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RCEP署名は何を意味するか――地経学的見方

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051894

2020年11月

(6,859字)

ポイント
  • アメリカの政権交代期という隙間をついて、RCEPは中国主導で交渉を一気に妥結させた。中国はASEANの親中国を引き付けたうえで、ASEAN全体が中国にNOを言いにくい雰囲気を成功裏に醸成した。気づけば日本抜きでもRCEPが署名されるような状態になっており、日本としてはNOとは言えない状況に直面することとなった。インドの撤退も含め、日本にとっては思惑が外れ続けた交渉であった。
  • 中国の望む国際経済ルールがRCEPによって実現した。日本の重視したルールは肝心なところで骨抜きにされたものが多いように見受けられる。投資ルールや電子商取引ルールがその典型である。長い目で見ると、2020年は、アメリカや日本の主導したTPPによってではなく、中国が主導したRCEPのルールによって東アジアがカバーされたターニングポイントの年として刻まれるかもしれない。今後RCEPメンバーが拡大すれば、それは中国主導で書かれたルールが世界に拡散することを意味する。
思惑が外れた交渉

中国は2004年にモノの関税引き下げを目指した自由貿易協定(FTA)である東アジア自由貿易協定(EAFTA)を提案した。中国が念頭に置いた参加国はASEAN+3の13カ国であった。一方、日本の関心はモノでなくサービス・投資の自由化や知的財産権の保護であったため、より分野包括的なパートナーシップを豪州・NZ・インドを含めた16カ国で締結しようと逆提案した(CEPEA構想)。日中は折り合うことが出来ず、EAFTA、CEPEAの両プロジェクトが並走した。この時点では日中の力は伯仲し、どちらも主導権をとることは容易でなかった。

2011年になって日中は歩み寄り、実質CEPEAに近い形で交渉を開始することに合意した。サービス・投資・知的財産権を交渉分野に含み、メンバーとしては豪州・NZ・インドの参加が想定された。これが最終的に地域的な包括的経済連携(RCEP)交渉の立ち上げにつながった。この合意は日本が中国を「寄り切った」というわけでなかった。むしろ国力を飛躍的に増大させた中国が、もともと日本の提案した土俵においても日本と互角以上にやれるという自信をつけていたことを意味する。また、環太平洋パートナーシップ(TPP)交渉に日本が興味を示していたことを受け、中国としては日本を「中国陣営」に引き留める必要性を感じていた。一方日本にとっては、TPP交渉のテーブルに着く前にアメリカが様々な要求を出してくる状況下で、中国カードをちらつかせることがRCEPの隠れた意図であった(実際その後アメリカは日本のTPP交渉参加をすぐに認めた)。

TPPは2015年に署名された。その時点で中国はさらに台頭していたため、日本はTPPをより重視するようになっていた。日本にとって最適のシナリオは「中国がTPPに加盟せざるを得ない」状況を作り出し、中国にTPPのルールを飲ませることであった。このシナリオはアメリカがTPPから撤退したことで崩れた。アメリカのTPP撤退は、米中間から等距離をとろうとしてきた日本にとって大打撃であった。韓国・オーストラリア等とは異なり1、日本は米中両者とも二国間FTAを結ばずにTPPとRCEPの2つのメガFTAに参加することで米中から等距離を維持しようとした。したがってアメリカのTPP離脱以降、日本はRCEPの交渉妥結には若干慎重になったように見受けられる(浜中2019a)。

2019年11月にはインドがRCEP交渉から離脱することを表明した。アメリカのTPP復帰を心待ちにする一方、中国主導のRCEPに若干の懸念・警戒感を持ち始めた日本にとっては、インドによって交渉が遅れる状況は必ずしも悪いものではなかったが、インド撤退後はその手法がとれなくなった。日本は交渉にとどまるようにインドを諭したが、不調に終わった。安全保障の観点からは日本とインドは「自然な」パートナーなのかもしれないが、経済交渉では日本とインドの交渉立場は明らかに異なった。専門職業サービスの自由化への交渉態度に代表されるように、日本とインドの交渉立場は対照的であった(浜中2019a)。日本がインドを交渉にとどまらせるために専門職業サービス等で譲歩することが出来ていれば交渉結果は全く異なったであろう。

急速な交渉妥結・苦渋の選択

一方、中国は一貫してRCEP交渉の妥結を急いだ。仮にアメリカで政権交代があればTPPに復帰するという可能性がないとは言い切れない状況で、各国の関心がTPPに移る前に何としてでもRCEPを完成させる必要があった。今から思えば、RCEP交渉妥結のために中国はインドを「切った」ともいえる。インド離脱でRCEP交渉は漂流するとの見方もあったが、実際には交渉はラストスパートに入っていった。

同時に中国は、中国主導の経済圏の構築という野心があからさまにならないように、かなり上手に振舞った。第一に、保護主義的なアメリカを尻目に自由貿易の重要性を強調し、中国こそが自由貿易の旗手であるかのように振舞った。一歩引いて考えれば、RCEPよりも自由度の高い国際経済ルールを導入すべきとの議論が沸き起こってもおかしくないのだが、WTOが機能しない・アメリカがTPPから離脱している状況において、RCEPの妥結は自由貿易促進の数少ない希望の光であるかのような錯覚を我々に与えた。実際RCEP締結後の日本各紙の論説でも「RCEPを自由貿易の土台に」という種の主張が目立つ。第二に、中国は途上国の立場を堅持することにこだわり続けた。2020年に行われたWTOの事務局長選においてアフリカ出身候補を支持したことからも中国の意思は明白である。欧米先進国が主導して書いてきた国際経済ルールを、中国が途上国の意向を踏まえて書き直すという世界戦略のなかでRCEP交渉に臨んだのである。より具体的には、TPPには入れないような途上国でも心地よい国際経済ルールをRCEPで実現しようとした。

中国の圧倒的な存在感の前で、すでに長年交渉してきたRCEPをいたずらに遅らせることで中国の反感を買いたくないと思う国がASEANを中心に多くなったことは想像に難くない。中国と安全保障面(南シナ海)で問題を抱える国にとっては、仮にアメリカの後ろ盾があれば経済面でも中国と距離をとる選択肢もあったであろう。しかしアメリカの後ろ盾がなければ、むしろ経済面では中国との摩擦を最小限にしたいと考えるに至ったことはごく自然といえよう。

アメリカ大統領選直後の混沌とした時期に一気にRCEP妥結の機運を高めた中国は極めて用意周到であったといえる。日米の連携がとりにくい期間を狙いうちにしたのでないかと思うほどである。ASEANを中国に取り込まれてしまった日本は、気づいてみれば日本のみRCEPに署名しないか、中国主導の協定に署名するかという究極の2択しか残っていなかった。日本としては将来インドが加盟するための文書の策定で主導権を発揮するのが精いっぱいで、交渉経緯は完全に中国に支配されていたといっても過言ではない。仮に日本がNOを主張すれば、中国は日本を「切った」かもしれない。

実態は中国が書いた国際経済ルール

RCEPが中国主導というのは、交渉経緯を中国が支配したということもあるが、より重要なのは国際経済ルールの「内容」である。RCEPを含めたFTAの主目的がもはや関税の引き下げではなくなりつつあることを踏まえると、どのような国際経済ルールがFTAによって設定されるのかは極めて重要な問題である。実際日本もFTA交渉の主戦場は国際経済ルール設定であるとの認識の下、ルール交渉に注力してきた。しかしながらRCEPに関しては中国の意向が反映され、日本の主張が通らなかった面が多い。FTAにおける国際経済ルール設定として日本にとって特に重要なのは以下の二分野である。

  • 投資に関する紛争処理――企業(例えば日本企業)が外国(例えば中国)で行った投資が、受入国政府(例えば中国政府)の政策変更により、投資効果を見込むことが出来なくなった場合、企業が受入国政府を相手取り補償を要求するための国際メカニズム(国家と投資家の紛争解決メカニズム、いわゆるISDS条項)の設置。海外事業を展開する日本企業にとってはFTA交渉時の最重要課題の一つであり(経団連2019a)、TPP等には含まれる。一方中国が今まで締結したFTA等には本格的なISDSは含まれない。RCEPには最終的には含まれないこととなった2
  • 電子商取引に関するデータ・ローカライゼーションの禁止――電子商取引章において規定されることが多いデータ・ローカライゼーションの禁止も日本の産業界が強く支持する項目である(経団連2019b)。TPP等には含まれる。RCEPはデータ・ローカライゼーションについての一応の言及はあるものの、問題はルールの拘束性である。RCEPの電子商取引章はルールが破られたと見受けられる際にも紛争処理にかけてはならないとされた(Article 12.17)3。このため、実際ルールが破られているのでないかという疑義がある場合でも、ルール履行の確保を追求する手段がない。

つまり、RCEPの発足により東アジアは中国が書いた国際経済ルールが支配する地域になったといっても過言ではない。交渉経緯からすると日本のCEPEAがベースになる可能性はあったのだが、結局は中国の意向が強く反映されたルールになった。中国の主張が通った背景には、アジアにおける圧倒的な国力を有する中国の意向を無視することができなかったというだけでなく、中国の主張する途上国に優しい国際経済ルールに対して安心感を抱くアジア途上国が一定程度存在したことも挙げられる。言い換えるとTPPはアジア諸国にとって野心的過ぎたことは事実であり、TPPと異なり途上国に配慮した協定であるということがRCEPの売りとなった。

今後の展望・政策

今後の政策論としては、世の識者・コメンテーターは「メンバーシップ談義」に花を咲かせるかもしれない。「インドのRCEP参加が実現するように日本は働きかけるべきだ」「日本はアジア関与の重要性をアメリカに説得し当該国のTPP復帰を後押しすべきだ」「長期的にアジア諸国さらにはイギリス等がTPPに参加できるように日本は主導権を発揮すべきだ」等である。これらは「もっともらしい」政策論に聞こえる。このようなメンバーシップ談義に陥りやすいのは、交渉のサブスタンスへの理解が欠けていることが一因である。上述したようにインドがRCEPを離脱した遠因はインドが求めるサービス分野の自由化が困難だったことであり、実は日本の交渉スタンスが最もインドと相いれないものであったことに鑑みると、軽々しくインド参加論を提起するのはいかがなものであろうか。

まずは現状認識を冷静に行う必要がある。忘れてならないのは、RCEPは経済政策でなく政治的な問題ということだ。経済効果を強調するのはミスリーディングである。各国当局が経済効果を政治的に誇示するメリットはあっても、それは経済効果自体ではない。国際政治という観点からは、RCEPは中国にとって威信政策であるという点を見落としてはならない。中国にとってRCEPが重要なのは、それが中国が地域の盟主であることを示すツールだからである。日本を含めたアジア諸国が中国中心のアジア秩序を受け入れたと中国は理解するであろうし、アジアの多くの国もそのように認識する可能性は否定できない。2016年に中国主導で設立された日米不参加の国際金融機関であるAIIBとともに(浜中2016)、アジア秩序・国際秩序を中国中心のものに変えるピースの一つがRCEPである。長い目で見ると、2020年は、アメリカや日本の主導したTPPによってではなく、中国が主導したRCEPのルールによって東アジアがカバーされたターニングポイントの年として刻まれるかもしれない。

冷静な現状認識を行ったうえで、RCEPや他のTPPを含むFTAによって設定された国際経済ルールを精査し、日本にとって望ましいルールについて産官学を含む多くのステークホールダーの間で認識を共有する必要がある。日本にとってRCEPのルールとTPPのルールのどちらがよいのか。RCEPのルールに不満があるならそれはプロセスを中国が支配し中国の主導権・存在感が圧倒的だからか、あるいはルール自体に問題があるからか。ISDSを含まないFTAの投資ルールは日本にとって望ましいのか。

日本にとって望ましい国際経済ルールについて明確に意識したうえで、メンバーシップについて慎重に検討することが必要である。例えばRCEPのメンバーシップ拡大は、中国主導で書かれた国際経済ルールの世界への拡散を意味する。日本も交渉に参加したRCEPルールの拡散が望ましいと考えるのであれば積極的にRCEPのメンバーシップ拡大を追求すればよいし、それと整合的に今後の日本のFTA交渉はRCEPを「雛型」とすればよい。またTPPのメンバー拡大はかなり困難であるが、おそらくイギリスの加盟は相対的には容易であろう。さらにインドのTPP参加も案外容易かもしれない。それはTPPが英米法的な制度だからである。しかし仮に米・英・印がTPPに加盟すると、すでに加盟している豪・NZ・マレーシア・シンガポール等と共に今後の交渉をリードし、英米法的な考えに基づいたサービス貿易の自由化(相互承認協定に基づいた専門職業サービスの自由化)等がTPPで行われることになりかねない(浜中2019b)。これは日本がRCEP交渉において対インドで妥協できなかった点である。まずは日本にとって望ましい国際経済ルールについて明確なアイディアを得、そのうえでどのようなメンバーと協力することでそれを実現できるのかを考えるべきであろう。

最後に、RCEP、TPPを含むFTA交渉の第三者による中立的な検証の必要性について指摘したい。例えば仮にRCEPの国際経済ルールが日本にとって最適でないなら、日本はNOといったのか、NOといったならなぜその声が通じなかったのか、第三者が外交・交渉プロセスを中立的に検証することが必要であろう。RCEPにおいて、交渉を纏めること以外に、日本がどうしても譲れないと考えた条件はなんだったのであろうか。筆者には、中国はISDSを入れないこと、データ・ローカライゼーション禁止を入れないことを譲れない条件として明確に意識していたように感じる。日本でなく中国が主導権を持つことが出来た最大の理由はこの点であるのかもしれない。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

インデックス画像の出典
  • Tiger 7253, The members of the Regional Comprehensive Economic Partnership (CC BY-SA 4.0).
参考文献
著者プロフィール

浜中慎太郎(はまなかしんたろう) アジア経済研究所主任研究員。専門は国際関係論、国際政治経済学、地経学、自由貿易協定(FTA)。最近の論文に最近の論文に "The future impact of Trans‐Pacific Partnership’s rule‐making achievements: The case study of e‐commerce", World Economy 42(2), 2019 や "Why breakup? Looking into unsuccessful free trade agreement negotiations", International Politics 57(4), 2020など。

書籍:The future impact of Trans‐Pacific Partnership’s rule‐making achievements: The case study of e‐commerce

書籍:Why breakup? Looking into unsuccessful free trade agreement negotiations

  1. 韓国・オーストラリアは、米中と二国間FTAを締結したうえでTPPとRCEPの両交渉にかかわることで米中と等距離を取ろうとした。
  2. 今後の作業計画(Article 10.18)には含まれているため再交渉される可能性はあるが現時点では予断を許さない。
  3. 紛争処理の電子商取引章への適応については今後の交渉に任せることとなった。
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