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「デカップリング」が世界経済に与える影響――IDE-GSMによる分析

The Impact of "Decoupling" on the Global Economy: An Analysis by IDE-GSM

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053577

2023年2月

(4,266字)

「デカップリング」に向かう世界経済

2022年2月24日に開始されたロシアによるウクライナ侵攻は、1年近く経過しても停戦の気配はなく、民間人も含めて両国の人的・物的損失は拡大を続けている。ロシアへの経済制裁は侵攻直後に想定されていたような(アジ研ポリシーブリーフNo.156参照)全面的な制裁ではないが、長期的に続くグローバルな分断の引き金になる可能性は排除できない。

一方で、米中貿易戦争以降、「経済安全保障」についての関心が世界中で高まっている。昨年5月には米国主導のインド太平洋経済枠組み(IPEF)が13カ国で発足、半導体についてはCHIP4構想(日米韓台連合)が報道されるなど、米中の対立は周辺国を巻き込みつつある。本稿におけるグローバルな「デカップリング」とは、2023年の文脈において、米中の二大国を柱とする2つの陣営の国家群の経済活動に切り離されることを意味する。今日の情勢下でグローバルな「デカップリング」が生じるとすれば、分断される米国陣営(西側)と中国・ロシア陣営(東側)に加えて、どちらの陣営にも属さない中立国の3つに分かれる可能性が高い。

この「デカップリング」は、日本、世界各国や世界経済全体にどのような影響を与えるだろうか。ここでは、NHKスペシャル「混迷の世紀」取材班の協力を得てシナリオを作成するとともに、各国・各地域への影響をアジア経済研究所の経済地理シミュレーションモデル(IDE-GSM)を用いて試算した。

IDE-GSMは、企業レベルでの規模の経済を前提とした空間経済学に基づく計算可能な一般均衡(CGE)モデルの一種である1。2007年より東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)の支援によりアジア経済研究所で開発が進められ、アジア総合開発計画などの策定に活用された。また、アジア開発銀行(ADB)、世界銀行などの国際的なインフラ開発の経済効果分析などに利用されてきた。

世界の分断についての想定

ここでは、世界が米国陣営(西側)、中国・ロシア陣営(東側)に分断されると想定する。各陣営に属する国は以下のように想定した。

西側陣営──米国と外交政策の類似度が高い国々34カ国・地域2。すなわち、米国、英国、EU27カ国、カナダ、日本、韓国、台湾、オーストラリア。

東側陣営──2023年1月時点で米国によって何らかの経済制裁を科されている国々のうち、IDE-GSMでカバーされている16カ国。すなわち、中国(香港、マカオを含む)、ロシア、ベラルーシ、キューバ、ベネズエラ、ニカラグア、イラン、イラク、イエメン、レバノン、ミャンマー、リビア、スーダン、コンゴ民主共和国、ジンバブエ、ソマリア。

分析するシナリオ

以下のシナリオに沿ってグローバルな「デカップリング」の影響についてのシミュレーションを行った。

標準シナリオ──「デカップリング」が行われないケースを想定する。2018〜19年の米中貿易戦争による両国間の関税率の変化と2022年のロシアのウクライナ侵攻への制裁については考慮されている3

シナリオ① ──2025年以降、西側陣営と東側陣営の間の貿易に、米中貿易戦争の関税率変化と同等の非関税障壁(NTB)が追加的に課される4。各陣営内、中立国同士、各陣営と中立国の間の貿易は通常どおり行われる。

シナリオ② ──2025年以降、西側陣営と東側陣営の間の貿易に、100%のNTBが追加的に課される「最悪ケース」。各陣営内、中立国同士、各陣営と中立国の間の貿易は通常どおり行われる。

ここでは、東西両陣営の「デカップリング」は2025年以降2030年まで継続し、「デカップリング」が行われない標準シナリオの2030年の国内総生産(GDP)からの乖離を各国・各地域・産業ごとに計算し、分断の影響を調べた。

推計結果

表1はシナリオ①に沿った分断の影響を国・地域別・産業別に示したものである。世界経済への影響は2030年の標準シナリオのGDP比で−2.3%、金額では約2.7兆米ドル(2015年価格)の損失となる。日本、米国、EU、中国への影響は−3.0%〜−3.5%で、概ね同程度となっている。西側陣営全体への影響は−3.4%、東側陣営への影響は−2.7%となるが、中立国への影響は+0.3%となっている。西側・東側の直接的な貿易が阻害される一方、中立国は以前と同様に西側、東側双方と貿易ができるため、「貿易転換効果」が発生し「漁夫の利」を得ることが分かる。また、ロシアへの影響(−0.2%)は、東西両陣営の他国と比べると小さい。これは、中国と同じ陣営に入ることで西側陣営と中国との貿易を代替できる「貿易転換効果」によるものであると考えられる。

分断の影響は産業間で異なる。西側陣営については食品加工業や農業への影響が大きく出ている。意外にも電子・電機産業への影響は小さなものにとどまり、繊維・衣料についてプラスの影響が出ている。これは、農産品や食品については産地が決まっており代替が難しい一方、電子・電機産業については西側陣営に日米欧韓台と主要な生産国が揃っており、中国の生産分を代替できるためと考えられる。その結果、中国の電子・電機産業への影響は−7.9%と大きなものになっている。西側陣営で繊維・衣料品産業への影響がプラスになっているのも、主に中国の生産分を国内生産で代替できているためと考えられる。

表1 シナリオ①に沿った分断の影響(2030年、標準シナリオとの比較)

表1 シナリオ①に沿った分断の影響(2030年、標準シナリオとの比較)

(出所)IDE-GSMによる試算

図1はシナリオ①に沿った分断の影響を、標準シナリオからの乖離として地図上に示したものである。対立している両陣営については、大きなマイナス(地図上に赤で示される)となっている一方で、中立国についてはプラス(地図上に青で示される)の影響が出ている地域がみられる。

図1 シナリオ①に沿った分断の影響(2030年、標準シナリオとの比較)

図1 シナリオ①に沿った分断の影響(2030年、標準シナリオとの比較)

(出所)IDE-GSMによる試算

表2はシナリオ②に沿った分断の影響を国・地域別・産業別に示したものである。世界経済への影響は−7.9%となっている。金額では約8.7兆米ドル(2015年価格)の損失となり、シナリオ①における損失額より大きい。国別に見ると、主要国について9%~12%程度のマイナスの影響が出ている。西側陣営への影響が−12.2%、東側陣営への影響が−8.1%、中立国への影響は+1.8%となっている。産業別にシナリオ②に沿った分断の影響を見ると、傾向はシナリオ①による影響とほぼ同じであるが、シナリオ②による影響の大きさはシナリオ①の数倍になっている。

表2 シナリオ②に沿った分断の影響(2030年、標準シナリオとの比較)

表2 シナリオ②に沿った分断の影響(2030年、標準シナリオとの比較)

(出所)IDE-GSMによる試算

図2はシナリオ②に沿った分断の影響を、標準シナリオとの乖離として、地図上に示したものである。傾向はシナリオ①とほぼ同じで、両陣営に属する国々についてはマイナス、中立国については多くの地域でプラスの影響が示されている。特に、対立する両陣営と地理的に隣接する中立の国々でプラスの影響が観察される傾向がある。

図2 シナリオ②に沿った分断の影響(2030年、標準シナリオとの比較)

図2 シナリオ②に沿った分断の影響(2030年、標準シナリオとの比較)

(出所)IDE-GSMによる試算
まとめ

今回の分析では、IDE-GSMを用いて、世界的な「デカップリング」が世界経済に与える影響を、「デカップリング」が起こらないと世界を想定した標準シナリオの2030年の国内総生産(GDP)からの乖離として試算した。具体的には、西側、東側のふたつの陣営が形成され、相互の貿易に米中貿易戦争における米国側の関税率引き上げと同様のNTBが課される場合と、両陣営の貿易に課されるNTBが100%になる「最悪ケース」についてシミュレーションを行った。

シミュレーションの結果、米中貿易戦争並みのNTBが課されるシナリオ①では全世界への影響は−2.3%(約2.7兆米ドル)、日本、米国、EU、中国への影響は−3.0%〜−3.5%となった。これは、ロシアのウクライナ侵攻への制裁が引き起こす世界経済への影響(−0.1%)と比較して著しく大きい5。中立国への影響は0.3%のプラスとなり、両陣営の対立によって、中立国は「漁夫の利」を得ることが分かる。

産業別の影響については、財の生産地や代替可能性の違いに依存する。比較的代替が容易な衣料・繊維産業については、西側陣営では主に中国からの輸入を代替するかたちでプラスの影響が出ている。電子・電機産業への影響も主要生産国が揃う西側陣営ではそれほど大きくない。一方で、日米欧韓台と分断される中国については大きなマイナスの影響が出ている。西側陣営についても、産地を代替することが難しい食品加工業や農業では大きなマイナスの影響が出ている。

一方、分断の程度が高まる「最悪ケース」のシナリオ②では世界経済への影響は−7.9%(約8.7兆米ドル)であり、主要国について9%~12%程度のマイナスの影響がでる。そのため、極端な経済活動の分断は世界経済に重大な影響を与えることが分かる。また、西側陣営への影響は−12.2%、東側陣営への影響は−8.1%であり、対立が深まっても両陣営への影響の大きさに決定的な差はつかない。一方で、こうした状況においても、中立国への影響は1.8%のプラスであり、依然として漁夫の利を得ることができている。

この分析結果は、米中を軸とした世界の分断は、ロシアのウクライナ侵攻に伴う対立と比較して、著しく大きな影響を世界経済および両陣営の国々に与えることを示している。その軍事的なプレゼンスの大きさと比較して、GDPでは韓国やブラジルと並ぶ規模にすぎないロシアとの対立と、世界第2位のGDPをもつ経済大国である中国との対立では、西側陣営にとって影響の大きさが全く異なる。

世界各国は、重要な財の調達を自国や友好国から行う「経済安全保障」に関して、その政治的意味合いと支払うことになる経済的コストの兼ね合いを現実的に判断する必要がある。特に、お互いの代替できない財の貿易が阻害されることによる経済へのマイナスの影響は非常に大きい。

また、「最悪ケース」のシナリオ②においても、東西両陣営へのマイナスの影響の大きさには決定的な差はつかない。両陣営は対立を強めることで相手陣営にのみ打撃を与えることはできず、自陣営にも対立の強さに比例したマイナスの影響を被ることになる。

さらに、どちらの陣営にも属さない中立国が大きな「漁夫の利」を得る。これは、両陣営の対立が深まれば深まるほど、中立国にとって、中立である利点は大きくなり、どちらかの陣営に属する経済的損失が高まるためである。このため、両陣営が「デカップリング」の動きを強めても、相手陣営を世界全体から孤立させることはできない。「デカップリング」は世界経済に大きな負の影響を与えるが、中立国の企業や労働者は経済的な勝者になるだろう。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
参考文献
著者プロフィール

熊谷聡(くまがいさとる) 開発研究センター・経済地理研究グループ長
早川和伸(はやかわかずのぶ) バンコク研究センター
後閑利隆(ごかんとしたか) 開発研究センター・経済地理研究グループ
磯野生茂(いそのいくも) 東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)
ケオラ・スックニラン(けおらすっくにらん) 開発研究センター・経済地理研究グループ
坪田建明(つぼたけんめい) 東洋大学国際学部国際地域学科教授
久保裕也(くぼひろや) 千葉商科大学国際教養学部教授


  1. IDE-GSMでは関税・非関税障壁・輸送費など広義の貿易費用を変更することにより、財の需給や価格、人口や産業集積の変化を通じて各国・各地域のGDPの変化をシミュレーション分析することができる。モデルやパラメータの詳細は、Kumagai et al.(2023)を参照。
  2. 外交政策の類似度についてはHäge(2011)によるforeign policy similarity indexを参考にしている。
  3. ロシアのウクライナ侵攻への制裁のシミュレーション内での具体的な設定については、Kumagai et al.(2023)を参照。
  4. 追加的な非関税障壁率は、米中貿易戦争で2018~19年にかけて引き上げられた米国側の関税率と同率と仮定している。農業が14.3%、鉱業が16.3%、食品加工が11.7%、繊維・衣服が14.5%、電子・電機が18.3%、自動車が21.3%、その他の製造部門が16.7%。サービス業については、全業種の平均値である16.2%を適用した。
  5. Kumagai et al.(2023)を参照。