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(2024年インド総選挙)第4回 第3期モディ政権の外交課題と展望
Foreign policy challenges and prospects under the Modi 3.0 government
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001078
2024年8月
(4,542字)
弱体化した第3期モディ政権と外交
2024年総選挙の結果、モディ政権は3期目に入った。これまでと異なり、モディ首相のインド人民党(BJP)単独では連邦下院の過半数に達しない勢力図のなかでは、連立を組む地域政党の発言権が大きくなるのは当然である。与党連合の国民民主連合(NDA)でカギを握るアーンドラ・プラデシュ(AP)州のテルグー・デーサム(TDP)やビハール州のジャナター・ダル統一派(JDU)は早速、自州を税財政上優遇する特別カテゴリーの州に指定するか、多額の財政支援を行うよう求めた。またモディ政権が導入した軍の任期制採用制度「アグニパト」や、BJPがヒンドゥー国家建設の道として掲げる統一民法典制定にも懐疑的な立場を示している。現政権を維持するつもりならば、これらの要求に耳を傾けざるをえない。実際、7月23日に発表された連邦予算案は、両州への「利益誘導」が露骨であった1。
もっとも、内政や経済政策と比べると、こと外交や安全保障に関しては、BJPの議席減が及ぼす影響は限定的であろう。たしかに、かつてマンモーハン・シン率いる統一進歩連合(UPA)政権は、西ベンガル州の草の根会議派やタミル・ナードゥ州のドラヴィダ進歩連盟(DMK)の強い抵抗を受け、バングラデシュやスリランカとの関係がギクシャクした。左翼勢力は米国との原子力協力協定に反対して閣外協力を解消した2。
しかし、第3期モディ政権を支える地域政党は、モディの指向する外交・安全保障政策に基本的に異論はないか、そもそも利害関心を持たない。外務、国防、財務、商工といった対外関係に関わる主要閣僚は、国家安全保障顧問(NSA)のドヴァルとともにことごとく留任となり、上記省庁は副大臣級の閣外相も含めてBJPで独占された。TDPを率いるチャンドラパブ・ナイドゥAP州首相は、州の経済成長のために外資誘致に積極的な立場であることで知られるが、これはモディの方針と何ら変わらない3。
「先進国インド」への道に不可欠な西側との関係
したがって、外交・安全保障政策は基本的には、モディとBJPが掲げる国家目標に資するようなものになっていくと思われる。この点で今回のBJPがマニフェストや選挙戦を通じて強調したのが、独立後100年となる2047年までに「先進国インド(Viksit Bharat)」を実現するという目標である4。国際通貨基金(IMF)の予測ではインドは2027年までに世界第3位の国内総生産(GDP)大国になると見込まれるが、1人当たりGDPでは先進国の水準には程遠い。たしかに2030年までに現在のおよそ2倍の4667ドル、2047年には10倍近くの2万1000ドルになるとの強気の成長軌道の予測も出ている5。しかしそれはその間に豊富な若年層を、雇用と消費の増加に結び付けられることが大前提である。
そのために不可欠なのが海外からの投資であることは言うまでもない。モディ政権は「メイク・イン・インディア」を掲げ、2014年の第1期政権発足時には、日米欧など西側諸国のみならず、中国に対してもインドへの投資を呼びかけた。ところが、2016年半ばごろから対中警戒論が強くなり、2020年に起きた印中実効支配線(LAC)ガルワン渓谷での軍事衝突で反中感情が爆発した。その後も中国側が軍事対峙で譲歩しない姿勢を続けたことから、政治的にも、また安全保障の面からも中国からのヒト、モノ、カネを締め出す流れが強まった。折しも新型コロナ禍での攻勢だけにモディ政権は、中国依存のサプライチェーンの脆弱性と危険性を強く認識し、「自立したインド(Atmanirbhar Bharat)」を掲げるようになった6。
経済成長のパートナーとしての中国という選択肢が取りにくくなったいま、西側との関係は一層重要になった。ところが、2019年の第2期モディ政権発足以降、西側との間では多くの軋轢が生じた。第1には、ジャンムー・カシミール州の自治権撤廃や市民権法制定など、モディ政権によるヒンドゥー国家建設をめぐる西側の批判である。米政府機関の国際宗教自由委員会(USCIRF)は、インドのセキュラリズム(政教分離主義)が危機にあるとし、2020年版報告書以降5年連続でインドを「特に懸念される国」に指定するよう勧告している7。しかも、反対する野党やメディア、市民団体を弾圧・排除する強権的手法は、「民主主義の後退」として、米欧の議会、ときには政府からも強い批判や懸念の声が上がる。それにモディ政権が「内政干渉」だと反発する構図が繰り返されてきた。
第2に、2023年に露呈したカナダ、米国でのシク活動家標的殺害(計画)疑惑にみるように、大国ナショナリズムを強めるインドが、西側の国際秩序にはたしてコミットするのかという疑念が生じている。カナダのトルドー首相は議会でインドの関与を指摘し、米司法省は関与したとされる人物を拘束し起訴した。米国は「ルールに基づく国際秩序に反する」とか8、「レッドライン」だとして警告を発している9。
第3に、2022年からのロシアのウクライナ侵攻をめぐるインドの中立的立場、のみならず、ロシア産原油や肥料を「爆買い」し、ロシアとの戦略的関係の維持強化を図るインドへの苛立ちや不信感である。2024年総選挙後の7月、ワシントンでの北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で西側が結束をアピールするのを尻目に、モディはモスクワでプーチンと熱い抱擁を交わした。米国は日程変更を要請したものの、インドは応じなかった。訪ロを受け、米国の駐印大使は「紛争中に戦略的自律性などありえない」と不快感を示した10。モディのウクライナ初訪問は、この厳しい批判を受けてのものだった。
もちろん、西側、とりわけ米国は対中戦略の見地からインドへの関与を続ける方針に変わりはない。しかし、モディ政権が西側の価値観や秩序に、公然と挑戦し、その「レッドライン」を踏み越えるようなことがあれば、西側からの投資や安全保障協力にも影響が及ぶ可能性は否定できない11。
中国の脅威に対処するためのロシアとの関係の重要性と限界
安全保障面では、中国の軍事的脅威にどう対処するかが最大の課題である。中国は現在も、複数の地点でインドの認識するLACを踏み越えて支配を続け、インド側の撤退要求に応じようとしない。外交・軍当局の対話枠組みは維持されているが、中国側に譲歩の兆しはない。日米豪印(クアッド)連携強化の可能性をちらつかせることで中国の行動を抑止することができるとのこれまでの前提も、自信を深める習近平体制下ではもはや疑わしい12。
中国側はLACの問題にかかわらず、経済関係を中心に二国間関係を進展させようと呼びかけるが、「押し込まれた」状態のインドとしては、安全保障と世論の両面から、そのようなことは到底受け入れられない。インドは「LACの平和と安定なしに二国間関係の正常化はありえない」との立場で一貫しており13、中国が内外の何らかの要因によって態度を変えないかぎり、現在の膠着状態が続くことになろう。
さらに、その中国は「全天候型友好国」であるパキスタンというもうひとつのインドの敵対国と連携を強化している。のみならず、インドにとって戦略的に重要なパートナーであるイランやアフガニスタン、ミャンマーの情勢はいずれもインドにとって好ましくない展開になっている。そのようななかで、伝統的なパートナーであるロシアとの関係をいま切り捨てるという選択肢はインドにはない。ユーラシアで四面楚歌状態に置かれているインドにとっては、原油や肥料、兵器の調達のみならず、地政学的にもロシアとの戦略的関係を当面は維持していかざるをえない14。
ただし、ロシアのカードが中長期的には紙くずになる危険性も認識しなければならない。ウクライナとの戦争長期化のなかで、ロシアの中国依存が強まれば、中国に対抗するためのロシア、という前提が崩れる。政権としては、ロシア後に備えて、西側のなかでも米国と一定の距離を保つフランスのようなパワーとの関係強化を図ることになろう。
域内の影響力回復とグローバルサウス言説の維持
地域と途上国世界の主導権をめぐっても、インドは中国と競合関係にある。南アジアの「直接近隣」とその延長線上にあるインド洋沿岸諸国などの「拡大近隣」は、元来インドの勢力圏とみなされてきたが、近年では「一帯一路」や兵器輸出などを通じて、中国の影響力が拡大浸透しているとの危機感がインドにはある。モディ政権が第1期から掲げる「近隣第一政策」は、域内での影響力を取り戻そうとするものであった。モディの各国への訪問や新型コロナ・ワクチンの無償供与などはその意志の表れである15。しかし、この10年間の成果は乏しいものといわざるをえない。中国には物量でかなわないというだけでない。計画性のないワクチン供与が途中で停止されたことにみるように16、実際の政策は一貫性を欠いた。さらに、国内のヒンドゥー・ナショナリズムとムスリム排除は、バングラデシュやマレーシア、西アジア諸国などとの関係を傷つけた。大国意識をむき出しにした傲慢な態度も、ネパールやモルディブなどで反インドのナショナリズムを喚起させ、「親中政権」の誕生を許した。
2022年末からG20議長国となったインドが自任した「グローバルサウスの声」も、その信憑性が問われている。総選挙を前にモディ政権は、コメや小麦、玉葱などについて、国内価格抑制を目的に輸出を厳しく制限した。それは世界の食料価格の高騰を招き、多くの途上国を苦しめることになった17。加えて、2023年10月7日のハマスの攻撃後にモディが「イスラエル支持」を明確にしたインドは、国連総会での休戦決議案を棄権した。これは大半のグローバルサウスの行動に反し、各国からインドへの失望の声が上がった。グローバルサウス概念には、強者による支配へのルサンチマンが根底にある。パレスチナの無辜の民への暴力に目を瞑るようであれば、どの国もインドを「グローバルサウスの声」とはみなしてくれなくなる18。後になってこの概念を積極的に使い始めた中国に乗っ取られてしまうかもしれない。
そこで鍵になるのが、BJPの今回のマニフェストで強調された「世界の仲間(Vishwa Bandhu)」という精神である。これまでモディが繰り返し使ってきた「世界のグル(師)」という表現からの変更である。上から目線ではなく、対等なパートナーとして近隣国や途上国と向き合うというメッセージとみられる。ジャイシャンカル外相は、「先進国インド」という大目標のために外交では、「世界の仲間」の精神で臨む必要があるとし19、そうすることで国益のためにさまざまなパートナーシップを築くことができると考えている20。
問題は、国内で強まるナショナリズムを越えて、その精神を貫徹できるのか、である21。強まる中国の挑戦を前に、「先進国インド」実現のためのプラグマティズム外交を実践できるのかが問われよう。バングラデシュで起きた学生運動による「親印」ハシナ政権の崩壊への対処は、その試金石である。
写真の出典
- Prime Minister’s Office(GODL-India)
参考文献
- 伊藤融2020.『新興大国インドの行動原理──独自リアリズム外交のゆくえ』慶應義塾大学出版会。
- 伊藤融2023.『インドの正体──「未来の大国」の虚と実』中央公論新社。
- 伊藤融2024.「インドのモディ政権 なぜイスラエル支持か」『正論』1月号。
著者プロフィール
伊藤融(いとうとおる) 防衛大学校人文社会科学群国際関係学科教授。中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程後期単位取得退学、広島大学博士(学術)。在インド日本国大使館専門調査員、島根大学法文学部准教授等を経て2009年より防衛大学校に勤務。2021年4月より現職。『新興大国インドの行動原理──独自リアリズム外交のゆくえ』慶應義塾大学出版会(2020年)、『インドの正体──「未来の大国」の虚と実』中公新書ラクレ(2023年)など、インドを中心とした国際関係、安全保障問題に関わる著作多数。
注
- 「モディ政権、24年度予算案を修正 連立の「友党」に配慮」『日本経済新聞』2024年7月23日。
- 伊藤(2020)、88-107ページ。
- 今回の総選挙と同時に行われたAP州議会選挙で政権に返り咲いたナイドゥは、新州都を人工知能(AI)のハブ都市として発展させ、成長率15%、1人当たり所得倍増を目指すという野心的目標を掲げた(V. Raghavendra, “Chief Minister Chandrababu Naidu outlines his vision for 'Viksit Andhra Pradesh',” The Hindu, July 19, 2024)。
- Bharatiya Janata Party, “Modi ki Guarantee 2024.”
- PHD Camber of Commerce and Industry, “Viksit Bharat@2047 A Blueprint of Micro and Macro Economic Dynamics.”
- 初めてモディ首相が公式に使ったのは、2020年5月の演説とされるが、その後対中経済安全保障の見地からこの概念が肉付けされていったと考えられる。
- 2024年版報告書は以下。United States Commission on International Religious Freedom,“2024 Annual Report.” May 2024.
- Julian E. Barnes and Ian Austen, “U.S. Provided Canada With Intelligence on Killing of Sikh Leader,” The New York Times, September 23, 2023.
- “‘We continue to look forward to results of investigation’: US State Department on Pannun case,” ThePrint, April 4, 2024.
- Suhasini Haidar and Dinakar Peri, “During conflict, there is no such thing as strategic autonomy: U.S. Ambassador,” The Hindu, July 12, 2024.
- たとえば、米上院外交委員会のベン・カーディン委員長は、シク活動家暗殺計画疑惑についての米の捜査にインドがきちんとコミットして協力することが、米国の無人機売却の前提だと主張した。Ajai Shukula, “US Drone Sale to India Unblocked Only After Key Senator Extracts Pledge on Pannun Plot Probe,” The Wire, February 3, 2024.
- 伊藤(2023)、163-165ページ。
- Suhasini Haidar, “Jaishankar meets China’s Wang Yi, says LAC must be respected,” The Hindu, July 4, 2024.
- 伊藤(2023)、100-105ページ。
- 伊藤融「『ワクチン外交』で中国に反転攻勢を図るモディ政権」『国際情報ネットワークIINA』2021年3月18日。
- 伊藤融「インドのコロナ危機と問われるクアッドの意義」『国際情報ネットワークIINA』2021年5月18日。
- 「世界食料価格、高騰の恐れ インド、コメ輸出を制限」『日本経済新聞』2023年8月1日。
- 伊藤(2024)、83ページ。
- S. Jaishankar, “S Jaishankar writes: How India is making friends and influencing the world,” The Indian Express, May 3, 2024.
- “India can partner US, Europe as well as Russia; be friends with Israel as well as Arab nations: Jaishankar,” Firstpost, May 5, 2024.
- 伊藤融「岐路に立つインド外交──モディ政権下の10年の評価と課題」『国際問題』第718号、2024年4月。