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海外研究員レポート

オランダにおけるズワルト・ピート論争――祝祭は伝統か差別か

Zwarte Piete’ controversy in the Netherlands

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053594

能勢 美紀
Miki Nose
2023年2月
(5,090字)

オランダ版サンタクロースと従者ズワルト・ピート

12月6日の「聖ニコラウスの日」とそれに関連する祝祭は、オランダで最も重要な伝統行事の一つである。この日、子どもたちはシンタクラース(Sinterklaas)からプレゼントをもらうが、シンタクラースはそれに先立つ11月中旬、従者のズワルト・ピート(Zwarte Piete ──英訳は‘Black Peter’)を連れ、スペインから蒸気船に乗ってやってくる。ズワルト・ピートは、「黒いピート」というその名が示しているように、黒い。今日一般的に行われる説明では、ピートが黒いのはプレゼントを配るために煙突にのぼり、煤で汚れたからである。

写真1 2022年ライデン市のシンタクラース・パレードの様子。

写真1 2022年ライデン市のシンタクラース・パレードの様子。
ズワルト・ピート役は顔を部分的に黒くしている。

一方、数年前まで、ピートの「黒」は、アフロヘアと大きな赤い唇、顔を黒塗りにした白人によって表現されていた。オランダでは、2011年にこうしたズワルト・ピートの容姿に対して抗議デモを行った活動家二人が逮捕されたことを発端に、多くのメディアがこの問題を取り上げ、「ズワルト・ピートは人種差別的なステレオタイプなのか」「ズワルト・ピートの風貌を変更すべきか」という点において激しい論争が行われた。議論を通じ、オランダ社会は、ズワルト・ピートを「非常に危険で侮辱的な存在」と考える人々と、「オランダの伝統とアイデンティティの重要な一部」と考える(そして、だからこそズワルト・ピートを否定したり、容姿を変更したりすることはできないと考える)人々に分断され、暴力的な事件も発生した(Segers 2020)。

しかし、2020年、それまでズワルト・ピートの容姿を擁護してきたオランダのルッテ首相が自身の意見を修正し、ズワルト・ピートの容姿は差別的で変えるべきであると述べるなど、大きな変化がみられた(Lalor 2020)。ここ数年のシンタクラース・パレードでは、多くの都市でズワルト・ピートは煤で顔を黒く汚した「白人」に変わり、筆者の知る限り暴力的な抗議運動は起きていない。また、オランダの主要な小売店では、戯画的な黒人のズワルト・ピート関連商品の販売をやめている。このように、ズワルト・ピート論争は、それまでの「黒人のピート」が「煤で汚れたピート」に置き換わり、おおむね解決をみたように思われる。

本稿では、オランダにおけるズワルト・ピート論争を取り上げ、なぜこの問題が社会的な議論を呼んだのか、また、なぜ人々の意識が変化しえたのかを考察する。ズワルト・ピート問題は、しばしば伝統や文化と結びつけられる不合理な社会構造や制度の変革について大きな示唆を与えるものと思われるからである。

写真2 戯画化されたズワルト・ピート(右)。

写真2 戯画化されたズワルト・ピート(右)。
個人商店等ではまだ見かけることがある。
伝統か差別か

シンタクラースの祝祭は少なくとも中世にさかのぼるとされているが、ズワルト・ピートの起源は諸説あり、明らかになっていない。ローデンベルクとワーヘナールの研究によれば、少なくとも「黒人の召使」としてのズワルト・ピートが登場するのは19世紀半ば以降であり、ヤン・シェンクマンが1850年頃に書いた絵本に描かれているのが確認できるという(Rodenberg & Wagenaar 2016)。つまり、ズワルト・ピートの歴史は容姿に限ればそれほど古いものではない。とはいっても、「黒人」のピートがいないシンタクラースの祝祭を経験した成人も現在のオランダにはいないということになる。

また、この論争において考慮に入れなければならない重要な点は、黒人がオランダ社会のマイノリティであるということである。オランダ統計局は人種別統計をとっていないため推計になるが、黒人が多いと思われる旧植民地のスリナムやアンティル、そしてアフリカ出身者の割合は2022年時点で全人口の約6%である(オランダ統計局 2022)。したがって、ズワルト・ピートの容姿や、従者という従属的な立場に起因する嘲笑や差別による苦痛を直接経験するのはオランダ社会において圧倒的少数である。

これに対してマジョリティである白人オランダ人の多くは、シンタクラースとズワルト・ピートがセットになった祝祭を古くからの伝統であり、かつ子ども時代の楽しく好ましい思い出と認識していると考えられる。そうした人たちにとって、ズワルト・ピートへの批判は自分たちの伝統や文化を否定し、思い出を汚すものと受け止められうる。こうした心情は、後述するルッテ首相の発言にも表れている。

こうした特徴から、ズワルト・ピート問題は、構造的差別とそれに対する典型的な反応の好例であると言える。構造的差別とは、社会の仕組みや制度に起因する差別をいう。多くの場合、構造的差別の受益者であるマジョリティ側は、自身が社会構造から得られている優位性に無自覚である。さらに、既存の社会構造は往々にして古くから続いてきた伝統や価値観の言説と結びつき、構造的差別に対する異議申立てを、守るべき伝統への攻撃にすり替える。構造的差別の解消が難しいのは、こうしたマジョリティ側の無自覚と、ほとんどの社会構造が相当の年月を経て定着していることにあると考えられる。

ズワルト・ピート論争──歴史的解釈に重点をおく言説

ズワルト・ピートをめぐる論争を、ここでは先に紹介したローデンベルクとワーヘナールの研究をもとに整理しておきたい。これによると、言説は、ズワルト・ピート肯定派と否定派、そして行事の持つ意味について歴史的解釈に重点をおくか、現在に生きる人々に与える意味を重視する(hodie-centric)かの2軸で分類することができる。

歴史的な文脈からズワルト・ピートの外見を変更する必要がないと考える肯定派の主な言説のひとつは、シンタクラースの伝統を12月6日に行われるカトリックの聖ニコラウスの聖日に求めるものである。もうひとつはズワルト・ピートのルーツはキリスト教伝来以前からの真冬の伝統的な豊穣の儀式の名残にあるとするものである。どちらの言説も、ズワルト・ピートが奴隷であると主張する人々に反論するために用いられる。なぜなら、これらの言説に登場する「黒い物」は悪魔であり、ズワルト・ピートを本質的に人間ではない物であると主張することで、人種差別との関係をなくしてしまうからである1

これに対して、ズワルト・ピートの否定派、すなわち、外見を変えるべきと考える人々は、ズワルト・ピートに対して「作られた伝統」であるとの歴史認識を持っている。その言説には、ズワルト・ピートの起源を植民地時代の奴隷であるとするものがある。また肌が黒く真っ赤な唇に縮毛のキャラクターであるゴリウォーグや、アメリカで19世紀に流行したミンストレル・ショー(顔を黒く塗った白人が登場する)と結びつける言説もある。いずれの言説においても、ズワルト・ピートの姿は人種差別的ステレオタイプであり、19世紀に奴隷制あるいは人種差別を正当化するために構築され、今日まで再生産されてきたとしている。

ズワルト・ピート論争──現在に生きる人にとっての意味に重点をおく言説

歴史的な解釈以上によく耳にし、人々の議論の中心となっていると思われるのが、現在に生きる人々に与える意味を重視する言説である。このうち、否定派の言説の中心は、黒人の子どもたちがズワルト・ピートと呼ばれ、からかわれることによる不当な苦痛の経験である。また、白人のシンタクラースと黒人のズワルト・ピートという差別的な主従関係が社会に持ち込まれることについての、あらゆる人種に対する影響を心配する声もある。

一方で、肯定派からよく聞かれる言説の一つが、シンタクラースの祝祭は何よりもまず子どもたちの祭りである、というものである。この言説の支持者は、歴史的なルーツに言及することなく、子ども時代の自分自身の経験や、それにまつわる楽しい思い出に基づいてシンタクラースの祝祭を語り、このような記憶こそ、共有され、促進されるべきものであるとする。彼らにとってズワルト・ピートが歴史的にどこから来たのか、なぜこのように表現されるのかはさほど重要ではない。

この言説は、肯定派のもう一つの言説である「ネイティヴィストの言説」と結びつきやすい。ネイティヴィズムとは、ごく簡単にいえば、「ある国家にはその“民族”のメンバーのみが住むべきである」という考え方である。ズワルト・ピートに関する文脈において、この言説の支持者はシンタクラースの祝祭と「オランダ性」とを結びつけ、「よそ者」にはこの伝統を批判する権利がないと考えているようである。また、彼らにとって、ズワルト・ピートへの批判は、集団のアイデンティティにとって不可欠なものが奪われているという感覚をもたらす。

従来、ルッテ首相は、ここまで紹介した肯定派の言説に沿った発言を繰り返してきた。例えば2014年3月、「シンタクラースの祝祭は、古くからの子どもたちの伝統であって、ズワルト(ブラック)・ピートはグリーンでもブラウンでもなければ、それを変えることもできない」と述べた2。またルッテ首相は、2017年1月、「[オランダ社会への]適応を拒み、……普通の(ordinary)オランダ人を人種差別主義者と呼ぶ人たちには不快感を覚える。……[そのような人には]出て行ってほしいと考える人がいるのは理解できるし、私もそう思っている」との見解を示している3。この、「普通のオランダ人を人種差別主義者と呼ぶ人」にはズワルト・ピート否定派も含まれると推察される。実際ルッテ首相は、同年11月にズワルト・ピート肯定派が、否定派をシンタクラース・パレードに参加させないよう高速道路を封鎖した際、「シンタクラースは美しい伝統で、子どもたちのパーティーであるのだから、普通に行動しよう」と述べて肯定派を擁護した4

オランダ社会の変化

どうすればこの問題を解決できるのか、ローデンベルクとワーヘナールは、ズワルト・ピート問題の収束の方向性として最も可能性があるのは、「今ここにいる子どもたちがズワルト・ピートの容姿のあり方によって苦しんでいるから変わる必要がある」と主張する現在的価値を重視する否定派の言説であろう、と述べている。さらに、この言説が、ズワルト・ピート肯定派である「シンタクラースの祝祭は何よりもまず子どもたちのためのものである」という言説と組み合わさることで解決策が見つかるかもしれないという。

そこで各議論を振り返れば、ズワルト・ピート肯定派では、歴史的解釈を重視する立場においても現在的意味を重視する立場においても、ズワルト・ピートは黒くなければならないが、アフロヘアに真っ赤な分厚い唇といった人種差別的なステレオタイプである必要はない。一方、否定派の訴えるシンタクラースの祝祭のたびにブラック・ピートと揶揄される黒人の子どもたちの悲しみ、さらには社会的・制度的な差別の構造は、ブラック・ピートの容姿が変わらなければなくならない。それに必要なのは、今現在、たとえ少数でも社会から差別され、苦しんでいる人がいることにマジョリティ側が気づき、その背景にある社会的構造に疑義を抱くことであろう。そうすることで、シンタクラースの祝祭は「すべての子どもたちのための祝祭」になることができる。

冒頭で述べたように、2020年、ルッテ首相は否定派へと意見を変えた。ルッテ首相は、「ズワルト・ピートが黒人blackであることでひどく差別された」との訴えを聞き、このような感情はシンタクラースの祝祭においてあってはならないと思ったという。さらに、ルッテ首相は構造的人種差別がオランダ社会に存在することも認めた(Lalor 2020)5

また、オランダのニュースメディアEenVandaagが2013年から行っている調査からは、オランダ社会全体が、議論を通じて大きく変化してきたことがわかる。この調査によれば、「ズワルト・ピートの外形を変更すべきである」と考える人よりも「変更すべきでない」と考える人の方が一貫して多数派である。ただし、重要なのは、「煤で汚れたピート」という「新しいオルタナティブ」に対して、「受け入れる」と答えた割合が、2022年には53%と、調査以来はじめて半数を超えたことであろう。2013年時点では、逆に「受け入れられない」と答えた割合が66%で半数を超えていたが、2021年に拮抗し、今年ついに「受け入れられない」の方が37%と少数派になった(Klapwijk 2022)。

オランダにおけるズワルト・ピート論争は、マイノリティの意見がマジョリティになり、社会構造は変わりうるのだということを教えてくれる。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • すべて筆者撮影
参考文献
著者プロフィール

能勢美紀(のせみき) ジェトロ・アジア経済研究所海外研究員(在オランダ)。2015年ライブラリアンとしてアジア経済研究所に入所。中東・北アフリカ、中央アジア地域を担当。最近の著作に「資料を守るライブラリアン──マイクロフィルム編」(『ライブラリアン・コラム』2021年)、「感染症対策と資料保存の両立──換気の意外な悪影響と図書館の対応」(『ライブラリアン・コラム』2021年)、「所蔵マイクロフィルムの状態把握と保存計画:アジア経済研究所図書館の事例」(『図書館界』72巻5号、2021年)など。


  1. ローデンベルクとワーヘナールは、ズワルト・ピートを歴史的文脈から肯定的に捉えるもうひとつの言説として、アンシャン・レジーム時代に行われたシンタクラースの仮面舞踏会を紹介している。ズワルト・ピートの起源を宗教的文脈や植民地的文脈を欠いた世俗的な伝統のなかに位置づけるものである。ただし、筆者はシンタクラースおよびズワルト・ピートの起源としての「仮面舞踏会言説」は耳にしたことがない。
  2. Rutte fields questions about Zwarte Piet,” NL Times, March 24, 2014.(2023年1月アクセス)
  3. General election: ‘Go away if you don’t like it here,’ says Dutch PM,” DutchNews.nl, January 23, 2017; “Dutch PM Rutte: ‘If you don’t like it here, then leave’,” BBC, January 23, 2017等。(2023年1月30日アクセス)
  4. Rutte reagieert op Dokkum: Kinderfeest, normal doen,” BNNVARA, November 19,(2023年1月30日アクセス)
  5. ただ、記事によれば、ルッテ首相は構造的な問題を認めつつも、ズワルト・ピートに関してなんらかの規制を行うことは「政府がすべきことではない」と否定し、「(ズワルト・ピートは)民俗文化であり、社会的な議論を受けて変化する。数年後には、ピートはもう黒人blackではなくなっているだろう」と述べるに留まっている。
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