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論考

プラボウォ新政権の下でインドネシアの民主主義はどうなるのか?――政権移行期の法案改正の動きと「民主主義の後退」

What is the Future of the Indonesian Democracy under the new Prabowo government? Deliberations of Law Revisions and “Democratic Regression”

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001128

2024年9月

(7,898字)

政権移行期に進む「民主主義の後退」

インドネシアはいま政権の移行期にある。2024年2月に行われた大統領選挙では、プラボウォ・スビアントとギブラン・ラカブミン・ラカの正副大統領候補が当選を果たし、開票結果に対する対抗陣営からの異議申立も憲法裁判所が却下して、最終的な選挙結果が4月24日に確定した。8月下旬時点では組閣作業はまだ水面下で進められている段階だが、連立与党の組み替えや現ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)内閣の一部改造など、10月20日の新政権発足に向けた動きが本格化しつつある。プラボウォ新大統領は現職のジョコウィ大統領の支持を全面的に受けて当選したこともあり、政権移行の過程で大きな混乱が発生する可能性はない。

むしろ、ジョコウィとプラボウォ、そして権力に群がる諸政党が、新政権成立後に思いのままに政治をコントロールできるようにしようとする談合が議会で進んでいる。大統領選と同時に選挙が行われた国会(DPR)は、政権発足に先立つ9月末に任期満了を迎える。その任期終了を前に、新政権を構成する与党連合が、執政府の権限を強めたり、権力抑制の機能を弱めたりすることを目的とした法案を次々と上程しているのである。

こうした動きは、ジョコウィ政権下でみられた「民主主義の後退」がいまも進行中であることを表している1。本稿では、現在の国会での法案審議を「民主主義の後退」という文脈に位置づけて分析することで、プラボウォ政権下における民主政治がどこに向かうのかを考えてみる。

2024年8月17日に新首都予定地ヌサンタラで初めて挙行された独立記念日式典に 出席したジョコウィ大統領(左)とプラボウォ国防相(中央)

2024年8月17日に新首都予定地ヌサンタラで初めて挙行された独立記念日式典に
出席したジョコウィ大統領(左)とプラボウォ国防相(中央)
大統領の権限を強化しようとする法改正の動き

選挙結果が確定した直後の5月上旬、国家省庁法(法律2008年第39号)を改正しようという案が国会でもちあがった。同法は中央省庁の設置基準などを定める法律であるが、設置できる中央省庁の数の上限を撤廃しようというのが改正案の主旨である。

こうした改正案がもちあがったのは、プラボウォ新政権を支える政党連合が巨大化したからである。大統領選挙でプラボウォを擁立した政党連合は、彼自身が党首を務めるグリンドラ党をはじめとした9政党だった2。しかし、グリンドラ党は議会第3党にとどまり、他の連立参加政党とあわせても与党の議席は国会の過半数に達しなかった。そのため、選挙結果確定直後から連立組み替えの工作が行われ、4月末までには大統領選でアニス・バスウェダンを擁立した議会第4党のナスデム党と第5党の民族覚醒党(PKB)が政権に協力することを約束した。その結果、連立与党の議席占有率は72%に達し、プラボウォ新政権は議会で安定多数を確保する見込みが立ったのである(表1参照)3

表1 2024年総選挙の結果

表1 2024年総選挙の結果

(注)大統領選挙でプラボウォを擁立した政党は青色で網掛けを、選挙後に連立に加わった政党はオレンジ色で網掛けをしてある。大統領選挙では、青色の8政党に加えて、総選挙に参加できなかった公正繁栄民衆党(PRIMA)もプラボウォ陣営に加わった。本文の注2を参照。
(出所)総選挙委員会(KPU)決定2024年第1204号および1205号をもとに筆者作成

問題は、連立与党の数が12政党にまで膨れ上がったことである。あとから連立与党に加わった政党は政権参加から得られる利権を獲得することが目的であり、その最たるものが閣僚ポストである。しかし、法律では設置できる省の数を34までとすることが定められている。議席の多さに応じて閣僚ポストを配分するにしても、閣僚の数が限定されていてはすべての政党を満足させることができない可能性がある。そこで連立与党は、設置できる省庁の上限を定めている条文を改正し、必要に応じて大統領が省の数を決めることができるようにしようとしているのである。

次に浮上したのが、憲法裁判所法(法律2020年第7号)の改正案である。憲法裁判所の判事は、大統領、国会、最高裁判所からそれぞれ3人ずつが選出され、任期は最大15年まで(55歳以上70歳以下)とされている。国会の休会中に突然浮上したこの改正案では、判事の任期を5年とし、憲法裁判所判事の任命主体(大統領、国会、最高裁判所)が、任期終了時点で各判事の業績を評価し、再任に同意するかどうかを判断するという制度へ変更することが提案されている。また、移行規定として、現在2期目の任期途中にある判事に対しても、法施行後に2期目をこのまま続けてよいか判断することが法案に盛り込まれている。

この改正案の背景には、1998年の民主化後に新設された憲法裁判所が、高い独立性を与えられ、執政府や立法府とは異なる立場から法律に対する違憲審査を行ってきたという歴史がある(川村2018)4。大統領の方針や国会の制定した法律に対して独自の判断を下す憲法裁は、執政・立法の両府からは邪魔な存在でしかなく、憲法裁判所の独立性をいかに奪うかはこれまでも政治的争点であり続けてきた。2022年9月にも、国会が任命したアスワント憲法裁判事が、重要な法律に対して違憲判断を下したという理由で再任のタイミングに罷免されるという事案が発生している5

憲法裁の独立性が危機に陥ったのは、大統領選の立候補受付が締め切られる直前の2023年10月のことだった。ジョコウィ大統領の義理の弟にあたるアンワル・ウスマンが長官を務める憲法裁が、総選挙法の大統領選立候補要件が違憲との判断を下し、本来であれば立候補できないはずのジョコウィの長男の大統領選出馬への道筋を開いたのである6。そのジョコウィの長男こそ、プラボウォ政権の副大統領となるギブラン・ラカブミン・ラカである。

しかし、その違憲判断に対して強い批判の声をあげ、アンワル長官の解任に向けた世論を喚起したのは他の憲法裁判事だった。また、2024年2月に行われた大統領選の結果に対する異議申立審査においても、3人の判事から政府や選管の中立性に問題があったとして選挙のやり直しを求める請求を認めるべきとの意見が出された。さらには、8月20日に憲法裁が地方首長選挙法(法律2016年第10号)の一部条項を違憲とする判決を下すと、これに反発したジョコウィ政権およびプラボウォ政権を支える連立与党は同法改正案を即座に上程して憲法裁の判決を覆そうとするなど、憲法裁と大統領・国会の対立が先鋭化している7

このように必ずしも大統領や国会の思いどおりにならない憲法裁判所を大統領や国会がコントロールできるようにする、というのが今回の法改正の目論見なのである。

基本権を制限しようとする法改正の動き

さらに、放送法(法律2022年第32号)の改正案が議論にあがると、ジャーナリストから強い反対の声があがった。とくに問題とされたのは、調査報道にもとづく番組の放送を禁止する条文案である。調査報道は、報道機関の独自取材にもとづいて政治的・社会的問題を明らかにしようとするジャーナリズム活動のひとつだが、政府や政治家が取材の対象となり、世論の批判を喚起することが多い。この改正案が目指しているのは、ジャーナリストの活動を制限し、政権批判につながるような報道を抑制することにあり、報道の自由を侵害するものに他ならない。

最後に浮上したのが国軍法(法律2004年第34号)と国家警察法(法律2002年第2号)の改正案である。改正案の表向きの目的は国軍兵士や警察官の退職年齢を他の公務員並みに引き上げることとされている。しかし、国軍法改正案では、現役将校が大統領の判断でどの省庁にも出向できるようにするという条文が盛り込まれている。この案に対しては、民主化改革を破壊するものだと市民社会組織から強い反対の声があがった。スハルト体制下で国民を監視し反政府勢力を弾圧してきた国軍を政治の場から退出させるという改革は、1998年の民主化において最重要課題のひとつだったからである。

一方、国家警察法の改正案には、警察に盗聴の権限や、治安目的でネット接続のブロックや切断を行う権限などを与える内容が含まれている。分離独立運動の続くパプアで、2019年に政府が治安悪化を理由にネット接続を切断したことがあったが、その時に根拠とされたのは電子情報取引法(法律2016年第19号)だった8。電子情報取引法は政府の恣意的な法解釈によってネット空間における政府批判を抑え込むことに利用されてきた(水野2022)。国家警察法にネット規制の権限を根拠づける規定を盛り込むことで、政府は解釈論争から解放され、合法的にネット上の言論空間を監視することができるようになるのである9

ジョコウィ政権下で進んだ「水平的アカウンタビリティの低下」

こうした法改正の動きは、インドネシアにおける「民主主義の後退」という現象のなかに位置づけることができる10。ジョコウィ政権下で民主主義が後退したことは、「多様な民主主義(V-Dem)」プロジェクトが発表する自由民主主義指標の数値から明らかである(図1)。

図1 東南アジアにおける自由民主主義指標の推移(1985〜2023年)

図1 東南アジアにおける自由民主主義指標の推移(1985〜2023年)

(出所)Coppedge, et. al. “V-Dem Dataset v14,” Varieties of Democracy (V-Dem) Project, 2024から筆者作成

2005年以降、世界各地で観察される民主主義の後退現象は、選挙プロセスの操作や市民的自由の制限、権力を抑制する仕組みの弱体化といった側面で起きることがさまざまな研究で指摘されている11。インドネシアにおいては、民主主義の後退は、とくに「水平的アカウンタビリティの低下」と「自由主義の浸食」という2つの側面で起きてきた。

水平的アカウンタビリティとは、権力主体のあいだに抑制と均衡を働かせることで、特定の政治家や政治グループが特定の統治機関を掌握したとしても、それが権力の暴走につながらないようにブレーキをかけるための制度的仕組みである。民主化後のインドネシアでは、32年間という長期のスハルト独裁政権を許した反省から、権力分立の仕組みと大胆な地方分権化が進められ、権力の集中を避ける制度が作り上げられた。

こうして民主化のなかで構築された権力分立の制度も、2019年頃から修正を迫られるようになった。2019年9月には、市民社会の強い反対にもかかわらず、準司法機関として汚職事件の取締りにあたってきた汚職撲滅委員会(KPK)の独立性と権限を弱める法改正が強行された。汚職撲滅委員会は、スハルト独裁体制下ではびこった汚職を撲滅するため、強い捜査権限と公訴権を与えられた独立の国家機関で、現職閣僚や国会議員が関与したものであっても容赦なく汚職事件を摘発してきた。そのため同委員会は、摘発の対象となっていた政治家からは長く敵対視されていた。一方で中央政府も、同委員会の活動によって行政の裁量が狭められ、汚職の摘発を恐れるあまり官僚が萎縮し効率的な政策遂行が妨害されていると考えていた。こうして立法府と執政府のあいだで汚職撲滅委員会の地位をめぐる利害が一致した結果、法改正が行われ、同委員会の権力監視機能は大きく低下した(川村2022)。

その立法府が執政府を監視する機能も弱体化した。2014年に発足したジョコウィ政権は、野党の党内権力闘争に介入して親大統領派に党を掌握させたうえで、野党を与党に寝返らせていった。その結果、第1期政権では与党連合が国会議席の69%を、2019年からの第2期政権では74%を占める状態が生み出され、野党は力を失った。さらに、第2期政権では、大統領選を戦った相手であるプラボウォとサンディアガ・ウノの2人の正副大統領候補を閣内に迎え、政権外の反対勢力をことごとく懐柔していったのである。先にみたように、ジョコウィ政権を引き継ぐプラボウォ新政権でも連立与党は国会議席の72%をすでに掌握しており、立法府と執政府の一体化が続く見込みである。

さらには、上記でみたように改正憲法裁法案が国会に上程され、司法府までもが権力抑制の機能を失う瀬戸際に立たされている。一方で、同時に国会に上程された改正国家省庁法案や改正国軍法案は、執政権力を強化する内容を含んでいる。執政権力が拡大する一方で、それをチェックする機能が政治制度から失われようとしている。

ジョコウィ政権下で進んだ「自由主義の浸食」

自由主義とは、表現の自由や思想の自由、言論の自由、報道の自由などの市民的自由や個人の権利を保護し、そのために法の支配を貫徹することである。民主主義が多数者の専制に陥らないために必要な価値であり、これを通じて多様な集団が共存できる社会を維持していこうとする考え方である。インドネシアは700以上のエスニック集団からなる多民族・多宗教の国家だけに、少数派グループであっても抑圧されることがないよう個人の権利を保護し、属する集団を理由に恣意的に権力が行使されないよう法の支配を貫徹することが民主主義の安定にとっては重要である。実際に、民主化後のインドネシアは、個人の権利を保障する制度的枠組みを整えることで、国を分裂させることなく民主主義体制への移行を実現することができた。

しかし、2010年代以降、自らと異なるアイデンティティをもつ人々に対する寛容さが次第に失われていった。2000年代半ばにテロ活動を活発化させたイスラーム過激派とは別に、イスラーム的価値観が政治・経済の場で実現されることを目指すイスラーム主義を掲げるグループが台頭した。「イスラーム保守派」とも呼ばれる彼らは、個人の権利の平等ではなく、国民の約90%が信仰する多数派イスラームの優越性を主張した。

このような動きは、「多様性のなかの統一」を国是に掲げてオランダによる植民地支配から独立したインドネシアの国家的基礎を掘り崩すものであるため、政府はこれを抑え込もうとした。2013年には大衆団体法を改定して、国家の統一を乱すような団体の設立を禁止した。さらに2017年には同法を政府が一方的に改正して、司法手続きを経ずにそうした団体を解散できるようにした。そして実際に、2017年、2020年と、イスラーム主義を掲げる団体が一方的に非合法化され、解散させられた12

ところが、強権的にイスラーム主義運動を抑え込んだ動きは、次第に政府批判を行う市民のデモや学生運動を対象としたものへと広がっていった。2019年の改正汚職撲滅委員会法や2020年の雇用創出法の制定に対しては市民社会組織や学生、労働団体などから強い批判があがり大規模なデモが組織されたが、政府は暴動を扇動し偽情報を拡散したとして反政府的な言動を行ったグループを厳しく取り締まった。政府の新型コロナ感染症対策を批判する声に対しても厳しい取締りが行われた。2022年末には刑法典が全面的に改正され、思想の自由に抵触するような条項や政府に批判的な言動の取締りを可能にするような条項が盛り込まれた。改正刑法典は、プラボウォ新政権の任期途中である2026年1月から施行されることになっている13

プラボウォ新政権発足を前に改正が議論されている報道法改正案や国家警察法改正案も、表現の自由や報道の自由を侵害する内容を含んでいる。こうした法案が国会審議にのぼってくることは、自由主義の浸食に向けた動きもいまだに続いていることを示している。

プラボウォ新政権下でも「民主主義の後退」は続くのか?

ジョコウィ政権下で進んだ「水平的アカウンタビリティの低下」と「自由主義の浸食」という動きは現在も進行中である。それは、新政権発足を前に議論されている複数の改正法案の内容をみても明らかである。7月には、大統領が任命権限をもつ大統領諮問会議(Wantimpres)についても定員制限を撤廃する改正案が上程される見込みであることが明らかになった14。これも、国家省庁法の改正案と同様に、大統領に任命権のフリーハンドを与え、巨大化した連立政権内でのポスト配分を容易にすることを目論んだものだといえるだろう。

しかも、2024年の選挙では、権力抑制や自由主義という2つの側面だけでなく、選挙プロセスにも執政権力が介入しようとした可能性が指摘されている。ジョコウィは当初、新型コロナ感染症の拡大を理由に選挙の実施を延期するか、憲法を改正して大統領の任期を2期10年から3期15年にすることを目指した、といわれている15。そうした提案には他の政党が合意しないことが分かると、ジョコウィは長男を大統領選に立候補させようと、義理の弟が長官を務める憲法裁に法律の解釈を変更させた。

長男の立候補が可能になると、政権を挙げて長男と組んだプラボウォの当選を後押しした。警察や国軍幹部に自らと関係の近い人物を任命したり、統一地方首長選挙を延期してその間に大統領が任命する代行首長に自らと関係の近い人物を任命したりして、プラボウォ=ギブラン組の選挙戦を有利に運ばせたという指摘がなされている(水野2024)。さらに、異常気象対策として実施された社会扶助プログラムを延長してジョコウィに対する支持を調達し、それを通じてジョコウィ路線の継承を打ち出していたプラボウォ=ギブラン組の勝利を後押ししたともいわれている16。ジョコウィは政治未経験の次男をインドネシア連帯党(PSI)の党首に押し込んだことに続き、2024年11月に実施されるジャカルタ州知事選もしくは中ジャワ州知事選にその次男を立候補させようと目論んだとも報道されている17。ジョコウィは、家族を政界に送り込むことで「政治王朝」を樹立し、自らの影響力の保持を狙っているとみられている。もしこれらの報道が事実であれば、インドネシアには民主主義後退のメニューが見事に揃っていることになる。

こうした民主主義の後退はプラボウォ政権の下でも続くのだろうか。現在進行しているインドネシアにおける民主主義の後退は、ジョコウィという政治家個人のみが押し進めてきたというよりも、政治権力とそこから得られる利権に群がる既得権エリートの集合的な試みによって進められてきたものである(Power & Warburton 2020, 11)。その意味では、ジョコウィが10月に大統領を退任し、たとえその後政治的影響力を失ったとしても、民主主義の後退が続く可能性が高い。

もし、新しく大統領に就任するプラボウォが民主主義の規範を持つ政治家で、相互寛容の重要性を理解し、権力の行き過ぎた行使を抑制しようという考えを持っていれば、民主主義の後退が止まる可能性はある18。しかし、プラボウォの選挙後の発言をみるかぎり、そうした可能性を予見することは難しい。

プラボウォは選挙結果が確定した後、「すべての政治指導者が協力する必要がある」と述べて、連立与党に加わるかどうか明言していなかった闘争民主党(PDIP)や福祉正義党(PKS)にも政権参加を呼びかけた19。しかし、その試みがすぐにはうまくいかないと分かると、「政権に加わらないグループは(政権運営を)見ていればいい、邪魔はしないでくれ」と発言している20。野党の存在をゼロにしようとする行動からは議会における熟議の重要性を理解していない様子が垣間見える。また、そうした試みがすぐには実現不可能だと分かった後の発言からは、意見の違いが存在することを認めず、敵を排除しようとする姿勢が見てとれる。

プラボウォは権威主義的統治を敷いたスハルト政権末期に陸軍高級将校として数々の人権侵害事件に関与した疑いがあるため、外国メディアからはとくに厳しい視線が注がれている。5月にブルームバーグが行ったインタビューでは、彼の政治スタイルが民主主義の後退につながるのではないかという質問を受けている。これに対してプラボウォは、「私は選挙で信任されたのだ」と述べたうえで「民主主義が心配だという言説はメディアが作り上げたものだ」と言い放った21。この発言からは、選挙で当選すればフリーハンドを与えられるという傲慢さと、権力を監視するというメディアの役割を理解していない様子がうかがえる。

こうした政権移行期の動きをみるかぎりは、インドネシアにおける民主主義の後退が新政権下でも続くと考えざるをえない。

(2024年9月4日脱稿)

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

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参考文献
著者プロフィール

川村晃一(かわむらこういち) アジア経済研究所海外調査員(インドネシア・ジャカルタ)。専門はインドネシア政治研究、比較政治学。おもな著作に『教養の東南アジア現代史』(共編著)ミネルヴァ書房(2020年)、『2019年インドネシアの選挙──深まる社会の分断とジョコウィの再選──』(編著)、アジア経済研究所(2020年)など。


  1. インドネシアで民主主義が後退していることは、2018年以降多くの研究者によって指摘されるようになった。たとえば、Meitzner(2018)、Power(2018)、Warburton & Aspinall(2019)、Aspinall & Mietzner(2019a; 2019b)、川村(2020a)、Mietzner(2021)などを参照。詳細は、「ジョコウィ政権下で進んだ『水平的アカウンタビリティの低下』」以下のセクションで論じる。
  2. この9政党には、表で青色に網掛けをした8政党以外に、選挙参加登録を選管である総選挙委員会(KPU)に対して行ったものの、要件を満たさないとして総選挙への参加を認められなかった公正繁栄民衆党(PRIMA)が含まれる。
  3. その後、議席を獲得できなかった開発統一党(PPP)もプラボウォ新政権に協力する意向を表明した。
  4. 第2次世界大戦後にファシズムの再来を防ぐために西ヨーロッパ諸国で設置されるようになった憲法裁判所は、立憲主義(成文憲法にもとづいて国家権力を制限し、人々の権利や自由を保障すること)の要として1970代以降に民主化を経験した多くの国でも設立された。ただし、憲法裁判所が立憲主義の擁護者として機能するかどうかは自明ではない。例えば、インドネシアと同時期に憲法裁判所が設置されたタイやカンボジアでは、党派的な行動で軍事クーデタを正当化したり、権威主義的統治を正当化したりする役割を憲法裁が果たしている(川村 2012; 川村 2020b; 外山 2020)。
  5. 国会がとくに問題視したのが、政府・連立与党が重要法案と位置づけ世論の強い反発を押しのけて成立させた雇用創出法(法律2020年第11号)に対する違憲審査で、アスワント憲法裁判事が違憲との判断を下したことに対してであった。
  6. この経緯については、アジ研・インドネシアグループ(2024)を参照。
  7. 憲法裁判決の翌日の8月21日、連立与党は、憲法裁の判決内容をほぼ無視した内容の改正地方首長選挙法案を委員会に提出し、わずか7時間の審議でこれを可決した(反対したのは闘争民主党のみ)。さらにその翌日(8月22日)、国会は委員会を通過した同法改正案を本会議に上程して可決しようとした。これに対して、市民社会組織や学生、労働団体などがこの動きに強く反発し、全国各地で大規模なデモが組織された。デモには学者や映画監督、俳優、アーティストなどの著名人も参加し、ジャカルタを含む複数の都市では治安部隊との衝突も発生した。こうした動きを受けて、同日夜にスフミ・ダスコ・アフマッド国会副議長(グリンドラ党党首代行)は、改正地方首長選挙法案の本会議での採決を中止し、憲法裁の判決に従うことを表明した。
  8. ただし、同法を根拠としたネット接続の遮断は法律違反だという司法判断がその後、下されている。
  9. Ika Ningtyas, “Bahaya Pemutusan Internet Melalui RUU Polri,”[国家警察法案を通じたインターネット接続遮断の危険性]Koran Tempo, 18 June 2024.
  10. 民主主義の後退とは、「選挙を通じて権力を握った独裁者が民主主義の3つの構成要素を意図的に浸食しようとする試み」と定義される(Haggard & Kaufman 2021, 14)。ここでいう民主主義の3つの構成要素とは、選挙プロセス、基本的な政治的権利と市民的自由、水平的な抑制を指している。
  11. 世界的な民主主義の後退については、Diamond(2015)、Bermeo(2016)、Waldner & Lust(2018)、Lührmann, et. al.(2018)などを参照。
  12. 2017年に解放党(ヒズブット・タフリル・インドネシア:HTI)が建国5原則「パンチャシラ」に反しているという理由で解散させられた。2020年には、イスラーム防衛戦線(FPI)が活動を全面的に禁止される処分を受け、実質的に組織の解散に追い込まれた。
  13. こうした一連の政府による言論抑圧については、『アジア動向年報』各年版のインドネシアの章を参照していただきたい(川村・濱田 2021; 水野・濱田 2022; 川村・水野 2023)。
  14. Wantimpres diusulkan Jadi DPA dan Anggota Bisa Bertambah,”[大統領諮問会議を最高諮問会議とし、委員を追加できる提案がなされる]Kompas, 24 July 2024.大統領諮問会議法(法律2006年第19号)の改正案には、大統領諮問会議の名称を民主化前の最高諮問会議(DPA)に変更して大統領など他の国家機関と同等の地位とすることや、委員が政府の公職や政党、大衆組織の幹部を兼職することができるといった点も盛り込まれている。
  15. Hussein Abri Dongoran, Raymundus Rikang, and Ima Dini Shafira, “Gerilya Jokowi 3 Periode,”[ジョコウィ3期のゲリラ]Tempo, 5 February 2023.
  16. Hussein Abri Dongoran, “Bansos Jokowi Menjelang Pemilu. Untuk Apa?”[総選挙に向けたジョコウィの社会扶助。なんのため?]Tempo, 21 January 2024.
  17. Egi Adyatama, “Cawe-cawe Jokowi Jilid 2: Menjegal Anies Baswedan, Mengusung Kaesang Pangarep,”[ジョコウィの介入第2弾:アニス・バスウェダンを妨害し、カエサン・パンガレップを担ぐ]Tempo, 16 June 2024. ただし、ジャカルタではアニス前州知事の人気が高く、そこにカエサンが割って入る余地が小さいため、ジョコウィ家の地元である中ジャワ州知事選に出馬するのではないかという動きも取り沙汰された。Egi Adyatama, “Ambisi Kaesang Pangarep Jadi Gubernur Bergeser ke Jawa Tengah,”[カエサン・パンガレップの州知事になるという野心は中ジャワへシフト]Tempo, 7 July 2024. しかし、8月20日の憲法裁違憲判決によってカエサンは州知事選への立候補資格(候補者確定日に30歳以上)を満たさないことになり、今回の州知事選への立候補を断念した。
  18. こうした政治家の規範の重要性を指摘したのがLevitsky & Ziblatt(2018)である。同書のすぐれた書評として、川中(2018)や石戸(2018)も参照。
  19. Prabowo Ajak Seluruh Elite Tinggalkan Perbedaan,”[プラボウォは違いを捨て去るようすべてのエリートに呼びかけ]Kompas, 25 April 2024.
  20. Oposisi Bukan Penggangu,”[野党は邪魔者ではない]Kompas, 11 May 2024
  21. Yvette Tanamal, “Prabowo: Concerns over regressing democracy made up by press,The Jakarta Post, 16 May 2024.
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