれる)の分断は深まった。短期的な安定はあっても、真の「国民的和解」に基づく長期的安定への道は遠いだろう。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
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参考文献
著者プロフィール

青木(岡部)まき(あおき・おかべ・まき) アジア経済研究所地域研究センター動向分析研究グループグループ長代理。専門は国際関係、タイ政治外交。主な著作に、青木まき編著『タイ2019年総選挙──軍事政権の統括と新政権の展望──』(アジア経済研究所、2020年3月)、青木(岡部)まき「『竹の外交』から『多元的外交』へ──戦後タイ外交再考のための論点整理と課題提示」(『アジア経済』第64巻2号、2023年6月)。


  1. 2021年末、憲法裁判所は主要な政治改革派の活動家に対し、王制改革要求が憲法の禁止する「タイ国家の破壊」行為に当たるとして違憲判決を下した。この判決は、王室を支持する保守派の政治改革要求に対する見方を端的に示している。
  2. タクシンは亡命中の2008年に一時帰国し、家族の土地取引にかんする刑事裁判で有罪判決を受けたのちに海外逃亡していた。
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