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ライブラリアン・コラム

映画を理解するための学術書:
『アイム・スティル・ヒア』と『1964年ブラジル・クーデタと民主体制の崩壊』

狩野 修二

2025年9月

※本コラムは、映画『アイム・スティル・ヒア』の内容について言及しているため、これから鑑賞予定の方はご注意ください。

アジア経済研究所(以下アジ研)図書館のライブラリアンは、それぞれに担当する地域を持っている。例えば筆者は朝鮮半島と中華圏の担当なので、それら地域に関する資料の選書やレファレンス(資料相談)対応などをしている。一方で、それ以外の図書館業務の担当もあり、その一つに寄贈資料の受入業務がある。こちらは地域に関係なく行う業務なので、東南アジアや南アジアなど担当地域以外の資料にも接することになる。ここ数年はラテンアメリカ関連資料を複数の研究者の方から数多くの資料をご恵贈いただいており、ラテンアメリカ関連資料を目にすることが多い。

先日、アジ研の研究者から寄贈された学術書『1964年ブラジル・クーデタと民主体制の崩壊』(橘生子著.花伝社.2025年7月25日出版)もタイトルにある通り、ラテンアメリカ関連の資料である。寄贈者によると、近日中に公開予定の映画に合わせて出版されたという。確かに「あとがき」にもその旨は書かれており、加えて2025年8月8日公開の映画『アイム・スティル・ヒア』(原題 Ainda Estou Aqui)「...のバックグラウンドを理解するうえで補助的な役割を果たすことが見込まれる」と書かれている。映画公開後に関連書籍が出版されることはままあることだが、映画の公開に合わせて学術書を出版するのは比較的珍しいのではないだろうか。

興味をもった筆者は実際にこの本を読んで映画を見てみることにした。学術書というと研究のための資料という感じがして手に取るには少しハードルが上がる気がするが、本コラムでは研究利用だけではなく、自身の持つ興味や関心を深め広げるためにも学術書が活用できることを紹介したい。

映画『アイム・スティル・ヒア』(以下映画)のあらすじをざっくり紹介すると、1970年代軍事政権下のブラジルで軍部により連行され、その後行方不明となってしまうルーベンス・パイヴァと彼を探し続けながら、残された家族と生きていく妻エウニセ・パイヴァの実話を元としたストーリーである。一方、図書の『1964年ブラジル・クーデタと民主体制の崩壊』(以下本書)は、なぜ1964年に軍部によるクーデタが起こり、民主体制が崩壊してしまったのか、またなぜ政治的弾圧が容認されたのかという問いに答える内容である。映画はすでに軍政下である1970年以降の話を、図書はクーデタ前後の1960年代のことを扱っているが、軍部による政治的弾圧は両者に共通するテーマである。

映画は、もちろん事前知識がなくても理解できるように制作されており、字幕情報や台詞で状況が把握できるようにはなっている。ただ、そうした情報はストーリーのなかですぐに流れて行ってしまうので、重要なキーワードとして覚えておくことは難しいかもしれない。そのため、ある程度事前に周辺情報を頭に入れておくと物語をよりよく理解できると思う。ここでは、映画の理解が深まる3つのポイントを本書から引用してご紹介したい。

画像:リオデジャネイロ(出典:Wikimedia Commons)

画像:リオデジャネイロ(出典:Wikimedia Commons
1.軍事政権下の弾圧

ブラジルでは、1964年に軍によるクーデタが勃発し、その後21年間軍政が続いた。軍部は共産主義的な暴力革命から国を守るという名目でクーデタを実行したが、実際には、民主体制により既得権益が脅かされる大地主や起業家などとの結託によるものであることが明らかになっている(本書p14-15)。

軍事政権への移行後、共産主義者や反体制派と疑われた政治家や民衆は、一部は海外に亡命し、それ以外のブラジルに残った人々は、検閲・勾留・尋問・拷問などの政治的弾圧の脅威にさらされることとなる。脅迫や不当な拘束などの弾圧や、消息不明の事例はクーデタ以前から発生していたことが、当事者へのインタビューを通じて当時の状況を記録・分析するオーラル・ヒストリー研究からわかっている(本書p2,p21)。オーラル・ヒストリー研究が必要である理由は、ブラジルにおいて当時の人道犯罪を立証できるような公的記録がほとんどのこされていないためである(本書p29,46)。

映画は、1970年のリオデジャネイロを舞台として始まる。ルーベンス、エウニセ夫婦と5人の子どもの幸せそうな生活や、にぎわうリオの街角、ビーチの風景の映像を見ると、そこが軍政下のブラジルとはとても思えない。しかし時折、街中を疾走する装甲車やビーチ上空を飛ぶ軍用ヘリコプターが軍部の存在とその後発生する弾圧の気配を感じさせる。

2.恩赦法

1985年にブラジルは民主体制となったが、軍政から民政への円滑な移行のため「恩赦法」が1979年に制定された。これは2024年時点においても有効で、軍事政権下における体制側と反体制側双方の人道的犯罪についてその責任を問わないというものであった(本書p44)。これにより、亡命者は帰国できるようになったが、国内での「和解」が優先されることになったため、ブラジル政府は加害者の処罰も真相究明も行わない立場を取ることとなった(本書p44-45)。

映画を見ているなかでもっとも理解しづらかったのがこのあたりの事情である。ルーベンスが行方不明になってから20年以上、民主体制に移行してから数えてもすでに10年以上の月日が経過して、ようやく一つの結末にたどり着く。なぜここまでの歳月がかかったのか、そしてその結末に関心を持ち集まった記者のひとりがエウニセに心ない言葉を投げかけるがそれはなぜなのか、ブラジルが制定した「恩赦法」とそれをめぐる事情を知らなければうまく理解することはできないだろう。

3.真相究明

こうした状況下、犠牲者の遺族たちは真相を知るため、人道活動家と協力して調査を行いながら、政府への働きかけを行っていた。これに応じて1995年に発足したカルドーゾ政権が「政治的死者・失踪者特別委員会」を創設、人道犯罪の調査に着手すると、続くルラ政権(2003年~2011年)、ルセフ政権(2011年~2016年)でも継続して調査が続けられた(本書p45,184)。2011年に組織された「国家真実委員会」が刊行した『報告書』によれば国家による人道犯罪被害者と認定された434人に加え、事件の詳細や被害者の氏名すら不明の未確定の事例も数多く記録された。また農民や先住民の被害者数は実際にはもっと多いはずであり、継続調査が必要であると結論づけられている(本書p45)。

遺族らの地道な努力と政府の調査により、少しずつ真実が明らかになってきているが、それまでにかなりの時間が費やされてきた。エウニセがルーベンスにテレビ画面で「再会」したのはようやく晩年を迎えてからであった。前述の『報告書』は、ブラジル政府のウェブサイトから閲覧・ダウンロードすることが可能である(『報告書』を見る)。そのなかには、ルーベンス(Rubens Paiva)に関する記述も見つけることができる。

本コラムでは、学術書を読んで映画の理解を深める試みを行った。学術書は、その著者が主張する内容を証明するための詳細なデータや情報、緻密な議論が展開されていてじっくり読まないと理解が難しいこともある。しかし「まえがき」「序章」「終章」「あとがき」といった本の前と後ろの部分には、その本の扱うテーマの概要や、全体の見通し、まとめが書かれていることが多く、そこを読むだけでも映画の背景理解につながる。映画を鑑賞後、さらに関心が深まれば、改めて本文やさらには関連する文献を読み進めることで、映画そのものやその背景についてもより理解を深め、興味関心を広げることができる。

なお、映画の内容そのものについては、映画のパンフレット『Ainda Estou Aqui』や映画の原作である『Ainda estou aqui』(Marcelo Rubens Paiva. Alfaguara. 2015)を当館で閲覧することが可能である。ご利用いただければ幸いである。

画像の出典
  • インデックス・本文画像:Wikimedia Commons “Rio de Janeiro, Brazil” by Wilfredo Rafael Rodriguez Hernandez (Public Domain)
著者プロフィール

狩野修二(かのうしゅうじ) アジア経済研究所学術情報センター主幹。担当は朝鮮半島と中華圏。著作に「第3章 香港──多様な研究成果の受容と「国際」基準による評価──」(佐藤幸人編『東アジアの人文・社会科学における研究評価──制度とその変化──』アジア経済研究所、2020年)。

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