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革新派野党の躍進、タクシン派野党の迷走──タイ下院選挙の分析と連立形成への展望

Move Forward's Big Leap, Pheu Thai's Misstep: Analysis of the Thai Election 2023 and Prospects for Coalition Formation

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053740

2023年6月

(4,454字)

革新派野党・前進党の地滑り的勝利

5月14日、タイで国会下院総選挙が行われた。事前の世論調査や予測では、タクシン派野党のタイ貢献党が下院最大勢力となるとみられていた。しかし大方の予想を超え、第1党となったのは、革新派野党・前進党だった(表1)。

前進党の勝利は、ふたつの意味で現代タイ政治にとって画期的であった。ひとつは、「国王を元首とする民主主義体制」を憲法で掲げるタイで、不敬罪改正など抜本的政治制度改革を謳った政党が国民から多数の支持を得て選ばれたことである。もうひとつは、2000年代の選挙で「常勝」を誇ってきたタクシン派政党が下院第1党の座から滑り落ちたことである。

今回タイ貢献党が伸び悩んだのはなぜか。一方で、前進党の躍進を可能にした要因とは何か。そして改革を掲げる前進党は、果たして政権を獲得できるのか。本稿では、2023年下院総選挙の結果を分析したうえで、現在焦点となっている首相選出をめぐる政治の行方に若干の展望を試みる。

表1 2019年と2023年下院選挙での各党獲得議席数の比較

表1 2019年と2023年下院選挙での各党獲得議席数の比較

(注)緑色のセルは前進党率いる連立構想へ参加を表明した政党。
(出所)2023年5月25日選挙管理委員会発表の公式結果(Election
Commission2023)および青木(2020)から筆者作成。
与党敗北の背景──変化を求めた有権者

今回の投票率は過去最高の75.71%であった。国民がかつてないほど強く選挙に関心を寄せたことがわかる。投票結果は、小選挙区、比例代表いずれにおいても、前進党とタイ貢献党の野党2党で合わせて50%以上の得票率となった(表2)。

対照的に、プラユット首相(現在は暫定首相)率いるタイ団結国家建設党(UTN)、プラウィット副首相のパラン・プラチャーラット党(PPRP)といった旧軍事政権の流れを汲む政党をはじめ、連立与党の各党はいずれも10%台からそれ以下の得票率に留まった。有権者がプラユット政権からの変化を切望し、前進党やタイ貢献党といった野党勢力に期待を込めて票を投じた様子がうかがわれる。

表2 2023年5月14日下院総選挙での各党の得票数

表2 2023年5月14日下院総選挙での各党の得票数

(注)得票率は各党の得票数/有効投票数で筆者算出。総投票数が有効投票数と無効票、
白紙票の和と一致しないが、表では選挙管理委員会の公式発表のままとしている。
(出所)表1と同じ

この傾向は、当選議員の経歴を見るといっそう顕著である。タイの民間調査団体Rocket Media Lab.の報告によれば、当選した400人の小選挙区選出議員のうち、44.8%にあたる179人が新人であった。再選された議員のうち前回選挙と同じ党から出馬した議員は154人(38.5%)、他党に移籍して出馬した議員は67人(16.75%)であり(Rocket Media Lab. 2023)、有権者が党を問わず国会の刷新を求めたことがわかる。

選挙制度変更の思わぬ影響

プラユット政権を拒否した有権者は、変化を求めて野党に投票した。しかし、そうした有権者の票は、事前の予想に反し最大野党のタイ貢献党だけでなく革新派の前進党に向かった。なぜ有権者はタイ貢献党よりも前進党を選んだのか。ここでは、その理由を①新たな選挙制度の影響、②「改革」に対する両党の姿勢の違い、③SNSを使った選挙戦略の3点から考えてみたい。

まず第1に、選挙制度の影響である。今回の選挙では、2019年の選挙で用いられた小選挙区比例代表併用制が廃止され、2000年代に用いられた小選挙区比例代表並立制に回帰した。小選挙区比例代表並立制は、知名度が高く実績のある大政党が大勝しやすいと言われる。実際にタイでも、この制度の下で行われた4回の選挙(2001年、2005年、2007年、2011年)では、タクシン派の大政党が大勝してきた。こうした経緯から、今回の選挙でもタクシン派のタイ貢献党の躍進が予想されていた。逆に選挙前は中小政党だった前進党にとって、今回の選挙制度は不利に働くものと思われた。

しかし、選挙制度変更の影響は思わぬかたちで現れた。2019年の選挙では、小選挙区比例代表併用制のもと有権者は小選挙区の1票しか投じることができなかった。有権者は地元有力家系の推す候補や自分と関係の深い地元候補に投票し、そうした候補を多く擁したPPRPやタイ貢献党が小選挙区で多く議席を獲得した(青木 2020)1

一方、今回の選挙で有権者は小選挙区と比例代表の2票を投じることができた。彼/彼女らは、小選挙区では前回と同じく地元政治家系の推薦候補や実績のある地元候補に投票する一方、比例代表では自分の政治志向に従って投票したとみられる。得票結果(表2)を見ると、小選挙区ではタイ貢献党の得票率は25.11%であり、前進党の25.99%とほぼ拮抗している。しかし、比例代表では前進党がタイ貢献党に347万6329票の大差をつけ、首位に躍り出た。改革志向の有権者は、小選挙区ではタイ貢献党と前進党に投票が分かれたものの、比例代表では前進党を選んだのである。

前進党とタイ貢献党の明暗を分けた「改革」への態度

前進党への支持がタイ貢献党を上回った第2の理由は、「改革」に対する両党の姿勢の違いである。メディアや世論調査機関などによる選挙前の世論調査では、4月半ばまでタイ貢献党がトップを走ってきた。しかし5月に入る直前にタイ貢献党やその首相候補であるタクシンの娘・ペートーンターンの人気は失速し、対照的に前進党とピター党首の支持率が急増、その勢いが選挙結果に反映されるかたちとなった(表3および表4)。

表3 支持政党にかんする回答結果

表3 支持政党にかんする回答結果

表4 「首相にふさわしい人物」にかんする回答結果

表4 「首相にふさわしい人物」にかんする回答結果

(注)表3、4ともに、―はデータ記載なし、〇はランク外、黄色いセルは前与党と
その支持勢力、青いセルは野党勢力を表す。日付はいずれも調査結果公表日。
(出所)表3、4ともに、NIDA Poll 2023より筆者作成。

タイ貢献党失速の背景には、以前からあったタイ貢献党とPPRP・UTNといったプラユット政権与党との大連立構想をめぐる疑惑や、同党の実質的首領であるタクシン元首相の発言の影響がある。「大連立」については、2021年ごろからSNSやメディアでしばしば取り上げられてきたが、タイ貢献党関係者はそれを否定してきた(Thai PBS World 2023)。また、タクシンは以前から不敬罪について「問題は法律自体ではなくその運用だ」と明言していたが、今年に入ってからも反政府団体の質問に答えるかたちで同様の発言を繰り返し、不敬罪改正を支持する革新派の批判を受けていた(The Standard 2023)。

これに油を注いだのが、5月にタクシンがTwitterに投稿した発言である。タクシンは亡命中の2008年に家族の土地取引にかんする裁判で有罪判決を受けており、帰国すれば刑に服さねばならない。彼は過去にも帰国の意思を表明してきたが、今年に入り「投獄されてでも帰国する」と発言した(井上・村松・高橋 2023)。さらに5月1日には孫の誕生を機に「改めて帰国の許しを願う」と発言し(Prachachat trakit 2023)、9日にはTwitterで初めて帰国の具体的な時期に言及した。これをきっかけに、タクシンの恩赦を国王に請うためタイ貢献党とPPRP・UTNの間で連立の「取り引き」があったのではという疑惑が高まり、そのまま投票日を迎えた(BBC Thailand 2023)。こうした状況を見る限り、タクシンの言動やタイ貢献党の保守派に対する政治的立場の曖昧さ、それに対する批判報道が後押しとなり、変化を求めた有権者がタイ貢献党から離反したと考えられる。

タイ貢献党とは対照的に、前進党は一貫して不敬罪改正を含む政治改革の方針を堅持し続けた。その姿勢がプラユット政権を不満とする人々や、タクシンに批判的な改革志向の有権者を前進党にひきつけ、投票日直前の支持率上昇に繋がったとみられる。

SNS戦略──選挙運動に能動的に参加する支持者

前進党躍進を支えた第3の理由が、SNSを使った選挙戦略である。近年の選挙では、各党とも公約や候補者の情報をSNSでシェアするなどネットを使った選挙運動を展開しているが、SNSを最も戦略的に使ったのが前進党である。前回2019年の下院選挙の際、前進党の前身である新未来党は、クラウドファンディングやネット上での候補者募集など、SNS上で選挙活動を展開した。

写真1 5月12日にバンコク・タイ日青少年センター内で行われた前進党の最終演説会の様子。

写真1 5月12日にバンコク・タイ日青少年センター内で行われた前進党の最終演説会の様子。立ち見が出るほどの
混雑ぶりで、屋外にも2カ所会場が設けられた。来場者は党の発表で5万人であり、SNS上のライブ放送
は約12万2500人が視聴した。集会の運営スタッフは大半が支持者のボランティアとのことであった(バ
ンコク、2023年5月12日)。

今回も、支持者の制作したショートムービーやポスターを自党のTwitterやTikTokアカウントでシェアし、さらに演説会などで支持者に対し「フアカネーン・タマチャート(自然の集票人)」となりSNSを使って支持拡大に協力するよう積極的に呼びかけた(The Reporters 2023)2。「フアカネーン」とは、買票や脅迫を通じ票を取りまとめる選挙ブローカーである。これに対し、「フアカネーン・タマチャート」は、自らの政治的志向に基づき「推し活」のように自発的に選挙運動を支え投票する支持者を意味し、党と支持者の連帯を強調した用語といえよう。一般人のSNS上の行動が選挙結果にもたらす影響については実証の余地があるものの、前進党躍進の背景にこうした能動的に活動する支持者の存在があったことに留意したい。

「前進党連立政権」構想を待ち受ける障壁

変化を求めた有権者は、野党の躍進を支えた。そして前進党を第1党に押し上げたのは、政治的志向に基づく投票を可能にした選挙制度であり、改革路線を堅持した同党の方針であり、それを熱狂的に支持しSNSでシェアした支持者であった。一方でタイ貢献党の躍進を阻んだのは、国王や王制、PPRP・UTNといった保守派勢力との「取り引き」疑惑を拭いきれなかった、貢献党自体の対応にあったといえる。

しかしながら、いずれの党も首相選出に必要な国会過半数(上院250、下院500の過半数である376議席)には届かなかった。このため政権獲得に向けた連立がどう形成されるのかが焦点となっている。5月18日には、前進党がタイ貢献党をはじめとする民主派政党8党と連立形成で合意した。これら8党は前進党のピター党首を首相候補として政権獲得に向け共闘することで合意したが、その前途は極めて多難である。

写真2 ピター党首の顔が大きくあしらわれた前進党の選挙ポスター(バンコク、2023年5月15日)

写真2 ピター党首の顔が大きくあしらわれた前進党の
選挙ポスター(バンコク、2023年5月15日)

民主派連立の総議席数は312であり、国会の過半数にはまだ届かない。政権樹立には上院の協力が不可欠だが、不敬罪改正を掲げる前進党に対し、保守派の多い上院議員から多数の支持を得ることは困難であろう。

さらに連立内部でも、タイ貢献党が不敬罪改正への批判や重要な閣僚や議会ポストの配分を要求し、連立離脱を示唆するなど前進党に揺さぶりをかけている。

選挙管理委員会に対し、ピターや前進党の憲法違反を訴える事例も相次いでいる。同委員会が違反を認め、ピターが議員資格を失ったり、前進党が解党処分を受けたりする可能性も否定できない。また、選管の判断次第では選挙結果自体が無効とされることもありうる。

もし前進党から首相を指名できなかった場合、第2党であるタイ貢献党から首相候補を出す可能性が高い。その場合、タイ貢献党が民主派連立を離脱し、不敬罪改正に反対する旧連立与党のPPRPやタイ矜持党、UTNと新たに連立を形成し、上院の支持を得て首相指名を実現させるとの見方もある。ただし、「取り引き」疑惑が現実になるかたちでタイ貢献党が政権に返り咲けば、改革派の有権者のさらなる離反や激しい反発が予想される。

タクシン派政党は、2度の軍事クーデタで政権の座から追い落とされた後、選挙民主主義の回復を訴え、下院第1党から首相を選ぶことを主張してきた。そのタイ貢献党は、自らが第1党でなくなった後もその主張を貫徹できるのだろうか。「民主主義の旗手」を自任してきた大政党は重要な転機に立っている。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
  • 写真1 高橋尚子氏撮影
  • 写真2 筆者撮影
参考文献
著者プロフィール

青木(岡部)まき(あおき・おかべ・まき) アジア経済研究所地域研究センター動向分析研究グループグループ長代理。専門は国際関係、タイ外交とメコン地域協力。主な著作に、青木まき編著『タイ2019年総選挙──軍事政権の統括と新政権の展望──』(アジア経済研究所、2020年3月)、青木(岡部)まき「メコン広域開発協力をめぐる国際関係の重層的展開」(『アジア経済』第56巻2号、2015年6月)。


  1. 2019年の選挙では、比例代表議席は小選挙区での得票率を反映して配分され、政党は小選挙区議席数から算出された割合を超えて比例代表議席の当選枠を得ることができなかった。このためタイ貢献党は小選挙区で136議席を獲得したにもかかわらず、比例代表では0議席であった。その結果、同党は下院最大勢力となったものの、タクシン派政党としては過去最低の議席数に留まった。
  2. 例えば前進党が5月5日にTwitterに投稿した日本の人気漫画風の選挙ポスターは、当日中に5.5万回表示され、1453件リツイートされた。こうしたポスターや宣伝用動画制作の費用はクラウドファンディングや寄付によって賄われるという。
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