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海外研究員レポート

平和構築と開発援助の未来――米軍のアフガニスタン撤退が与える影響

The Future of Peacebuilding and Development Aid

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00052865

能勢 美紀
Miki Nose
2021年12月
(7,893字)

米軍のアフガニスタン撤退と平和構築活動に対する眼差し

2021年8月のタリバーンによるカブール制圧と米軍をはじめとする多国籍軍の撤退は世界中に大きな衝撃を与えた。筆者が滞在しているオランダも例外ではない。ただ、日本での受け止め方と大きく違うと感じるのは、この出来事を、「多額の開発援助を投じた平和構築活動の失敗」と捉え、今後の平和構築活動そのもののあり方が議論の中心のひとつになっていることである。特にオランダをはじめとするNATO加盟国は、ISAF(International Security Assistance Force, 国際治安支援部隊)1と、軍事部門と復興支援部門からなるPRTs(Provincial Reconstruction Teams, 地方復興チーム)を通して戦後の早い時期から治安維持と復興に携わってきた。PRTsの軍事部門は実質的にISAFが担っており、軍隊に対して「安定化」のための積極的な武力行使を容認する平和構築活動のあり方には当初から懸念があっただけに(Maley 2007)、現在、軍事的な関与のあり方だけでなく、今後の開発援助と平和構築のあり方が問われているといえる。

写真1 ISAFによる橋の建設事業

写真1 ISAFによる橋の建設事業
平和構築のための開発援助

ISAFがNATO指揮下にあって軍事部門と戦後復興を担う開発支援部門の2つから構成されていたことに端的に示されているように、アフガニスタンにおける平和構築活動では、地域の安定化のための武力行使と開発援助が同時に行われた。このように開発を武力行使と並ぶ安全保障の手段と考え平和構築活動に動員することは、現在世界中の途上国で広く行われている。具体的には、紛争で破壊された道路や建物の建設、荒れてしまった農地を回復させるための灌漑施設の建設などがあげられる。こうした開発事業は、紛争で破壊されてしまった物理的なインフラの整備にとどまらず、これらを建設する過程で、紛争によって職を失ってしまった人々、あるいは貧困から武装勢力に加担せざるを得なかった人々に新たな収入源を提供し、さらに出来上がったインフラによって経済活動が活性化されて地域の安定化にもつながる、といった論理に基づいている(Marijnen & Schouten 2019, 15-17; Bachmann & Schouten 2018, 382)。開発に投資することは平和を実現することと同等に考えられているのである。特にインフラ建設は、貧困の削減をはじめとする途上国への開発援助の歴史において、冷戦期から主要な手段だった。東西いずれの陣営にも属さない第三世界に対して米ソが援助合戦をしたことは有名である。実際に、アフガニスタンでは、ソ連はサラン峠トンネル、アメリカはヘルマンド渓谷開発計画といった大規模なインフラ建設を行った。一方で、平和構築という観点からは、大規模なインフラ建設に代表される開発が(貧困の削減だけでなく)平和構築のための主要な手段になる、という認識が生まれるのは開発援助の歴史を概観すれば実は最近のことである。

写真2 アフガニスタンで地元の人々と協働して再建事業に従事するISAFとUSAID

写真2 アフガニスタンで地元の人々と協働して再建事業に従事するISAFとUSAID
開発援助と平和構築が結びつくまで

国連やIMF(国際通貨基金)といった国際機関の報告書を見ていくと、国家あるいは政府が主な主体となって行う開発援助のあり方は、国際情勢と政治に大きな影響を受けていることがわかる。米ソを筆頭に、冷戦期には「近代化」を旗印とした途上国に対するインフラ支援が活発に展開された。これらのインフラ支援は、その多くが途上国の統治体制を問わず、結果として権威主義的な政府を強化する方向に向かい、本来の開発援助が目指す、民主的であるはずの近代化政策とは矛盾があった。しかし、アメリカの著名な政治学者サミュエル・ハンティントンが、著書『変革期社会の政治秩序』(Huntington 1968)のなかで、近代化のプロセスは不安定で暴力的であり、必要な政策を実行するためには権威主義的な統治が必要である、との趣旨の主張をしたことで、権威主義的な途上国の政権を支援し、開発援助を行うアメリカの冷戦政策は正当化された(Hughes 2016, 140)。

だが、ソ連の崩壊による冷戦の終結とともに、特にインフラ開発を通じた援助は「時代遅れ」とみなされるようになる(Bachmann & Schouten 2018, 385)。こうした潮流を反映するように、1994年の『世界開発報告』(World Bank 1994)では、インフラ開発は民間に任せ、「官僚主義ではなく、ビジネスのように」管理すべきだという主張がなされた(Bachmann & Schouten 2018, 385)。これは、冷戦の終結によって、もはや多額の資金を投資してまで途上国の権威主義的な政権を支えるインセンティブが欧米諸国にはなくなってしまったことを反映している(武内 2003, 22)。

ハンティントンが権威主義体制を近代化のための必要悪であると規定したのと同時期、アンドレ・グンダー・フランクやサミール・アミンなどは、マルクス経済学の立場(新マルクス主義)から低開発は国際政治経済における支配と搾取のグローバルな構造から生じているとする従属理論を展開した。こうしたフランクとアミンの研究は、「暴力は構造に組み込まれており、不平等な力および、人生における不平等な機会の結果として現れる」とした平和研究分野におけるガルトゥングの「構造的暴力」論(Galtung 1969)と結びつき、低開発は現代の政治経済構造の結果であって、暴力は意図的なものではなく、そうした構造から生まれるものであるという考えが生まれた。すなわち、低開発が暴力を生み、平和を脅かすのである(Hughes 2016, 140-141)。ガルトゥングの構造的暴力論は人間の潜在的可能性と現実とのギャップを生み出す要因として暴力を捉え、諸国家間、および国家内部の「中心と周辺」の間に存在する政治経済的非対称性と、それによって生じる支配、搾取、不平等を問題化したのであって(武内 2003, 11-12)、暴力と低開発を直接的に結びつけるものではない。しかし、低開発を暴力の原因とみる、すなわち暴力の解決のためには低開発の状態を抜け出す必要がある、というこの考え方は、1990年代に開発のメインストリームを形成するようになっていく(Hughes 2016, 141)。

この流れを決定的にしたのが、1990年にUNDP(国連開発計画)の『人間開発報告』(UNDP 1990)によって打ち出された「人間の安全保障(human security)」概念である。UNDPは、アマルティア・センの『自由と経済開発』(Sen 1999)のなかで示された「人間の開発 (human development)」概念とアベリストウィス(Aberystwyth)学派の批判的安全保障研究を組み合わせ、「ポスト冷戦時代の開発協力の新しいデザイン」として「人間の安全保障」を提示した(Hughes 2016, 143)。ここに平和アジェンダと開発アジェンダは最終的に統合され、「開発がなければ、平和は脅かされる」(Hughes 2016, 143)、という言説が広く支持されるようになった。

さらに、UNDPによって示された開発による平和の実現という考えは、2003年に世界銀行の研究(Collier et al. 2003)においてポール・コリアーが提示した「強欲(greed)」理論によって強化される。コリアーは、これまでの紛争は「憤懣(grievance)」を主要な原因として引き起こされるとされてきたが、紛争発生の原因としては「強欲」の方が統計的に高い相関性を示すと主張した。コリアーは「強欲」を反映する変数として、国内総生産(GDP)に占める一次産品輸出の割合、総人口に占める若い男性の割合、平均学校教育年数の3つに対して統計処理を行い、アフリカなどの低開発国が内戦を繰り返す要因を経済学的に明らかにした。簡単に言えば、社会に若い男性の割合が多く、彼らに収入を得る機会が少なく(教育年数で表される)、一次産品を略奪することで経済的利益を得る機会が豊富にある場合、その国は反対の特徴を持つ国よりもはるかに紛争の危険性が高いと結論づけたのである(Demmers 2017, 110)。そのうえで、このような国には、「成功した開発国に加わって発展するか、あるいはどこかの段階で内戦に陥るか」という2つの道があるとした(Hughes 2016, 144)。

コリアーの研究に対しては、特に彼が選択した変数が「貪欲」や「憤懣」を表すのに適切かといった点をはじめとする多くの批判がなされ、学界ではもはや過去のものとなり、欠陥のあるものとして大部分が排除されているにもかかわらず2、援助国の政策立案者は、このアプローチを高く評価し続けている(Demmers 2017, 107)。それはコリアーの「貪欲理論」が、国際機関や各国政府の政策立案者にとって自身の政策を正当化し、批判をかわすための政治的な目的に合致するからに他ならない。そして、重要なのは、こうした見解が世銀から示されたことで、平和な国であっても、安全保障の名のもとに開発介入を行う道が開かれたことである(Hughes 2016, 144)。

平和構築活動の評価

こうして今日では、インフラの整備をはじめとする開発は、地域の安全、国家権力の拡大、法の支配の回復または確立など、平和構築者が一般的に目指す高度な政治的目標を達成するための主要な手段のひとつになった(Bachmann & Schouten 2018, 382)。冒頭でも述べたとおり、特にアフガニスタンでは、平和と安全を構築するための革新的なアプローチとして軍事部門と復興支援部門からなるPRTsが採用された。

アフガニスタンのPRTsをはじめ、開発を伴った平和構築活動は多くの国で積極的に展開されている状況にあるが、これらに共通しているのは開発援助によって平和を実現できるという前提に対して疑いがなく、それぞれの開発と介入が地域のコミュニティーに具体的にどう作用する、あるいはしたのか、といった検証がなされていないことである。特に事後の質的効果については測定が難しく、正確な評価をするためには調査に相当の期間と資金が必要なことから、ほとんど行われていない。こうした事後的な検証の欠如は、特にアフガニスタンで顕著である。2010年には10億ドルが支出されたにもかかわらず、NATO主導のISAFにもアフガニスタン政府にも、PRTsに関する集中的で包括的な記録は残っておらず、PRTs内ですらほとんど存在していないことが明らかになっている。当然のことながら、プログラムの包括的なモニタリングと評価は行われていない(Jackson 2013)。

また、ドナーは援助の失敗を認めたくはないし、認めようとはしない。しかし、いくつもの研究が開発による平和構築の効果に疑問を投げかけている(Bachmann & Schouten 2018; Jackson 2013; Marijnen & Schouten 2019)。そして、今、タリバーンによるカブール制圧と米軍の撤退を受けて、多額の開発援助を投じた平和構築活動について、適切な評価を求める声がこれまで以上に高まっている。このことからも、事業に対する評価をきちんと行い、意味のある開発はどのような条件、どのような手法によって達成できるのかを分析し、次の事業につなげていく必要があるだろう。

写真3 アフガニスタンで文化的活動に従事するISAFの兵士

写真3 アフガニスタンで文化的活動に従事するISAFの兵士
開発援助は平和をもたらすのか

Fishstein & Wilder(2011)は、「復興支援は心をつかみ、治安を向上させ、対反乱戦の状況を安定させるための有効な手段である」という仮定は広く浸透しており、その仮定が実際の援助政策や対反乱戦政策に大きな影響を与えているにもかかわらずそれを裏付ける実証的な証拠はほとんどない、としてこれまでの開発支援に対する評価のあり方に警鐘を鳴らし、こうした問題意識をもって、実際にアフガニスタンの5つの州で援助プロジェクトに対する地域の人々の認識と援助プログラムの有効性を調査した。調査の結果、開発プロジェクトは、善意や肯定的な認識を生むどころか、アフガニスタンの人々には常に否定的に見られていることが明らかになった。主な不満は、プロジェクトが量的にも質的にも不十分であること、地理的、政治的、社会的に不均等に配置されていること、そして何よりも汚職が蔓延していることだった(Fishstein & Wilder 2011, 3)。

また、彼らの調査からは、「復興支援は心をつかみ、治安を向上させ、対反乱戦の状況を安定させるための有効な手段である」という前提そのものが機能していないことが明らかになっている。援助プロジェクトは、いくつかの地域で短期的な安全保障上のプラス効果を戦術的なレベルでもたらしていることが判明したものの、5つの州のいずれにおいても、援助プロジェクトがより戦略的なレベルの安定化や安全保障上の効果をもたらしているという具体的な証拠はほとんどみられなかった(Fishstein & Wilder 2011, 3)。つまり、彼らの研究によれば、開発援助は長期的な平和構築に対しては効果がないということだ。

しかし、これは開発援助が無駄である、ということではもちろんない。問題なのは、開発援助のプログラムが、効果についてほとんど証拠がない安定化や安全を目的にしていることである。本来は効果や有効性の立証されている開発援助を行うべきなのだ。

では有効性の証拠がある開発とはどういったものなのか。Fishstein & Wilder(2011)は、調査結果から、治安がある程度回復されている地域において行う経済的な開発援助の効果が高いと結論づけている(Fishstein & Wilder 2011, 5-6)。なぜなら、これまでの国際的な安定化プロジェクトは、紛争の政治的要因よりも社会経済的要因に重きを置く傾向があったため、失業、非識字、社会サービスの欠如、道路などのインフラの未整備などの問題に対処することに主眼が置かれ、開発援助もそれらに対する経済的な支援が中心だったからだ。一方で、アフガニスタンの治安の悪さや紛争の要因はさまざまで複雑であるが、根本的な原因は政治的なものが多く、特に民族、部族、派閥の間での権力や資源の奪い合いという点にある(Fishstein & Wilder 2011, 3)。資源の少なさとそれを奪い合う民族、部族間の闘争は、アフガニスタンの長い紛争の歴史の背景としてしばしば指摘されている(Lieven 2021)。つまり、治安の悪さが政治的な原因に結びついている地域では、社会経済的な開発援助では安定化に結びつかず、場合によっては、対立するグループが争うような資源を分配することで紛争を助長してしまうことさえあった(Fishstein & Wilder 2011, 6)。特に、2001年以降のアメリカの対アフガニスタン援助は、開発それ自体ではなく、むしろ安全保障上の目的を追求することであったために、安全な地域よりも不安定な地域への資金提供が優先されており(Fishstein & Wilder 2011, 5)、平和構築や安定化という観点からは逆効果であったことが示唆されている。Fishstein & Wilder(2011)はまた、安全な地域に投資し、安全でない地域への支援は、人道的支援を除き、安全を条件とするよう提言している(Fishstein & Wilder 2011: 6)。

ただし、この提言は、有効な開発援助の方法という点ではそのとおりだが、平和構築を実現するという観点からは問題がある。安全なところは開発によってより発展して安全になるが、低開発で不安定なところには投資が行われず、低開発で治安が悪いままに取り残されてしまう、ということにならないだろうか。一方、この筆者の指摘に対しては、開発と平和構築を結びつけるのがいけないのであって、(社会経済的な)開発ではない平和構築活動によって治安を回復すべきなのだ、という反論がありうるだろう。

平和構築と開発援助の未来

アフガニスタンからの米軍の撤退を受けて、平和構築活動は大きな転換点を迎えている。今後求められる治安回復の方法は、これまでに米軍がアフガニスタンで多用してきた「ドローン」でないことは間違いない。いま改めて地域住民と文化を尊重すべきという意見や、欧米的価値観に基づいた(民主主義と市場経済を前提とする)リベラル・ピースそのものへの批判が出てきている。結局、多くの識者が指摘するように、「対話」によって人間関係を構築することが、時間はかかるが唯一の道なのかもしれない。

平和構築が新しい道を模索している一方で、開発援助はすでに方向を転換し、実質的な歩みを進み始めている。「ポスト冷戦時代の開発協力の新しいデザイン」として「人間の安全保障」が打ち出されたのと同じ2000年に策定されたMDGs(ミレニアム開発目標)も、「開発がなければ平和が脅かされる」という思想を引き継いでいる。MDGsは、貧困、教育、ジェンダーなどの社会開発的な項目を中心に据え、途上国の開発を達成するための具体的な数値目標を先進国政府に課し、先進国政府はこの数値目標に沿って社会経済的な開発援助を行った。2015年にMDGsの後継として策定されたSDGs(持続可能な開発目標)では、社会開発目標に加えて環境目標も重視されるようになり、先進国も含んだユニバーサルな目標であることが主張された。この差異についてはさまざまな説明が成り立つが、ここまでの議論を見てきたならば、MDGsの根底思想にあった、「開発による安全保障の実現」の失敗と反省はSDGsに少なからず影響したと考えられる。SDGsにおいては「人間の安全保障」はそのままに、その手段は多様化し、「構造改革」的な要素が強くなっている。社会構造を根本的に変革するには長い時間と多くの対話、そして民衆が主体となる改革運動が必要である。

これはガルトゥングが提示した構造的な暴力からの解放を目指す、草の根的な革命運動である「積極的平和」概念につながるのではないか。開発学と平和学がこれからも手と手を取り合って共存できる可能性がここにはある。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • 写真1  ISAF and local officials inaugurate a new bridge in Deh Sabz. The bridge, worth 10,000 Euros, was financed partly by the brick salesmen of Deh Sabz and ISAF’s Regional Command Capital’s German battle group in Kabul. Construction on the bridge began in November 2007, following the request of the local Malek of Hadji Saheb, U.S. Mission to the North Atlantic Treaty Organization.(Public Domain)
  • 写真2  Senior Airman Rylan Albright, ISAF Deputy Commander, British Lt. Gen. Nick Parker, right, is shown a map of future reconstruction projects in Farah Province by Ben Kauffeld, left, and Marsha Michel, United States Agency for International Development Field Program Officers of the Farah Provincial Reconstruction Team, in Farah Province, April 7. Parker met with Afghan, Italian and American forces during his two-day visit to the Farah province, in addition to attending a shura with government of Afghanistan officials in the village of Qa Ryeh Sirak, Defense Visual Information Distribution Service.(Public Domain)
  • 写真3 ISAF Headquarters Public Affairs Office from Kabul, Afghanistan - Distribution of warm socks in kindergarten of CCR, Uploaded by GiW(CC BY 2.0
参考文献
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  • Bachmann, J. & P. Schouten (2018) “Concrete approaches to peace: infrastructure as peacebuilding,” International Affairs 94 (2):381-398.
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  • Demmers, Jolle (2017) Theories of Violent Conflict, London & New York: Routledge.
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  • Galtung, Johan (1969) “Violence, Peace and Peace Research,” Journal of Peace Research 6 (3): 167-191.
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  • Maley, William (2007) “Provincial Reconstruction Teams in Afghanistan - how they arrived and where they are going,” NATO Review, 1 July 2007(2021年10月アクセス).
  • Marijnen, E. & P. Schouten, (2019) “Electrifying the green peace? Electrification, conservation and conflict in Eastern Congo,” Conflict, Security & Development 19 (1): 15-34.
  • Sen, Amartya (1999) Development as Freedom. New York: Alfred A Knopf(石塚雅彦訳『自由と経済開発』日本経済新聞社、2000年).
  • UNDP (1990) Human Development Report 1990: Concept and Measurement of Human Development. New York: United Nations Development Programme.
  • World Bank (1994) World Development Report 1994: infrastructure and development. New York: Oxford University Press.
著者プロフィール

能勢美紀(のせみき) ジェトロ・アジア経済研究所海外研究員(在オランダ)。2015年ライブラリアンとしてアジア経済研究所に入所。中東・北アフリカ、中央アジア地域を担当。民族運動と紛争、資料保存をテーマに研究している。最近の著作に「所蔵マイクロフィルムの状態把握と保存計画:アジア経済研究所図書館の事例」(『図書館界』72巻5号, 2021年)、「【世界の図書館から】トルコ大国民議会図書館(トルコ)」(『U-PARLコラム』2019年)など。

  1. アフガニスタンにおけるISAFの活動は2014年で終了しており、活動の概要はNATOのウェブサイトにまとめられている。
  2. 2003年の世界銀行の報告書については、コリアー自身も変数の選択に問題があったことなどを認めるなど、決して緻密な研究と言えるものではなかったが、世界銀行はもちろんのこと、その後の開発政策に大きな影響を与えた。一方で、コリアーは世界銀行を退職後、オックスフォード大学ブラバトニック公共政策大学院にうつり教鞭を取っている。これまでに多くの研究成果を発表するなど現在も学界で活躍しており、決して彼のすべての研究が学界から排除されているわけではない。日本語訳された『最底辺の10億人』(中谷和男訳、日経BP、2008年)や『新・資本主義論――「見捨てない社会」を取り戻すために』(伊藤真訳、白水社、2020年)など、話題になった本も多い。