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ライブラリアン・コラム

『人民日報』がいっぱい

 

狩野 修二

2021年12月

はじめに

中国を代表する新聞である『人民日報』。読んだことはなくても、その紙名を耳にしたことがあるのではないだろうか。『人民日報』は、中国共産党中央委員会の機関紙で、中国共産党政府の政策や方針、国内事情、および国内外のニュースを掲載している。『人民日報』を発行する人民日報社のウェブサイトによると、創刊は、1948年6月15日となっている。確かにアジア経済研究所図書館(以後、当館)が所蔵している1948年6月15日付の『人民日報』の第一面には、「創刊號」の文字が印刷されている。しかし当館には、この創刊号の日付より前に発行された『人民日報』を所蔵している。また、この日付より後に発行されているのに「創刊號」と印刷された『人民日報』も所蔵している。いったいどういうことなのか。混乱しながらこれら『人民日報』の来歴を調べ、整理した内容をここに記録しておくことにしたい。

複数の『人民日報』

先に答えを述べてしまうと、『人民日報』という紙名の新聞が過去に複数刊行されていた、というのが「はじめに」で述べた混乱の原因である。そのため複数の異なる日付の創刊号や、創刊号の日付より前に発行された『人民日報』が確認されることになるのである。当館では、なんと5種類もの『人民日報』を所蔵している。また、これ以外にも今回調べた結果によると、少なくともさらに4種類の『人民日報』がかつて存在したことが分かっている。

これら複数の『人民日報』を、大きく二つのグループに分けて紹介したい。第一のグループは、現在の『人民日報』となんらかの関係があるものである。例えば、『人民日報』の前身であったり、あるいは、別の同名異紙として創刊されたが、最終的に吸収されたりなどである。第二のグループは、独自に発行されたもの、もしくは現『人民日報』との関係が不明なものである。第二のグループは、それに関連する情報が非常に少ないため、その位置づけが不明確な場合が多い。そのため実際には、現在の『人民日報』と関係があった可能性もある。

現在の『人民日報』と関係のある『人民日報』

現在の『人民日報』となんらかの関係がある第一のグループには、「晋冀魯豫(しんきろよ)『人民日報』」と「北平版『人民日報』」、および華北局の『人民日報』がある。「晋冀魯豫『人民日報』」は、中国共産党晋冀魯豫辺区中央局の機関紙として創刊したため、そのように呼ばれているが、紙面の題字は「人民日報」である(「晋冀魯豫」は、現在の山西省、河北省、山東省、河南省にまたがる地域を指す)。また、「北平版『人民日報』」も、紙面の題字は『人民日報』であるが、その下に「北平版」と印刷されている。

「晋冀魯豫『人民日報』」は、現在の『人民日報』創刊日の約2年前、1946年5月15日の創刊であり、現『人民日報』の源流にあたる。1948年6月に、晋冀魯豫辺区中央局は、晋察冀(しんさつき)中央局と合併し華北局となった(「晋察冀」は、現在の山西省、河北省、遼寧省、内モンゴル自治区にまたがる地域)。この際に、それぞれの機関紙である「晋冀魯豫『人民日報』」と『晋察冀日報』も合併され、1948年6月15日に、華北局の機関紙として『人民日報』が創刊された。

一方、「北平版『人民日報』」は、華北局の『人民日報』創刊から約8カ月後の1949年2月2日に創刊する。「北平」とは現在の北京市のことであるが、題字の下に「北平版」と入れていることから、他の『人民日報』がすでにあることを意識していたことがうかがえる。しかし1949年3月15日に、上段で紹介した、華北局の機関紙である『人民日報』が、出版地を河北省平山県から北平に移すことが決まると、北平版『人民日報』の名称は、華北局の『人民日報』に吸収され、代わりに『解放報』と改名し刊行を続けることになった。「北平版『人民日報』」が存在した期間は、わずか1カ月余りであった。

華北局の機関紙『人民日報』は、上述のとおり、「北平版『人民日報』」を吸収し、出版地を現在の北京に移したが、中国共産党中央委員会の機関紙となったのは、それから5カ月後の、1949年8月である。そのため、中国共産党中央委員会の機関紙『人民日報』の創刊日は、1948年6月15日だが、その時点での『人民日報』は、中国共産党中央委員会の機関紙ではなく、華北局の機関紙であった、という若干複雑な状況になっている。

その他の『人民日報』

現在の『人民日報』とは別に独自に発行されたもの、もしくは関係性が不詳である第二のグループには、「旅大『人民日報』」「福州『人民日報』」「臨汾『人民日報』」「長沙『人民日報』」「佳木斯『人民日報』」「吉林『人民日報』」がある。

このうち、「旅大『人民日報』」と「福州『人民日報』」は、当館でも前者はマイクロフィルム、後者は影印本の形で所蔵している。

「旅大『人民日報』」の「旅大」は、現在の遼寧省大連市を指している。当館では創刊号は所蔵していないが、中華民国38年4月6日付の第一面には、「中華民国38年4月1日創刊」と書かれている。中華民国38年は西暦1949年に当たるので、華北局の『人民日報』が、「北平版『人民日報』」を吸収した2週間後くらいに創刊している。中国国家図書館のウェブサイトで「旅大『人民日報』」を検索して書誌情報を確認すると、1955年までは刊行されていることが確認できるので、少なくとも6年間は、現在の『人民日報』と併存していたことになる。

「福州『人民日報』」は、中華共和国人民革命政府(通称「福建人民政府」)の機関紙で、1933年11月21日創刊、1934年1月12日停刊している。福建人民政府は、1933年に11月20日に成立した地方政権で、翌年1月に蒋介石軍により崩壊させられたため、「福州『人民日報』」自体も短期間で停刊している。わずか1カ月と少しの発行期間ではあるが、今回の調査したなかでは最も早い時期から『人民日報』の紙名を使用している。

残りの「臨汾『人民日報』」(臨汾は山西省の都市)、「長沙『人民日報』」(長沙は湖南省の都市)、「佳木斯『人民日報』」(佳木斯は黒龍江省の都市)、「吉林『人民日報』」については、資料によりその紙名が確認されるのみである。「臨汾『人民日報』」は1939年に創刊、「長沙『人民日報』」は私営の新聞で1939年1月時点で存在、佳木斯『人民日報』」と「吉林『人民日報』」は1946年5月時点にはすでに存在していた程度のことしか明らかになっていない。しかし少なくともこれだけ多くの『人民日報』が、現在の『人民日報』の源流ともいえる「晋冀魯豫『人民日報』」の創刊より前に存在していることが判明した。

ちなみに、「晋冀魯豫『人民日報』」の創刊に携わった編集者たちは、その紙名を決定する際、すでに『人民日報』という紙名がどこか別の地域で使用されていたことは認識していたようである。これら『人民日報』の情報をどこかで耳にしていたと考えられる。

おわりに

本件は、当館で所蔵している『人民日報』の刊行状況を整理するために始めた調査であったが、それ以外にも多くの『人民日報』が存在していたとは想像もしていないことであった。しかも、『人民日報』の名称は、福建人民政府の機関紙や、私営の新聞である「長沙『人民日報』の例からもわかるように、必ずしも中国共産党の機関でのみ使われていたわけではないことも明らかとなった。今回調べたことにより整理された点もあるが、なぜこれほどまで『人民日報』の名称が各地の紙名として採用されたのかなど依然不明な点も多い。今後それぞれの『人民日報』についてもより詳細な来歴等が明らかになることを期待したい。

最後に、今回調べた各『人民日報』の概要について文章だけでは把握しづらいため、以下のとおり、表1にまとめた。参考になれば幸いである。

表1 複数の『人民日報』と刊行状況

表1 複数の『人民日報』と刊行状況

(出所)参考文献より筆者作成
参考文献
  • 『世界大百科事典24』2007. 改訂新版 平凡社
  • 藤田正典編 1976.『中国共産党 新聞雑誌研究』アジア経済研究所
  • 钱江 2008.『晋冀鲁豫人民日报纪实』人民出版社
  • 『人民日報』1949. 3月15日
  • 人民网 http://www.people.com.cn/GB/50142/104580/index.html(2021年12月6日アクセス)
  • 王凤超 1988.『中国的报刊』人民出版社
  • 王文彬编著 1996.『中国现代报史资料汇辑』重庆出版社
  • 中国社会科学院新闻研究所编 1982.『中国新闻年鉴1982』中国社会科学出版社
  • 中国书局影印 1986.『1933 福州人民日报』中华书局
著者プロフィール

狩野修二(かのうしゅうじ) アジア経済研究所学術情報センター主査。担当は中華圏。著作に「第3章 香港――多様な研究成果の受容と「国際」基準による評価――」(佐藤幸人編『東アジアの人文・社会科学における研究評価――制度とその変化――』アジア経済研究所、2020年)。